16.悪竜 対 焔帝

 大柄な体躯とは裏腹に、悪竜の動きは俊敏だ。距離を縮めようとしても、翼を羽ばたかせて足止めしてくる。踏ん張れば詰め寄り、爪と牙を伸ばす。吹き飛ばされると上空から踏み潰さんと突撃してくる。

 伊達に何年もリョートの空を支配してきたマモノでは無い。普通の動物とは違い、狡猾な戦い方だ。


「――この、やろッ!」


 荒れ狂う氷雪の風を、熱波で押し返す。迫り来る爪と牙を、火炎でかいくぐる。

 奴の攻撃は届くのに、こちらの反撃は通じない。防戦一方の中で、涼やかな冷気が頬を掠める。


「『――削れ』」


 突如悪竜の体が仰け反る。前のめりだった体勢がぐぐっと持ち上がると、二、三歩、後退あとずさった。


「なるほど、確かにチャンスは多いわ。貴方が引き付けている間に、隙を見つけられそうよ」


 指先から放たれただろう魔力の残滓から、ユリアが魔法を使ったのが伺えた。見れば、先から狙っていた悪竜の首筋に、氷の鱗とは違った刺々しい傷跡が付いていた。

 不意の一撃とはいえ、悪竜を仰け反らせるとは相当の威力だ。


「は、なら少し時間稼いでくれるか?」

「それは貴方次第――よッ!」


 容赦ない返答が脇を抜けていった。続けざまに狙われた悪竜も、押されて後退あとずさり出す。強烈な魔法の威力であるのに、なぜ彼女が戦えなかったのか。ふと思う疑問も、次の瞬間に理解する。


 KyyyyyyyAaaaaaaaaaaaa!!!!!!


 猛烈な咆哮。続いて飛んでいた氷塊たちが、たやすくボロボロと砕けて墜落していく。どうにもあの咆哮が絶えず響く限り、魔法が無力化されていくらしい。生半可な攻撃は通用せず、たとえ魔術だろうと関係ないだろう。

 だがユリアは攻めの手を止めない。


「『――縛れ』」


 数多の砕け散った氷塊が、今度は枝のごとく伸び出して悪竜に迫る。吠えたてた後、息継ぎのように途絶えた瞬間に一気に抑え込むように悪竜の巨躯を包み込んだ。


 KyyyYYAAaaaa!!!!KyYYAAAAA!!!!!


 苦し気に悶える悪竜が、何度も耳障りな咆哮を繰り返す。しかし、体にまとわりつくように絡んだ氷の枝は、たとえ砕けても何度も繋がり、再び悪竜の体を覆う。ユリアは完全に悪竜の動きを封じ込んでいる。


「はやくっ、何とかなさい! こんな魔法、二度も通じないわよ!」


 苦々しく叫ぶユリアは、わかりやすく渋い顔に歪ませている。無理やり繋げた氷の魔法を続けるのは、やはり骨が折れるらしい。

 ゴウ、と一陣の風が吹く。いや、風ではない。狙ったように飛び出した銀狼が雪の上を猛烈なスピードで駆け出した。人よりも大きく逞しい体つきであるのに雪の上に足跡すら残さず駆けていき、抑え込んだ悪竜の懐へと飛び込んでいく。


「グルアアッ――!!」


 唸り声を挙げて、リルは悪竜の首元へと牙を立てる。魔法や魔術には拠らない、純粋な攻撃だ。無論ながら悪竜の咆哮による阻害は無く、縛り付けた動きでは避けることもままならない。

 ガチリ、と硬くぶつかり合う音。ギリギリと強く擦れ、ギシギシと軋む音。骨などたやすく嚙み砕いてしまいそうな銀狼の大きな顎はしっかりと悪竜の首元に喰いついている。しかし――。


 KyyyyyyyAAAAAAAAAA!!!!!!!


 つんざくような悲鳴は、何の見境もなく辺りへと撒き散らされる。

 途端、体を縛っていた氷が弾け、辛うじて自由になってしまった前足の片方が無造作に銀狼へと向き――

 ドスン、と鈍い音が響く。


「リルっ!?」


 横殴りで入った銀狼の体は軽く宙を舞ってから雪原へと落ち――そして、幾つかの小さな赤い染みが点々と見えた。


「――っ」


 ユリアが息を飲むのがわかる。弾かれたリルはグルルル、と唸りすぐさま立ち上がる。流れた血は少ないが、どうやら傷は浅いものの更に飛び込んでいくには消耗が激しいらしい。

 悪竜はと言えば、未だ氷の枝で縛られ、噛み付かれた首元に激しい傷は付いているものの、依然として爛々とした赤い目がこちらを睨みつけている。人ならざるモノからの殺意が、突き刺すように向けられている。


「――今度は、俺に合わせてくれよ」


 四肢にみなぎらせた魔力と、少しの細工だけ。今ある武器にしては心許ない。それでも些細ながらの勝ち筋を見逃すほど、間抜けて生きてこなかった。

 足に力を込め、かけ出すと同時に足裏で爆発を生む。ボフンッ、と雪が一気に解けて雪と煙が大きく立った。弾かれて飛ぶように、しかし狙いを定めさせないようにジグザグに、悪竜の懐へと肉薄する。


 KuuuAaaaaaa!!!!!


