5.


 送られてきた映像データでは、四足で背中に翼を持つ立派な体格をした赤いドラゴンが炎を吐き、車やビルを破壊しながら吠えていた。

 …今まで目にしてきたどんなドラゴンとも比較にならない大きさ。映像越しだというのに圧倒的な力を感じる。


『岐阜県高山市に巨大なドラゴンが出現、街を襲っている』


 そんなまさか、と思う案件がついに日本でも起こった。

 こういった有事を想定され設立されたのがウチだ。日本で唯一のドラゴン研究機関には当然のように出動命令が出た。

 脱走したNo.014の捜索は難航を極め、途中行方不明者が出たこともあり、ウチはウチで立て込んでいたのだが、国の要請を無視できるわけもない。研究所の人間総出で対ドラゴン装備や武器、薬などを手に高山市に直行した。

 俺はこの騒ぎに乗じてNo.014がさらに遠くへ逃れていることを願いつつ、表向きは仕事として高山市に入った。

 そうして感じた違和感。

 車を踏み潰し、街路樹や信号機を薙ぎ倒し、ビルを破壊し、炎を吐き出し、圧倒的な力を見せつけている赤いドラゴンだが…不思議なことに、死者はまだ出ていなかった。街の中心であれだけ暴れ回っているというのにだ。

 警官が奮闘したのだろう…とも言い難い。普通の銃弾など弾き返すような鱗の持ち主だ。銃ごときで牽制できているとは思えない。

 何か思考に引っかかりを憶えつつ、形だけ、銃を構える。同僚が隣にいる反面何もしないわけにもいかないからだ。

 片桐かたぎりの件で俺はそれとなくマークされている。あいつのように裏切らないかどうか疑われているのだ。あるいは、その裏切りに関係していないかどうかを。


「何かおかしくないか」

「んん? どのあたりが?」


 軽口を叩きながら特殊弾を込めた銃を渡してくる同僚。有無を言わさぬ瞳に肩を竦めてその銃を受け取る。

 ドラゴンの神経を麻痺させる…簡単にいえばそういった薬剤が仕込まれている弾だ。これを食らうとドラゴンでもかなりの激痛を感じるというろくでもない代物。俺達の研究で作られたものの一つ。


「あれだけ暴れているが、今のところ死者が出ていない」

「時間の問題さ。死人が出ないうちにかたをつけたいな。

 あー、研究費がカットされなきゃな。あのデカいドラゴンも弄り倒せたろうにな。残念だ」


 同僚の声を左から右に流しつつ、それとなく構え、赤いドラゴンに照準を合わせる。…撃つときはわざと外した。もう十センチ。そんな辺りを狙った。

 もう一丁を用意した同僚が続けざまに発砲し、一発がドラゴンに命中した。ギャオオ、と吠えたドラゴンがこちらのいるビルに長い尾を叩きつけてくる。ビルが不安定に揺れて銃の照準を合わせることが難しくなる。

 それでもこちらを直接は狙ってこない。その長い尾を頭上から叩きつければ俺達は容赦なく潰れるだろう。その灼熱で焼き尽くすでもいい。だが、あのドラゴンはそれをしない。

 道路の上で奮闘する警官隊も、バリケードを破られ吹き飛ばされ、怪我をしている者は多いが、その爪で引き裂かれたり、炎に焼かれて丸焼きになっている者はいない。怪我人はあれど死者はあらず。特殊弾の痛みで暴れているように見えるが、それもすべて計算された動きだ。

 このドラゴンには知性がある。


『あいつらは賢い。それなのにどうして表に、社会に出てきてしまったのか。私はそれが不思議でならない』

『今や世界のどこにでも生きている人間の中に、自分達が飛び出していったら、どうなるか。わからなかったはずがない』


 いつかの片桐との会話を思い出す。

 ドラゴンは賢い、と言っていたあいつの、人とドラゴンの未来を憂いた横顔。


『少しでも彼らを理解したかった。なぜ表社会に出てくることになったのか。今までどうやって暮らしていたのか。人間のことをどう思っているのか…』


 尾の二撃目が叩きつけられたことでビルが揺れた。「お、と、っと。吉岡よしおか」貴重な装備や弾丸が入ったバッグが転がり、反射で掴んだ。…掴み損ねていればよかったか、今のは。

