第17話 予感

 編集室に戻ると、有無を言わせず会議室に詰め込まれた。

 『蒼勢』を担当する記者たちがずらりと並ぶ前で、まずは編集長が全員に箝口令を言い渡すことから、その会議は始まった。

 皆の前には、昨夜作った篠田教授の証言をもとに書き上げた記事の下書き、それから紗羽がまとめてある医療事故訴訟の経緯と過去の記事、今月に入ってから起きた臓器強奪事件を報じたうちの記事、それから近々で起きたジャック障害での被害者の推移など、いつもの会議とは桁違いに嵩のある資料が配られてある。

 それらの情報を共有してもらいながら、俺は警察から得た新情報の詳細について説明と、警察の捜査の方針と動きなどを報告する。

 俺の報告をもとに副編集長がボードに新情報を書き込んでいる。だいたい出揃ったところで、編集長が口を開いた。

「警察ではこれに加えて、片桐くんと眞木が向かった河口湖での三浦陽の件、それから指定暴力団三衆会が行っていた臓器売買にまでも教授がからんでいると証拠をつかみ、関連事件として同時に捜査している」

「……前代未聞だな、これが事実だとしたら」

「しかしこれだけの情報じゃ、黒幕は誰だかさっぱりわからんな」

 記者たちも悩むところだ。

「しっかりと証拠が出ているところは、記事にしてもいいそうだ。うちが篠田教授から聞き出した証言、眞木が提出した篠田教授と九条が接触していた事実を警察が確認していること、それから三浦陽の事件、あとはそうだ……片桐くん、影山夫妻の件はどうだった?」

「はい、遺骨を墓から一時的に戻したと夫妻から連絡があり、つでも科学的に検証する用意があるそうです。ただこうなった以上、私たちが触らない方がいいと思い、夫妻にも待つようお願いしておきました。こちらに戻ってきてから夫妻から電話があり、早速警察が鑑識をつれて来て、一部証拠として該当する箇所の骨組織を採取していったそうです」

「……早いな、警視庁も本気で腰をあげたか」

 唸るように言った編集長に、記者たちから声が上がる。

「主軸をどこに置くかで、記事の印象が変わると思うんですが。今はとにかく大衆の関心事はあくまでも『ジャック』です、どうしますか」

「ああ、もちろん。ジャック障害の被害状況を主軸に、開発にかかわった者からの経緯についての証言として篠田教授の嘘を暴くことから入りたいと思っている」

「編集長、三衆会はどうします? 下手にあいまいなままに踏み込むのは、相当危険が伴うかと」

「いや、三衆会はさすがにヤバイですよ」

「じゃあ最初から配慮してしまうんですか、読者は納得しますかそれで」

 経験の長い記者ほど、三衆会の名前に渋い顔を向けるものが多い。この業界にいれば、その手の相手に出くわすことは多いのだと聞く。元々マスコミは広告商売だ、金を出す人間に甘い。過去に相当痛い目を見た者が多く、そういうのを嫌って立ち上げたのがこの『蒼勢』でもある。そこである意味守られ、自由に育てられている若手は、俺も含めてそこまで躊躇をしない。そういう観点から、対立が生まれそうになっていた。

 だが編集長がにやりと笑ってその間を割ってくる。

「三衆会については、まだ名前だけでいいだろう。あいつらが相当ひどいことをしているというのは、知らないマスコミ関係者はほとんどいない。まあバカがいたところでそんな奴はもぐりだ、放っておけばいい。名前を出せばこれがどれほどヤバイのか、分かるだろう。それでビビって他のやつらが手をつけないなら、都合がいいじゃねーか」

「おいおい、はなから捨て身かよ」

 副編集長が、乾いた笑いを浮かべながらそう呟いた。

 どうやら編集長は、無謀さでは、俺たちの比じゃなかった。手心を加える気ははなから無さそうだ。

「まあ迫さんがそう言うなら、しょうがない、やるか」

 それが結局のところ、みなの総意となった。結局、ジャックとは別枠と見せかけて、続きページで医療訴訟問題をしっかりと取り上げ、過去に篠田教授と柳沢が暴力団とかかわりがあったことを、クローズアップしようということで落ち着いた。そうと決まれば、発売日はすぐ迫っている。各自とりかかるため、会議は終了となった。

 さっさとデスクに戻ると思ったベテラン記者たちが、楽しそうな顔で俺によってきて、次々と頭やら背中やらとはたいてゆく。慰めなのか、同情なのか口をそろえて「命狙われてるんだってな」「一人前になったなおまえも」などとふざけながら。

