オブラートに包んだテントウムシ

理佐ちゃん

第1話

 カサカサに乾燥した下唇に舌を這わせながら、僕は吐息を漏らした。赤と黒のエキスを握りしめた「彼女」に恍惚の笑みを浮かべながら。


いただきます…。


 もう少しで寒が明けるとお天気お姉さんは言っていたが、まだまだ大寒だと思う。まあ、外の天気がどうだろうと関係ないんだけどね。でも温度差のせいで窓の結露は酷くなるばかりで、いい加減拭くのにも飽きてきた。絵を描いた所で数分で曇って消えちゃうし、そもそも「彼女」がパリパリに凍っちゃわないか心配だ……。早く春になって欲しいところだ。

夏だと溶けてしまいそうで怖いし、もうずっと春か秋のままだったらいいのに。あ! そしたら夏休みがないか。

……でも、学校行っても居ないようなもんだし、今更変わんないや……。周りがどう思おうが、いくら騒ぎ立てようが、今の僕には関係ないことだからね、オブラート……。


 オブラートは僕にとって天使だ。いや、女神と言ってもいい。すべての存在の上を行く絶対的な存在、それが「彼女」だ。恋は盲目というが、正しくその通りだと思う。ここまで核心をつく格言はそうそうない。

周りの知り合いは冷たい視線や冷ややかな言葉で罵倒してくる上に、僕の愛は本物ではなくただの異常性癖・食物性愛だ、なんて狂言を吐く。だけど、オブラートがそばにいる限り、僕は何にだって耐えられる自信があるんだ。本当に……、僕の周りは有象無象の集まりだ……。真実の愛を把握できてるのは僕だけみたい……。


悍ましい。吐き気がする。涎が止まらない…。

欲情と嫌悪感が頭の中で渦を巻いて回ってる。

グールグールグールグール

テーブルの上にぞんざいに置かれてた三日前の食べかけのカップ麺に新しく開けた割り箸を挿し、ただ只管かき混ぜた。

グールグールグールグール

徐々にカップ麺の汁と自分が同調していくのを感じた。

担々麺の豆板醤が箸に染み込んでいくように、欲情が僕の意識を蝕んでいく。

オブラート……、その透明で美しく、触ると溶けてしまいそうな肌に惹かれてしまう僕は罪なのだろうか……。いけないとわかってるのに、この衝動に抗えない……。


心臓がバカみたいにうるさい。耳鳴りも止まないし、ああもう何も考えられない。気が狂いそうだ。胸の奥に押し込めた気持ちが津波のように僕を襲い、五感を奪い去っていった。いや、まだ視覚は働いてる……。だって目の前にオブラートが見えるから。

手を伸ばせば届く距離。

ちょっとぐらいなら……。

ピトッ


カサカサ、と「彼女」は身震いした。

「彼女」を愛撫するたび、透き通るような皮膚に自分の指紋を付ける錯覚にとらわれ

興奮した。まるで男を知らない処女を自らの手で汚していくような捻くれた快感……。

だがそれと同時に「彼女」の存在は僕の不純な心を清めていった。パラドックスに囚われる。


ふとしてある考えに及んだ。「彼女」を味わってみたい……。

口に入れ、隅から隅までオブラート舐め回し、溺れるほどの唾液を浴びせた後、飲み込み、消化し、体の一部として取り込みたい。


オブラートと一体化……。


澱粉シートを「彼女」に見立てて摂取する人々がいるらしいが、高貴な「彼女」にそんな下衆な欲望を向けるなんてに決して許せない愚行だ。

僕はオブラートを愛してるから、僕だけが「彼女」に触ることを許されたから、だから、……僕ならいいよね?


頭の中でシミューレートすることに耽溺するあまり、鏡に写った熱気で上気した顔に長らく気づかなかった。まるで茹で蛸のようで少し笑えた。

倒れたら困るし、ちょっと窓でも開けて涼もうかな……。


丑三つ時なだけあって、外の空気は針のように肌に刺さってくる。

ふぅ……、落ち着いたし、もう窓しめてもいいか。

ちょうど窓枠に手をかけたタイミングで、部屋の中にテントウムシが飛び込んできた。

左指に止まったテントウムシは、背中の斑点から見るにナナホシテントウのようだった。

外に戻してやろうと思い、テントウムシを右手で摘んだら、黄色の液体が人差し指についた。僕は興味本意で鼻を近づけた。


予想外の事態。まさかあんなにいい匂いがするとは。思わず舐めてしまった程に。

あんな少量でこんなに心地いい香りなら、テントウムシの体に詰まってるエキスをすべて嗅ぎ尽くせばきっと!

あぁ、想像するだけで気が高揚してしまう……。


ナナホシテントウは僕を誘惑するかのようにオブラートに向かって飛び立った。着地するや否や、僕を虜にするあの体液を放出した。「彼女」を汚す行為は決して許せないのだが、あの匂いのことを考えると、自然と怒りは治まった。

しかし、見れば見るほど美しい。輝く光沢とその上に佇む赤と黒の斑点が僕をそそり立てる。テントウムシだと侮っていたが奴は女狐だ。僕が「彼女」とテントウムシの魅惑に勝てるはずがない……!まるで食べて欲しいかのように、僕を誘っている。


気づいたら体は勝手に動いていた。

テントウムシはオブラートに包まれていて、両手で大切に大切に握りしめられていた。

光をうけた膜の中からうっすらと見える赤い斑点は「我慢しなくていいよ」、と僕に語りかけてきた。


もうやることは決まっていた。


カリッ


終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オブラートに包んだテントウムシ 理佐ちゃん @Risa-chan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る