I.D.O.L

アルミキャット

神のもとではよくある話。

1.

分厚い雲に包まれ、今にも雨が降りだしそうな空は、木々をざわつかせ、砂埃を巻き上げるほどの強い風をもたらしたが、それは肌寒さを感じさせることもなく、ただただ生ぬるかった。そうして僕は今年も春が来たのだと悟る。何が終わる訳でもなく、何かが始まる訳でもない春は、僕に変わらぬ日々への虚しさをもたらす。そうしていつ訪れるかわからない「いつか」を思い、ここではない何処か、別の世界への憧憬を募らせる。なんと在り来りでしかないのだろう。つまるところ春とはそういった季節でしかない。そうして沸き立つ過ぎ行く時間への不安、嘆き、絶望。それでも早く今が過ぎてゆけばと思う。それは理解の及ばぬ矛盾。僕は思う、変化とは若さのことなのだろうかと。だとすれば変化のない日々は、苦痛の連続するような日々は、老いゆく体と心をただ嘆き続けるためだけのものだろうか。「何かを始めるのに年齢は関係ない」そんな言葉はハッタリだ、世間はそれを受け止めようとはしない。誰にも知られることのない自己完結はただの自己満足とイコールなのだ。

2.

「何がそんなに悲しいの?」

彼女はパジャマのままベッドの上であぐらをかきながら僕へ尋ねる。

「すがるものが何もないってことに悲しみを感じている。」

「なに?宗教でも入りたいの?」

「いやあ、別に。まぁ、言い改めると『何にもすがれない』ことへの悲しみだな。もはや絶望とすら言ってもいい。すがるものがなければ、ただ現実を直視するしかないからね。」

彼女は遠い目をしながら「ふぅーん」と味気ない返事をする。しかしそれは彼女が僕の意見をしっかりと頭の中で反芻しているときのサインだ。本当にどうでも良いと思っているときはまた違う目付きをする。それはギロリと言った感じで、呆れているときにする目付きだ。そして一瞬の静寂の間に、雨が窓を叩く音が響く。締め切った部屋は湿気に満ちた生ぬるい空気で澱んでいる。

「困難に陥った時、人はどうすればいいんだ。」

「何にも考えなければいいんだよ。」

「考えないって、一体どうやるんだ?たまにいるよね、そういうこと言う人。考えないとか、テキトーとか言う割にはきっちりと計算されている感じのやつ。なんというかさ、そんなやつはさ…。」

「やつは?」

「なんというか、上手いんだよ、外部の影響を無意識のうちに自分に取り込むのがさ。」

「そんなことないと思うけど。『これは意識すべきこと』っていうものの決め方が上手いんだよ。何を軸にしたらうまくいくか、そういうところを理解するのが早いんじゃないかな。」

「ほんとにそうか?例えばだよ、なにか哲学書や小説、学術書でもいい、それらを読んでいろいろな教訓を学んだとする。でもそれが日常生活で活きると思うか?僕はそうは思わない。読んでいるときはさ、なるほどーって思うし、目から鱗が落ちることもある。でも日常生活ではそれらの一切は頭の中にない。結局のところ、外部のものは外部のもので、己の中にあるものは己の中だけに存在していて、それぞれに自己完結しているのさ。全く影響がないと言えば嘘になるけど、その二つをお互い大いに干渉させるのは極めて難しいと思う。だからこそ、人にはすがるべきものが必要なんだ。己の中にあるものと、己の外にあるものを強く結びつけ、たった一秒、それに想いを馳せるだけで交わることのないそれらを融合させ一つにするもの。それが『すがる』ってことだよ。だから成功者の哲学、メソッド的なものなんて宇宙の外や地球外生命体と交信するようなものさ、つまり一方通行だよ。そんなもの、決してすがれやしないだろう?その点、宗教には『奇跡』の存在がある。実存する『約束された未来』がある。すがるにはもってこいだな。」

3.

