第135話 最後の問題
海に引っ張り出される前の最後の楽しみなのか、そこここで船員が酒を飲んでいた。
「ガラ悪い人が多いなあ……」
それでもなんとかして、インヴェルノ伯の家まで戻る術を見つけなければならない。さて、誰に聞いたものか……と路地に入ってため息をついていると、何度も聞いた声がする。
「ははは、やり遂げたね。ちょうどいいところで会った」
黒猫だった。樽の上に香箱座りをしているので、いつもよりふっくらして見える。
「……格好悪かったかな」
晶が自嘲すると、黒猫はこちらの気持ちを見透かすような目で見てきた。
「いや、よくやったよ。君もとりあえず、エテルノではお尋ね者だ。……それも長くは続くまいがね」
意味深な言葉に、晶は首をひねる。黒猫を見やったが、彼は視線に構わず続けた。
「さ、私の隣に来たまえ。魔方陣を新しく張り直してやろう。
「うん。ラッキー」
楽ができるならそれに越したことはない。晶は言葉に甘え、黒猫の側に寄った。
陣を抜け、まだ焦げくさいパーチェの家付近に降り立ち、凪を探す。
「あっ、いた」
凪は特に怪我もせず、焼け跡を見ながら肩を落としてぼんやり座っていた。
十年分の小言を覚悟して近づいていったが、凪の様子がおかしい。軽く晶を見上げただけで、後は微動だにしない。
「どうしたの? 元気ないね」
「ん……お前か」
声にも張りがなく、実に気の抜けた様子だ。おかしい。人の言うことに聞く耳持たない、この天上天下唯我独尊男がへこむなんて。
「どっか痛いの?」
「いや。死体を見過ぎて気分が悪いだけだ」
「ああ」
凪はそれだけ言って口をつぐんだ。焼け跡には、まだ兵士やカッペロの死体が転がっている。確かに、気が滅入る光景だ。
「やっぱり、あれだ。自分のせいで死人が増えるってのは、嫌なもんだ」
「凪のせいじゃないでしょ、絶対」
晶は言う。凪が、わずかにまぶたを引きつらせた。
「みんないい大人なんだから、自分で選んだことの責任は取らなくちゃいけない。巻き込まれたカッペロはかわいそうだけど、ここの兵士たちは仕方無いよ」
あらゆる行動には、副反応がつきまとう。それに伴う不利益は、選んだものが背負っていかなくてはならない。自由であるとは、そういうことだ。少なくとも晶は、そう考えている。
「……意外と鋼メンタルだな」
凪はそう言って瞬きをした。
「理論的に考えたらそうなるでしょ。あっちから襲ってきたのに、なんで僕らが悩まなきゃいけないのさ」
晶が口を尖らせる。それを見た凪の顔がふっと緩み、小さくつぶやく。
「──そうだな。帰って、おねーちゃんとでも遊ぶか」
どことなくさっきと様子が違ってきたのを感じて、晶も笑った。
「ラボの
「あれは女の範疇に含めない」
憎まれ口が出てきた。ようやく、いつもの凪である。
「じゃ、帰ろっか」
晶がうながすと、凪がポケットに手をつっこみながら立ち上がった。黒猫もうにゃうにゃ言いながらついてくる。
「晶」
突然、凪が振り返って言う。
「なに」
「……お前、
いきなり何だ、と言い返そうかと思った。しかし凪の顔があまりに穏やかだったので、わざわざ混ぜ返す気も失せ──かわりにこう答える。
「当たり前でしょ。息子なんだから」
すると凪は、子供のように顔をくしゃくしゃにして笑った。そして率先して、陣に飛び込む。置いて行かれた晶は、それをいいことに振り返って黒猫に聞いてみた。
「知ってるんでしょ? ここで起こったこと」
しかしこのへそ曲がりの賢人は、面倒くさそうにそっぽを向いただけだった。……本当に、小賢しい。
帰ってきてからがまた大変だった。晶は、早退の理由をでっちあげなくてはならなかったからだ。
なんとかそれらしい病気をでっちあげたが、クラスメイトからの「あいつは一体何やってるんだ?」という視線は消えるどころか、ますます濃くなっていた。それでもノートをとってくれている子がいるのは、素直にありがたい。いずれ恩を返さなければ。
そのうち、学校から目をつけられて、バイトのことも聞かれるかもしれない。そうなったら、腹をくくって凪と打ち合わせをするしかない。あの面倒くさがりは、さぞ嫌がることだろう。
色々考えながら自転車をこぎ、店に着いた。扉を薄く開けると、男の怒鳴り声が聞こえてくる。
「どうしてくれる、あんたのせいだぞ」
晶はその顔に見覚えがあった。
そういえばあの問題、全然解決してなかった。最後の最後が凪で、本当に大丈夫だろうか。はやる心を抑えつつ、晶は裏口に回る。そこから店に入り、そっと室内の様子をうかがった。
前と同じように、丈治と
丈治は大激怒の最中だったが、凪はへらへらと受け流している。この前彼らに会っていない凪は、今まさに情報収集しているのだ。知らない、と言わないところが店主らしい。
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