第4話 結


「期待しとったら悪いけど、この辺りの竜は人は喰わんぞ」

 クグバウはのんびりした声でそう言った。

 僕たちはのんびりと「竜退治」に向かっている最中だった。

 武器らしい武器は何も持っていない。出発する時に村長が古めかしい剣を2本渡そうとしてくれたが、かさばるし重いからという理由でクグバウが断ってしまった。

 これは僕にとって、少々残念なことだった。

 僕は今まで、そんな大きな刃物を扱ったことが無かったので、ちょっと持ってみたかったのだ。

「この辺りの竜はみんな『ヒゲリュウ』の類でな。歯は1本もない代わりにヒゲが生えとって、それで砂の中のキノコをこし取って食べるんや」

 さっきからこの調子で、クグバウの説明を聞きながら歩いている。緊迫感は全くない。

「村が困る程、たくさん食べるの?」

「いや、まあ……食べることには食べる。体が大きいからな。しかしな、それでキノコが採れんようになるとは聞いたことがない」

「じゃあ、やっぱり……」

「ああ、村の人間が欲張り過ぎなんや」

 そこで一旦会話が途切れた。

 目の前の砂丘の中に、岩が少し露出している。

 これは、少し珍しいことだった。それというのも、この世界は砂ばかりで、こんな大きな岩のかたまりは見たことがなかったからだ。

 その岩は明るい灰色で、見えている部分は2メートル四方ぐらいだったが、砂の中にはまだまだ続いているようだった。

「おお、おったおった」

 クグバウがそう声を上げた時、岩が目の前の砂丘ごと少し動いた。

 端から端まで100メートルはありそうな砂丘が小刻みに震えだす。砂がシャラシャラと音を立てて滑り落ち、その内側の岩があらわになっていく。

 最初、岩に命が宿ったのかと思った。もちろんそうではなかった。砂をかぶっていたその100メートルの岩が、竜なのだ。

 僕は動けなかった。気が付くと、足首のあたりまで青い砂にうもれていた。

 やがて、砂がすっかり流れ落ち、竜の全身が姿を現した。

 不意に目の前にあった岩のこぶに横にヒビが入って開いた。その中には、金色の球体が見えた。

 その球体の表面で、金色の水が波打っているのが分かった。その中に僕たちの姿が写り込んでいた。

 竜は少しその金色の「眼」を細めると、ぐぐっと体を天高くそらした。砂が舞った。

 どうやら、人間でいう「伸び」をしたようだった。

 その様子を見てようやく、全体の大まかな形が分かった。竜の胴体はずんぐりとして丸く、短い手足が4本……クジラの胴体にゾウの手足を付けたしたような形だ。

 また、最初岩だと思ったその肌も、どことなくゾウの肌に似ているように思えた。

 竜は伸びをし終えると、再び視線を僕たちに戻した。

「何の用、人間?」

 誰がしゃべったのか、理解するのが数秒遅れた。

 それというのも、竜の声がその巨体に似合わないかん高い笛のような声だったからだ。

 体の割にその声なので、ずいぶんと間が抜けているようにも聞こえる。

「ワシな……あんたを退治せいと言われてな」

 クグバウがそう言うと、竜はのどの奥からキキキッという声を出した。

 笑っているようだった。

「さっきも、来た」

 「さっき」と言っても昨日のことだったが、人間と竜では時間の感覚自体が違うようだった。

「さっき来た人間、息かけたら飛んだ。飛んで、帰った」

 どうやら、竜はあの男たちを息で吹き飛ばしたらしかった。

「いや、ワシは飛ばされたくない……飛ばされたくないけど、無理に頼まれてな」

 さすがのクグバウも少しは焦っているようだ。

 まあ、一息で人間を吹き飛ばすというのは恐ろしい……恐ろしいが、この竜自体はなぜか恐くない。

「なぜ? なぜ来る?」

