第6話 どこにも届かない唄



「よう、わざわざ来てくれるとは、義理堅いじゃねえか」


 大学病院の休憩室。白い部屋の中にいるのは葉月と鞄を肩に提げた或亥だけだった。或亥は葉月から放り投げられた缶コーヒーを受け取る。


「しばらくぶり、か。あれからもう1ヶ月経つんだな……」


 葉月はベンチに腰掛け、缶コーヒーを開けると一口喉に流し込んだ。


「あのときは悪かったな。後始末までやってもらってよ」


「仕方ありません。あなたは「楽園」で消耗してしまった。それは精神を一瞬でも蝕まれるようなもの。今たった一ヶ月で仕事復帰出来ている方が不思議なぐらいです」


 タフな人なんですね、と或亥は付け加えた。それに葉月は「どーも」と苦笑する。


「結局、かえでさんは助けられませんでした。……申し訳ありません。依頼は、果たせなかった」


「気に病むな。俺なら大丈夫だ。そういえる空元気ぐらいはある」


「……」


 或亥は缶コーヒーのプルタブに手をつけないまま、しばし葉月の横顔を見つめていた。


「何だよ、黙ったまんまで。気味悪いな」


「……いえ、ただ……」


 或亥は葉月の隣に腰掛け、つぶやくように言った。


「立ち直るの、早いですね」


 その言葉に、葉月は怪訝に眉を寄せていた。


「あなたが依頼に来たとき、あんなに悲嘆に暮れていたのに、なんだか切り替えが早くて、すごいなと」


「……そういうのには個人差もあるだろうが、俺だってまだ引きずってるところもあるし、気にしてるんだぜ。だけど、いつまでもしけた面しててなんか解決するか?」


「……確かに。正論です」


 或亥はうなずくと、鞄を開きファイルを一つ取り出した。


「そう、解決しない。逆に言えば、解決するんですから」


 或亥は葉月の左手を見て言う。


「今日は指輪をしてないんですね」


「あん?」


 きょとん、と葉月の目が点になる。

 葉月の左薬指には、指輪がはめられている。葉月は自分の左手と或亥を交互に見て、軽い混乱を起こしていた。


「何言ってんだ? つけてんだろうが。」


「ああ、失礼。語弊を招く言い方をしました」


 こほん、とわざとらしい咳払いをした後、或亥は葉月の目をまっすぐ見て言った。


「この間までの……「かえでさんとおそろいの指輪(ペアリング)」はつけていないんですね」


 みしり、と休憩室の空気から音が凍結する。


「それで、今つけてる指輪は誰とおそろいの指輪なんですか?」


「な……何いってやがる、これはかえでとのペアリング……」


 意気を巻いて言う葉月の顔に、或亥は一枚の写真を突きつけた。かえでの部屋に飾ってあった、葉月とのツーショットの写真である。


「これと見比べれば細部の違いはすぐに分かりますよ。どこにでもあるような指輪でしょうけど、今あなたがつけている指輪はこの写真の指輪ではない」


「こ……この写真、てめえどっから……!」


「依頼のあった日、葉月さんにタクシー代を払いに行ってもらっている間、スマートフォンのカメラで撮影したものです。画質は少し荒いですが、調べるのに支障はないでしょう」


「……っ」


「勝手に盗撮めいたことをしたのは謝罪します。しかし、葉月さん。葉月さんも何故嘘をついたんですか? 今している指輪がかえでさんとのペアリングだなんて嘘を」


「そ、れは……」


「自分の経歴に傷がつくのを恐れたから」


 或亥はファイルから、数枚の書類を取り出した。


「かえでさんは日常的にあなたから暴力をうけていたようですね。つまりはDV。これも思い出してもらえればいいのですが、あの日タクシーで寄り道した、と言ったのは、これを押さえるためでした」


 と、或亥がヒラヒラと手で泳がせたものは、カルテのコピーだった。


「かえでさんがあなたからのDVで受けた傷によるカルテです」


「……!」


「あなたはかえでさんが『繭化』した時、何故朝倉を訪ねたのか。それは「確実にかえでさんが『繭化』によって死亡するのを安全に確認するため」に依頼しに来たから。死人に口なし。「用済み」となったかえでさんも消せて一石二鳥」


