本物

朝星青大

第1話




ほうずきさん企画・第二十九回・三題噺参加作品






「俺は、叔父の話を聞いて人生観が変わったよ。もう異世界ファンタジーを書くのは、やめようと思うんだ」


飽川がそう言って煙草に手を伸ばした。


「どうしたんだ急に。なんでまた、そういう心境に ? 叔父さんに何か言われたのか ? 」


興田がカップを置いて訊き返す。喫茶店の窓辺に夕陽が射した。


「いや、叔父は出張から帰って土産話を聞かせてくれただけだ。俺の趣味については何も触れていない」


二人はアルバイト先で知り合った。大学は違うが共に3回生だった。


「じゃあ、どうして……」


興田が説明を促す。


「叔父の活き活きとした話を聞いて、気づかされたんだ。叔父はシンガポールでの出来事や感動を俺に伝えてくれた。そして、その後に続く本物の感動をだ」


「本物の感動 ? 」


「うん。本物の感動に触れて語る叔父の姿を見て目が醒めた。今、投稿サイトで、ファンタジーだ、異世界転生だって、ブームになってるが、何かが違う。小説と言うには違和感がある。幼稚で嘘くさい作り話ばかりで、感動が無いと気づいたんだ」


「嘘くさい作り話 ? いや、そもそもファンタジーなんだから、嘘でいいんじゃないか ? 」


「うむ。ファンタジーだからね。そこはいい。俺の気づきは、そこに心からの感動があるのかって話だ。作り話を書きました。読んで下さい。読みました。すごいですね。この後の展開が楽しみです。そんな、やりとりが嘘くさい。実際のところ、本当に感動してるのかって」


飽川は灰皿を引き寄せて灰を落とした。


「感動 ? うーん……きっと大なり小なり、それなりの感動があるんじゃ」


「違うね。やってることはゲームだ。感動など無い。RPGやハリポタの劣化コピーを読み書きして暇を潰しているだけだ。まるで催眠術にでもかかったように、こぞってハリポタの亜流の作文ごっこだ」


「えっ ? 催眠術 ? なるほど……言われてみれば確かに。ハリポタ亜流の作文ごっことは言い得て妙だな」


興田が腕組みをしながら相槌を打つ。


「趣味だからね。作家じゃないんだから、シロウトが何を書こうと自由だし、投稿がコミュニケーションのツールになってる。それで救われる者も居るだろう。趣味なんだから好きなように楽しめばいい。だから投稿を否定はしない」


「趣味って言うけど、プロ作家を目指してるのも居るだろ ? 」


「作家 ? 冗談だろう。異世界転生だの、チートだの、魔王がどうたらなんて話は小学生向けのものだ。そんな幼稚な作文書きを、作家だなんて持ち上げるからオカシクなるんだ」


飽川が笑いながら興田を視た。


「いや、でもさ。コミック化とかアニメ化とか、ゲーム化されれば名前は売れるし、印税が入るんだからプロと言えるんじゃないかな。品質はともかく……」


「そこだよ。売れればいい。品質は問わない。小学生の購買層を当て込んで、漫画チックな作品を持ち上げて商品化すれば、出版社は一時的に儲かるかも知れない。金儲けに繋がるなら何だっていいんだろう。だけど、それは文芸じゃない。小説ではない。そんなものは何の意味もない妄想の作文だ」


飽川は遠慮なく指摘した。


「無意味な妄想の作文 ? それは言い過ぎだろう。ゲームだって需要があるから、供給者が居る。経済効果があるからゲーム出版が成立するんだろ」


「そりゃそうだ。逆の論理だけどな」


「逆の論理 ? 逆とは ? 」


「出版業界やゲーム業界が仕掛けて、子供達のこづかいを喰いものにしてる。子供達が選んでいる訳じゃない。子供達は、あきんどの並べた作文やゲームを手にしているだけだ。流行を作り出してるのはテレビCMや各種メディアの宣伝の力だ。子供達は業界の金儲けに、まんまと踊らされて」


