第3話 転
5
たき火がパチパチと音を立てる。
僕が座っているところからたき火をはさんだ向かい側には、例のガマガエル男、クグバウが座っている。
「――でもまあ、あんまり深刻に考えん方がええ。この世界はいつ繋がるか誰も知らんし、生きてくのは難しないし」
クグバウはのんびりと言った。
彼が言うには、この世界はいくつもの世界に分断された「断片世界」と呼ばれるもので、それがくっついたり離れたりを繰り返しているのだそうだ。それが時々、それ以外の世界とも繋がることがあるらしい。だから、僕のように他の世界から迷い込むことも珍しくないそうだった。
「こんな世界で、クグバウはどこへ向かって旅をしてるの?」
僕はもっともな疑問を口にした。
あの後、僕はクグバウの弟子になることを受け入れた。
他に選択肢がなかったから、というのも理由だったが、それ以上に面白そうだと思ったからだ。
それから2週間、僕はこの「青砂」の世界をクグバウの弟子として旅していた。彼は僕に敬語で話すことを許さなかったし、特に何をしろということもほとんどなかった。そんな訳で、せいぜい荷物運びぐらいの気軽な弟子暮らしをしていた。
僕は足元の砂をすくった。
この砂は地中に生える青いキノコの胞子を含んでいて、それが青く光るのだそうだ。朝方に霧がかったようになるのも、霧ではなく色々なキノコの胞子のせいらしい。砂が温かいのも、キノコが土の中の物質を分解する際に熱を発するからだそうだった。
「そうだなあ……元の世界に帰るためか、それとも……」
クグバウはそこで少し言葉を切った。
彼も僕と同様、この「青砂」の世界の人間ではない。彼の世界は森と泉ばかりの世界で、月が3つあるらしかった。
「……それとも、『平和の城壁』を見るためか」
また聞いたこともない単語が飛び出した。
「おお、そういえばまだ説明しとらんかったな。平和の城壁というのは――」
僕がよっぽど不思議そうな顔をしていたのか、何も言わずとも説明が始まった。
これはなあ、草原が果てしなく広がっている世界での話でな。
昔々、青の国・ラクスと黒の国・セイゲンとの間に戦があった。
それはそれは激しい戦でな、多くの人が死んで、国も弱り果てた。だが、それでも戦は終わる気配が無かった。
それというのも、互いに優れた軍師を持ち、互いに一歩もゆずらなかったからだ。
それでも、最後に追いつめられたのはラクスだった。ラクスはセイゲンに比べると戦えるものが少なく、年寄りや子どもが多かったからだ。
こうして、ラクスの民は1つの街の城壁の中に立てこもった。しかし、もう戦う力はない。夜が明ければ、セイゲンの軍勢が一斉に押し寄せてくるだろう。
そんな時だった。ラクスの王に「自分が戦を止めてやろう」と3人の弟子を連れた絵師から申し出があったのは。
王はその申し出をとても信じる気にはなれなかったが、わらにもすがるような思いでそれを受け入れ、必要な物を与えた。
そして夜が明けた時に、セイゲンの軍勢は皆一様に足を止めた。
城壁には、広大な絵が描かれていた。皆が遠くに忘れてしまった、平和な世界の絵が。
セイゲンの軍勢は、その城壁を攻めることができんだ。将軍が声を張り上げて前進をうながしたが、兵たちは一歩も動かなかった。
この知らせを聞いたセイゲンの王は、人目をはばからずにはらはらと涙を流したそうだ。
こうして、これが元となって戦は終わり、皆が待ち望んだ平和な世界となったそうだ。
「――だが、その壁画が描かれた城壁『平和の城壁』は今も残り、修復や新たに描き加えられることが続けられているそうだ」
クグバウは、そこで大きく息を吐いた。
「ワシは、その城壁を見てみたい。そして、できればその城壁で修復や描き加える作業に加わってみたい」
たき火の光がクグバウの瞳に強く映り込んでいた。
僕は何も言えなかった。
どこかの世界に本当にそんな場所があるのかとか、あったとしてもたどり着けるのかとか……疑問はいくらでもあったが、それをいうのははばかられた。
「まあ、本当に行けるかどうかは分からんけどな」
クグバウは柔らかく笑って言った。
6
翌朝、太陽が昇り始めると僕たちは歩き始めた。
地図は無い。クグバウの勘だけが頼りだ。
時計もない。そもそも必要ない。
ただ歩いた。歩いて、疲れると休む。腹が減れば食べる。日が暮れればその場で泊まる。
ここ2週間で2度ほど街に立ち寄った以外、ずっとそんな生活だったが、特に不満は無かった。それに断片世界のことも少しずつ分かってきていた。
どうやら、クグバウのような芸術家はどの断片世界でも特別な存在のようだった。
街に立ち寄ると、多くの人が集まってきて、彼の話を聞きたがった。そして、彼は自分の目にしてきた世界を色あせた紙に描き、それを人々に贈った。
この世界では、新聞やテレビやインターネット等の代わりに「伝える者」として芸術家が存在するらしかった。