真新しい制服や着慣れないスーツに身を包んだ彼、彼女らが心から新たな環境への旅立ちに喜びを感じているだろうか?いや、それはない。青春というのは常に緊張と不快を伴うものなのだ。それでも平然としていられるのは若さという後ろ盾があるからだろう。たとえ叶わぬ夢だとしても、少しでも実現の可能性があれば人は欲望を感じ、苦痛を免れる。彼、彼女ら若者たちの旅立ちは、その膨大な時間によってもたらされる淡い期待感が青春の苦味を消し去り、美しいものへと変えているのだ。いわば若さにすがっているのだろう。湿り気を含んだ風は今日もまた吹いている。低い雲は早く流れる。街は変わらず蠢いている。大人たちは誰しもが感情を押し殺している。間もなく雨が降りそうだ。

4.

雨は桜の花びらを散らせ、初夏を感じさせる陽の光はそれら地面に張り付いた残骸を白く、輝かしく照らす。月曜日、時刻は午後二時。サボった仕事は心を押し潰すようにして重くのしかかる。この生活に開放的なものなどなにもない。早く終われと願うこの生活と、無為に過ぎ行く日々の虚しさはアンビバレンスな感情となって悲痛な叫びを脳裏に響かせる。サボるにしたって家の中にいてはどろどろした感情が粘り気を増しながら胸の中で増え続けるだけだ。僕はなんとなく気が向くまま方角を定め、五キロほど歩いた。歩いている途中はサボった仕事のことや、明日の用事などばかり自然に考えてしまい、もはや自分がなんのためにサボっているかすらわからない。これじゃまるで仮病を使って学校を休んだ子供がベッドの中で罪悪感に苛まされているのと同じじゃないか、仕事の責任がある分だけさらにタチが悪い。僕は考えることにも歩くことにも疲れ、ふと目に付いたカフェに入った。

5.

カフェは国道に面しており、道路を挟んだ向かいには大きな公園がある。僕は二階の窓際の席に腰を下ろし、目の前を過ぎ行く車の流れをつらつらと追っていた。今からでも会社に戻るべきか、無為に仕事をサボったところでそれはただの悲しい逃避行でしかない。例え苦しい思いをしていようが社会に溶け込んでいるほうがマシなのだろうか。Lサイズのコーヒーは残り半分ほどになっている。

たくさんの車たちは体の中を循環する血液のように、ひたすらに道路を流れ続けていたが、そこに滞留する異物のように、公園の入り口に二人の女性が立ち続けているのが目に付いた。一人は中年、五十代前半といったところで、もう一人は二十歳前後、大学生くらいだろうか。若いほうの女はリーバイスのスキニーパンツにチャンピオンのパーカー、オニツカタイガーのスニーカーというラフな格好で、髪は肩に届く程の長さで色は黒く、化粧気のない顔は少し痩せ気味ではあるが、そのすっきりとした輪郭は佇まいを凛々しく見せている。もう一人は母親か親戚だろう、黒いダウンジャケットにチノパンという服装で、型どおりの中年女性ファッションといったところ。彼女らは近くに看板を立て、手になにか本のようなものを持っており、表紙を人々に示すかのようにして通行人へ笑いかけている。ああ、あれだ、あの宗教だ、『エホバの証人』だ。僕はすぐにそれを悟った。

6.

通行人は誰しも彼女らに一瞥をくれ、通り過ぎてゆく。人々は見事なまでの無視だ。誰も彼女らの相手をしない。しかし腹の中ではきっと何かを思っている、そんな感じがある。誰だこいつらは、なんの宗教だ、何がしたいのだ、言葉は発せられずともわかる。穏やかな微笑みのまま固定された彼女らの笑顔はどこか不気味なのだ。それは引きつることもなく、誰に対しても変わらぬ笑顔だった。それは等さこそが至高であると掲げる無償の愛、それ故のものだろうか。僕はそんな二人をただ眺め続けた。

彼女らはその後一時間ほどで退却した。僕はそれを見届けると、半分残したコーヒーを一気に飲み干し席を立つ。コーヒーはすっかり冷え切っていて不快な酸味を口に残した。

7.