 同僚に鞄を預ける刹那。その一瞬。ドラゴンのあかい目と、目が合った。

 こちらを捕食することも簡単だろう猛禽類の鋭い双眸。

 片桐。お前はこんな化物みたいに力のあるドラゴンを前にしてでも、仲良くしようって、夢みたいなことを口にできたんだろうか。


「…倒壊すると危険だ。場所を変えよう」


 転がってきた銃をキャッチした俺に、同僚が舌打ちして赤いドラゴンを振り返る。

 距離は近い。ビルに三撃目がきた場合、倒壊は時間の問題だ。「…しょうがねぇな。隣のビルだ」顎をしゃくった同僚に浅く頷いて返し……俺はわざと銃を落とした。揺れで手元が狂ったように。

  ガシャ、と音を立てた銃がカラカラと屋上の床を転がる。それを追いかけながら「すぐ行く、先に行け!」声を上げると同僚は「早くしろよ!」と残してさっさと階段を駆け下りていった。

 さて。

 拾った銃は白衣のポケットに突っ込んで、俺は慎重に屋上のフェンスへとにじり寄った。

 それまで特殊弾の痛みに呻いていたドラゴンは、今は唸り声一つ上げずにこちらではない方角を見ていた。

 携帯している折りたたみの望遠鏡でそちらの方向を覗いてみる。

 …金髪の少年がいる。どうやら怪我をして倒れているようだ。その隣には小さな少女。そしてなぜか同僚達の姿がある。「あいつら何をしてる…?」見たところ民間人に見える二人に対して、何かする気だ。

 我々が手を下す対象といえば、出動要請がかかることになった原因である赤いドラゴンと、逃亡しているNo.014くらいのはず。


(……まさか)


 思考から弾き出された解答に我を疑ったが、少女のことをよくよく見てみると、その瞳は人間にはありえない虹色に明滅していた。そして、同僚達は少女のことを捕らえようとしている。

 ならば。少女の形をしているが、あれはNo.014か。

 時間はあっただろうに、まだこんなところにいたのか。あの子供は。片桐が命をかけてお前を逃したっていうのに。

 知らず歯噛みしたところでしなやかな赤い尾が同僚達を吹き飛ばした。

 容赦のない一撃でビルの外壁に叩きつけられた同僚達にヒヤリとしたが、望遠鏡を覗き込み様子を見ていると、僅かに身動ぎしたのが見えた。

 警官隊にもそうだが、同僚もだ。死んではいない。骨の一本や二本折れているだろうが、死んではいない。確実に攻撃の手を奪うダメージを与えつつも決定的な一撃を避けている、巧妙に加減された攻撃。


(片桐。お前の言ったとおりだ。賢いドラゴンもいた。……お前の言ってることに、もっと耳を貸しておけばよかった。俺はドラゴンの何を聞いて、何を見ていたつもりだったんだろう…)


 その後、赤いドラゴンは怪我をしている少年を拾い上げた。人を引き裂くことなど簡単だろうその手は少年を掴んだまま夜空へと舞い上がる。

 少女の姿でそれを見上げていたNo.014は、四足の雷竜らいりゅうの姿に戻ると、一人と一匹についていくように夜空の色へと溶けて消えていく。

 遠くなっていく赤いドラゴンの姿。

 …あのドラゴンは少年を助けたのか。なぜかはわからないが…そこにNo.014がいたのは偶然か。それとも。




 後日。

 消えない竜の焔に焼かれた高山の街に薄い紫の靄が広がっていることが確認された。世間に公表はされていないが、世界中で確認されている毒の空気だ。

 『瘴気しょうき』と仮称されているこの毒は、一定の濃度になると視認できるようになり、その色は紫に近いという。

 長く吸い続けていると生命を脅かすとされる瘴気への対策資金確保のため、ウチの研究所は予算をカットされた。


(先日ドラゴンが暴れ回り、ちょうど人がいなくなっていた街に噴出した瘴気。これは偶然か?)