 悪竜が唸り、背中の方から凍るような悪寒が襲ってくる。この感覚を、俺は知っている。魔素が悪竜に集まっているのだ。その行先は、悪竜の喉元。大きく息を吸って吐く。魔素の籠ったそれは、特大の吐息ブレスだ。

 

「させるか――ッ!!」


 懐に手を伸ばし、しっかりと握りこんでそれを引っ張り出す。先程ユリアが持ってきてくれた魔鉱石……正確には、俺の体から出てきた純粋な魔力結晶。四年分とはいえ、「魔法使い」の純粋な魔力を蓄積したは、十分すぎるリソースだ。

 手に意識を集中させる。必要なのは正確なイメージだ。いかにして悪竜に一撃を届かせるか。どこに? 傷の付いた首筋なら。一点集中は難しい。外したら立て直しが効きにくい。なら面。いや、威力が足りない。

 真っ直ぐ。かつ、広く。


 悪竜の口が、がぱりと開く。


「――ユリア、飛ばしてくれッ!!」


 咄嗟に叫んだ。程なくして、足元から何かが突き上げるように迫ってきた。

 足裏を支えるのは氷柱――いや、氷塊だ。巨大な氷の塊が、猛烈な勢いで押し上げてきた。ほぼ突き飛ばされるかのような勢いで上へ、上へと押し上げられる。

 直後、視界が白に染まる。急な猛吹雪を思わせるそれがさきほどまで足場にしていた氷塊にぶつかると、途端にヒビ入り、ぐらりと揺れだす。悪竜の息吹ブレスをすんでのところで抜け出せたが、少しでも遅れていればそれこそ氷漬けにされていただろう。

 ヒビ入った氷塊がぐんぐんと上空に向けて伸び続けているため、ユリアは無事のはずだ。だが息吹ブレスによって氷の勢いは死んでいき、足元でビシビシと音を立てていく。


「――――――ッ!!」


 一か八か。グンと氷を踏みしめ、同時に足裏から爆炎を撃ち、高く高く空へと躍り出た。直後、あっけなく足場の氷塊は崩れ去り、雪山の上空で投げ出される形になった。

 意外にも高く飛ばしてくれたおかげか、図体のでかい悪竜の全体を見渡せるほどの高度へと達していた。 

 敵を捉えられなかった悪竜が、すぐさまギラリと目を上空へとむけてくる。もちろんだが、俺は空を飛べるような魔法などない。もしあったとしても、今使うことはできない。

 空中には逃げ場がない。当然、落ちてくるだけの俺に対して、悪竜が再び口を開く。しかし今度は息吹ブレスの気配はなく、丸のみにしてやろうと待ち構えているようだ。

 しかしそれは同時に、頭の位置が変わることなく、無防備に向けられているのと同義だ。

 

「『陽は中天に、翳りなく地を晒す。』」

 

 詠唱開始。握りこんだ魔鉱石に、魔力を込める。

 

「『頂を仰ぎて思い知れ。汝らの炎は我が火種。』」


 体が落下し始めた。魔鉱石に光が灯り、徐々に輝きが増していく。

 

「『其は火焔を統べる御霊の祖。』」


 燃え盛る炎が手の内から吹き出す。勢いよく伸びるそれは、紅蓮の光をさらに強めていく。

 

「『臥して崇めろ――〝緋王焔帝〟』!」


 波打つ炎が、刃に代わる。そんな様が再現されたという剣がある。

 突如中空に迸った閃光が、悪竜の目を焼いた。目が眩んだのか、悪竜がもたげた首を仰け反らせた。

 文字通り無防備な首筋に、焔剣を叩き込む。

 厚い鱗が溶けた。まだだ。魔力を回す。

 首に刃が届く。もっと。焔を更にうねらせる。

 肉が焼ける匂い。さらに。さらにさらに。


「――アアアアアアアッ!!」


 食い込んだ刃を押し通す。全力を掛けて、全身全霊で、全火力を叩き込む。

 真っ直ぐ。かつ、広く。一直線に、首元を――!


 ズ――バンッッ


 落下の勢いも兼ねた焔剣の一閃が、豪快な音と共に駆け抜けた。

 全力の攻撃が確かに命中して、しかし全身に力は入らず、雪原へと墜落した。力すべてを出し切り、まともに意識も保てない。

 薄れる意識の中で、悪竜の首がぐらりと揺れて……けたたましい音と共に雪原に沈むのが見え。


 そこで、記憶が途切れた。

 

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グラナトゥム・ミラビリス ~獄中の焔帝・幼き凍姫~ 河原叢児/トーチ @kawaraclean

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