ACT38「エクスと明日への答え」
大きな袋を腕から提げ、真新しいイーゼルをふたつ、そしてカンバスをひとつ両脇へと抱えたエクスが、研究所へと戻ってきました。
「お帰りなさい、エクス。データの集積も、もう少しで終わりますよ」
「ありがとう、スィード」
クレードルに収まるスィードにお礼を言って、買ってきたものを博士の部屋に置いたエクス。ターミナルコンピューターの前に戻って、すっかり新たなスキンを張り終えた指をコンソールに添え、ふたたび自分に積むべきプログラムの仕上げに取り掛かりました。
「……完了です。これが算出された、人間における事象の記憶から忘却までの平均期間に、アトランダム性を加味したものになります」
スィードの声と共にすべてのファンがその速度を落とすと、研究所にしばらくぶりの静寂が戻りました。転送されたデータを展開したエクスは、自分のOSにその成果物――自然と物を忘れる仕組み――を搭載するために必要な容量を計算していきます。
「僅かにオーバーしますね」
「問題ありません。更新と同時に、この領域は破棄しますから」
エクスが指した先を見て、スィードは外に出さずに安堵の念を浮かべます。
そこには博士が最後に仕組み、そして中断されたままになったプログラム。そして結局有効化される事のなかった、感情を廃するためエクスが組み上げたシステムが、それぞれ『消去予定』とタグを付けられていました。
※ ※ ※
――
傘を差すほどでもない小雨の中、墓前にしゃがみ込み祈りを捧げる最後のひとりを見送り、4人は改めてふたつ並んだ墓石の前に並びます。
1歩前へと出て、静かに膝を折って祈りを捧げるエクスを見て、テンデットとトレムマン、そしてスィードは何も言わずに2歩、後ろへ下がりました。
「こんなに早く終わるとはな。夕方過ぎまで掛かるもんだと思っていたが……形見分けも結局、誰も取りに来ねえし」
「惜しむ人の多さが全てじゃないさ」
着慣れないスーツに凝り固まった肩を回しながら参列者の少なさを嘆くトレムマンを、テンデットが
ですがそのおかげで、埋葬までのお金をすべて出したエクス――正確には、彼の声を代弁したテンデットとトレムマンでしたが――の意向に異を唱える人もおらず、彼女はウィル博士の隣に並んで永い眠りにつく事が出来たのまた、事実でした。
「トレムマンさん、テンデットさん。ありがとうございました」
「どうしたの?改まって」
ネクタイを緩める2人の前に飛んでいき、ユニットを前に傾けて深々とお礼の意を示すスィード。その改まった様子にテンデットが首を傾げます。
「私達だけでは、彼女をここに連れてくることは出来ませんでした」
「なんだ、そんなことか」
「……いや、費用を出したのはおまえさんたちだろ?」
その言葉の意味をすぐに察して、気にすることはないと微笑むテンデットとは対照的に、トレムマンは疑問に眉根を潜めたまま煙草に火を点けました。
「博士の時は直筆の遺書がありましたので問題は生じませんでしたが――」
スィードがそこまで付け加えたところで、トレムマンはやっと向けられたお礼の意味を理解します。
エクスとスィードがどんなに声を上げても、トレムマンとテンデットが役所に働きかけなければ、プローラは今頃共同墓地へと送られていたでしょう。
例え主従関係が正式に登録されていたとしても、ASHがその人の死についての手続きを独断で行うことは出来ません。どれほど親密なロボットよりも、赤の他人である人間の申し出の方が効力を持つ。エクスとスィード、確かなこころを持つという今の技術の遥か先を行く存在に、法律の方が追い付いていないのです。
それは当たり前の事でしたが、それでもこの場において人とロボットの溝を改めて、それもスィード本人に口に差せる事を
「……誰ともわかんない奴らと一緒くたにされるよりゃ、ここの方がいいだろ」
トレムマンの静かな呟きに、テンデットも深く頷きます。
今わの際にも求める程に、愛した人の隣で眠る事。それはプローラにとってこの上ない幸せであると、少なくとも墓碑の前に佇む4人は、そう信じていました。
「本来ならば、エクスからもお礼を言わせるべきなのですが」
「酷な事を言うなよ。あいつにとってプローラをここに連れて来るって決めるだけでも、相当しんどかったと思うぜ?」
煙る霧雨が煙草の火を消し、取り出した灰皿に吸殻を捻じ込んだトレムマンが、ウィル博士の墓石を見やります。
「自分はあいつに敵わなかった、って認めるようなもんなんだからよ」
目を細めて小さく呟くトレムマンに、スィードもテンデットもただ黙り込む事しか出来ませんでした。
小さなホワイトノイズにも似た雨音だけがしばらくその場を包み、やがて葬儀を取り仕切っていた係員の足音が近づいてきます。
「まだなんか残ってんのかな……悪ぃけど、ふたりで行ってきてくんねえか」
振り返る事もせず、ただエクスを見ながらスィードとテンデットに頼むトレムマン。それは普段であれば面倒事を嫌う彼の
ですが、若さと興味の無さゆえに破れた恋の辛さを知らないテンデットと、生まれたばかりであるがゆえに愛した者との別れの辛さを知らないスィードは、いつ墓前から立ち上がるとも知れないエクスへと掛けてやる言葉を浮かべることが出来ません。
きっとトレムマンは、その両方を知っている――。その佇まいと口ぶりからそう直感したからこそ、ふたりはただ頷き、係員の元へと歩いていきました。
※ ※ ※
薄く掛かる雨雲の向こうで、太陽が山へと隠れ始めるころ、エクスはようやくその瞳を開けました。
「もういいのか?」
立ち上がるその背中に、トレムマンが静かに語り掛けます。
「不思議ですね。こうして目の前に彼女が亡くなったという証しがあるのに、今はそれほど悲しくないんですよ」
――少しでも長く祈っていれば、再び湧き上がってくると思ったのですが。
立ち上がりながら、しかし振り返らずに続けるエクスに、トレムマンはそりゃそうさ、と返します。
「これから日が経つにつれて、次第に思い出してくる。普段の暮らしに戻っていくうちにな」
――それは何故ですか?
