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それからも僕は、何度もキサラギと出会った。
例えば、【四十一巡目・水族館】で。【五十六巡目・豪華客船(沈没付き)】で。【七十九巡目・孤島のコテージ(殺人事件付き)】で。
その度にキサラギは、些細なことを取り上げては文句を言い愚痴を言い、ひたすら悪態を吐き続けた。
「所詮シミュレーションに過ぎない魚の泳ぎやら芸やら、そんな偽物の何が面白いんだよ」イルカショーを見ながら彼女は言う。「あのイルカと一緒だぜ、私たちも。オリジナルのやつらに茶番劇を見せるためにここで生きてんの」
「例え元がどんな名作だろうが、その上っ面を真似するだけの、薄っぺらいラブストーリーなんてごめんだね」映画のワンシーンを再現するため船頭に行列を作る人々に向かって彼女は言う。「断言するけど、あいつらはきっと碌に元ネタを観たことがない。あそこ以外のシーンなんて、ほとんど知らないに違いない。随分とインスタントなロマンスで満足できるんだな」
「人の死をエンターテイメントにすんな」偉そうに口上を述べ始めた名探偵(NPC)を張り倒して、彼女は言う。「阿呆か」
まるで、目の前で動くもの全てに飛びかからずにはいられない、強気な猫を見ているみたいだった。いや、猫なんて可愛いものではなかったかもしれない。チーターか、狼か、毒蛇か。特に毒蛇という例えが気に入ったので、後で本人にそれとなく伝えてみると、強めの力で首の裏の部分を抓られた。
結局、キサラギはいつも一人だった。根気よくキサラギと会話してみようと試みる人は何人かはいたけれど、彼らが誠実であろうとすればするほど、キサラギの発散し続ける苛立ちを受け止めきれずに、やがて彼女から離れていった。
結果として、キサラギの横にはいつも、他に居場所を上手く見つけられない僕だけが残った。
「お前もさっさとどっか行っちまえよ」とキサラギは言った。僕の隣で、彼女はいつもの不機嫌そうな顔をしていた。
「ここが一番マシなんだ」と僕は返事した。
そうやって僕ら二人は、僕ら以外の人たちが楽しそうに振る舞うのを観察していた。ちょうど、クラスで除け者にされた学生二人が、休み時間、自分たちの席から一歩も動かずクラスメートたちを眺めるみたいに。あるいは、文化祭でクラスメートが演じる劇を、全く協力せずに第三者として眺めるみたいに。
彼らと同じステージに上がるには、彼女は少し冷笑的に過ぎたし、僕には役を演じる能力が余りにも不足しすぎていた。両者に共通していたのは、どちらにせよ集団の中に混じることができない、という点だった。
ただ、僕らに共通する点があるということは、僕らの間に分かち合えるものがあった、ということと同じではない。無人島での会話で薄々とは気付いていたように、僕らの性格はまったく一致してはいなかった。ただお互いに、全うな人間を演じるのに必要な部分が大きく欠けていた。僕らが共有できていたのは「何かが欠けている」ということだけで、その欠け方自体は大きく異なっていた。
だから僕らは、二人でいようが、碌に会話もしなかった。
それでも、僕が好き好んで彼女の隣にいたのは、たった一人でいるよりも、一人と一人でいたほうが、幾分かは気分がマシになる、というそれだけの理由だった。
【八十三巡目・相席居酒屋】
四人掛けのボックス席の片隅で、僕は笑うか、ビールを飲むかをタイミングよく行うだけのインテリアと化している。
隣の男性は――ソウマという名だった――相方がちっとも戦力にならない状況であるにも関わらず、30分ごとに現れては消えゆく女性たちを卒のない会話で笑わせ、相手の発言を促し、気の利いた相槌で場を盛り上げてはアポイントをかっさらっていった。
4組目の女性二人は、ソウマに満面の笑みで手を振った後、僕に一瞥すらくれずに消えていった。きっと僕のことをたまたま居酒屋の席に座っているお地蔵さんとでも思っていたのだろう。
「どうやったらそんな風に女性と仲良くなれる?」
次の組が来るのを待つ時間、たまりかねて尋ねた僕に、「あんたは俺のようにはなれないよ」とソウマは答えた。
「不快感を与えない清潔な恰好。自然な笑顔。後は、相手が何を話したがっているか、それを察知して、合わせりゃいいだけのこと。自分で何かを用意する必要なんかないんだよ。相手の要望に応えて、気持ちよく喋らせてあげる。それだけの簡単なことだ」
「それが簡単にできれば苦労はしないんだけど」
「簡単にできるんだよ、俺には。あんたにはできない。できるやつとできないやつがいる。それだけだ」