「俺の婆ちゃんさぁ、今八十歳なんだけど、七十歳過ぎた頃くらいからやたらと健康食品だとかサプリだとかを買い込むようになったんだよね。しかも怪しげな通販のすごく高いやつ。」

「あら、判断能力は別として、良いことじゃない。いつまでも長生きしたいんだよ。」

彼女は台所で料理を作っている。牛肉、玉葱、アスパラのシンプルな炒め物、僕の好物だ。余計な味付けは要らない、変なアイデアを起こして妙な味付けをされても困る。ナマモノは嫌いだが、素材を楽しめるシンプルな味付けの料理は好きだ。そんな彼女は転職が決まり、有休消化で毎日僕の家へ入り浸っていた。

「この前も母さんと行ってきたんだよ、お婆ちゃんのとこ、それでさ、お茶を飲みながら話すことと言えば病気のことばかり。誰々はこんな病気になってこんな死に方しただの、あれが死因だっただの、そんな話ばっかり。八十歳を越えればせいぜいあと十年も生きれるかってところなのに、やっぱり死ぬのは怖いんだなと思ったよ。」

「そりゃ怖いでしょ。別に八十歳を過ぎたからといって耄碌老人になる訳じゃないんだからさ、迫り来る死は毎日、日が暮れる度に感じられるわけですよ。あ、残り少ない日々が今日もまた終わってしまったって。辛いねぇ。」

「僕は八十歳過ぎたらさっさと来世に賭けたいね、毎日どこそこ体の不調を訴え、死に怯える暮らしをするくらいならさ。」

「いやぁ、私らの年齢で老人の気持ちを理解することは無理だよ。だってまだ私たち二十代なんだよ?誰だってそう思うよ、迷惑は掛けたくないってね。例え嫌でも長生きしてしまっている人が居たとしても、死ぬのは絶対に恐ろしいものだよ。というかこの前の話じゃないけどさ、迫り来る死に追い詰められた老人にこそすがるものってか、宗教が必要なんじゃないかな。健康や病気の話ばかりするのは無意識に『死』に対するデータを欲しがっているんだよ。様々な死のパターンを自分に取り込んで、他人と共有し、それに対処したい。でも現代医学では老いは避けられない。ならば神にすがるしかない。」

そこまで言うと彼女は料理を素早く皿に盛り付け、テーブルまで運んだ。僕は何も言わず焚き上がったご飯を茶碗によそった。

8.

期待していなかったと言えば嘘になる。翌週の月曜日、僕は仕事を休み、再びあのカフェへと向かった。もちろんあの二人を眺める為であり、あわよくば声をかけ、パンフレットをもらうつもりでいた。しかし今日は母親らしき女性の姿は見当たらず、若い女のみだった。彼女は先週と同じ場所で、同じ笑顔でパンフレットを配っている。しめた、そう思った。これはとてつもなく好都合だ。僕は以前と同じ席からまたもその姿を眺め続ける。誰からも相手にされず、疑いの視線を浴び続けるその様子を。そして今回もまた一定時間が経過した頃、彼女はその場を切り上げようと片付けを始めだす。僕は飲み残しているコーヒーもそのままに、急いで席を立ち向かいの公園へと急ぐ。しかし信号は赤、僕はもどかしく、その場で足踏みまでしてしまった。彼女はパンフレットを手提げ袋に入れると、駅の方向へと歩き出していた。しまった、遅かった、そう思った僕は横断歩道を渡りきらないうちに、咄嗟に声をかけてしまった。その予定ではなかったのだが。

「あ!あの...。」

「....はい?私ですか?」

さっきまでの笑顔は完全に消え去り、僕に対する不信が表情に表れている。パンフレットには『目覚めよ!』と書かれていた。

「いや、あのさ、ちょっと興味があって、それ。」

僕はパンフレットを指差す。

「えっと...あの...あ、わかりました。」

彼女はようやく僕の意図を理解したのか、少し安堵した顔で僕の元へ歩いてくる。どうぞ、そう言って彼女はパンフレットを一部差し出した。

「ごめんね、もう帰る時間なんでしょ?」

「いえ、良いんです。構いません。」

「あのさ、立ち話もなんだし、ベンチに座ろうよ。その…少し詳しく訊きたいんだ。」

このセリフは割と勝負に出たつもりだったが、彼女は「いいですよ」と、あっけなく快諾してくれた。僕らは公園の入り口まで戻り、中に入るとすぐ近くにあったベンチに腰掛け、砂場で遊ぶ子供達を眺めながら暫く無言のままでいた。僕は話の切り出し方を考えていた。

