エピローグ

カルミアの花


 人里離れた雪山にこしらえた隠れ家的な我が家は、急ごしらえながら、なかなかよくできている。とても三日で作ったようには思えぬな、と一人満足してうむうむと頷く。

 とくに暖炉には力を入れたのだ。

 自分一人ならこのような寒さどうとでもなるが、人間がいるとなればそうもいかぬ。

 調達してきたソファやテーブルを適当に配置し、長いこと住んでいた穴蔵あなぐらから持ち出してきた所有物を備え付けた棚の引き出しに放り込む。「ほい、ほい」適当に放り投げてもあるべき場所に自分から収まっていく巻物や力の結晶達。良い子、良い子じゃ。

 最後にベッドをどうすべきか、と木枠を前にしばし考えた。「かいりは華奢じゃ。しかしろいろは一緒に寝るじゃろう。シングルでは狭そうじゃな…」となればセミダブルか。しかしわしもたまには横になりたいぞ。毎日というわけではないが昼寝くらいは…。そうなるとセミダブルでは狭いのか? うーむ。


(えーいダブルじゃ! ダブルなら問題ない!)


 ダブルの大きさでベッドを組み上げ、スプリングのマットレスの代わりに敷布団をドサドサと重ねた。適当な布をシーツにし、これも適当な掛け布団をドサドサと運んでくる。

 もっさりとはしているが、寝床としてのベッドは出来上がったぞい。

 さて、休憩じゃ。年寄りは腰を落ち着ける時間がないといかん。

 新しい我が家にかいり達はどんな顔をするじゃろうなぁ、などと考えつつ、ジャスミンティーを淹れ、ソファに腰を下ろす。

 …ふむ。最近騒がしいのに慣れていたせいか、一人のお茶の時間というのは案外と落ち着かんものだな。

 ズズズとお茶をすすっていると、彼方で翼が閃く音がした。見知ったあかいのが新住居であるここを目指して雪の中を飛んでいるのだ。その手にはかいりと、そばを黒い雷竜らいりゅうが飛んでいることだろう。

 どれ、その驚く顔が見たいから出迎えてやろう、と白い粉が舞う外気の中で待っていると、紅い色が飛んできた。その手に握られているかいりが儂の姿を見て手を振ってくる。

 ドン、と音を立てて着地した紅い竜は儂が作り上げた隠れ家を見て顔を顰めた。ドラゴンの顔で器用な奴じゃ。


『なんだ、これは』

「隠れ家じゃよ。かいりは人間なのだから、人間らしい暮らしをした方が、負担が少なかろ? 儂が作ったのじゃ。すごいじゃろ」


 えへんと胸を張る儂にかいりが顔を輝かせている。期待通りの反応をする少年である。「うわー家だ! おじーちゃんすごい、ログハウス!」雪の中に下りると真っ先にこれからの我が家へと駆けていくかいりに雷竜の子が飛び回りながらあとに続く。

 おじーちゃん、などとな。親しみを込めて呼ばれるとな。こそばゆさがあるぞ。

 人には紅竜こうりゅうと呼ばれているドラゴンは赤髪の少女の姿になると不機嫌そうに腕組みした。「ママゴトをしているんじゃないのよ」「分かっておるよ」「どうだか。顔がにやけてるわよ」「おっと」おじーちゃん呼びされてニヨニヨしていたか。いかんいかん。

 かいりにコウと呼ばれている少女と我が家に戻ると、かいりがベッドでごろごろしていた。ろいろと呼ばれている雷竜の子も一緒にごろごろしている。「かいりの荷物ならそこじゃ。お主のはあっちに置いてあるぞ。忘れ物はないはずじゃ」指差した荷物をすかさず確認に行くコウ。…何か大事なものでも入っておるのかのぅ。珍しく真顔であった。

 カップを三つ足し、お湯を沸かし、ジャスミンティーを淹れる。「かいり、お茶じゃー」「はーい、ありがとうおじーちゃん」気がすむまでベッドでごろごろしたかいりがろいろを連れてソファにやってくる。コウは…まだ荷物を確認しておるな。置いておけばそのうち飲むじゃろう。

 冷蔵庫から杏仁豆腐を出してやると、かいりはまた顔を輝かせた。


「おお、デザート! 久しぶりだぁ」

「遠慮せず食べるとよいのじゃ」

「はい」


 いただきます、と手を合わせたかいりは忙しい。自分も食べつつ口を開けるろいろにも与えねばならぬからの。「かいりは世話好きじゃのぅ」「いや、世話好きっていうか…あ、ろいろこぼした」スプーンを噛み砕くことはなくなったものの、気をつけなければ食い散らかすのがろいろ。面倒を見るかいりは大変であろう。

