第6話 リディア・クレイ
あの日見たものは、一体何だったのだろうか。
リディア・クレイはずっと考えていた。
突然、空から降り注いだ金色の光。
それはシホの身体に入って、より大きな輝きとなった。
輝きを宿すシホの背後に、大きな人影が立った。
強力な魔力を宿した女性。
あれは、リディアだったように思うのだ。
その光に包まれ、リディア・クレイは、全身が急速に癒されていくのを感じた。『統制者』による疲弊も、アンヴィとの戦闘で負った傷も、信じられない程の速さで治癒していった。
そして、気が付くと、光は消え、その場には傷の塞がったクラウスと、折り重なるようにシホが倒れていた。
リディアは二人に近寄ろうとして、あることに気が付いた。
クラウスの手。
そしてその近く。
そのどちらにも、魔剣アンヴィの姿がなかった。
ぞっ、としたものを感じ、リディアはすぐさま辺りを見回したが、どこにもその姿は見当たらなかった。
「来てみるものですねえ。まさか『光の魔導』の発現をこの目で見られるなんて、思いませんでしたよ」
突然、リディアの背中を、この場にいないはずのものの声が突き刺した。びくんっ、と弾かれたように振り向いたそこに、声から想像された通りの人物が立っていた。
「アザミ……!」
「ああ、先に言っておきますけど、今日はぼく、戦えませんからね。『博士』に言われて回収に来ただけですから」
大陸東方の諸島群文化の象徴的な衣装を身に着けた、柔和な笑顔の少年は、両の手をひらひらと振って見せる。その右手に、魔剣アンヴィが握られていた。
「いい戦いでしたよ、リディアさん。いや、『統制者』さん、と言った方がいいのかな。途中からでしたけど、ぼくも楽しく見させてもらいましたよ」
「アンヴィを……どうするつもりだ」
「いやだなあ。リディアさんならぼくたちが何をしているか、知っているでしょう?」
にこにこと、アザミ・キョウスケは笑顔を絶やさない。
そのキョウスケに、リディアは『統制者』を腰だめに構えると、一息で距離を詰めた。そして笑顔ごと、抜き打ちの一刀で両断する。
しかし、手ごたえがなかった。
「怖いなあ、リディアさんは。いつでも臨戦態勢なんだもんなあ」
斬られたキョウスケの姿が透けて、消えた。彼の持つ魔剣、夢幻が作り出した幻影だったのだろうとリディアは思ったが、魔剣アンヴィを持ち逃げされたことまでは、幻ではない。
「また会いましょうね、リディアさん。今度は遊んでもらえるかなあ」
アザミ・キョウスケの、そして魔剣アンヴィの気配が遠くなり、代わりのように馬車の音が聞こえた。
マーレイ新市街の方角から、石畳の大通りを、馬車が猛烈な速度で走って来る気配があった。
リディアは少し考えたが、『統制者』を鞘に戻すと、黒い外套を翻した。
最後に倒れたクラウスとシホの姿に一瞥を送り、リディアは旧市街の廃墟の中を飛んだ。
あれから数日が経ち、身体の癒えたリディアは、再び魔剣を追って旅の最中にあった。
キョウスケに奪われ、地下に潜ったアンヴィの消息は、ふっつりと途切れてしまっていたが、元々フィッフスを通して手に入れていた魔剣の情報は、まだ他にもあった。
一つ残らず、制する。
それが魔剣に対する復讐であり、自分に対する断罪でもあり、そして『統制者』の支配を終わらせる、唯一の方法でもある事に、アンヴィと戦った前も後も、変わりはなかった。
ただ、一つだけ、分かったことがあった。
自分の意志は、『統制者』に勝つことが出来るという事だ。
支配されるばかりではなく、力を押し込め、制御し、必要があれば抑え込むことも出来る。
これまで、やってみようとも思わなかったし、出来ることとも思わなかった。
ふと、神殿騎士長の顔が浮かんだ。
そして、あの日見た、金色の輝きに包まれた少女の顔も浮かんだ。
紫に輝いた目。
『聖女』とも『光の魔導士』とも呼ばれる彼女。
おれは、何かが変わったのか。
アンヴィに支配された神殿騎士長と戦う前に自問した言葉を思い出した。
いや、戻ったのだろう。
硬質に、ただ人を遠ざけて、誰も傷つけまいとしていた時には得られなかった意志の力を、戻った、と思う自分が手にしていた。
自分は、強くなったのだろうか。
それとも、精神の強さとは、粉飾のしようのないもので、飾りのない、そのままの姿であれば、強くもなれるのだろうか。
ただ、もしまた、あの二人と共に戦う日が来るのなら、その時は、もっと上手く、早い段階から手を結びたい。
素直にそんなことを考えた。
「な、なあ、あんた」
不意に呼び止められて、リディアは足を止めた。ある大国の繁華街の雑踏を歩いていたいまを思い出し、リディアはゆっくりと振り返った。
「あんた、『紅い死神』だろ?」
言葉の先には、一目で傭兵とわかる、軽装に身を包んだ、身なりの汚い男が立っていた。ふっ、と思いがけず笑ってしまった。アンヴィとの戦いも、こんな風にして始まったのではなかったか。
「な、なあ、あんた、『死神』……」
リディアは男を睨みつけた。
リディアは自分が『紅い死神』と呼ばれることを、あまり好んでいなかった。
それはシスターの名が汚されたように感じるからだが、そうして生きているのが外ならぬ自分である以上、それも背負うべきものとして受け入れなければならなかった。
だから、その二つ名を口にした人間に、そのこと自体をとやかく言うことはしなかった。ただ、睨みつけ、聞く準備を整えさせた上で、極力意識をして、冷たくした言葉で答えるのだ。
「……リディアだ」
噂に違わぬ、氷のような声で。
〈了〉
百魔剣物語——聖女と死神と欲望の魔剣—— せてぃ @sethy
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