「ええっと...君はエホバの証人の信者だよね?」

「はい。本当は教義に則って2人組での行動が基本なんですけど、今日は一緒に活動している母が先に帰ってしまったので。」

「毎週この場所で?」

「いえ、場所は常々変わります。先週と今週はたまたまこの場所だったんです。」

「君、大学生だよね?学校は?今日月曜日でしょ。ま、自分も人のこと言えないんだけどさ。」

僕はそう言ってぎこちなく微笑みかけると、彼女もアハハと笑う。

「まぁ、大学生なんですけど、行ってないんですよね、ほとんど。」

「ごめん、さっきから関係ない事ばかり訊いて。」

「いえ、なんとなくそんな感じなんじゃないかと思っていましたよ。本当に救いを求めている人はこんな形で私に話しかけてきたりしませんからね。あ、別にあなたが嫌だとかそういう訳じゃないですよ。」

僕はギクリとしたが、彼女は笑いつつ、何の気なしにそう答える。こんなにも簡単に魂胆を見抜かれていたことに恥ずかしさすら覚えた。

「まぁ、私たちのことを正しく理解してくれている人は必要なんです。それは信徒じゃなかったとしても、です。だからこうして今から私が語ることがあなたにとって有益となれば良いんです。そしてそれが、あなたが今日のことを語る誰かにとって有益となるかもしれない。そうして世間にとって少しずつ有益となっていけば良いじゃないですか。それに、世間的な理解よりも、誰かにとっての小さな理解のほうが良かったりするんです。皆はわかってくれなくても、あの人はわかってくれている、そういうのってなんだか心温まるじゃないですか。」

今日もまた生暖かい湿った風が吹き抜ける。春風は彼女の髪を乱し、さっとなびいて両眼を隠す。彼女は両目にかかった前髪を左手で掻き分けるとそれを耳にかけ、砂が目に入っちゃいました、と呟く。よく晴れて心地よい空気が流れていた。僕はなにも答えず彼女の語ることの続きを待った。

「じゃあ、基本からお教えしますよ。エホバは旧約聖書に出てくるヤハウェを唯一神として信仰している宗教です。ヤハウェの読みが変化してエホバになったんですね。主の発音方法は様々ですから。それで主は...あ、主というのはエホバのことなんですけど、主はイスラエルの神様でユダヤ教に於いてはこの世界の創造主です。」

「へぇ、知らなかった。エホバとはヤハウェのことだったのか。」

「はい、語源のヘブライ語がラテン語に置き換えられたりした過程で訛ったりして表記が変化したんです。まぁ、つまりはキリスト教出現以前の創造主様を唯一神としているんです。」

「ではエホバの信者が輸血を拒否する理由は?」

「これも良く訊かれる質問ですね。理由は簡単ですよ。聖書にそう書いてあるからです。『血は避けなさい』と。私たちはただそれに従うのみです。主に忠実であるだけです。」

「禁欲に関しても同じ見解なの?エホバの信者は厳しい禁欲が課されているでしょ?」

「同じです。それらを守らなければハルマゲドンの際に復活できませんから。私たちはそのとき初めて幸福を見るでしょう。」

なんとなくではあるが、無宗教の人間にとって、宗教にのめり込んでいる人間は盲目的で人の意見に耳を貸さないイメージがある。それは我々が無意識のうちに信仰というものを洗脳と捉えているからだろう。我々は神のもとに生きる人々に対し、『お前は騙されている』そんなイメージを一方的に押しつけているのではないだろうか、彼女のさっぱりとした受け答えは僕にそんな印象を抱かせた。

「せっかくだしこの際だから訊かせて欲しいんだけどさ、実際に勧誘活動の中で『入信したい』という打診を受けたことがある?こう言っちゃとても失礼だけどさ、君たちの勧誘活動がそんなに実を結んでいるとは思えないんだよ。」

その質問を投げかけると彼女は少し困った顔をして、「えぇっと。まぁそうですねぇ。」と言って暫し黙り込んでしまった。僕はその間、彼女の横顔をじっと眺め続ける。彼女は左手の人差し指を左耳から輪郭に沿わせるようにして撫で下ろし、顎に触れる。