 しかし、それが苦だ、とは言わぬ。自分で手を伸ばした命に責任を果たすと決めているから。

 その手が我々と人を繋いでいる。

 有り体に言えば、かいりは希望なのである。

 我々の力を持ってすれば食いちぎることも握り潰すことも容易い手を取る。年齢相応の少年の手。最近は少し、傷が増えたか。「おじーちゃん?」と背中がこそばゆくなる呼び方をしてくる、この子は奇跡に等しい。

 世界はゆっくりと確実に死に向かっている。

 そんな世界に少なからず絶望した紅い友は、最後の娯楽だと銘打って人の社会に入り込み、月日を過ごして、変わった。便宜上でしかなかった家族にドラゴンとして手を貸すほどには。

 まだ自分にできることがあるのならと、重い腰を上げ、未だ解決策の見つからない瘴気しょうきに対しても行動に出た。

 本人曰く『仕方がないから』ということだが、奴をここまで動かしたのはこの少年なのだろう。

 結果には繋がらないかもしれぬ。あるいは、その努力など無視した暗い闇が待っているだけかもしれぬ。

 それでも行動すること。その意味。その意義。

 少なくとも儂はその行動に敬意と謝辞を述べたい。

 それにしても本当に何の変哲もない普通の手だの、とぺたぺた触れる儂に少年は曖昧な笑顔である。


「かいりは、ドラゴンが恐ろしくはないのかい。

 儂や紅いのはまだ知性的だが、そうでない乱暴者もたんとおるぞ」

「あー …正直今日の襲撃はヒヤッとくるもんがありました」


 人とドラゴンの間を綱渡りするように歩いているかいり達は、なかなかに危険だ。

 瘴気が噴き出る地点から追い出すのが人間だとは限らない。ドラゴンがいるときもあろう。口で言っても聞かん坊には実力行使をせねばならんこともある。なまじ力がある分、人間よりもたちが悪い。今日はそういったののところへ行っていたから、ヒヤリとする場面もあったのだろう。怪我はないようで何よりじゃが。

 困り顔のかいりがろいろの頭をぺちと叩いた。「でもまぁ、俺にはろいろとコウがいますからね。こういうこと言うとまた甘いって言われるんでしょうが、信じてます」あっさりと信じるなどと口にするかいりに目を細める。

 信じることの儚さ、などと年寄りくさいことを言いたくはないが、若いの、と思うには充分じゅうぶんな言葉である。


(その想いは、光に成るだろうか。

 その存在は、光と成るだろうか)


 年寄りくさいことに思いを馳せつつ、かいりの頭を撫でてみる。染められた髪はどこかパサついており、生え際は地下の茶が覗きつつある。「なんですか?」首を捻ったかいりに、ほほほ、と長い袖で口元を覆って笑う。

 光に成りえるだろうかと案じるのではなく、光になれと願うのではなく、光であれとその背を支える者にならなくてどうする。今こそ年長者の腕の見せどころではないか。

 儂とてただ歳を重ねた老害ではない。何も考えず呆と生きてきたわけではない。こんな年寄りのこわばった手でも、若いのの背を支えることくらいできるであろう。

 いつの時代も案じてきた人と我々の関係。

 世界の終末を前にようやく向き合った我らに残されている時間は少ない。

 だが。そう。『信じている』のだ。儚く散る言葉ではあるが、それがこの気持に一番近かろう。


「? なんか、すごい花ですね…見たことない」


 テーブルの上に活けてある花に気付いたらしいかいりに、そうじゃろうそうじゃろう、と頷く。活けるために取ってきたのだよ。もといた穴蔵の近くに群生させたのだが、儂はこの花が好きでな。

 蕾は金平糖状になり、星型のがくと繋がる五枚の花弁で花開くという面白い花をかいりがしげしげと眺める。「これはな、カルミアという有毒を含んだ花なのだよ」「えっ、毒ですか」慌てたように顔を離したかいりがまずろいろをチェックする。「食べちゃダメだぞ」首を傾げるろいろはきちんとこの花の毒性を理解しているから、食うことはないじゃろう。