「ったく、痛いっての」

 乱れた服を直しながら呟けば、様子を見ていた紗羽が、苦笑いを浮かべながら声をかけてきた。

「大変だったわね、お疲れさま眞木くん」

「紗羽さんこそ、お疲れです。影山夫妻の様子はどうでしたか?」

「ええ、気丈にしてらっしゃったけれど、柳沢の死を事件の終わりとするのはどうにも整理がつかないと言っていたわ」

「そうですか、それなら警察が再び動いたことで、安堵したんじゃないですか?」

「そうね、そう願うわ」

「ところで、勝手に紗羽さんの努力の結晶を警察に渡すことになり、すみませんでした」

 改めて謝罪すると、彼女は慌てたように「やめて、謝らないで」としきりに繰り返す。

「いいの、私の調べてきたことが役に立てば、追ってきたかいがあるわ。それに記事にできなくなったわけでもないのだし」

「でも直接了承を得る時間がなかったことに、申し訳ないです」

「まあ、そんなこと。私たちはもう仲間でしょう? 同じ事件を追って、まだ日は浅いけれど時間に変えられないほどに濃い経験をしてきたわよね、眞木くんがそうすべきだと思ったのなら、それは私の意見なのよ」

「……ありがとうございます」

 こんなすごい記者に、認められるのは誇らしい。純粋に嬉しくて、正直照れてしまい、そう言うのがやっとだった。

「あ、そうだ眞木くん、遅くなったけど家にいったん戻るんじゃなかった?」

「あ……」

 自分の成りを見下ろし、昨日からろくに着替えもしていないことに気づく。編集長からの指示で、今日もここに泊まり込みだったのだ。

「ようやく落ち着いたから、行ってきたらどうかしら」

「そうします」

 そのことを編集長に告げると、待てがかかる。なんだと思っていると、もうすぐ日が傾くから、一人で外出は避けろとのお達しだった。そうは言っても、回りは変更につぐ変更への対応で、手が空いている者は一人もいない。

「茂、ついてってやれ」

「え、茂さんすか?」

「なんだ、俺じゃ不満か?」

「そういうわけじゃないです、でも手が空いてないんじゃ」

「いいんだ、さっさと行って帰ってこい。その間に頼みたいことがあるんだ、片桐くんいいか?」

「あ、はい」

 横から編集長が有無を言わさず決めてしまった。

「そういうことだ、いくぞ」

 促されてタクシーを拾い自宅へ向かう。車中でタブレットPCを広げた茂さんを見て、本当にこの人を同伴して大丈夫なのだろうかと心配になる。だがそんな俺に気づいたのか、茂さんはタイピングしながら言う。

「調べものをしてるんだよ、ちょっと必要にかられてな。そうでなくとも俺は仕事が早いからな、おまえに心配してもらわなくても結構だ」

「なに調べてるんです?」

「んー、童話か子供の好みそうなもので「とわちゃん」ていう名前がないかと」

「とわちゃん? なんすかそれ」

「ああ、今日会った影山夫妻がな、ちょっと気になることを言ってたんだ。亜弥さんが昏睡状態になろうかとしている時に、しきりに口にしてたんだそうだ。とわちゃんとあそぶとか、とわちゃんが呼んでるとか、うわごとにしちゃ名前ははっきり言っていたんで、覚えているらしい。で、それが結局のところ最後の娘の言葉になったらしいんだが」

「それで、調べてたんですか」

「まあダメもとでな。当時は中学生になったばかりだったそうで、流行りの歌手かなとか思ったんだがどうもヒットしない。それで童話まで広げてみたんだが、今度は数がありすぎてダメだ」

「でも、なんで今さらそんなことが気になりはじめたんでしょうね」

「そりゃ、亡くなったからだろう。おまえも娘ができりゃわかる。少しでも希望があるうちは最後の言葉なんて気にしないが、いざ亡くなってしまえば些細な言葉ひとつにも、後悔が残るものだ」