もっとも、その伝える内容は必ずしも事実である必要はないらしく、クグバウは時として得体の知れない絵を描いては贈っていた。
その中で、僕も促されるままに多くのことを伝えたが、それがちゃんと伝わっているのかは疑問だった。それでもクグバウはよくやったとほめてくれた。
しかし、少し戸惑うこともあった。
彼のような芸術家には、基本的に収入が存在しない。そのため、いろいろと伝える代わりに「お恵み」をもらわないと生活することができないのだ。
とはいえ、声を上げて「お恵みを~」と言うのは少し恥ずかしかった。伝える代償としてもらっているのであって、こちらが一方的に物乞いをしているのではないと言われてもなかなか慣れなかった。
また、こちらはもらうばかりかというとそうでもなく、物々交換したり、前にもらったものをただであげてしまうことも何度もあった。
クグバウいわく、この職業は「飢えないが決して金持ちにはなれない職業」なのだそうだ。
急に、前を進んでいたクグバウが足を止めた。それがあまりに突然だったため、僕はぶつかりそうになった。
「人だ……人がおる!」
そう言われて、目の前の青い砂丘の向こうに片足が見えているのに気付いた。
砂丘を越えて近付いてみると、それがぼろをまとった男だということが分かった。
男は体のあちこちに擦り傷があり、疲れ果てて眠っているように見えた。
「お~い、生きとるか?」
クグバウがそう言って男のほおを叩くと、男は慌てて体を起こした。
「竜が……竜が……!」
男は何か言いたいようだったが、興奮しているので何を言っているかが良く分からない。
僕が水と食料を男に与えると、男はむさぼるようにそれを食べた。
数分後、男は食べ終えて落ち着いたのか、何があったのかをぽつりぽつりと話しだした。
男の住む村のそばには、巨大な竜が昔から居るのだそうだ。その竜は、口の周りに生えたヒゲで砂からキノコをそぎとって食べているのだという。
ある日、男の村ではキノコが採れる量が少し減ってしまった。
これは竜のせいに違いない。そう思った男と他4人は、それぞれ武器を手にして、竜退治に向かったのだという。
仲間が逃げ出していく中、男は(あくまで本人が言うには)勇敢にも立ち向かったが、最後にはとうとう敗走してきたのだそうだ。
僕とクグバウはその話を黙って聞いていたが、話し終えるとすぐにクグバウが口を開いた。
「竜とケンカなんて……なんでそんなアホなことをしたんや?」
これを聞くと男は見るからに不機嫌になった。
「『アホなこと』だと!? 俺は村のために決死の覚悟で戦ってきた勇者なんだぞ!」
「その割には、かすり傷しかしてないね」
僕は思わず言ってしまった。
クグバウは声を上げて笑い、男はさらに不機嫌になった。
「まあ、この世界の竜は放っておいても、悪さなんかせんやろ? キノコなんていい加減なものだから、放っておいてもまた増えるやろうし……それに誰も飢えとらんやろ?」
この発言は火に油だった。
男は怒りだし、さかんにクグバウに喰ってかかった。しかし、それは全くもって意味をなさなかった。
とうとう男は殴りかかろうとしたが、それはパチンと音がした後、男がほおを押さえて砂の上に転がっただけだった。
はたから見ていた僕にとって、それはなんともこっけいな光景だった。
クグバウは地面に転がっている男に向かって言った。
「まあ、会ったついでに、村まで案内してくれんか?」
男はすごすごと立ち上がると、無言で歩きだした。僕たちは後に続いた。
時々、思い出したように振り返るところを見ると、一応は案内する気らしかった。
数十分、あるいは数時間後、僕たちは男の住む村についた。
そこには他の村と同様、青い日干しレンガを組み合わせただけの簡素な家がいくつかと水がめが置いてあった。
ここで、また描き、物乞いをするのだろう……そう思った矢先だった。
「竜を退治してくれる人間を連れてきたぞおおおおおー!」
突然、男が狂ったように叫び出した。
何事かと思い、村中の家から一斉に人が出てくる。
それを見ると男はより大きな声で叫んだ。
「このお方はいくつもの世界を旅してきた高名な方で、竜退治もお手のもの! この方が村をお救いくださるそうだ!」
「お~い、何を――」
僕は訳も分からずに止めようとしたが、男の声にかき消される。
その間にも、勘違いした人々がわらわらと集まってきた。その最前列の老婆に至っては、クグバウに向かって手を合わせておがんでいた。
男はちらりと振り返って、意地の悪い目つきでクグバウを見ている。「なんとかできるものならしてみろ」……そう目で言っていた。
「ええよ……じゃあ、行こか?」
だが、男の思っているよりもクグバウの決断ははるかに早かった。
そのあまりの決断の早さに、男はあぜんとする。
「うん、行こう!」
僕もためらうことなくそう答えた。
僕はただ、竜が見てみたかった。
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