「面白い蕾の形だし、きれいだけど。毒があるんですよね。どうしてこれを?」

「うむ。よくぞ聞いてくれた」


 頷き、そこから声を潜め、眉間に皺を刻んで深刻で物憂げな表情を作ってみせる儂。「実はの …このカルミアの葉にはグラヤノトキシンという毒があっての? これを使って、ある人物を屠ってやろうと考えておるのじゃ」儂の言葉を鵜呑みし、ごくん、と生唾を飲み込むかいり。

 演出として部屋の空気を二、三度下げると、肌寒さを感じたのかかいりが自分の腕をさすった。「でもおじーちゃん、それってさすがにマズいんじゃ」とこぼす彼に、ふは、と息を吐いて笑って、


「なんていうのは冗談じゃがな」

「 ……なんだぁ」


 はぁ、と安堵の息を吐いたかいりがろいろを抱えてソファにもたれかかった。すっかり騙されている。純粋な奴め。「じゃあ本当は、なんなんです?」とこぼすかいりにうむと頷き、今度は正直なところを語る。「花言葉に惹かれたのだよ」と。「花言葉?」首を捻るかいりにうむうむと頷く。花言葉なぞ深く考えたこともないのだろう、かいりはピンときていないという顔で薄い桃色の花弁を見ている。


「その花はの、お主達のことを知ってから育てようと決めたのだ」


 カルミアの花言葉は、『大志を抱く』『大きな希望』だという。

 その葉や茎には毒もあるが、ユニークで興味を惹かれる形をしており、その蕾は夜空の金平糖のように賑やかに、見ている者を楽しませてくれる。

 儂は、この花の在り方が人と同じであると思った。

 環境汚染や自然破壊、挙げればキリがない毒を生み出した人間ではあるが、同時にいつの時代も世界を賑わせ、知的生命として休みなく発展し、現在いまを生きている。

 その存在が『大きな希望』であると信じたいのだ。

 人の手で思考が破綻し放棄されかけた幼いドラゴンを抱き上げたこの少年が、紅いのに変化をもたらしたこの少年が、人とドラゴンを繋ぐ存在であると信じたいのだ。


「カルミアの花言葉、なんて意味なんです?」


 答えようとして、思い留まった。

 己で口にしてしまうのはあまりに陳腐である気がしたのだ。この願いは成就してくれねば困る。

 故に、ほほ、と誤魔化して笑い口元を袖で隠す。「さてのぅ。内緒じゃ」「えー、ここまで引っぱっといてそりゃないですよおじーちゃん」「内緒じゃ内緒じゃ~」ころころと笑い、ぶうたれるかいりを軽くあしらう。

 少年は儂のことをおじーちゃんと呼び、何にも臆することなく接してくる。

 この部屋にいるのは自分以外は皆人の形をしたドラゴンであると、理解しているのか、いないのか。




 工業の排気ガスや煙が空を煙らせている曇り空のような天候の中を射す一筋の光。あの光の帯の下。あるいは行けない虹の麓。雨の中の少しの晴れ間。遠く手は届かないが、確かに存在する場所。

 我らは必ず幻のような其処に辿り着こう。

 年老いた儂は踏ん張りも利かず体力もないが、若いのはがむしゃらになって走ってゆけるだろう。手を伸ばせるだろう。儂はその踏み台になれば、あるいはその背を押せれば、それでよい。

 其処はまだ遠く、どうやったら行くことができるのか、方法はあるのか、それさえも謎であり、道筋を模索する時間も限られている。

 だが、必ず辿り着けると信じたい。

 そこで我々は共に笑い合うことができるだろう。


「かいりや」

「はい」

「ろいろのことは好きか?」

「え? えっと、まぁ」

「では紅いののことは好きか?」

「え。えー、家族、ですから。好きですよ」

「儂のことは好きか?」

「 …急にどうしたんですかおじーちゃん。おじーちゃんのことも好きですよ」

「儂はの、人間が好きなのだよ」

「知ってます」

「お主はドラゴンが好きか?」

「今のところ、俺は、ドラゴンが好きですよ。そりゃあ、ちょっと怖いなと思うところもありますけど。これからも好きでいられたらいいなと思ってます」

「そうか、そうか」


 ……願わくば、人とドラゴンの歩む道のりの先に、

 くらい終幕の布がかかり始めたこの世界に、

 大きな希望がならんことを。

 誰よりも、此処から、祈っている。



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カルミアの追想 アリス・アザレア @aliceazalea

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