2≦n≦32
【二巡目・立食パーティ】
「要は原子や分子の挙動を算出するのと同じです。第一原理計算というやつです。定量化さえしてしまえば、人間だって原子と変わりありません」
同じテーブルに着いていたその女性は、名前をイズシと言った。
開始早々「参加理由は単なる興味本位です、このサービスに対しての。出会いや婚活は二の次です」と言い放って周りを白けさせた彼女は、致命的に空気が読めなかった。自分の好きなことばかりを話し続け、その結果テーブルを移動する気力もない僕だけが残って彼女の話を聞き続けている。
「私は私がどういう振る舞いをするのかを見てみたいんです。つまりオリジナルの私が、アバターである私の挙動を見てみたいって意味ですけど」
「へえ、僕は自分のことを客観的になんて見たくないけどね。多分滑稽すぎて目も当てられないからさ」
「挙動の算出方法を知りたいんですよね。アバターの作成にあたって人間のどういった要素をデータ化してどういった要素を切り捨てたのか。それと、フィールドの力場もアバターの挙動に影響を与えると思うんですけど、要は舞台設定に応じて人物は振る舞いを変えるはずなので」
「不思議だね」ほら、僕の話なんか聞いちゃいない。
「シャッフルも、完全にランダムにアバターの配列をかき混ぜるわけではないはずです。原子が隣の空孔サイトにジャンプするような、そういったアバターの組み換えを行っているとは思うんです」
「もう少しイズシさんの話を聞いてみたいからさ、良かったらアポイントを取らせてもらえないかな」
「すみません、ポリシーとしてアポイントを交わさないことにしているんです」
そこだけはしっかり返事するのかよ。
ピピピピと音が鳴る。僕はテーブルの上に飲み残されたワインを瓶ごと口につける。
シャッフル。
【三巡目・バー】
しかもそんじょそこらのバーじゃない。西部劇に出てくるようなやつだ。店に入った瞬間「坊やはお家でママのミルクでも飲んでな!」と誰かお調子者の声が聞こえたが、それに上手に返せるような機転は僕にはない。
カウンターに座ると、ウイスキーのロックが自動的に出てきた。
「まだ何も頼んじゃいませんけど」
「悪いね、うちはそれしかないんだ」
ディスプレイを見ると、残り時間は三時間。それだけの間、僕は誰に話しかけることもせず、誰から話しかけられることもなく、ウイスキーをちびちび飲み続けた。
シャッフル。
【四巡目・釣り堀】
酒の舞台は僕に合わないと判断したのか、運営も趣向を変えてきたらしい。ただし場所を変えたところで、僕は女性の隣を選んで糸を垂らすような積極性を持たない。
今回の釣果はヤマメとアユが五匹ずつ。女性に関してはもちろんゼロ。
運営やオリジナルから、やる気があるのかと怒られても仕方ない。
【五巡目・街】
角で女性とぶつかったり、交差点で女ものの財布を見つけたり、踏切を挟んでどこか見覚えのある女性と目があったりしたが、波風を立てずに過ごすことができた。
むしろ波風を立たせる必要があるのはわかっているけれど。
あんな些細なきっかけから恋愛に発展させていく? 何かの冗談だろ?