「あきんどの金儲けに踊らされて ? それは……うーむ、しかし……」


興田はコーヒーカップの中に視線を落とした。


「そんな訳で、俺は異世界転生ものやエロゲーものを読み書きする事がバカらしくなった。催眠術から醒めた。書くのなら小説らしい物語を書いて感動を伝えたい」


そう言うと、飽川はふと窓辺へ眼をやった。


太陽は沈んでいたが西空の夕焼けが美しい。


彼は、叔父から聞かされた話の記憶を辿りながら一部始終を語り始めた。







賢治くん、驚いたよ。先月、出張でシンガポールに行ったのだがね。世の中には凄い物がある。物と言うより施設だ。そう、何と言ったら伝わるだろうか、あの国は、この世の楽園というものを実際に作ってしまった。マリーナ湾のすぐ近くに。ガーデンズ・バイ・ザ・ベイという施設だ。シンガポールのマリーナ地区は元々、人気のあるスポットだけれども、そこを更に進化させた訳だ。簡単に言えば巨大な庭園テーマパークだ。総面積約110ヘクタールというから、東京ディズニーランドとディズニーシーを合わせた面積よりも広い。大きく分けると三つのゾーンに分かれている。その一つがフラワーガーデン。全面ガラス張りの巨大なドームだ。天井高が45メートルで、面積は1.2ヘクタールもある。世界中の美しい植物や珍しい植物を集めた巨大な植物園だ。温室植物園としては世界一だろう。温室と言っても、あそこは外気温が30度を超す常夏の国だからね。ドーム内は23度に調節されているそうだが、中に入ると肌寒く感じるぐらいだ。多種多様の鮮やかな色彩の花で埋め尽くされた空間に立ち入ると、まるでディズニー映画の中に飛び込んでしまったような気分にさせられる。これまで見たこともない植物が所狭しと並んでいる。オリーブなどの地中海植物があるかと思えば、バオバブとかナツメヤシなどの乾燥熱帯地域の植物がある。芸術的なオブジェも沢山ある。あれこそ現実を忘れさせるファンタジーの世界だ。僕の想像力を遥かに超えて、めくるめく驚きと感動をもたらす不思議な空間だった。この先は、一体、どうなっているんだろう ? 何が現れるんだろうという期待感でワクワクしながら観て回った。それだけじゃない。フラワードームの隣のドームにはクラウドフォレストと言って、人工の山がそびえ立っている。その高さがなんと35メートルだ。ドームの天井高は50メートル以上ある。山の表面には植栽が施されて、回廊のデッキがある。そこは地上高で言えば、とても高い位置にあるのだけれども、くねるように山から離れたり近づいたりだから、変化に富んで、高所恐怖症の僕でも、いつの間にか歩かされてしまった。山から突き出るようにして沢山の滝が流れ落ちている。それだけでも迫力がある。霧が立ち込めて幻想的な景色だったな。頂上は標高2000メートルという設定だ。寒冷な高山を表現しているんだ。エレベーターで頂上まで上がってから、標高1000メートル設定の場所まで、高山植物を観察しながら散策を楽しむ設計になっている。滝の裏側も観ながらね。もちろん、それらは人工物で自然美には及ばないのかも知れない。しかしね。赤道直下の街に、本来なら、あり得ないものを現出させた。あれほどのものを。夢を叶えたという意味で、彼等の情熱と努力に僕は感動した。更にだ。驚きは、それだけではなかった。ベイ サウスの中心にそびえ立つ、未来都市をイメージさせる人工の木、スーパーツリーだ。高さが25~50メートルもある。このツリーは、高層庭園なんだ。養成植物やシダ類を含めて16万本以上の熱帯植物を外壁に巻いている。そしてだ。18本あるツリーの中の2本のツリーは、OCBCスカイウェイという全長128メートルの空中散策路で繋がっていて、ここからはガーデン全体を見渡せる。雄大な景色を一望出来るんだ。言わば吊り橋だ。ここは、さすがに怖かった。一番高い50メートルのツリーの頂上にはレストランもある。スーパーツリーの周辺にはマレー庭園、インド庭園、中国庭園から植民地時代の庭まで、10の庭園が取り巻いている。更にだ。夜になれば施設全体がライトアップされる。賢治くん、想像出来るだろうか ? あの巨大なスケールでライトアップされた景色を。あれを眼にしたなら大抵の人間は息を呑む。日本では、あり得ない光景だ。ガーデンズ・バイ・ザ・ベイは、まさにファンタジーを実現した楽園だよ。