女性がいた時の人懐っこい笑みとはうってかわって軽薄な雰囲気を漂わせながら、ソウマは答える。
「あんたは俺のようにはなれない。それはここが仮想空間で、あんたがデータで、あんたが持ち合わせているあんた固有のパラメータから成長できないってこと、それとはちっとも関係なく、だ。現実世界で俺たちが出会って、あんたが俺に憧れて俺の真似をしたって、それは小学生の演劇未満の、ふざけた張りぼてにしかならない。身の程をわきまえろってこったよ」
彼は、ビールをぐいと飲み干し、空のジョッキをこちらに向けてゆらゆらと振る。僕をあおるように。
「うるせえな、ほっとけよ、って怒るくらいはしてもいいんだぜ? それが咄嗟にできないってのが、もう生まれ持った性質なんだよ。そこを変えられない限り、あんたは俺のようにはうまくやれないよ。これはあんたは短気になるべきだって意味じゃあもちろんない。要するに瞬発力なんだよ。コミュニケーションにおいて、自分の行動を選択するまでの時間。さっと選べるかどうか? あんたにその才能はない」
彼の言葉に怒りが沸かなかったわけではない。しかし何を言い返せばいいのか、それを思いつかず、頭の中で言葉を選んでいるうちに、ソウマの言葉をそのままなぞっている自分に気付く。
結果、僕には何も言うことはできない。
僕はただしわくちゃになった手元のおしぼりを弄んでいる。
「すまん、少し言いすぎたかもしれん。別にあんたが嫌いなわけじゃないんだ。というと自己弁護に聞こえるか、はは、ごめんな。とはいえ、一つアドバイスを贈ろう。会話が苦手なあんたへのアドバイス」
「なんだよ」
「別に会話が必要じゃない相手。それがきっと運命の相手ってやつなんだよ」
「……それは格好いい決め台詞のつもり?」
「うわ、皮肉がでたよ。やっぱあんた嫌いだわ」
口ぶりとは裏腹に、ソウマはからからと明るく笑う。それを見て僕も少し笑う。
何を言っても妙に憎まれない人間。
それも一つの才能なのだろう。
「ま、乾杯しようぜ。楽しく飲もう」
いつの間にかソウマのジョッキは再びビールで満たされている。僕も手元のジョッキを握り、ビールを満たす。
「ぶっちゃけさ、俺は女性との出会いになんて興味がないんだよ。別に不自由もしてないしさ」
「じゃあなんでここに来たんだ?」
「自分がどれだけモテるかを確かめるため」
「僕はお前が嫌いだ」
笑いながら僕らは乾杯する。
乾杯しながら、僕は彼女のことを考えている。
会話の要らない、ただ一人の人。
【九十一巡目・ハイキング】
「恋をしてしまったのです」と、久しぶりに出会ったイズシ嬢は言った。
彼女は似合わない、厳ついリュックを背負いながら、それが何の苦でもないかのように山道を登っていた。その間、自分が惚れた男性がいかに素晴らしい人物であるかを、辛うじて顔を覚えていたらしい僕に余すところなく伝えようとしていた。
「思いやりがあり、機知に富み、自己に確固たる芯を持っている方で」
「記念すべき百巡目に再開して、そこでゴールを迎える予定なのです」
「アポイントを取らないなんて脆弱なポリシーは恋の前には無力です」
「えと、セノオさん、貴方に紹介できなくて残念です。あの私のソウマさんを!」
そいつクソ野郎だよ、と僕は言った。
【百三巡目・ダンスクラブ】
僕は勿論カウンターの片隅にどっかり居座っていた。甘いばかりのカクテルをちびちび飲みながら、ぎらぎらと光る極彩色のライトと、それらに照らされた奇妙にうごめく人たちを見ていた。僕は彼女を探していた。低音ばかりが強調されたクラブミュージックは、どうにも好きになれそうにもなかった。
隣に人が座った。彼は久しぶり、と僕に声をかけてきた。僕は顔を横に向け、顔をしかめた。思い出せなかった。
「ほら、一番最初だよ。合コンで」
「ああ、あの」仕切り屋の、という言葉は飲み込んだ。
「首尾はどうだい?」と彼は言う。「僕は結構苦戦している。アポイントを何回か取るくらいはできるんだけどね。決定的ななにかをつかむのが難しい。君は?」
「成果ゼロ」僕はカルアミルクを飲み干す。仮想世界に来てから酒ばかり飲んでいる気がする。
「そうかい。まあまだ先は長いだろうからさ、気長に頑張ろうよ。お互いに、さ。かく言う僕も頑張ってるところでさ、ちょっと聞いてくれないか。今順調にいっている女性が二人いるんだけど……」
「自慢話をして優越感に浸りたいなら、他所をあたってくれ」
彼は舌打ちして去っていく。
僕はニヤリと笑う。
【百十二巡目・ゲームセンター】
最初に割り当てられたパートナーとは早々に別れを告げ、混雑したゲームセンターをうろつき回っていたところ、競馬ゲームに一人で興じているカシムラを発見した。あのNPCに惚れてしまったかわいそうな男性だ。