【十巡目・遊園地】
誰とも会話をしなかった回まで述べていてたら、いつまでたっても終わらない。だから何事かがあった回だけをピックアップする。
遊園地内のベンチに座ってソフトクリームをなめていると、久しぶりに彼女に遭遇した。一巡目で出会った、目つきの悪い、あの女性だ。首からポップコーンの入物を下げ、もさもさ食べながら歩いている彼女を見ていたら目が合ってしまった。
「お前、一人で何やってんの? パートナーに愛想つかされたの?」
ご名答だ。僕は頷く。
最初に振り分けられた女性とは全く会話が弾まず、イライラした表情で「ちょっとお花を摘んでくる」と言い残して去った彼女を待ち、既に一時間経つ。随分と摘むのに時間のかかる花だ。よっぽど巨大なのだろう。
「どうせろくに会話もできずに、おどおどへらへらしてたんだろ。そりゃあ置いていかれてもしかたねえな」
余計なお世話だ、ということを僕は言わない。
「そっちこそ」僕は勇気を出して指摘する。「一人だ」
「相手がジェットコースター乗れないとか言い出すから、ぶん殴って置いてきた。一生ゴーカートにでも跨ってろっつって。なあ、一緒に来る? お互い一人だと格好つかないだろ」
「僕もジェットコースター乗れないんだよ」
「殴っていい?」
「なんでだよ」
つまんねーやつ、と言い捨てて彼女は去っていった。
その後、僕は遊園地内をフラフラ歩き回って残り時間を潰した。ただアトラクションを外から眺めるだけでも意外と楽しいものだ。それに、せっかく遊園地にいるのに何にも乗らないというのは、それはそれで贅沢な時間の使い方ではないだろうか。
【十八巡目・カフェ】
「NPCに恋をしたんだ」
カシムラと名乗る、隣の男性は僕にそう語った。彼は僕と同様に、どこかのグループに加わろうとせずにカウンター席で一人コーヒーを飲んでいたが、何故か僕には話しかけてきた。おそらく、同じような雰囲気を感じたのだろう。
「あれは何巡前だったかな。もう数えることもやめてしまった。舞台はバーだった。そこでシェイカーを振る店員の女性に、僕は一目ぼれしてしまったんだ」
NPC。ノンプレイヤーキャラクター。つまりは人間のアバターではなく、舞台を彩るために設置された、運営側のキャラクターだ。意思は当然持ち合わせておらず、所定の言葉と動作を繰り返すのみだ。
「以来、彼女のことが忘れられない。どんな女性のアバターと出会っても、あのNPCよりも心が動かないんだ」
「NPCというなら、このカフェの店員とかも同じ顔なんじゃないですか? 僕なんかの相手よりも、そちらと話すべきなのでは」
違うんだよ、とカシムラは首を振った。「確かに顔は同じなんだ。NPCなんてそうバリエーションが多くないから、彼女と同じ顔のキャラなんて今までに何度も見かけた。でも違うんだ。僕が恋をしたのはあの薄暗いバーのカウンターの内側で、黙々とシェイカーを振る彼女の姿なんだ。だから、あの店員もやはり別人なんだよ。たとえ同じ顔をしていても、僕の恋した彼女じゃない」
オリジナルには申し訳ないな、とカシムラは言った。「僕はおそらく、恋人を見つけることなどできないまま、この世界をさまよい続けることになるだろう。シェイカーを振る彼女との再会を、ずっと待ち焦がれながら」
このプロジェクトにおけるゴール地点は、この人こそ運命の恋人、と思ったアバターとキスをすることだ。そこでカップリングが成立し、その結果が現実世界にフィードバックされ、オリジナルの二人が引き合わされることになる。アバター同士が恋に落ちたのだから、オリジナル同士もそうなるだろう、というわけだ。
カシムラはゴール地点に向かうことを放棄した。
果たして僕は、たどり着くことができるのだろうか?