「さ、さっきから勝手なことをべらべらと……」


「調べればかえでさんには多額の借金がありました。消費者金融から借りて返すのも消費者金融からという悪循環。で、今度はその指輪で誰を陥れるつもりなんですか? で」


「……」


「実はもう、その指輪のペアの方はこちらで保護してあります。医者という肩書きで安心させ、いざというときに医療ミスで多額の金を要求された、と聞きました」


 休憩室の外でアナウンスが流れた。ぽん、という柔らかな効果音がフェードアウトしていく。


「何が不満だったんですか。医師としての仕事がありながら、詐欺行為で更に金をむしりとる……あなたの意図が分かりません」


 若干の沈黙が降りた後、それをおもむろに葉月が持ち上げた。


「別に。理由らしい理由なんてねえよ。……そうだな、しいていえば「刺激」かもな。女を抱けて同時に蹴散らせる。まあ、『黒繭化』するまで追い込むことになるったあ思ってなかったけどよ」


 はははと笑いながら葉月は缶コーヒーで喉を鳴らした。


「笑い事ですか」


「正義感か? だったらお前ももっとこう……怒り狂うとまではいわねえが、憤るとかしろよ。相変わらずマイペースなやろうだな」


「医者としてどうなんですか、その辺の倫理観」


「あ? 知るかよ。親が医者だから医者になる道しかなかったんだ。だからたまには道を踏み外して火遊びしてもいいだろう?」


「そうですか……」


「話はそれだけか? んじゃ俺は行くぜ。一応仕事があるんでな」


 空き缶をゴミ箱に放り投げると、ベンチから立ち上がり、或亥に背を向けて軽い足取りで歩き出した。


「かえでさんからは、あなたを責めないで、と言われています」


 ドアに手をかけた葉月が、肩越しに振り返る。


「あ? まだごちゃごちゃ言ってんのか?」


「とはいえ。僕も人の子です」


 葉月は無視してドアを開こうとした。だが、指先が妙な柔らかさに包まれ、びくりと手を引く。


「あ……!?」


 ドアノブから幾筋もの茎が伸び、紫色の花がびっしりとドアの隙間を埋め尽くし咲いていた。


「こ、れは……!?」


「ツツジですよ。頑丈にドアをロックしました。これであなたは外に出られない」


 ゆっくり、ゆらりと立ち上がった或亥はグローブをはめ、強く拳を握った。


「な、なんで花なんか……「楽園」の中じゃねえのに!」


「ええ、その通り。ついでですから、「楽園」の末路をお話しましょうか。葉月さんはかえでさんの「楽園」から脱出した時気を失ってましたから、「あれ」を目撃していませんでしたし」


「あ、あれ……? 末路?」


「かえでさんの「楽園」……解除は失敗に終わりました。それは本当に悔やみきれない。そして、「楽園」が崩壊した人間はどうなるか。『繭』が孵化すると、『繭化』した中から何が出てくるのか」


 灰色のリノリウムの床が、一瞬にして真っ黒な海面へと転じた。葉月は短い悲鳴を上げ飛び退こうとする。


 黒い海はノイズのように揺れ、砂嵐のように雑に荒れ、やがて一つの映像を映し出した。


 葉月には見覚えがあった。『繭』だ。かえでの部屋に巣くった、腐臭をまき散らしたあの巨大な『繭』だった。


 その『繭』はしゅるしゅると糸を伸ばし、どんどんと縮んでいく。映像は早送りで見ているようだった。そして『繭』からは徐々に膨らみが無くなり、乾き、黒い表面を作っている糸もほつれ、崩れだした。


『繭』は固い表面になり、ひび割れていく。卵が風化したように、風もないのに粉になって消えていく。ひび割れが亀裂となり、大きい欠片となって割れていく。


 冬虫夏草、というものに似ていた。肌は乾ききり、はりをなくし、血の気をなくし、肌の下を突き破るようにして、枯れた茎と枯れた大きな花弁が、がくりとうなだれた女性の首筋から生えていた。