 竜は金色の瞳をぐりぐりと動かしながらそう言った。

「村の人は、キノコが採れなくなったのは竜のせいだと思ってるから」

 今度は僕が答えた。

 それから、竜は黙り込んでしまった。

 僕は竜を怒らせてしまったのかと不安になったが、クグバウはその場に座るとせっせと食料や水筒を取り出し始めた。

「少し休憩やな。竜は考えだすと長くかかるというから……食事にしよか?」

 その言葉を聞いて、僕も座った。

 コップに注がれた水と干したキノコで昼食をとる。その間も竜はじっと見ていたが、何も言わなかった。

 やがて食事が終わり、クグバウが少し昼寝しようと横になった時、ようやく竜は口を開いた。

「キノコ、村の人間、欲しいか?」

 竜はその答えを待たずに歩き出した。

 砂煙が竜の手足の辺りから立ち上る。100メートルのかたまりが移動していく。

 それでも、その巨体に比べれば足音は静かなものだった。ジャ。ジャ、と砂をかく音がして、「歩く」というよりは「泳ぐ」か「掘り進む」ような動きだった。

 僕たちは急いで片付けると、後を追った。

 しかし、こちらの歩く速さに合わせているのか、それとも元々そういう生物なのか、ずいぶんとゆっくりとした動きだった。

 そして、竜はゆっくりとした足取りで村のすぐそばまで来ると、足を止めた。

 村人たちは皆異変に気付き、そろって外で竜を見ている。

 突然、竜は大きく口を開くと、目の前の砂丘をパクリと一口でほお張った。

 一瞬で、「丘」が「大穴」になった。

 竜は口を少し開くと、フーッと一息。

 ほお張った砂がそこからふき出し、目の前にまた新たな砂丘を作っていく。その砂混じりの息はひどくけもの臭く、砂粒が僕たちの体を痛い程に打った。

 竜が本気で怒った。これは宣戦布告だ。……少なくとも僕にはそう思えた。

 今では竜の視線は真っ直ぐに村を見すえている。

 竜は体を大きく反らせた。それは何よりも力強く見えた。

 きっと次の瞬間には、竜は村ごと皆踏みつぶしてしまうに違いない。そんな想像が僕の頭をよぎった。

 ブワアアアアアン!

 その時、けもの臭い息と一緒に竜の口から何かが吹き出し、村に向かって降り注いだ。

 何か小さな粒のようなもの……大量のキノコ! キノコの雨だ!

 キノコの雨が村中に降り注ぐ。

 それが終わると、竜は僕たちに視線を戻した。

「これでいいか? ……欲しかったら、またやる」

 それだけ言うと、後はゆうゆうと立ち去って行く。

 誰も、何も言えなかった。

 ただ、大量のキノコだけが残った。



 その晩、村はお祭り騒ぎだった。

 僕たちは村人総出の大宴会に招かれ、村で最も良い客間をあてがわれた。

 皆、どうしたら竜をあんな風にうまく扱えるのかを聞きたがった。

 とはいえ、僕たちは何も特別なことはしていない。要するに相手の竜が賢く親切だっただけなのだ。

 クグバウがその成り行きを教えると、村長は竜を退治などすべきでないとはっきりと認めた。

 そんな中で、あのけしかけた男は居辛くなったのか、料理をそっと一つかみすると、すごすごと暗闇の中に消えてしまった。

 その後、クグバウはお酒を飲みながらもう少し話していくようだったので、僕は一足先に部屋に戻った。

 赤茶けたふかふかのじゅうたんに横になると、すぐに眠くなった。


 夢を見た。

 堤防沿いのフェンスに、1羽のカラスがとまっている。

 そして、カラスは僕に尋ねる。

「遠くへ、行きたいかい?」と。

 僕はしゃべるカラスなんて妙だと思いながらも、その問いに答える。

「うん、行きたい」と。

 そうだ。それが全ての始まり。


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