第133話 真実の鉄槌

「その通りだ。となると貴族を頼りにするしかなくなるが……これは完全にインヴェルノ伯が強い分野だから、もともと分が悪い」


 一緒になって責められて、王は顔を赤くした。


「そして、あんたはトドメのように大失敗を犯した」

「サリーレ博士の追放……だね」

「そうだ。貴族が手を焼く難病を、唯一治療できた男を放逐し死なせた。これで確実に、奇病の治療が百年は遅れた計算になる。インヴェルノ伯が知ったら、自分の地位固めのために利用してくるだろうな」


 吐き捨てるなぎに向かって、王は鼻を鳴らした。


「百年だと? 何を大げさな」


 しかし凪は、真剣な表情を崩さないまま王に向き合った。


「フカシで言ってるわけじゃねえぞ。内臓が汚い、病気は穢れだ──そんなことばっかりほざいてる連中の中にあって、唯一、その先の原因臓器まで辿り着いた逸材だったのにな。お前はそれを、自分から捨てた」


 凪にねめつけられて、王は一瞬言いよどんだ。しかし、我に返って反論を始める。


「奇病? 違うな。インヴェルノの息子は、節制すれば治ったではないか。所詮、その程度のものだ」

「面倒くさいから説明は省略するがな。そんな単純な問題じゃねえんだ」


 やけに淡々とした様子の凪を見て、王はぴんときた。


「お前……知っているのか」

「ま、あんたの何百倍はな。俺のいた国じゃ、ちゃんと治療法が確立されてる病気だ。その点に関しては同情するぜ」


 嘘ではない、と王の直感が告げている。それと同時に、腹の底から妬みの思いがじわじわとわき上がってきた。


「それならなぜ黙っていた」

「なんせ俺は、違う世界から来てる。色々あんだよ」


 魔術師が、わずかに身じろぎする。凪はそれに構わず、さらに続けた。


「そこじゃ、流行病で死ぬ人間はほとんどいない。子供の頃に、予防薬を投与するからな。王侯貴族でなくても食う物には困らないし、医者もそこら中にいる」

「……どこのおとぎ話だ?」


 かろうじて王はそう言った。凪は笑って手を広げる。


「おとぎ話じゃない。お前が人の話を聞いていれば、馬鹿なことをしなければ、ここでも実現する可能性はあった」


 王は嘘だ、と言いたかった。しかしその言葉は、何故か意味のある言葉にならない。目の前にいる凪が、急に神か精霊の類いに見えてきた。


「怪しげな、世迷い言を」


 王がようやくそう言った時、馬が駆ける音が聞こえてきた。馬は凪を突き飛ばさんばかりの勢いで王の後ろに現れ、そこから慌てた様子の騎士が降りてきて叫ぶ。


「陛下、一大事でございます」

「……控えよ」


 王は強引に騎士の口を塞ごうとした。それを見て凪がせせら笑う。


「どうせ、王太子が死んだって報告だろ?」

「それは……」


 凪の言葉を聞いて、騎士の声が震える。それを見て、騎士が言い終わる前に王は全てを理解した。


「下がれ」


 そう言うのが、やっとだった。認めたくはないが、狼狽している。どうして立っていられるのかも、分からない。猛烈な喪失感が、王の心を埋めていた。


 いなくなればいいと思っていたはずなのに。


 いつバレるかと、毎夜心配していたはずなのに。


 実際遠くへ行ってしまうと、どうしてこんなに胸が痛むのだろう。


 騎士がその場を去った後も、王は口を開いたまま、じっと立っていた。


「お、ちょっとは人間らしい面になったな。大丈夫か?」


 凪が顔をのぞきこんでいることにも、しばらくしてから気づいた。


「俺の機嫌がよくなったから、間抜けにもう一つ教えてやろう。サリーレ博士は、お前が追放した。取り消す時間も権限もあったのに、やらなかった。娘を死の淵まで追いやったのは病でも、最後のひと押しをしたのはお前だ」

「わ、わたしが……わたしが……本当に……」

「娘を殺したのはお前だ」


 王の全身を、怒りが巡る。それは爆発する寸前まで膨らみ──そして不意に涙に変わった。駆け寄ってきた騎士の手を振りほどき、膝をついて王は泣いた。


 涙の合間に、王は凪の背中を見つめた。それが遠ざかっていくたびに、激しい嗚咽が漏れる。凪たちはそれを見たくもないと言わんばかりに、無言で立ち去っていった。




 王の姿が見えないところまで歩いてから、凪は伸びをした。その後をついてきていた黒猫も立ち止まる。


「さて、気が済んだ」

「悪い男だね、君は」


 低く呟きながら、黒猫は凪の前に回り込んだ。


「今まで見たことがない顔をしているよ」

「お前ほどじゃない。うちの世界からの持ち込みを許可してれば、オーロは助かったんだぞ?」

「それは御免被るね。『前回』の二の舞になる」

「前の地図の持ち主は、相当好き勝手にやってたんだな。俺もそっちがよかったな」


 凪がからかうと、黒猫はさすがに全身の毛を逆立てた。


「いい加減にしないか」

「ははは、参った」


 凪は早々に白旗をあげる。


 一応医師免許は持っているが、開業もしていない自分がインスリン注射を大量に手に入れるのは不可能だろう。

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