第66話

 その後、僕はリナの病室に足を運んだが、立ち入ることはできなかった。勇気がなかったのだ。そのままぼんやりと廊下で時間を過ごし、気づいた時にはドクターが目の前に立っていた。


「処置は完了したよ。安らかな顔をしていた。しかし君も秀介くんも、彼女の臨終に立ち会わなくてよかったのかい?」


 僕にはその言葉の羅列が、どこかの秘境の異言語のように聞こえた。

 何も答えられないでいると、ドクターはいつものような、しかし憂いを帯びた声でこう言った。


「やっぱり、ドクターなんて大したもんじゃないな」


 それから僕の肩を軽く叩きつつ、研究室へ引っ込んでいった。


         ※


 翌々日。

 今回の作戦で犠牲になった兵士たちの葬儀が営まれた。そこには、リナも含まれている。彼女も、兵士ではなくとも立派に戦っていたのだから、当然と言えば当然かもしれない。

 秀介はもはや涙が枯れ果てたという雰囲気で、ずっとポカンと口を開け、下方に視線を漂わせていた。


 生憎、こんな時にかけてやる言葉を、僕は知らない。冷たい兄貴だと罵られるだろうが、家族を失ったのは僕だって同じなのだ。僕は今を、秀介は未来を見つめていただけで。

 それにしても、リナがサンプルとして保管されることがなかったことには安堵している。サンプルとして扱われてしまったら、リナはガラスの向こうの眠れる存在に戻ってしまうだろうから。

 そんなことをぼんやり考えていると、いつの間にか式は終わっていた。葬儀場の外に出る。

 

 晴天だった。今晩もよく星の輝きが見えるだろう。だが、リナという少女の瞳の輝きは、二度と見つめることはできない。

 僕はふらふらと駐車場の隅に行き、シガレットケースと百円ライターを取り出した。すぐそばを小川が流れている。その流れに目を遣りながら、煙草を一本口にくわえ、ライターで着火する。

 しかし、


「痛っ」


 ちょっとした鋭い痛みが、首筋に走った。以前、同じような状況で、同じように噛みつかれたことを思い出す。

 ふと空を見上げれば、そこには虹が架かっていた。足元を見ると、アスファルトが微かに濡れている。天気雨でも通っていったのか。


 僕はシガレットケースとくわえていた煙草、それに百円ライターを一緒に握りしめ、思いっきり放り投げた。煙草の着火された部分が赤く光り、警告灯を連想させる。しかし、煙草は呆気なく小川に落ち、ふっと消え去った。


 僕が狙っていたのは、湾曲した虹の真ん中。虹の向こうに放り投げれば、リナの元に届くような気がしたのだ。こんなものには頼らずに生きていくよ、という意志表示がしたかった。他ならぬ、リナに対して。


 煙草は身体によくないよな、リナ。秀介にも深酒は止めるように伝えておくよ。

 だから、安心してゆっくり眠ってくれ。僕たち哀れな兄弟のために。


THE END

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Over the Rainbow 岩井喬 @i1g37310

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