そこで初めて振り返るエクスの、声に何の色も添えない問いかけを受けて、トレムマンは西の方を指さします。
「あのあたりか……プローラが暮らしていたとこもいつかは片付けられて、新しい建物が建つだろう」
トレムマンの指が、今度は反対の方角を向きました。エクスも静かにそれを目で追います。
「広場だってそうさ。しばらくはやっこさんがいない事を不思議に思う奴がいるだろうが、そのうち誰も気にしなくなる」
トレムマン一度手を下げて、俯くエクスを見やりました。
「そうやってな、だんだんとプローラって人間がいたって事実が、世界から消えていくんだ。なのに自分は忘れていない。忘れられない。そのギャップ……っつうのかな、そいつにやられっちまうのさ」
――俺もそうだったよ。
今は何もついていない左手の薬指を見ながら、トレムマンは小さな呟きを続けました。
「でも心配すんな。記憶ってのは都合いいもんでよ。年を重ねる程に喪った辛さだけが消えて、楽しかった思い出だけが残るのさ。まぁ、そうじゃねえと生きていらんねえよな」
「ならば私は、いつまでも苦痛を抱くのですね」
突然挟まったエクスの声に、トレムマンははっと顔を上げ、今更ながら目の前にいるのがただの人間ではない事を思い出していました。
「私に搭載されている記録媒体は、ボディやほかの回路よりもはるかに長い寿命を持っています。そして私が私として稼働する限り、データの一部分だけが欠損することはあり得ません。いつでも、いつまでも、あの冷たくなっていく体の感触と、最後の一言を鮮明に再生できる」
――貴方は、生きて。私を、忘れないで。
プローラに下された最後の
きっとこれからも、彼が完全に壊れるまで。
「プローラは、私に苦しめと言いたかったのでしょうか」
「ンなわけねぇだろ」
自嘲を込めるエクスの頭を、トレムマンが思わずぱかん、とはたきます。
「お前さんをちゃんと人として見ていたって、何よりの証拠じゃねえか」
「ですが……」
顔を歪めるエクスに、トレムマンはあのな、と前置きし、しばらく間を置いてから続けます。
「……昔読んだ本に書いてあったんだけどな。死ってのは2種類あって、肉体としての死と、誰の記憶からもいなくなる、存在としての死があるんだと。プローラはきっと、お前さんにその両方を看取って欲しかったんだろ」
――そいつはウィルの野郎にも劣らない、特別な間柄だと思うがね。
憎いじゃねえか、と笑うトレムマンでしたが、複雑なその言葉の裏を読めないエクスは黙り込んでしまいます。
「……忘れないで欲しいって以上に、お前が自分の事を忘れる、最後の人間であってほしいってよ。そんな事を願う奴が、お前がいつまでも苦しむこと願うと思うか?」
「ですが、この苦痛から解放される為には、彼女に関する一切の記憶を消去するしか――」
相反する願いに板挟みになるエクスに、トレムマンはそれならよ、とあるアイデアを授けます。
彼もまた、芸術に生活の道を見出す人間。彼女と同じ考え方を持っている事に、不思議はありませんでした。
※ ※ ※
更新を終えて椅子から立ち上がったエクスは、休んでいるスィードを起こさない様に、静かに博士の部屋へと赴きました。
ベッドから写真立てを取り、窓辺に置いたアネモネのプランターの隣へと置いてから、部屋の中央に買ってきたイーゼルをふたつ組み立てます。そのうちのひとつには真っ新なキャンバスを、その隣には彼女が描いてくれた自分の画を立て掛けました。
崩れ落ちた建物からどうにか探し出したその画は
その奇跡に感謝しながら、暫くじっと眺めるエクス。やがて滲む視界に両目を擦ってから、床に散らばる彼女の遺品を探り、まだ折れていない絵筆と鉛筆を数本拾い上げます。
もう一度、自分に新しく搭載されたプログラムが正常に動作している事を確認して、エクスは真新しいキャンバスの前に座りました。
記録ではなく、自分で筆を動かせば、今のこころを添えられる。
笑顔に満ちた日々も、こころを裂いた痛みすらもここに残るように。
彼女の言葉を思い出しながら、エクスは鉛筆を握り、キャンバスの上を走らせ始めます。
窓から差し込む柔らかな午後の陽と一緒に、写真の中のウィルとプローラ、そして開いたアネモネの花が、その背中をずっと、見守っていました。
『エクス~こころを手にしたロボット~』 終
短編『エクス―こころを手にしたロボット―』 三ケ日 桐生 @kiryumikkabi
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