「これが「楽園」の末路。「失楽園」と呼ばれています」


 葉月は地面がリノリウムの床に戻ってからも、視線を下に向けたままだった。動けず、足は縫い付けられたようにびたりと張り付き、力が入らない。


「もちろん、この状態では絶命しています。まれに植物人間状態で命だけは助かることはありますが……事実上の死と変わりないでしょう」


「う……」


 硬直からとけたのか、葉月は手で口元を押さえ、よろめいて後ろへと下がった。


「「楽園」を表に出す、ということはこういう末路だということです。ですが、制御出来れば」


 或亥の手首に、緑色の光が巻き付き始めた。青々とした葉が連なり、茎は頑強なガントレットのようにグローブの支えとなった。


「このように、「失楽園」手前まででとどめれば、生きた花を咲かせることが可能です。あとは枯れないようパワーを制御し使いすぎないようにするだけ。シンプルな理屈です」


 或亥の拳が握られる。その手に添えられるかのように、紫色の花弁で出来た袖口となった。

 袖口を向けられた葉月は、異様な圧力を感じ取り……いや、押しつけられ、うめくように言った。


「な、なんだ……何する気だ!」


 必死にドアを開けようとするが、ツツジの花が絡まってドアが開かない。自動ドアである、どこか内部にでも茎が入り込んだのだろうか。


「僕だって怒ることはありますからね」


 背後でひんやりと背中を冷たくさせる感覚と、空気が膨張し全身の毛穴が総毛立つ危機感が、葉月を振り返らせた。

 肩越しに葉月が見たものは、迫り来る太陽の光そのもので、視野はすぐに閃光でうめつくされてしまった。



□□□



 かえでさんの葬儀は身内のみで行われた。誰もやり場のない感情をもてあまして、涙でごまかすしかなかったようだ。僕はその詳細を知らない。知らない方がいいと思ったからだ。依頼人は、彼女ではない。


 そして依頼人はというと、今は勤めていた病院のベッドで養生している。「目くらまし」がよほどきいたようで、中々衰弱から立ち直れていないらしい。


 僕はというと、かえでさんの墓参りに来ていた。お墓の場所はこっそり「裏手」から聞いておいた。手を合わせておきたい。これは単なるわがままだ。


 夕暮れ時。風が身を切る冷たさを持ち始めてきた。そろそろブルゾン一枚だけでは心許ないかもしれない。


 お墓の前に立ち、仏花を添える。


「……あれ?」


 ふと、視界の端にきらりと光るものが入った。思わずそれを目で追ったと同時に、夕暮れを反射する光が一つ、二つと増えて空へ舞い上がって行く。


「……鏡の花……?」


 かえでさんの「楽園」内で見たものか? それがなんで今、現世に?


「……もしかして、葉月さんにお灸をすえたのに不満でもあるんでしょうか」


 ここにはいない人に向けて、一人僕は話し続ける。


「あなたは責めないでといいましたが、それを受け入れるほど世界は甘くありません。彼は罰せられます。それ相応の罪で」


 まだ表沙汰になっていないが、結婚詐欺の事件も、おそらく余罪も出てくるだろう。少し調べれば分かることだ。少なくとも、僕が先回りして保護した女性は被害届を出すと決めたらしい。


「あなたは望まないでしょうけど、それが世界の形です。生きている以上、形の中でしか動けない」


 達観でもなければ諦観でもない。ありのままの事実で、僕はそんな世界が気に入っている。


「この世界に「楽園」なんて存在しません。あるのは現実です。いつだって、どこにだって、目の前に取り組むべきものがある現実だけです。例え繭になっても、花になっても、現実は変わらない」


 紅をはじく鏡の羽は高く舞い上がり、徐々に形をなくしていく。夕焼け空に溶けてなくなっていく。


「あなたにも強いるでしょう。咲き誇ることを。「楽園」は逃げ口上じゃない。自分を見つめ直す戦場なんです。そこで生きてこそ、本当の花が咲くんでしょうね」

 

 あかね色の空をゆがませる光は消えていった。まるでたんぽぽの綿毛のようだった。ただ、種の繁栄のように続くことはない。もうあの輝きは、二度と煌めくことはないものだ。

 この世界では。


「……寒い。コンビニでおでん買って帰ろう」


 心に残った僕の世界では、鏡の花なんてちょっとおしゃれでいいじゃないか、なんて思ったりする。

 不謹慎? そうだね。でも、忘れることのない花だ。



 終



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楽園に告ぐ / 鏡面領域 柴見流一郎 @shibami

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