第5話 天使


 珠から放たれた光により、優樹の視界は真っ白に染まる。

 何も感じない不思議な空間に身を置かれ戸惑う優樹であったが、転送は数秒で終わり、図書館前とは別の風景が目の前に現れる。


「ここが岬です。どうですか?」


「わぁ……これはすごい」


 優樹が生まれて初めて見る光景……それは、とてつもない高度から見た広大な海であった。遠方の水平線に沈もうとする煌々とした夕陽に、朱く照らされた大洋……

 あまりの美しさに優樹は圧倒され心を奪われる。


「私が一番好きな景色です。落ち込むことがあると、よくここに来て心を潤わせています」


「うん……ありがとう、小泉さん。こんな素敵な風景を見せてくれて……おかげですごく元気になったよ」


 しばらくの間、二人はその絶景を堪能する。

 心地よい一時の中、遥が無表情で優樹に話しかける。


「あの……ところで、もう手を離してもらっても大丈夫ですか?」


「え? あっ!? ご、ゴメン景色に見とれてて……」


 慌てて遥の手を離す優樹。

 夕焼けと同様、顔が真っ赤になっている。


「いえいえ、お気になさらずに」


「あはは……そ、そういえば陽介さんからセラさんのお迎えを頼まれたけど、どこに行けばいいのかな?」


「この辺りで待っていれば、そのうちくると思いますけど」


 そう言われ、優樹は辺りを見回す。

 岬周辺には建造物は一切なく、地面にあるのは草原と転送機と補整された道……そしてやんわりと光っている街灯だけである。

 セラがどこへ出かけたのか教えてもらっていない優樹は、外出先が見当たらない状況に少し困惑する。


「んーっと……セラさんって確かお仕事で出かけたんだっけ。どこに行ったのかな?」


「セラさんは今、あなたの身体の様態を調べに現世へ行っています」


 優樹の目が点になる。

 あなたの身体を調べに現世に……?

 遥にとっては何気ないことなのかもしれないが、優樹からしてみれば衝撃的な事象であった。


「僕の身体を調べに……ってセラさん、現世に行くことができるの!?」


「はい。そういえば司書としか紹介されていませんでしたね。何せセラさんは……あっ」


 一枚の羽が二人の前にひらひらと舞い落ちてくる。

 遥が空を見上げてるのを見て、つられて優樹も同じ行動に出る。

 すると岬からの景色と同じような、にわかには信じがたい光景を目にし優樹は絶句する。


「お~い二人とも~!」


 視線の先である空中にて……白い翼を羽ばたかせたセラが、二人の方に向かってにこやかに手を振っていた。図書館にいた時はジャージにエプロンというかなりラフな格好であったが、今は純白のドレスを身にまとっている。

 呆気にとられる優樹を尻目に、遥はセラについて簡潔に語りだす。


「言い忘れていましたが、セラさんはかなり位の高い天使なんです。私たち人間にはできませんけど、天使の特権でセラさんは現世に赴くことが可能なんです」


「そ、そっかー……セラさんって天使なんだー……」


 これまでに比べると、優樹のリアクションは少々薄い。

 その原因は天国に来てからというもの、驚くことが多すぎて物事の衝撃に対する耐性値が上昇しているからであった。

 セラは遥と優樹のもとへ優雅に舞い降りる。


「おかえりなさいセラさん。色々あって二人で散歩をすることになって、その途中でセラさんのお迎えに行こうということになりました」


「フフッ、ただいま遥ちゃん、優樹くん。迎えに来てくれてうれしいけど、お邪魔だったかしら?」


 セラは悪戯な笑みを浮かべ二人に話しかける。

 何が邪魔なのかわからない遥はキョトンとしていたが、面を食らった優樹は慌てて否定する。


「いえいえ、決してそのようなことは……それにしても知りませんでしたよ、セラさんが天使だったなんて」


「あら、言ってなかったかしら? フフッ、まぁ私が天使だなんて些細なことだから、気にしないでね」


 セラは朗らかに笑いながら優樹の肩をポンポンと叩く。

 気にしないでと言われても、セラからは天使特有の神々しいオーラが放たれており、その美貌と相まって優樹は圧倒されまくっていた。

 それと空を飛べるのであれば迎えに行く必要などなかったのでは……と優樹は思ったが、発言する前にセラが無邪気な笑顔で吉報を知らせる。


「そんなことより聞いて優樹くん! さっき優樹くんの身体を調べに現世の病院へ飛んで行ったんだけど、手術は無事成功していたわ!」


「えっ!? ほ、ホントですか!?」


「うん! 意識を取り戻すまで最低でも一週間はかかると思うけど、命に別状はないから安心してね♪」


「はぁ……よかった……」


ホッと一息を入れ、肩をなでおろす優樹。

そしてすぐに自分にとって最も大切な人物が脳裏をよぎる。


「あっ、病院にうちの母いましたか? セミロングの茶髪で僕の顔に似た人なんですけど……」


「ええ。会話はしていないけど、眠っている優樹くんの前にご婦人が……とても安心した表情で、優樹くんの手を握っていらしたわ」


 セラは安らぎに満ちた笑みで優樹の問に答える。

 より優樹を安心させるため、彼女が涙で目を赤くさせていたことは伏せておいた。


 ちなみに天使は様々な能力を持っている。

 セラがよく使っているのは『飛行する能力』と『現世と天国を行き来できる能力』そして『自分の姿を消す能力』である。

 天使は現世に渡ることが可能であるが、世界中が大混乱に陥るため基本的に人前に姿を現すことはない。

 セラは姿を消して飛行し、病院の外から優樹と母親の姿を確認していた。


「セラさん……朗報を本当にありがとうございます。あっ、でもどうしよう……最低でも一週間は天国にいるってことに……」


 優樹はポケットに手を突っ込むが、財布も携帯電話もない。そして下をうつむいて考え込む。

 自分はまだ天国のことをあまり知らない……未知の世界でお金も住む場所もないこの状況……果たして無事に一週間も過ごせるのか……と。

 そんな優樹の思いを察して、遥が一つの提案をする。


「よかったら家に来ますか? 陽介と相部屋になりますけど」


「えっ!? で、でもそこまでしてもらうのは……」


 遠慮がちな対応をする優樹に、遥とセラは構わず追撃をかける。


「困ったときはお互い様です。これも何かの縁だと思いますので」


「そうよ優樹くん、私もよく泊めてもらってるし。あと一週間も野宿してたら魂が疲弊して現世の身体にも悪影響がでちゃうわよ」


 【私もよく泊めてもらってる】というのは援護射撃になっていなかったが、【天国で健やかに過ごさないと肉体に悪影響がでる】ということは優樹的に見過ごせなかった。


「そ……それでは不束者ですが、一週間よろしくお願いします」


「はい、こちらこそよろしくお願いします。てか不束者って何ですか。嫁ぎにくるわけでもないでしょうに」


 遥の無機質なツッコミに優樹とセラは思わず笑ってしまう。

 家主である陽介の許可は取っていないが、言わずとも歓迎してくれると遥とセラは知っているので何の問題もなかった。

 夕陽を背に三人は図書館の方へ向かって歩き出した。







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天国図書館 ぽん @hatsuyuki

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