 壁に埋め込まれたテレビでは赤いドラゴンが街を破壊する様子などが繰り返し報道されている。『瘴気』についてもだ。国内で視認できる段階にまでなったこの毒を隠し通すことは不可能になり、無用な犠牲を避けるため、政府は瘴気の存在を公表するに踏み切った。

 俺は休憩時間になる度にテレビを見てはあのドラゴンのことを思い出し、ドラゴンにすくわれていった少年と、一人と一匹についていったNo.014の姿を思っている。

 西暦2118年。秋と冬の狭間の季節。

 人の歴史に明確にその存在を刻むドラゴンとして、日本列島に現れた赤いドラゴンは『紅竜こうりゅう』と呼び名がつけられた。

 国会国連その他で様々な議論が交わされた今回のドラゴンによる事件は、すぐに舞台を日本から離れ、紅竜は今度はブラジルのコーヒー畑に。その次はオーストラリアのエアーズロック付近に。やはり高山のときと同じく襲撃で、人は怯えて逃げ惑い、ドラゴンはその場に消えない焔を残しては去っていく。

 人の手では消えないその炎を前にすれば誰もが逃げるしかない。

 紅竜が現れた場所は総じて焼け野原となった。そして、ほどなくして視認できるほどの

 多くの人間が『竜が瘴気を連れてきた』と言ったが、俺は違うことを思った。

 紅竜は警告しているのだ。ここに瘴気が溢れる、と。だからここから立ち去れ、と、言葉にはせず行動で示し、人を追い払ったのだ。そうだとすれば死者を出さぬよう器用に暴れ回るドラゴンの挙動についても納得ができる。

 証拠があるわけではない。すべては俺の憶測だ。だが、レポートにまとめて提出するだけの意味はあるはず。

 タブレットを片手に自室の片付けとレポートの作成を続ける。

 解体が決まったこの研究所は今各種データの整理やファイリングなどで忙しい。

 この研究所の唯一の心残りであるNo.014の行方は依然として掴めていない。

 あの場から無事逃げおおせ…おそらく今はあの少年とドラゴンのもとにいるのだろう。生きているのだろう。ようやく、自由に。生きたいと思えた場所で。そうであることを願ってやまない。

 今日中に、と命令された部屋にはあまり私物がないので、あらかたを片付け終え、レポートの作成に集中していたときだった。サァ、と静かに風が吹き込む気配がした。窓は閉めていたはずだが。

 顔を上げると、そこに片桐が立っていた。

 思わずガタンと大きく椅子を蹴飛ばして席を立ち、…白いコートを着ている金髪の少年を二度見した。間違いない。あのとき赤いドラゴンに連れられていった少年だ。「どうやってここに…」思わずぼやいて、我ながら間の抜けた顔をしてしまった。

 少年の後ろからこっそりとこちらを覗くようにしている黒い鱗のドラゴン。機械の虹彩の瞳。

 No.014。


「吉岡まことさん」

「…そういうそちらは」

葉山はやまかいりです。えーと、知ってると思いますが、こいつはろいろです。ここにいた子」


 ろいろ。そう名付けられたらしいNo.014は相変わらずこちらを窺っている。

 あいつが最後に俺を見たのは、片桐が死ぬ直前だ。怖がられるのは当然だろう。

 気持ちを落ち着けるため、眉間の皺に手をやって軽くもみほぐす。深呼吸を一つしたところで「さっさと進めて。時間があまりない」第三者の声に目を剥くと、見事な赤髪の少女が不機嫌そうな顔でこちらを一瞥していた。その瞳がいつかの夜のドラゴンの瞳に重なる。どうしてか。

 先程まで俺と葉山少年、No.014のみだった空間に突如として現れた少女。おそらく、人ではない。No.014が少女の姿になったように、あの赤いドラゴンもまた少女の姿になっている。

 言葉の出ない俺に、葉山少年はコホンと一つ咳払いをすると、「あなたはおそらく信用できる人、だと思うので。ちょっと俺の話を聞いてくれませんか」敵地、とも言えるここで少年はなるべくやわらかい笑顔を作ってみせる。

 ここで、深呼吸をもう一つ。

 どういう経緯で少年達が俺のことを知ったのかはわからない。だが、声をかけてもらった。これはまたとない機会だ。

 罪のないドラゴンの命を奪い続け、果てには友人を失った。俺は道を間違えてしまった。これ以上は何も失いたくないし、奪いたくもない。

 贖罪の機会があるのなら。俺は。


(片桐)


 少年に重なって見えた友人に心の中で声をかける。行くぞ、と。

 もういないあいつと並んで、同じ道を、同じ場所を目指し、歩く足と物事を選ぶ手、考える頭が残っている俺が、生きている俺が、これからを創造する。お前が見ていた未来に俺が形を与える。

 まずはここから。始めよう。

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