第134話 陰と陽の幕引き
最初から、諦めてたわけじゃなかった。あの王がもう少し話せる奴なら、そこを説明してやったのだが。想像以上のクソだと分かったので、思わず叩きのめしてしまった。今になって自分でもきわどい賭けだったと思う。
「なんでも知ってる
黒猫の問いに凪は答えず、見晴らしの良い道を歩き始めた。長い山の稜線が暗く濃くなり、目の前の空は橙から紫に変わろうとしている。黄昏の終わるその空に、薄く月が浮かんでいた。凪が仰ぐ月に寄り添うように、霞む星がいくつか出ている。
「さあな、俺が知るかよ」
嘘だ。本当は知っている。折れたプライドというのが人をどう壊すかということを、どこにも行けなくなった人間がどうなるかということを。それを知ってなお、放置したのだ。
また罪を背負った。間接的にしろ、人を殺したのはこれで二人目だ。
「……インヴェルノのおっさん、あんたの思うとおりにはなりそうにねえぞ。すまんな」
麓に向かう凪が発した捨て鉢な声は、冷たい風に溶けるように消えていった。
凪が皮肉につぶやいて居た頃、
兵士たちを放り出すと、船はすっかり通常運行に戻った。今までの遅れを取り戻すように歩を掲げて白い波の上を疾走し、穏やかな海を通っていく。晶たちはただ見ているだけで良かった。
北に向かって数日でゴルディアの領海に入り、港に着岸できるらしい。歩きや馬の移動が多かった晶は、客として行く船旅とはこんなに楽なのかと感心した。
疲れているだろうに、パーチェは部屋に戻らず、ぼんやり海を見ている。晶はその様子を、影がかかる距離からしばし見守っていた。
「そこから、何か見える?」
「まだ、ぼんやりしか。眼鏡がないもの。もう少し夜にならないとね」
手先の器用な船員がいて、眼鏡を修理してくれていると彼女は言った。そういえばさっき、どこかから槌のような音が聞こえてきていた。
「ただ、片目の石が壊れちゃったから、完全には元に戻らないって。同じ物が手に入ればいいんだけど」
「そうだね。知り合いに頼んでみるよ」
晶が相づちをうつと、パーチェは黙り込んだ。その瞳には、適切な言葉を探している迷いがある。
たっぷり五分は経ったろうか。パーチェがようやく口を開いた。
「アキラ、どこから来たの? ゴルディアじゃないわよね」
「信じられないほど遠い国……としか、言えないな」
晶が含みを持たせると、パーチェはすぐそれに気付いた。組んだ腕に顔を埋め、低い呻きのような声を漏らす。
「言いたくないの? 言っちゃいけないの?」
「どっちもかな」
日本のことを話しても、信じてもらえないだろう。不用意に情報を与えて、カタリナににらまれるのも嫌だった。
「海を渡らないと行けないの? 何日もかかるの?」
「それだけじゃ足りないよ」
晶の言葉を聞いて、パーチェは少し困惑している様子だった。
「……行ってみたいな、アキラの国」
「パーチェ、勉強好きだもんね。僕の国なら、すぐ先生になれそう」
「……まあね」
おかしい。軽い駄々に答えたら、急に空気がひんやりしてきた。パーチェがあからさまにがっかりしたのが分かる。晶は、自分の顔がひきつるのを感じていた。
「何か変なこと言った?」
「別に」
パーチェの言葉にトゲが混じっている。晶は目を泳がせた。このまま流して別れたら、一生嫌われそうな感じがする。
どうしよう。
頼りになる凪もいない。口の中が乾いてきて、晶はこのままどこかに飛んでいってしまいたくなった。
「……分かった。この話は、おしまいにしましょ」
不意にくすくす笑う声が聞こえてきて、晶は顔を上げた。パーチェがいつもの笑顔に戻っている。助かった。
「そんな顔されちゃ、ね。諦めるわ」
「ごめん」
「いいわよ。アキラが鈍いことはよく分かったから」
「う……」
何か会話の中で地雷を踏んでいたらしい。モテたことがないのを、見透かされてしまったようだ。黙って晶は口唇をかむ。
「アキラ」
「ん?」
まだ晶が困っていると、横から肩を叩かれた。顔をそちらに向けると、パーチェの顔が近くに見える。
「また会える?」
「うん。会いに来る、約束するよ」
それを聞いてパーチェが微笑む。彼女の背後に、ぼんやり明るい月が見えてきた。
ゴルディア港でパーチェをレオに託したところまでは良かった。完璧に計画通りだった。しかしその後、しつこく引き止められて遅くなってしまった。周囲の大人まで口々に晶を引き込もうとしたから、余計タチが悪い。
「まずいな、陣の出口を勝手に変更したし……凪、困ってるよなあ」
晶は強引にレオを振り切り、やっと外に出た。天気は晴れ。対岸の島がかすかに見え、海も空も青い。ずっと見ていたくなる光景だが、晶は先を急いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます