帰ろう

スティーブンジャック

帰ろう

 お母さん、お父さん、真里、帰りたいよ。


 「詩織、いい加減起きなさい!学校遅れるわよ!」今日もお母さんの雷鳴のような声で目が覚める。気怠い体をベッドから引きはがし無理やり制服に袖を通し、何とかテーブルに到着。お母さんがトーストしておいてくれたパンを口にして、家を出る。「気を付けていってらっしゃい。」お母さんの声を聞き流し、銅山中学へ向かう。お母さんはもう中学二年生にもなる私に未だに過保護に接してくる。伝え方は上手ではないけど私のことを心配してくれているのは十分伝わってくる。そんなお母さんが大好きだ。でも、私も口下手だからお母さんにちゃんと感謝の気持ちを伝えたことはない。いつかちゃんと言えたらなぁ...なんて考えながら教室に入ると親友の愛利が嬉しそうにこっちを見ている。「なに?気持ち悪いんだけど...」「え、もしかして忘れたの?Road To Minor のアルバム。」完全に忘れていた。昨日貸す約束をしたんだった。「ごめん、完全に忘れてた。明日持ってくるね!」「何言ってるの、明日土曜だし...あんた昨日土曜は家族で泉出湖に行くって言ってたじゃない。」「あ、それも完全に忘れてた...じゃあ来週の月曜ね!」そうだ、明日は家族みんなで久しぶりに泉出湖に行ってバーベキューするんだった。お父さんはいつも仕事ばかりで一緒に出かけることはあまりないから少しめんどくさいけどたまにはいいか。きっとお父さんも気を使ってくれているのだろう。そんなことを考えているうちに始業のチャイムが鳴っていた。「白川、早く席に着け。」「は、はーい。今戻りまーす。」


 「早く起きろー、早くしないと間に合わないぞー」今日は珍しくお父さんの声だ。それもそうか、昨日お父さん、明日は泉出湖でバーベキューだって張り切ってたし。支度を済ませお母さん、お父さん、妹の真里、私の家族全員で車に乗り込んだ。「しゅっぱーつ!」真里の甲高い声が車内に響いた。泉出湖は車で大体三時間だから途中で寝ちゃうかもな...

 車で移動すること約二時間、もう少しで目的地だって時に、前方から様子のおかしい一台の車が反対車線を走ってきたのが見えた。その車は片側一車線の細い道路を少し蛇行しながらすごいスピードで走っている。「あなた、気を付けて...」お母さんが心配そうにお父さんに言った。「ああ、ゆっくり進んで様子を見よう。飲酒運転かな...」その車は全くスピードを落とさず近づいてくる。「おい、まさか、嘘だろ...」お父さんがそう言った瞬間、車はさらに加速し、こっちに突っ込んできた。「危ない!!!」 

 ここはどこだろう、あれ私...そうだ、お母さん、お父さん、真里!!! 体を起き上がらせようとした瞬間、激痛が走った。どうやら私は病院のベッドで寝ていたようだ。周りを見渡してもみんなはいない。どこにいるんだろう。そう思っていると、病室の扉が開き、白衣を着た医者らしき人物がこちらに近づいてきた。「白川詩織ちゃんだね?」「そうです。みんなはどこですか?」......

 あれから三週間が経つ。ケガはほとんど治り、私は銅山から遠く離れた雫峰に住む叔母さんの家に引き取られ、雫峰中学校に通うことになった。叔母さんは私を引き取った時に「みんなの分まで一緒に頑張って生きていこうね。」と言っていた。私はみんなの葬式で泣かなかった。あの日から私は夢を見ていて、今でもまだ夢の中なんだ。これは夢だから夢から覚めればまたみんなに会える。だから悲しむ必要もない。いつ夢は終わるんだろう。そんなことを考えながら日々を過ごしていた。


 先週、一人の転校生がうちのクラスに来た。彼女の名前は白川詩織さん。僕は彼女に恋をした。彼女はクールで無口な美人さんだ。まだ笑ってる顔も見たことがない。話しかけても目も合わせてくれないからクラスのみんなはあまりいいように思っていないようだ。特に鮫島は彼女にわざと聞こえるように悪口を言ったりしている。容姿の整ってる彼女に対する僻みにしか見えない時もある。今日、僕は初めて彼女と話した。話したと言っても彼女が落とした消しゴムを拾った際に「ありがとう。」と言われただけだ。それでも僕にとっては大きな進歩だ。今日はそれだけで頑張れそうだ。張り切っていくぞー。


 なぜだろう、いつまで経っても夢が終わらない。あの日から半年近く経つのに目が覚めない。でもきっと大丈夫。昔、私が怖い夢を見た時もお母さんが言っていた。「いい詩織?夢は必ず終わるの。だから夢の中で怖い思いをしたらお母さんやお父さん、真里のこと考えて怖い気持ちを追い払うのよ。そうすればすぐに夢は終わるわ。」って。だからみんなのことを考えていればこの悪夢ももうすぐ終わるはず。


 あれは家へ帰ろうと昇降口で外靴に履き替えているときの事だった。詩織さんもおそらく今から帰るところだったのだろう。靴を履き替えに昇降口から出ようとしていた。僕は「詩織さんじゃあね!」と緊張しながらも声を絞り出すように言った。すると詩織さんも挨拶を返してくれた。しかし様子がおかしかった。その声はかすかに震え、泣いているように思えたのだった。きっとまた鮫島か誰かが彼女に心無い言葉を浴びせたのだろう。僕は校門を出ようとしている詩織さんに駆け寄った。「詩織さん!大丈夫??」「え、何が?」彼女に目に涙はなく、どうやら僕の勘違いだったみたいだ。恥ずかしいな...「あ、ごめん。なんでだろう。君が泣いてるように見えて...僕はてっきりまた鮫島か誰かに嫌がらせされたのかと思って...」「なにそれ!泣いてないよ。鮫島さんが誰かもわからないし...」彼女は少し笑いながら答えた。彼女が笑ってる顔を初めて見た。とても綺麗で、今、僕はきっと顔が赤くなっている。見なくてもわかる。「ごめん、勘違いだったみたい。あ、もしよかったら一緒に帰らない?」気付いたら僕はそう言っていた。人間、強く思いすぎていると勝手に言葉が出るらしい。「いいよ!一緒に帰ろう!」思わぬ返事が返ってきた。帰り道でのこと、僕がなぜ詩織さんは雫峰に来たのか聞いたら、彼女が不思議なことを言い出した。「私は今、夢を見てるの。それもすごい怖い夢を。それで訳あって雫峰に来てるんだ。だから夢が終わったらまた銅山に戻らないといけないんだ。でも大柴君のことは夢が覚めても忘れないって約束する。この中学で初めてできた友達だから。」僕は彼女の言ってることが理解できなかった。僕がおかしいのだろうか。「え?何言ってるの詩織さん。夢って何?」「じゃあ特別に大柴君にだけ何があったか話すね、誰にも内緒だよ?」「うん、聞かせて。」僕は彼女が事故にあい家族を亡くしていること、彼女がその出来事から今日に至るまで全てが夢だと思っていることを知った。

 その日の夜、僕は彼女の夢の話のことについて考えていた。彼女は家族を亡くしたことで心をひどく傷つけているようだ。でも、あのままじゃ彼女はいつまで経っても前に進めない。そうなる前に僕が彼女を助けよう。そう決意した。

 次の日の放課後、詩織さんを見つけ、今日も一緒に帰ることになった。帰り道の途中にある小高い丘の公園のベンチに座りながら昨日の話を切り出した。「詩織さん、昨日の夢の話なんだけどさ、詩織さんはきっと家族が亡くなったことが受け入れられないんだね。でも今この時は夢なんかじゃないんだよ。だから辛いとは思うけど少しづつでもいいから今と向き合おうよ。僕なんか詩織さんと比べたらテストのこととか好きな人のこととかそんな小さいことで悩んでるような人間で、詩織さんの為にできることはあんまりないかもしれない。でもずっとそばにいることはできる。僕が詩織さんを支えるから。」

 

 大柴君は良い人だ。昨日、夢の話をしたせいで嫌われたに違いない。クラスの他の人たちみたいにきっと私を避けるだろう。そう思っていた。しかし大柴君は今日も私に一緒に帰ろうって言ってくれた。私を励まそうとしてくれている。でも大柴君は一つ間違ってる。私がみんなの死を受け入れていないって?私は分かってる。全部本当だってこと。夢なんかじゃない。みんな死んじゃったんだってこと。でも私が夢だって思い続ければいつかまた、お母さんに起こされて、お父さんの不器用だけど大きな優しさに触れて、真里が私のアイスを勝手に食べて、それに私が怒って、そんな平凡な日々がまた始まるんじゃないかって、あの家にまた帰れるんじゃないかって、ほんの少しだけそう思っていただけ。

 

 彼女のほうを見ると彼女はかすかに目を潤ませていた。「私、分かってるよ、夢なんかじゃないってこと、でもさ...」彼女は言葉を詰まらせた。「大柴君、神様っているのかな...もしいるならなんで私だけ残したのかな...何も悪いことしてないのに...みんなに伝えたいこともちゃんと伝えられなかった。お母さん、お父さん、真里、帰りたいよ。」彼女は大粒の涙を流し、声を震わしながら言った。彼女の泣き顔は僕が今まで見てきた詩織さんからはまるで考えられないような無邪気で幼い子供のような泣き顔だった。「みんなの分まで頑張って生きる必要なんてない。詩織さんは、詩織さんの人生を歩んでいいんだ。辛い気持ちは我慢しなくていい。悲しいときは泣いていいんだよ。」気付くと僕も視界が涙でぼやけていた。「いつかまた、詩織さんが帰りたいと思えるような場所が見つかるまで僕がすっと支えるからさ。」思わずクサいセリフを言ってしまった。彼女は止まらない涙を流しながらクスッと笑い「それって告白?」とそう言った。 

 

 それからの帰り道は好きなバンドの話や映画の話など他愛もないことを話して帰った。横を歩く彼女のその顔は数時間前とはまるで別人のように明るかった。


 私は今、一つ前に進んだ。もう辛い気持ちに嘘はつかない。周りの人にたくさん迷惑かけるかもしれないけど、苦しいときは苦しいって言っていいんだ。そうやってこれからは生きていこう。そう思えた。

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