「ほおっ ! そんなものが有るのか ! 凄いな……」


興田は、小刻みに瞬きしながら手のひらを握ったり開いたりしていた。


「ところがだ。この話は、まだ終わらない。その後、シンガポールの取引先担当者の上司が来日したそうなんだ。そこで何が起こったか……」


飽川はタバコを揉み消し、コーヒーカップを高く掲げてカウンターの中に居るウエイトレスへ、お代わりの合図を送った。


「何だよ。そこで止めるなよ。気になるだろう。一体、何が起こったんだ ? 早く続きを聞かせてくれ ! 」


興田は焦れて催促した。






「叔父は、スカイツリーへ案内したんだ。フォンさんって言ったかな。フォンさんに350mと450m展望台から東京の景観を見せた。富士山は雲に隠れて見えなかったそうだが。フォンさんは日本の近代史を学生時代に学んだそうで、東京が焼け野原から70年で、これほど発展した事に驚いたそうだ。太陽が最も早く昇る国、JAPAN。日本の技術は素晴らしいと。近い将来に開業予定のリニア新幹線にも、是非、乗車してみたいとも。だけど……」


「だけど、なに ? おい、頼むよ。勿体つけるなよ。何なんだ ! 」


「うむ。食事を済ませた頃、14時に叔父の上司から連絡が入って、東京駅へお連れしろと言われた。そこで落ち合って京都へ案内すると言うんだな。後は任せろと。つまり向こうが上司なら、こちらも課長がフォンさんを接待するのが礼儀だと」


「えっ ? ああ、なるほど……」


「ここからは、後で上司から聞かされた話だ。フォンさんは、京都の料亭の佇まいや、出されたその料理に痛く感動したそうなんだ。特に女将の笑顔と着物姿。いや、女将の所作の美しさに心奪われたと」


「女将の美しさに ? 」


「そうじゃない。顔形の話ではなくて所作の美しさ、仕草の美しさにだ。そういうものは一朝一夕に身につくものじゃない。鍋物料理を取り分ける時の箸の使い方。正座で挨拶する時の立ち居振る舞い。そういう所作の美しさは自然に滲み出るものだ。長い伝統があって、京都の地で幼い頃から自然に培われたものだろう。恐らくは日本舞踊や茶道も極めているんだろう。その上での接待のプロだ。着物姿で、おもてなしの極意を身につけた女性から上品に微笑まれてみろ……フォンさんでなくても、コロイチだ」


「コロイチ ? 瞬殺のことか ? 」


「フォンさんは、女将の姿に心を奪われたと言ったろう。感動するというのは、そういうことだ。魅了されたんだ。恐らくは料亭の仲居さん、舞妓さん、芸妓さんにも観察の眼は伸びたろう。フォンさんは帰国する時、京都の街並み、京都の女性は素晴らしいと絶賛したそうだ。料亭の庭園も自然美を活かした本物の美しさで感動したと。この感動を生涯、忘れないだろうと語ったそうだ。俺は、この話を叔父から聞かされた時に、感じたんだ」


「何を ? 」


「本物の感動をだ。芸術、芸能というものは一瞬で魅了させられる。絵画も音楽もそうだろう。瞬殺なんだ。ひと目見たら心を捕えて離さない。そういうものだ。小説で言えば、一読しただけで、その感動が終生残るような作品。それを標榜ひょうぼうするのが文学というものだと」




「はーい。お待ちどうさま。コーヒーのお代わり、二人分ね。あのね、悪いけど……」


「えっ ? 」


「あなた達、コーヒーの良し悪しに全然、気づいてないようね。コーヒーなんて、どこで飲んでも同じだと思ってるでしょう。このコーヒーは、グァテマラ産の生豆で最高級のものなの。焙煎したばかり。この前のはブラジル産で、その前はエチオピア産。産地もそうだけど、コーヒーを本当に美味しく飲む為の要件は実は鮮度なの。美味しく飲めるのは焙煎後1ヶ月以内よ。知ってた ? 本物がどうのって話が聞こえたけど、その違いを分からないようなら、まだまだね」



ー了ー



お題【太陽】【催眠術】【植物園】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

本物 朝星青大 @asahosi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