回想#3.陸 ―完結―
社長室にいる俺と梨花。只今ビジネスモードだ。とは言え、社長室でいつもビジネスモードというわけではない。俺達は夫婦でもあるのだから、密室で二人だけだと緩い雰囲気の時もある。ただ今は、仕事の話中なのでビジネスモードなのだ。
「木田社長は今日の夜の便で帰国します。しかしそのまま自宅に直行するそうで、特に今日は会談の予定はありません。明日の就任式典に備えるようにとのことです」
梨花が秘書の月原として俺のスケジュールを読み上げる。明日は就任式典。それは合併記念式典を兼ねている。
今日で株式会社アースサナリーはキダ
「けど今日の夜は会食の予定が入ってるな。これは誰とだ?」
俺はカレンダーをパソコン画面で見ながら梨花に聞いた。このカレンダーをスケジューラーと呼んでいる。グループ会社全体のネットワークシステムで、今俺が見ているのは俺のアカウント画面だ。
するとこの質問で途端に態度を変えた梨花。デレっとした表情をしている。社長席に座る俺の横まで来て肩に腕を回してくる。顔の距離は密着だ。完全にプライベートモードである。
「それはあたしと朱美ちゃんとの同伴」
「……」
「それがなんで俺のスケジューラーにも共有されてんだよ?」
「朱美ちゃんが花蓮ちゃんも誘ってくれたから」
「……」
「まさか、経費で落とさないよな?」
「そんなことするわけないじゃん。あたしは高給取りだよ? 紗奈に内緒のへそくりたくさんあるって」
俺は胸を撫で下ろした。そして抜かりない梨花。ただまぁ、俺より経理に厳しい梨花だから、経費の使い方は俺より意識が高い。心配はしていなかったが。
「ま、パパの給与明細を紗奈に提出する分だけ偽造してもらってるけど。浮いたお金を貯めてるんだよね」
「おいぃぃい!」
そのへそくりって俺の稼ぎではないか。つまり俺の役員報酬の横領だろ。それに高給取りって発言は全く関係ないではないか。そもそも梨花の給料はどこに消えているんだよ。確かに俺と同様、梨花の給料も紗奈が管理しているけど。
つまり俺、会社社長なのに小遣い制。そして梨花、高給取りの社長秘書なのに小遣い制。紗奈が貯め込んでいるのか。いや、何かと梨花と買い物に行っては物が増えているから、二人で使っているな。
「一緒にキャバクラ行かないの?」
「行く」
即答してしまう俺……。それを確認して離れる梨花。そして梨花の表情がビジネスモードに戻る。
「紗奈は大丈夫か?」
「仕事の会食だって言っておきます」
「浮気するなよ」
「それはお互い様です。そもそもあたしはパパと紗奈以外の人とする気はありません。お店で飲んで遊んで、可愛い女の子に興奮して酔って帰って、紗奈をいただくのが目的です」
「なるほどな」
確かに俺も浮気はしたことがないけど、梨花もかなり一途だ。いや、二途だ。線引きはしっかりできている。仕事での夜の店への理解は紗奈にももうあるわけだし。今日は仕事ではないが。
「帰ったら一緒に紗奈をヒィヒィ言わせましょう」
「御意」
うむ、それには気合が入った。即答である。すると開いた社長室のドア。
ガチャ。
現れたのは
「社長、父の帰国が早まりました。午後早い便で着くそうです。昼食はここのメンバーに専務を加えて父と川名さんと会食です。すぐに出るから二人ともついてきなさい」
相変わらずの命令口調。最後だけだが。出会った頃から変わっていないな。その美貌も変わっていないどころか、30歳を過ぎても魅力が増すばかりだ。まぁ、今年30歳の梨花と紗奈にはほんのちょっとだけ劣るがな。
しかしサナリーには不老の能力でもあるのだろうか。二人ともすごく美人なのだ。その梨花はこの後のスケジュールの変更に奔走し始めた。けど、キャバクラの同伴だけは絶対に死守するだろうな。
ふと回想をしてみる。あれはこの会社を設立するために動き回っていた高校三年の時。色々なトラブルがやっと解決して、少しだけ落ち着いた冬の終わり。そう、二月の半ばだった。自由登校の俺は家で仕事をしていたのだ。
ピーンポーン。
来客だ。俺は書斎の自席から腰を上げてリビングに行った。そしてモニターフォンを見ると
「木田? どうした?」
「仕事の用事よ。エントランスと玄関を開けなさい」
「……」
相変わらずの命令口調。とは言え、仕事と言われては従うしかない。
俺はリビングに木田を通した。そして木田をソファーに座らせホットコーヒーを出した。
「で? 仕事って何の用事だ?」
「嘘よ」
「おい……」
「そう言わないと家に上げてくれないでしょ?」
確かに。紗奈も梨花もいない時間帯に女子を上げようとはしないわな。
「はい、これ」
そう言って差し出してきたのはラッピングされた箱。それを見て俺は気づいた。今日はバレンタインデーだ。日々の忙しさにすっかり忘れていた。今年は海王高校の入試とも被らなかったので、サナリーは学校だし。
「わざわざありがとう」
「本命だから」
「じゃぁ、返す」
「なら義理にする」
「……」
そう言われては、一度受け取った物だからその手を引っ込めるしかない。
「日下部さんとの交際は順調?」
「まぁ」
「別れないの?」
「その予定も雰囲気もないな」