「事実ですよ、それは。本当はこんなこと、言うのはおろか考えることもいけないのかもしれませんが、勧誘活動は自分の為にしているところがあって。でも『入信したい、助けてほしい』と私を訪ねてきた方はいましたよ。」

「差し支えなければ少し聞きたいね、その話。」

「去年の年初めの事です。雪がちらつくほどに寒い日でした。新宿にある公園の入り口で勧誘活動をしていると六十代後半くらいでしょうか、男性のホームレスのご老人が訊いてきたんです。『俺もまだ間に合うのか、永遠の命は俺にもまだ間に合うのか、たくさん悪さしたんだ』って。その方は公園に打ち捨てられていた私たちのパンフレットを拾ったようなんですよ、それでエホバのことを知ったと。だから私が直接勧誘して引き入れた訳でもありませんし、その方が今どうしているかも知りません。でも、とても印象に残っている方で…。」

「それで?」

「私は答えました、『信じる心と悔い改める心次第ですよ』と。その方は高校を卒業した後、すぐにとある印刷会社へ就職しました。がむしゃらに働いたそうです。そうして二十代前半で幼馴染の方と結婚し、数年後には息子さんが産まれました。絵にかいたような幸せな生活ですよね。こういった『普通』の幸せを手に入れるのって案外難しいものですから。それからは、なんとか仕事もこなし普通に生活していたようなんですが、ある時、些細な仕事のミスから人間関係にトラブルを抱えてしまったのです。会社の人たちは彼に強く当たるようになりました。彼は憤りました。確かにミスをしたのは自分だと、ただ、これまでひたすらにこの会社の為に頑張ってきたのだというプライドがあったので、周りの態度が許せなかったんでしょう。」

「素直にミスを認めていれば周りの態度も違ったんだろうけどね。」

「その通りです。要は天狗になっていたところがあったんです。それから彼は転職しました。ただ不器用だった彼は気持ちの切り替えが上手く出来ませんでした。そのせいで新しい会社でもトラブルを起こし、仕事も長く続かくなり、様々な職場を転々とするようになったそうです。ほとんどの会社での退社原因はまたも職場の人との些細な喧嘩でした。もともと人付き合いは苦手だったみたいなんですけどね、一度箍が外れると全てが雪崩を起こすようにして崩れてしまったようです。そしてまた次の会社...また次の会社…そんな具合です。まぁこんな日本社会ですからね、そのうち職歴の問題が出てきたんですよ、短期間で職を何度も変えていたので、だんだんと仕事にありつくことすら困難になりました。そしてそのストレスからか次第に有り金をギャンブルにつぎ込むようになって、気付けばもはや手の付けようが無いほどの借金を抱えてしまったのです。その後奥さんと離婚、子供とは離れ離れ、それからは毎日、日雇いでなけなしのお金を稼いでは変わらずギャンブルに耽り、食べるものに困った時は犯罪にまで手を染めたと言います。ある時は麻薬もやって警察のやっかいにもなったと仰っていました。そして遂には五十代で破産、住処を失ってしまったようです。ホームレスになってから暫くは世間のしがらみから解き放たれた清々しさで心地よい生活をしていたらしいのですが、街で見かける『普通である人々』の風景は彼をどんどん惨めにしてゆくんですね、結局ホームレスになったところで何も捨てきれてなかったんですよ。当然今からでもどうにかできるんじゃないか、そんな考えもふと頭を過ぎったりしたらしいのですが、公衆トイレの鏡で自分の姿を見た時にそんな気持ちは吹き飛んだそうです。かわいそうですよね、過去の行いが全て今の自分の見た目に現れているんです。鏡を見る度、自分の顔を見る度に過去が重くのしかかってくるのです。それから彼は鬱蒼とした日々を孤独の中に過ごしたようですが、そのうちに知り合いもできて少しずつ穏やかな心を回復し始めました。しかしです、あるとき彼は躓いて転んだ際に右足に切り傷を負いました。治療する薬やお金もなかったとのことで長期間放置していたらしいのですが、日に日に足は腫れ、痛みも増し、ついには我慢できない程になりました。それから知り合いからお金を借りてまわってなんとか病院代を工面したのです。なにせホームレスである彼は保険証すら持っていませんからね、診察代は全額負担ですよ。こんな言い方は非常に失礼なのですが、ホームレスの方にとってその金額は馬鹿にならないでしょうし、そんなお金があったらもっと他のことに使いたいと思うはずです。それでも我慢できずに借金までして病院に駆け込んだのですから相当痛かったのでしょう。」

