第136話 凪の幕引き

 しばらく聞き耳をたてていると、あきらにも状況がつかめてきた。どうやら、美沙みさは完全に整形すると決めたらしい。


「お金はちゃんと自分で稼ぐから」

「金の問題じゃないっ」


 美沙なりに計画を立てたのだろう、洗いざらい淡々と話している。しかし怒り狂った丈治じょうじには、全く届かなかった。だから再度店に来て、責任をとれと喚いている。利口とはいえないが、彼の中では合理的なのだろう。


「馬鹿馬鹿しい。そもそも、あんたのところの女が余計な話を吹き込むから、とりつかれてこんな下らんことを言うんだ」


 丈治は舌打ちをした。彼の唾が飛んで、なぎにかかる。


「下らん、ねえ」


 それをぬぐいながら、凪がからかうような口調で言う。丈治はそれが面白くなかったのか、凶暴な顔つきになった。


「そうじゃないか。病気でもないのに、顔かたちにこだわってワーワー騒いで。お前も昨日のテレビ、見ただろう」


 丈治は娘を見やった。美沙は苦い物を噛んだような顔で答える。


「難病の子のやつね。お涙ちょうだいで訴えかけたいのが見え見えで、しらけたけど」


 美沙の評価は冷ややかだったが、丈治は熱を入れて訴える。


「手術っていうのは、ああいう子のためにあるんだ。健康な人間の整形なんて、下賎な医者の仕事だよ」


 その言葉を聞いた瞬間、凪が立ち上がって扉を開けた。文句なしの美形ににらみをきかされて、丈治がたじろぐ。


「どんな技術でも、それで人が助かるのなら世の中に必要だ。あんた一人の感情で、どの仕事が要る要らないと決めつける権利はない。そういうバカが、本来なら生きられた人を殺すんだ」


 命令されたのに、丈治の口が止まった。凪の台詞には、それだけの力があった。丈治は魅入られたように、凪を見つめる。


 晶はそっと、部屋の中に入った。そして呆然としている美沙に言う。


「……リスクを承知の上なら、僕らには止められないよ。だって、あなたの人生なんだし。どんな顔で生きるかは自由だよ」


 晶が言うと、美沙の目から涙が溢れた。そのまま、解放されたように息を吐き、何度もうなずく。


 その顔を見ながら、晶はオーロを思った。


 生まれ持った素質は変えられない。その鎖を切れずに、彼は逝ってしまった。同じ轍を、美沙に踏んでほしくなかった。


「あんたが抵抗する気持ちも、分からなくはない。娘が『いらない』って言ってるのは、大部分が父親からの遺伝のところだからな。置き去りにされて、自分を全否定されたように感じるだろうさ」


 凪の言葉を聞いて、晶ははっとした。美沙にばかり感情移入していたが、確かにそうだ。今見ると、丈治は最初より小さくしぼんで見える。


「しかし分かってやれ。美の平均値ってのは確かにあって、そこから外れすぎると損をする。美醜で差がつかないなんて理論はアテにならん。別にあんたの娘は、父親を拒否してるわけじゃない。いらん苦労をしたくないだけさ」


 丈治はじっと美沙を見つめる。彼の目から、怒りが消えていた。そこへ凪が念を押す。


「医者選びは必要だが、悩みがあるなら現代医学を正しく使ってなんとかしろ。これから先の何十年が買えると思えば、安いだろ」


 丈治はしばらく、同じ姿勢で固まっていた。沈黙の後、丈治が立ち上がる。


「美沙。詳しいところは家で聞く」

「お父さん!」


 丈治は小さく笑った。その彼の手を、美沙がぎゅっと握る。


「……時間をとらせた」

「はいはい。今度はもうちょっと金になる依頼を持ってきてくださいよ」


 軽口を叩いた凪に礼をして、二人が立ち去る。これから少しは、建設的な話し合いができるだろうか。美沙のためにも丈治のためにも、そうあって欲しかった。


「なんとかなったね……」

「けっ、ちょろいちょろい」


 凪はしんみりしたかと思えば、もう鼻で笑っていた。しかし晶は、やはりこの人は店主なのだなと見直していた。


「──ようやく帰りおったか。しかし、顔も悪けりゃ頭も悪い父親じゃったの」


 するとそこへ、顔は良いが口がとんでもなく悪い美少女が現れた。


「カタリナ、言い過ぎ。いくら顔面に自信があるからって」

「合理的な手段があるのに、ぐずぐず悩んでおるのは馬鹿の証拠じゃ」

「そうですか……」


 この番人、気に入らないと手加減しない。あまりに意地悪な物言いに、傍らの黒猫も苦笑いしていた。


「ま、とりあえず良かったな」

「うん」

「今回は火事に巻かれたりして大変だったからな。お前にもボーナスをやらなきゃいかん」


 晶はそれを聞いて、長いため息をもらした。


「…………」

「なんだ、そのすごく嫌そうな顔は」


 晶は店主を見上げた。


「明日、世界が滅ぶんじゃないかと思って」

「俺の信用って何?」


 雇い主が情けない声をあげるのを聞いて、晶は考えた。


「──あ、そっか。いいこと思いついた」

「なんだよ」

「ボーナスはいいからさ……ちょっとだけ、僕らに楽をさせてくれない?」




 それから数週後、晶の高校で文化祭が始まった。おおむね無事に進行したが、全く注目されていなかった平凡なお化け屋敷に、超美形の幽霊がいると話題になったことだけが例年と違っていた。


 この幽霊は市内在住の男性だと噂になったが、徐々に事実は生徒から忘れられていき、都合のいい伝説だけが残った。




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僕の薬庫は異世界に続く 刀綱一實 @sitina77

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