こう言われるのももう慣れているのだろう。落胆の様子も示さずコーヒーを口に運ぶ木田。しかし結局卒業まで、一途に俺のことを想ったな。木田には厳しいこと告げるようだが、ちゃんと言っておかなくてはならないことがある。
「俺、会社が安定したら紗奈にプロポーズをしようと思う」
梨花にも、だが。
すると木田のコーヒーカップからコーヒーが零れた。カップを持っていた木田の手が大きく震えたのだ。ここまで動揺するとは。胸が痛む。
「そう……」
木田のあからさまな落胆。木田がカップを置くと同時に俺はテーブルを拭いた。
「会社は木田家あってのもの。けどその木田の気持ちに応えてあげられない。凄く申し訳ないよ」
「仕方ないわよ。月原さんはどうするの?」
「できるだけ長く同居してほしいって思ってる」
本当はずっと梨花にも一緒にいてほしいと思っているのだが。だからこそ梨花との結婚も考えている。
「私も混ざってはだめ?」
「ごめん……」
それはできない。なぜなら、三人で一緒に恋人関係を築いているからだ。梨花との関係は隠しているが。
「三人の関係は揺るがないのね」
「まぁ」
「私にも報告があるのだけど、先を越されちゃったわね」
「ん?」
木田の発言の意図がわからなかった。しかしこの後、木田が続けたことで理解した。
「高校を卒業したらお父さんからお見合いを薦められているの」
「そうなの?」
驚いて少しだけ声が張ってしまった。
「えぇ。お父さんの会社の人なんだけど。10歳も年上よ」
「10歳もか」
10代のこの頃は、お見合いに現実味がないばかりか、10歳という年の差は遥か年上だと感じていた。
「先を凄く期待される人で会社のためになる相手だそうよ。強制はされていないわ。婚約しても結婚は大学卒業後でいいって言われているし。本当はお父さんも天地君と結ばれることを一番に望んでいるのだけど、こればかりは仕方がないって」
恐縮である。会社設立のために尽力してくれているのに、俺はこのことには応えられない。今後会社に貢献して返すことしかできない。そんなことを考えていると突然木田が泣き出した。
「ごめんなさい。泣くのは卑怯よね。けど無理。今だけ許して」
嗚咽を含みながら俺に言う木田。俺は木田が泣き止むまでそっとしていることしかできなかった。
そしてひとしきり泣いて、落ち着いた木田が言った。
「お見合いはするわ。私、何だかんだ言ってお父さんのこと好きだし、お父さんが薦めてくれる人だから、間違いはないと思うから。それに私にとっても会社は大事だし」
「そっか。木田ってもしかして一人っ子か?」
「そうよ。だから婿養子に入ってもらうことになると思う」
「なるほどな」
俺は次男だし、そもそも実家とは疎遠。母方の家系とは絶縁状態。もしサナリーがいなかったら何の問題もなく木田の家に入っていただろう。考えても仕方のないことだが。
「ダブル不倫でもいいわ」
「……」
突然そんなことを言う木田。それ本気かよ……。返す言葉に詰まるのだが。何を言い出すのだ。
「いつでもお誘い待っているわ」
本気だった……。とりあえず俺はそれに否定的な回答をしてこの場を締めた。
今目の前にいる専務婦人の木田。つまりその旦那はキダGHの専務まで上り詰めたわけだ。そして明日からは副社長だ。何度も会ったことはあるが、とても気さくで物腰の柔らかい人である。けど、会社のために貪欲だ。
その人がこれからは恐れ多くも俺の右腕になる。昔のキダGHのような会社にマイナスの派閥は作らないように気をつけなくては。完全には無理かもしれないが、それでもお互いに尊重しあえる関係を構築したい。
そして情報によると明日は天王寺ファンドでも新組織の進発式があるらしい。3年前に他界したクソジジイが空けた会長職。そこに俺の実の兄、広兄こと
俺の実家はと言うと、クソジジイの遺産相続を法定どおり適性に受け取った母さんが、父さんの抱える天王寺ファンドへの損害金を全て支払った。母さんの相続分が全て現金で協議がまとまったことが大きい。父さんは変わらず天王寺ファンドの子会社の一般社員ながら、それでも少しだけ日の当たる職場へ復帰できたようだ。
広兄とは広兄が実家を出てから一度だけ会った。広兄が帰国して、天王寺ファンドの東京本社に来ていた時に、時間を作って俺の家に来たのだ。
「裏切り者。……と言いたいところだけど、俺にはなかった行動力をお前は示した。羨ましいよ。行動を起こさなかった俺が情けない。そしてお前はそらを守った。そらを守ってくれたことには感謝してる」
こんなことを言っていた。俺のことを知って一度は自分の人生を後悔したのだろう。しかし、この時既に広兄の眼には野心が漲っていた。
「俺は天王寺ファンドをまだまだ押し上げる。お前には絶対負けん」
そう言って俺の自宅を出たのだ。
望むところだ。実の兄がライバルとは、相手にとって不足無し。合併してこれから俺はキダGHの経営者だが、絶対に負けない。
――俺の挑戦はまだまだ続く。
一周回って三角関係 生島いつつ @growth-5
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