これも何かの縁と隣のブースに腰掛け、僕も競馬を楽しむことにした。とはいえ何の知識もないので、目についた馬に適当にベットする。
カシムラはこちらをちらりと見て、視線を前に戻した。彼の顔は、心なしか以前よりもやつれている様に見えた。
「痩せましたか?」と僕は尋ねた。オリジナルよりも痩せるなんてこと、絶対にあるわけないのだけれど。
「君は元気になったようにみえる」とカシムラは答えた。「好きな人でも見つけたかな?」
そうかもしれません、と僕は答えた。
それは素晴らしいことだ、とカシムラは言った。それから「僕はギブアップするつもりだ」と言った。
「彼女に、あのNPCに会うためならいつまでだっていられると思ったけどね。もう疲れてしまった。僕は諦めようと思う。オリジナルも、きっとわかってくれるだろう。もともと画面の向こうの女性に恋をするような人間だから」
そうですか、と僕は答えた。すこし冷たすぎるような気がして、寂しくなりますね、と付け加えた。その言葉がまた取ってつけたように宙に浮いた。暫く、走る馬の映像を見続けた。
好きな人ができました、と僕は言った。
それは素晴らしいことだ、とカシムラは答えた。
馬がゴールを切る。僕の賭けた馬は惨敗した。
【百二十八巡目・花火大会】
そうして、ようやく僕はキサラギと再会する。
今回のスタート地点は、夕暮れの河川敷。そこに僕は一人投げ出される。あたりは恋人同士を演じたNPCだらけ。地獄の一種にありそうなフィールド設定だ。というかこれ、パートナー無しで始まるべき舞台設定ではないだろ。少しは本物の人間も混ざっていそうだが、判別がつかない。
人の流れに逆らって、僕は歩く。花火大会からは遠ざかる方向に向かって。
新たなフィールドに移るたび、彼女を探すのが僕の癖になっている。彼女ならどんな風に行動するか、それを予想して僕は歩く。ひねくれ者で人間嫌いの彼女。だけど実は寂しがり屋の彼女。
だから今回は簡単だ。このフィールドに彼女も来ているなら、間違いない。
人の流れの最も川上。駅のホームに、彼女はいる。
歩くにつれて人の数はまばらになっていく。現実なら多くの人でごった返しているであろう駅には、駅員を含め、人っ子一人いなかった。電車が来る気配もない。それも当たり前だろう。今回の舞台設定は花火大会であり、行き帰りの電車は設定外だ。
改札を抜ける。花火の音が遠くに聞こえる。壁に阻まれて、花火は見えない。反対側のホームの壁が、赤や、青や、色々な色に照らされるのを僕は見る。
近くのベンチを見る。
果たしてそこに、キサラギは座っていた。無造作に足組し、手を頭の後ろに組んだ尊大な姿勢で。
僕の足音に気付いたのか、彼女は無言でこちらを睨み付ける。内心それに萎縮しながらも、僕は隣の椅子に座る。
「セオハヤミ」と何故か僕のフルネームを呼ぶ。「なんでこんなところにいるんだよ」
「何かを見るためだけに人ごみに揉まれるのは大嫌いなんだ。自分が珍しいものに群れるサルみたいになったように思える」
「まるで私が言いそうな言葉だな。止めてくれ、気持ち悪い」
「君に会いたかった」
一際大きな音が鳴った。向かいの壁が黄色く染まった。
そういうのも止めてくれ、とキサラギは言った。
僕らは黙っていた。僕は前のめりになって祈るように手を組み合わせたり、身体を起こしてベンチの端を握ったり、後頭部をポリポリ掻いたり、忙しなく体を動かしていた。その間、キサラギは頭の後ろで手を組んだ姿勢のまま、じっとしていた。
花火の音が収まるまで、数十分はかかった。
「あのさ」と、僕は言った。
「早く言え」と、キサラギは言った。
言い方に散々迷ったが、率直に言うことにした。
「僕とキスするつもりはない?」多分、変な顔色になっていたと思う。
キサラギは一瞬黙って、「ダメかな」と言った。
「かな?」
「うん、まだダメだ。セオはまだ私のタイプじゃあない」
「……まだ?」
「まだ。あと百回、私を見つけられたら考えてやるよ」
キサラギは組んだ手を解き、真っすぐに僕を見て、ニヘラと笑った。
「さっきの言葉は少しぐっと来たから、もっと言ってくれたら気が変わるかも」
シャッフルが始まる。
様々な架空世界を渡り歩く、旅の続きが始まる。
お安い御用だ、と遠ざかり始めたキサラギの背中に向かって、僕は叫ぶ。
あと百回。
それがどれほど長い旅になろうとも、ゴールが見えているなら大丈夫だ。
何回だって、出会ってやる。
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