4.

 ドラゴンに関わらなければ。瘴気しょうきがなければ。ありふれた、特筆することもない生涯を送っていたろう葉山はやまかいりは、今、銃に撃たれるとどういう激痛が襲い来るのかを身をもって体感中だ。

 痛い。頭の中で『痛い』という文字が暴れ回っていることしかわからなくなるくらい、痛い。痛いな。痛いことしか考えられないくらいに痛い。

 痛い、で埋まっている頭で手を伸ばしてろいろの小さな手を取る。チカチカ明滅する虹色の瞳は瞬き一つせず、こちらに銃口を向けたままの白衣の男達を見つめている。

 雷竜らいりゅう

 重力制御。

 頭の中にいくつかの言葉が浮かんでは痛みで押し潰されてぺしゃんこになる。


「…、」


 ふら、と一歩踏み出した俺にろいろはついてきた。「ま、待て!」パン、と乾いた音。銃弾は俺まで届かず見えない壁に当たってから地面へと吸い込まれた。

 あいつのところに。行かないと。

 妹が。撃たれていた。


(怪我を。怪我を、している俺が行って、どうにかなるとは思わないけど)


 足を引きずりながら歩く俺についてくるろいろ。距離を保ちながら俺達についてくる白衣の男達。というよくわからない絵面で、痛みだけを感じながら歩き、歩いて、どのくらい時間がたったのか忘れた頃、ようやく妹のもとにたどりついた。

 彷徨わせた視界の先で、しなやかなあかい尾が重装備の警官を弾き飛ばす。

 声をかけようと口を開けて、ひゅう、と変な息が出た。

 そういえば俺、あいつの名前知らないんだった。妹、妹って、そればっかりで。

 名前を。

 名前。


「こう…」


 あいつ、朱いから。あかいから。きれいに紅色をしてるから。こう、でどうだろう。葉山紅。語呂は悪くないぞ。いい線いってると思うんだけど、人間風の名前とか、あいつは気に入るのかなぁ。

 コウ、ともう一度呼びかけて、妹のもとに一歩踏み出して、膝から足が崩れた。

 ここまで歩いてきたけど、もう足に力が入らない。

 手当ても応急処置もしていない撃たれた足は限界に達し、俺はみっともなく転んで倒れた街路樹の枝葉に顔を突っ込んだ。…コンクリートの地面に激突しなくてよかった。

 まずいな。ぼんやりする。

 傷口を縛る? とか、何かすればよかった。何も考えてなかった。弾がからだを貫通したのかも確かめてない。弾、残ってると、体によくないんだった気がする。

 どうにか転がって顔を空に向けることはできたけど、もう立てそうになかった。

 ひょこ、と俺を覗き込んだろいろの瞳が虹色に瞬いている。

 視界の端からは白衣の男達。

 銃はろいろの力によって無効化されるから、別の手段を考えたのか、男達の手にはスタンガンのような機械がある。

 電気か。雷竜、だから、ろいろにはあまり効果はないように思うけど。生体改造された、機械になってしまったろいろには、弱点の部位とかあるかもしれない。放っておくわけには。でももう俺の体は動かない。

 こう、とこぼす。勝手につけたあいつの名前。


「コぅ、」


 お前も撃たれていたし、警官の相手で大変だと思う。


「コウ」


 逃げろって言われて逃げ切れなくて、撃たれてこんなところまで戻ってきた俺やろいろはお前にとって足手まといだろう。でももうお前しかいないんだ。


「コウっ!」


 絞り出せるだけの声を張り上げてあいつを呼んだ。勝手につけた名前で。

 朱い尾がろいろの頭上をヒュッと音を立てて通過し、白衣の男達を容赦なく吹き飛ばしてビルに激突させる。それは一瞬の出来事だった。「…、はは」思わず乾いた笑いがこぼれた。ドラゴンの前では人はなんて無力なんだろう。

 ズン、と地面が揺れる。『ああ、馬鹿だな。撃たれたのか』低い唸り声に煙や炎の赤で染まっている空を見上げながら「お前、だって」と声を返す。フン、と荒い鼻息と翼を広げる音。


『厄介な銃弾を持ち出してきたろくでもない奴らがいる。お前を撃った連中だ』

「ああ…」

『あたしにも、一定の効果はあるようだが。そんなものは体内の灼熱ですぐ燃やし尽くすさ』


 ろいろを狙っている人達。ドラゴンを生体改造していた。それなら、ドラゴンに通用するろくでもない弾丸を作り出していても不思議じゃない、か。お前はそれに苦しんでいたわけか。なるほど。

 で、そんな厄介なものでも、お前は自力で解決した、と。さすが、我が妹。

 ここまでだな、とぼやいた妹は俺達を包囲しようとしていた警官隊に向けて炎を吐き出した。包囲網を阻むように円形に炎を吐き出して壁を作り上げる。

 爪の長い手がぬっと頭上に現れて、俺を拾い上げた。『…貫通もしていない。下手くそめ』弾のことを言っているらしい。走ってる最中に撃たれたからな。そうか、体内に弾が残ってるのか。それは痛い。

 いたい、いたい、で埋まる頭の中にろいろの文字が浮かぶ。「ろいろ…」呼ぶと、ドラゴンの姿に戻ったろいろが俺の視界に入る高さまで浮かんできた。クル、クル、と返事なのか、喉を鳴らしている。

 俺がゴホと一つ咳き込むと、妹の目がつり上がった。『時間だ。引き上げる』「……、でも、まち。ひと。が」まだ、残ってるかも。心配する俺に対し、妹はフンと息を吐く。鼻息が熱い。『指向性のある炎を残した。人の手では消えない。あの炎は徐々に広がり、街を覆う。消す術がないと知れば警官も撤退するだろう』そんな便利な炎があるのか。すごいなぁ、コウは。じゃあ、これで、当初の目的は果たせたんだな。よかった。

 安心した思考が痺れ始めた。怪我のせいだろう。体に叩きつける夜の空気の冷たさが心地いい。このまま眠ってしまいそうだ。


『そんなことよりもかいり、その傷だ。すぐに治さなくては。…気は進まないが、人間に詳しい知龍がいる。奴に頼もう』


 妹の言葉に返事をすることもできず、俺はされるがままだ。

 大きく翼を広げた妹は月を目指すように夜の空を突っ切って飛んだ。

 遅れずついてくるろいろは、どこか、嬉しそうだ。そう見える。



 ………これからも。瘴気が溢れ始めた世界で。誰かと一緒なら。お前は寂しくないだろう。

 寂しかったなら、寂しくないと感じるように、俺がそばにいよう。

 人の身勝手に振り回されたお前に、俺が付き合うよ。

 それでイーブンにしてくれなんて、都合がいいから言わないけど。それで、いつかお前が、人間も悪くないと思ってくれたら、嬉しい。




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