10.
丼の蓋を開けると白い煙が立ち上り、俺の眼鏡が曇ってしまった。
ティッシュを一枚取って眼鏡を吹いていると、先に親子丼の中を見たうららが嬉しそうな声を上げる。
「わー、おいしそう!」
眼鏡を掛け直した俺も、かつ丼を目の前にして箸を持つ。
キツネ色の衣と匂いが食欲をそそられる。
「確かにうまそうだ。それじゃあ、」
「いただきまーす!」
「いただきます」
うららとほぼ同時に手を合わせて、丼を食べ始めた。
慣れない箸を使いながらも、うららは豪快に親子丼を食べていく。
それも無理のない事だなと、俺もかつを口に運びながら思う。
今夜はお互いに疲れていて、夕食を作る余裕もなかったために出前を頼んだ。それが届く頃には、日もすっかり暮れてカーテンも閉め切っている。
「おいしいか、うらら?」
「うん! おやこどんって、はじめて食べたけど、とってもおいしいね!」
うららはにこにこ笑いながら答える。
今夜も居間ではテレビがついていて、一見いつもと変わらない食卓だった。
だが、世界の狭間から帰ってきたうららは、少し大人びたような気がする。
落ち着いた雰囲気があるというか、作らない自然さというのだろうか。意味も分からず見ていると思われる園芸の番組にも、知的な視線を投げているようだった。
俺がうららの変化にしみじみとしていると、うららはこちらを見て「あのね、おとうさん」と切り出した。
「わたしね、前のことを思い出したの」
「前って、いつのことか?」
「わたしが、おとうさんと出会った時のこと」
「……」
そう言って笑いかけるうららに、俺は何と返したらいいのか分からなかった。
やはりうららは、人間になる前のことを覚えている。雰囲気の変化は、ここに起因するものだろう。
「ずっとだれにも見られずに、一人でいたから、さびしかったけれど、おとうさんがわたしを見てくれた時、本当にうれしかった。わたしは、一人ぼっちじゃないんだって。だから、はなれるのがこわくて、ついてきっちゃった」
「そうだったんだな……」
うららが魔法生物だった頃の記憶を思い出してしまうことを、俺はどこかで恐れていたが、あの時のうららの気持ちを知ることが出来て良かったと、素直に感じられた。
俺を見上げるうららは、無邪気に笑ってくれた。
「おとうさん、わたしを見つけてくれて、ありがとう」
「……いや、礼を言うのは俺の方だよ」
自然と零れた本音に、うららはきょとんとした。
うららがいなかったら、周りの人々の優しさも、外の美しい景色も、何でもない日のショートケーキのおいしさも、俺は全く知らずに一人でも平気な顔をして生きていったのだろう。
そして、うららが見せてくれる笑顔も泣き顔も、一緒に感じる喜びも悲しみも、何も知らずに暮らしていったのだろう。
うららが俺と出会って変わったのなら、俺もうららと出会って変わった。無味無臭だった毎日が、色鮮やかになった。
しかしこの喜びは、幼いうららに説明するのは難しく、俺自身も言葉にしずらい感情だった。
「この話は、また今度な」
「えー、けちー」
俺が笑いながらぼやかすと、うららは拗ねたように口を尖らせていた。
その後ろの襖には、「
これを見上げると、うららは俺の娘なんだという実感が、さざ波のように胸の内に広がっていく。
と同時に、娘のうららと未来を過ごしていくのだと、太陽が昇っていくような明るい気持ちになれる。
「飯食い終わったら、風呂だな」
「……はーい」
風呂が苦手なうららだが、今日は少しだけ素直に頷いてくれた。
それでも、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「でもでも、おとうさんのあとでもいい?」
「まー、それはいいかな」
俺もうららに甘いなと思いながらも、その頼みを受け入れた。
これからもこうして、日々を過ごしていくのだという希望が、居間の蛍光灯のように明るく灯っていた。
「おかえり」がきこえる日 夢月七海 @yumetuki-773
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