ピピピピ、とアラームが鳴った。良い旅を、そして良い出会いを、とカシムラが右手を差し伸べてくる。僕もその手を握り、同じ言葉を返す。
良い旅を。良い出会いを。
シャッフルが始まり、僕も彼も、終わりの見えない旅の続きを始める。
【二十五巡目・高校】
「一年間はさすがに長すぎるよな」と、後ろに座った男が言った。「俺、中身は三十一だぜ? 見た目こそ若返っちゃいるけどさ、もっかい高校三年生をやり直せっていうのかよ」
俺はソネ、と彼は言う。僕も名乗り返す。「僕はセオ。一年間よろしく」
「とりあえずアレだな。部活をやった方がいいんだろうな。確かに恋愛をするにあたって、高校生活というものはこの上ない舞台だ。俺は軽音部にでも入ろうと思うよ。セオは?」
「囲碁将棋部かな、得意だから」
「なんでよりによってそんな出会いの少なそうなやつを選ぶんだよ」
放課後覗きに行った囲碁将棋部は、僕に負けず劣らず陰気な男が一人いた。始めの一か月ほどは二人で対局を繰り返していたが、やがて彼は来なくなった。きっと正気に戻ったのだろう。
一人で部室を占有できるようになった僕は、ここぞとばかりに受験勉強に励んだ。これぞ正しい高校三年生の生活。夏休みが開けるころには僕はセンター模試で八割を安定して取れるようになっており、ソネは消えていた。聞けば、軽音部で彼女を作ったのだという。
一年間という時間は恋人を作るには十分な時間だったのだろう。徐々に数を減らしていくクラスメイトに囲まれながら、僕は受験勉強に励み、晴れて志望校に合格した。
いつだってそうだ。僕は本当にやるべきことから目を背ける。ただ目の前にある、分かりやすい課題をこなしていくだけだ。それは表面上そう見えるような勤勉さではなく、むしろ僕の怠惰の現れなのだということを、オリジナルの僕もアバターの僕も十分に分かっているはずなのに。
三割程度にまで減ったアバターたちの、卒業式が終わった。僕はその足で学校の屋上まで登り、卒業証書と合格証書を細かく破り、思いっきり空に投げ捨てた。
紙屑が桜の花びらのようにひらひらと舞い落ちる。
シャッフル。
【三十二巡目・無人島】
「キサラギ」と彼女は名乗る。
「ハヤミ」と僕も名乗り返す。
三回目の邂逅にして、ようやく僕は彼女の名前を知る。
「フクダキサラギ。不釣り合いで気に入らないから、下の名前で呼んでくれていい」
「二月生まれだから?」
「その通り。お前は?」
「フルネームが、セオハヤミ」
「駄洒落じゃねえか」彼女は笑う。
夕暮れの空の下、僕らはたき火を挟み、向かい合って座っている。
二人そろって砂浜に漂着した、そんな場面で僕らは目覚めた。それからお互い無言で顔を見合わせ、そして無言のまま偶然にも落ちていた薪に偶然にも落ちていたライターで火をつけて、偶然にも落ちていた釣り竿で釣り上げた魚を焼いて食べている。
「こんなにお膳立てされた漂流生活も珍しいな」とキサラギが悪態を吐く。「出来合いのサバイバルを二人一緒に経験しさえすれば、男女の仲が急速に縮まるとでも思っているのか、運営は」
「さあね」
「このおままごと、あと何時間やればいいんだ?」骨と頭だけをきれいに残して食べ終えた魚を、キサラギは火に放り込む。音もなく魚の死骸が燃えていく。
「自分のディスプレイを見なよ」僕は左手首を確認する。「残り十六時間」
「一泊二日か、長すぎるな。しかもこんな気の合わない野郎と」
お互い様だ、ということを僕は言わない。代わりに立ち上がって、薪の残りを手に取って地面に大きく文字を描く。
SOS。
「誰に向けて言ってんだよ」キサラギが尋ねる。
「様式美ってやつだよ」
キサラギも立ち上がり、同じように地面に文字を書き始める。
「ぶっ、殺、す」僕は読み上げる。「誰に向けて言ってるんだよ」
「さあ、むかつくやつら全部じゃねえかな。運営とか、私のオリジナルとか、そういうやつら全部」
「僕は入ってないよね」
「今入った」
「余計なこと言わなきゃよかった」
陽が落ちて、辺りは徐々に闇に包まれていく。ぱちぱちと薪の爆ぜる音と、寄せる波の音だけが聞こえる。火が途絶えないよう、僕は定期的に薪をくべる。そして時々、思い出したようにキサラギと会話をする。
「セオ、目ぼしい相手は見つかったか?」
「いや、誰も」
「だろうな」
「……キサラギさんは?」
「いや、誰も」
薪をくべる。
「何でさ、キサラギさんはそんなにいつも喧嘩腰なの」
「うるせえ」
「……」
薪をくべる。