彼女はここで、一息つくようにして黙り込んだ。そしてちらりと僕の目を覗き込んで「あの、飲み物でも買いませんか?」と尋ねてきた。その目は綺麗な二重で、どこか優し気でありながらも鋭い眼光があった。それは言葉を発さずともどこか説得力を持たせる目。僕は吸い寄せられるようにその目をじっと数秒見つめ、無言のままに席を立つ。「何が飲みたい?」「あ、奢ってくれとは言ってないですよ。」僕は彼女の断りを無視して自動販売機で紅茶とココアを買い、少し考えた末、ココアを手渡す。

「彼は足の擦り傷から感染症にかかっていて、重篤な病気を引き起こしていたみたいです。右足は赤黒く腫れ、もはや簡単な治療では到底治らないほどにその怪我は悪化していたのです。彼はお医者様から入院の必要があると告げられたのですが金銭的問題によりそれは無理な相談でした。転んだ際にちゃんと傷を洗って薬局で買えるような普通の傷薬さえ塗っていればすぐ治ったはずの怪我だったのに、取り返しのつかない病気に変わっていたのです。その時に彼は再びこの世界を、そして自分自身を恨んだようです。世のしがらみから離れてホームレスとして生きてゆくことに少しの安堵を覚え始めた矢先、そのせいでただの擦り傷が治ることのない酷い病気を起こしてしまった、一体今はどんな時代だと思っているんだ、風邪で命を落とすようや江戸時代や明治時代じゃないんだぞと。彼はそのあと足を引きずりながら街へと戻る途中、涙が止まらなかったそうです。人目もはばからず、嗚咽を漏らしながら泣いたのです。それほどこの世界の全てが呪わしかったのです。」

9.

自宅へと帰る道中、彼女の言葉が再び頭をよぎる。

「結局さ、君たちが大切にしているのは『今』なの?『死後』なの?」

「人によるんじゃないでしょうかね?私は『死後』と即答できますが。」

人は若さを保有しているとき、それにすがり、それを後ろ盾に生きるとばかり思っていた。なぜなら仕切り直しのチャンスはこれから何度もあるからだ。先の老人のような場合、やり直したいと思った時、それは全て手遅れで、ただ忘れることでしか平穏を手に入れることができない。その時こそ神が必要になるのだろう、その時に初めて神という実存が意味を持ち、すがるべきものとして欲するのだろう。しかし彼女は若くして神のために生きると述べた。いつか来る破滅の先、輝かしき復活の日、そのために今を生きるのだと。別れ際、その理由を彼女はこう述べていた。

「私が若いという事実がさらなる苦痛に繋がっているんです。なぜなら今この状態がこれから五十年、六十年と続いてゆく訳です。言っていませんでしたが、私は、私自身が起こした交通事故で父と妹を亡くしています。当然二人は輸血をすれば助かりました。しかしそれを拒否させたのも私です。もう私は主のために生きるしか術はないのです。」

10.

朝のニュースはイエメン南部で自爆テロがあった事を報じている。十六歳の少年が軍の集会所を狙い、爆弾を抱え込みながら突撃したとの事だ。その少年はソ連製の古いライフルを手に突進する友人の背後に潜み、集会所の中へと飛び込んだ。突撃の最中、友人は反撃に遭い、頭を木っ端微塵に吹き飛ばされ倒れた。彼の血にまみれた脳漿が爆弾を抱えた少年の顔にふりかかる。それは血液で魚介類を煮込んだような匂いだった。少年は彼の亡骸を飛び越え、なおも突進する。背後からは指導者の怒号が飛ぶ。

『恐れるな!祈れ!祈るんだ!』

指導者が爆破スイッチを押す十五秒ほど前、少年は一時の静寂を感じた。彼はその時にふと見た事もない世界中の景色が頭の中を駆け巡るのを感じた。欧米やアジアの先進国で自分と同じような年齢の人々が勉学に励み、平穏に暮らしている姿が浮かぶ。そして驚愕する。

