藍色の月

※少しだけ残虐な描写があります。













 鬱蒼と茂る木々の隙間を縫って淡い光が地面を照らす。鼻緒を指先に引っ掛けただけの下駄は、転がった小石を踏みつけては耳障りな音を逐一立てて歩を進めていく。

 背中に担いだ風呂敷の中には、ここ数日分の食料が詰め込まれていた。肩に圧し掛かる重みなど苦ではないが、早いところ拠点に戻ってこの無駄に重い荷を降ろしてゆっくりと食事がしたいというのが彼の、柘榴ざくろの本音だった。


 風呂敷包みを近くの木の下へ降ろし、その場から数歩離れる。木々の周囲から滲み出る気配は、一般的に言うところの殺気だ。ピリピリとした空気が自分に向けられている。

 正確な人数までは把握しきれないが、この闇夜にまぎれているのはおそらく十よりも多い人数だろう。

 まったく厄介なものに目をつけられたものだと溜息を吐きたくもなるが、そうは言っていられない、相手は自分を排除しようとこれでもかと隙を狙っているのだ。それがたとえば懸賞金目的の一般人であれば、柘榴も溜息とともに見逃しただろう。


 しかし残念なことにこの場に解き放たれた気配は、どれも年季の入った殺意だけ。

どうするもこうするも、選択肢は1つしかない。


「…さっきからコソコソと僕を付け回して。用件があるのならさっさと仰って下さい」


 ごく小さな、穏やかな声で問いかける。


「……」


 しばらく待ってみても反応はない。

木々のざわめきだけが、静かに木霊する。

 しかし、気配は依然として減ることがない。むしろ増えているように思えた。少しくらいは何かしらの返答があるだろうかとさらに言葉を続ける。



何処どこ何方どなたとも存じませんが、他者に付きまとうなど悪趣味にも程があることをお忘れなく」

「……」




 再び風が木の葉を揺らす音だけが暗い森を覆う。



 …ああ、本当に意味がない。


 何かしら喋ってくれれば良かったものを。

会話などする気もなく、ただ『除外する』だけ、という思考が流れ込んでくる。


 『この者は消去の対象』『処分』されるべき『有害生物』そんな意思が、無音の中に混ざりこんでいる。

 賢いことに、相手は僕を既にことを念頭に置いているようだった。


「返答していただけるなんて期待はしていませんが、こうもだんまりを決められるとなんだか僕が一人遊びをしているようで滑稽に思えてきました」

「……」

「まあ、どうでもいいんですけどね、そんなこと」


 返事の有無など、僕にとっては大差のないこと。僕にしてみれば放っておいてくれればそれで、どうでもいいことなのに。己を取り囲むもの達の雰囲気はそうではない。僕を完全に異物とみなし、排除しようとするものの雰囲気。幾度となく味わったこの身は知っている。


 僕らそのものをを。


「こんな辺鄙へんぴなところまで僕を追いかけてきて。僕を…いえ、僕達を消そうと躍起になっていらっしゃるのなら貴方達は僕の敵です」

「……」

「ああ、そうそう。貴方達は、ってご存知ですか?」



 気だるそうに、柘榴は潜む者達へ問いかける。


 辺りに漂う思考は何かを危惧するように怯えるものもあれば、何を言っているんだコイツ、と様々だった。

 しかし柘榴にはそれで十分だった。金属のちゃり、と擦れる音が一つして。普段は着物の袖で隠れている両の手を、そっと前に差し出す。


「正直、面倒ごとはご遠慮いただきたかったんですが、貴方たちの雰囲気が非常に殺気に溢れていらっしゃっていて、そうも言ってられない様ですし。まあ、久しぶりに運動が必要な頃合でしたから。この機会にお会いできて丁度よかった、と思いましょう」


 がらりと雰囲気が変わり、少し楽しそうにそう言い放つ柘榴の着物の袖口から這い出てきた闇色の塊が、一瞬で木々の隙間を縫って獲物の首に喰らいつく。途端、今まで静かだった夜の森にとてつもない絶叫が響き渡った。

 

 それを合図に木々の間に身を隠していた連中がいっせいに身を現し、柘榴目掛けて各々の武器を投擲したり、引き金を引くなどしているけれども柘榴はけろりとした様子でだけだった。

 敵が何をしても、柘榴に攻撃が当たらない。いくら至近距離で銃を撃っても効果がないことは一目瞭然であり、必然だった。


 柘榴は自分の足元で怯えて動けなくなった刺客の一人をこれでもかと蹴り上げると、汚い音を漏らして気を失った男に己の着物の袖がかかるように両の腕を広げた。


 ズル、と生々しいような音がして。袖口からあの闇色の塊が気絶した男の腹へボトリと落ちる。


「…触らぬ神にタタリなし。ってよく言うでしょう?よくまあ神様を敵に回そうなんて思いましたね」


 醜く無様に逃げ惑うがいい。恐れをなして慄けばいい。それでも僕を消すと言うなら僕の下までやって来ればいい。


 僕は逃げなどしないのだから。


 柘榴は闇色の塊に向かって意識を飛ばす。『狩りの時間ですよ』と。


 命令を聞いた黒い塊は、なんとも形容しがたい声で鳴くと、主の命令に従ってその腹を満たす。

 そうして数分もしない内に奇妙な絶叫の雨は止み、変わりにまだ綺麗な赤い色をした肉片がボトボトと夜の森に落ちて来たのだった。



「今回の狩りもいい手際でした」



 パチパチと小さく鳴る拍手の音を聞きつけると、闇色の塊はサッと着物の袖口へ身を隠した。柘榴は薄ら笑いとともに、地面に落ちた臓物のかけらを1つ蹴り飛ばす。

 ―ぐちゃ。

お世辞でも綺麗ではない音を立てて、肉片は明後日の方向へ転げていく。



「さて、早いところ戻らなくては」



 手に付いた僅かばかりの砂埃を叩き落しながら、柘榴は荷物を休ませていた木の下へと戻っていった。





         

 藍色穏やかな日常裏側





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【仮題】奇形奇譚 伊澄 @Tsuilu

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