「……イライラすんだよ」
「ん?」
「イライラするんだ、他人を見てると。どいつもこいつも何も考えてないバカみてえに思える。なんというか、自分に見えていることがまるで世界の全てみたいに信じ切っている、そんな気がするんだよ。自分のことを普通の人間だと思ってる。自分におかしいところなんてちっともない、そんな風に考えてやがる。なあ、そんなやつらばっかじゃないか? 自分と、自分の周囲にあるものがそのまま全うな世界そのもので、その世界の外側で人が生きていることも、その世界自体がぶっ壊れる可能性があることも、考えたことすらないような人ばかりなんだ。だからイライラするんだよ、私は。まったく、どいつもこいつも」
「……」
薪をくべる。
「……僕は逆だ」
「あん?」
「君の言うこと、わかるような気がする。でも、僕はまるっきり逆なんだ。僕には羨ましい。他の人はみんな、自分の中に正しさを持っているように見えるんだ。無条件にその人が肯定できるもの。そして、その人を肯定してくれるもの。僕にはないんだよ、そういった、人の根幹を支えてくれる正しさってやつが。僕はいつも不安なんだよ、僕は自分の正しさをどこかに置き忘れてしまったから」
「ふーん」
「僕には羨ましいよ。自分と、自分の周囲のことを疑わずに、真っすぐに生きていける人が、みんな」
「生憎、私にはお前の感覚がわかんねえや」
「……」
「……」
薪をくべる。
「キサラギさんはどうして参加したの」
「あん?」
「このサービスに。こんなこといっちゃあ失礼なのかもしれないけどさ、君は恋人なんかいなくても、一人でも問題なく生きていける人の様な気がするんだ。だから不思議に思って」
「うるせえな」
そう吐き捨てて、キサラギは答えるのを拒否するように、自分の腕を枕にして、砂浜にごろりと横になった。僕はそれをしばらく見つめてから、同じように寝転がって、目を閉じた。
「お前はどうなんだよ」とキサラギは言った。
「教えない」と僕は言った。
それっきり、僕らは何も話さなかった。
失敗したかな、と僕は思った。このサービスへの参加理由。それは極めて私的な部分で、特に仲睦まじくもない僕らが交わすには重過ぎる話題だった。どうしてオリジナルが僕らアバターをこの世界に送り込んだか。それを改めて考えるということは、僕ら自身の存在意義を問い直すということに他ならない。
僕はなんだったっけ。どうしてここに来ようと思ったんだったっけ。そんな出口の見えない、ドロドロとした思考の渦に飲み込まれていく。そのまま、僕の意識は闇の中へと緩やかに落ちていく。
眠りに入る途中、こんな会話をした気がする。もしかしたら夢だったのかもしれない。
「寂しいからだよ」と、キサラギは小さく呟いた。「一人で生きるのは寂しいんだ」
「そうだ」と僕は返した。「独りぼっちは、嫌なんだ」
僕は目を覚ます。
目の前には黒く焼け焦げたたき火の跡だけが残っている。いつの間にか夜が終わる時刻になっていて、辺りは明け方特有の澄んだ紺色の空気に包まれている。
キサラギはどこだろう。僕は上半身を起こし、目をこすりながら探す。ほどなく僕の目は砂浜に残された足跡を捉える。その一筋の足跡が伸びた先、辛うじて顔が認識できるぐらいの離れた距離に、キサラギは立っている。
朝日が海を照らし、空には紺色と茜色が混じっている。早朝に特有のぼやけた陽光、冷え切った空気、時折吹き付ける潮風。それらを受けながら、キサラギは波打ち際に立って、海の先を睨み付けている。まるで憎むべき何者かがその先にいるとでもいうように。
彼女は微動だにしない。長い髪が風にあおられて、何度も顔に打ち付けるのにも構うことなく。強く握りしめたその両手が、彼女のうちに込められた感情、怒りか、憎しみか、そういった類の、彼女の中で静かに波打つ衝動を表している。
駆け寄ろうとはしなかった。
キサラギが抱いているその怒りを僕はちっとも理解できないし、まして分かり合えるなんて思ってもいなかった。それに、そもそものところ、僕は彼女にかけるべき言葉なんてなにも思い付かなかった。
だけど、それが一番の理由ではない。
海に向かって真っすぐに立つキサラギのその姿に、僕は紛れもなく見惚れていた。少しでも長い時間、キサラギを見ていたいと僕は思った。
アラームが鳴る。
邪魔しないでくれ、と僕は思う。
シャッフル。
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