『彼らは神に見捨てられているのか?』

一発の銃弾が彼の母指内転筋を貫き、親指が引きちぎれる。さらにもう一発の銃弾が太腿を抉る。しかし彼は痛みを感じる事はない。全身の血が沸き立つような感覚に陥り、体が宙に浮いているような感覚が走った。激しい怒号、銃声、そして爆音が折重なり、より一層の静寂が身を押しつぶすように迫り来る。

爆破の衝撃はそれほどのものではなかった。ターゲットの殺害すらも叶わなかった。しかし、体に巻きつけた爆弾は少年の胴体を激しく砕き、彼の息の根を止めたのだ。肋骨は砕け背中を突き破り、吹き出した血は爆炎により蒸発する。急激な血圧の低下により少年は意識を失い、引きちぎれた胴体と左腕は泥のような色に変色すると、激しく壁に叩きつけられた。少年は最期に何かを呟いたが、それを聞き取った者はいない。

11.

彼女を見かけたあの場所を通り過ぎる。国道沿いにまっすぐ道なりに歩き続けると、右手に古ぼけた神社が現れた。僕はふと境内に足を踏み入れる。階段を少し登り、本殿の前に来ると、まだ幼稚園児ほどの姉妹とその母親がお参りをしていた。子供たちは母を真似て手を二回叩き手を合わせ拝む。きっと彼女らは神を信じている訳ではないのだろう、小さな子供に至っては言うまでもない。ただ、そこに神がいるのではと期待は持っている。それは無神論者ばかりの日本であっても同じだ。年が明けたり、受験や就職を控えたりすれば誰だってお参りをする、流れ星を見れば願い事を呟く。そうして信じてもいない神にいつだってすがろうとするのだ。『お願い事』はいつも世に溢れている。つまりこれは汎神論だ。我々は無意識のうちにどんなものにだって神が潜んでいるのだと思ってしまっているのだ。だから無神論者ばかりの日本とは言え、宗教を切り離して生活することはできない。やはり世界は神のもとにある。

12.

「なあ、今日の夕方の事なんだけど、電車に乗っているとき、窓の外の景色をぼーっと眺めていたんだ。するとさ、すごく綺麗だったんだよ。夕陽の当たったアパートやビルや家や、店先に止められた自転車や車やそういったものたちが。こうした何気ない風景って人の営みが感じられてとても安心するよな。どんなに街の景色が変わってもこういった安らぎは変わらないんじゃないかと思うんだ。僕は神社やお寺、教会といった神聖なものよりも、こんな日常の風景にこそ神様が与えてくれた『何か』があると感じるね。きっと世界中の人々が欲しているものは安らかな夕方だよ。終わりの気配にこそ安らぎがあるんだよね、『今日』という小さな終わりの安らかな空気。でもさ、あと五十億年もすれば太陽の膨張によってこの地球は焼け焦げてしまう、丸焦げの死んだ星になる、咄嗟にそんな考えが過ったんだ。僅か数秒前まで美しい景色に心酔していたというのに、不思議だよなぁ?でもこれは重大な事実さ。太陽が失われれば、美しい夕方も永遠に失われてしまうんだ。それだけじゃない、富士山もエベレストも太平洋も大西洋も、遊園地も水族館も動物園も公園も君の日記も、なにもかもが失われてしまう。要は物理的に永遠に残るものなどないんだよ。季節も昼も夜も朝も、そういったものさえ失われてしまう。それって変な話だと思わない?地球の死っていうのは人間が死んで生まれ変わるとか輪廻転生するだとか、そんなものよりも、もっと確信的で変わり様のない事実じゃないか。それなのに僕らは死後のことを必死に知りたがって、必死に情報を集めている。そしてまだまだ生物として進化しようとしている。地球が無くなるっていうのにね。不老不死なんてとんだ幻想さ。そもそも神の力は地球だけに及ぶのか、宇宙にまで及ぶのか、それはわからない。もしかすると地球を抜け出して生きる術があるかもしれない。宇宙船の中に神殿が作られるのかな?まぁ、そんなことはどうでもいいや。とりあえずはさ、変わらない事実だけを認めてこれまでのこと、これからのことを考えてゆこうじゃないか。なにも感じずに生きてゆきたくはないだろう?」

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