「……紗羽さんはそのことについて、なにか意見はなかったんですか?」

「え? ああ、そういえば」

 顔をあげて少し考え込む茂さん。

「思い当たることはないと言っていたが、それだけだな。あまり興味がないようだった」

「へえ、そうなんですか。変わった響きの名前ではありますが、病室で知り合った子とかじゃないんですかね」

「それだったら、両親に覚えがあるはずなんじゃないのか?」

 ちょうど自宅前についたので、金を払って降りる。安アパートの階段を登り、久しぶりに鍵を差し込む。むっとした空気に、窓を開け放ってから茂さんを中へ入れた。

「汚いなあ、独り暮らしの男の部屋なんて、ろくなもんじゃないな」

 放り出した本や雑誌をまたいで、座卓の横にあぐらをかく茂さん。

「自分だって掃除なんてしないくせに、嫁さんもらってるだけで偉そうっすね」

「悔しかったらおまえも結婚しろ」

「一人でできるならしてますって」

 そう言い合いながら、下着やら服やら必要なものを出して大きめのボストンバッグに詰め込む。

「待っててやるから、ついでにシャワーもあびてこいや。ただでさえ彼女居ないのに

臭い男は嫌われるぞ」

「一言余計だっつうの」

 文句はいいつつも、茂さんの言葉に甘えてシャワーを浴びる。暑くなってきたこの季節、さすがに風呂なし仮眠室は辛い。

 さっぱりして部屋に戻ると、茂さんは部屋に飾ってあった写真立てを持ち出してきて眺めていた。

「おまえでもこういうことすんだな」

「恩田が写真入りで強引に置いてったんですよ、そうじゃなきゃわざわざ作らない」

「女の子は違うねえ」

 茂さんが持っている写真たてには、うっすらと埃がついている。一年ほど前に恩田が持参してきて、置いていったそれには、俺と恭一郎に挟まれて、満面の笑みの恩田が写っている。人にあげるんなら自分が真ん中の写真を選ぶなよと、突っ込んだ記憶がある。

「かわいいじゃないの」

「中身は変人ですけどね、まあ外見は」

「ちげーよ、こういうことするところが、かわいいって言ってるんだって。本当におまえ、鈍いのな。娘がおまえのようなの連れてきたら、絶対追い返すわ」

「はいはい、連れてきたんですか?」

「は? なんだって?」

「いや、娘さん、そろそろ彼氏とか」

「さっぱり聞こえねえなあ!」

 ああ、これは娘さん大変だ。そう思いながら俺は笑いを噛み殺し、荷造りを再開する。

 大した服があるわけでもなし、とりあえず詰め込むだけ詰め込んでから、PCを立ち上げる。恭一郎の残したメモリーカードの中身を取り出したときに、HDDに保存したままだ。それをCD-ROMに書き込んでから、元のデータを消去する。

 しかしクリックする前に、茂さんによって止められた。

「それは一応、残しておいた方がいい」

「……いや、これのせいで襲われても、困るんで」

「なに言ってんだ、相手がPCのぞいてから襲う襲わないを決めるわけじゃないんだから、無駄無駄。だからオヤジはおまえを会社に留めておくんだから」

「もしかして、俺は囮すか」

「そういうわけじゃないが、文句は九条にでも言ってくれや」

 それもそうだと俺は肩をすくめるしかなかった。とりあえずデータのコピーは済んだので、部屋を締め切って再び社に戻る。

 再びタクシーに乗ったところで、茂さんから妙なことを言われた。

「そうだおまえ、片桐くんともあんまり二人きりにはなるなよ」

「なんでですか?」

 恩田に言われたことが咄嗟に不快感とともに思い出され、つい強く聞き返したてしまった。それを茂さんは誤解したようだった。

「べつにおまえが彼女を人気のないところに連れてって襲うって思ってんじゃないって。彼女はしっかりしているが女性だ、万が一おまえが襲われたら、女性ではどうにも助けにならないし、かえって彼女に危険が及ぶ。そのへんはしばらく考慮して動けよ」

「……そうですね、わかりました」

 恩田とは違う忠告だったことがわかり、自分がいかに神経質になっていたか恥じる。

「もしかして下心あったか?」

 小さい声でわざわざ聞いてくるあたり、人が悪い。熊のくせに。

「あるわけないじゃないですか」

「いやー、おまえも男だったか」

「だから違います」

 このやり取りのどこにつぼがあったのかは解らないが、腹をかかえて笑い出す茂さん。

 もう好きにしてくれと放置していると、ふいに笑い声がやみ、聞いてくる。

「じゃあ、どういうつもりで怒ったんだよ」

「怒っては……」

 ないと言おうとしたが、否定はできなかった。

 茂さんには、簡単に恩田との最後のやり取りを話した。警戒してくれるのは分かるが、紗羽までその対象にするのは、俺としては考えられないと。

「なるほどなあ、まあ俺たちはそれでいいんじゃないの?」

「俺たち……」

「そ、俺たちは記者だから思ったとおりに動く、それは誰にも止められない。友達はそれを理解した上で、あえて警官の立場で、注意を促す役目を請け負ってくれたんだろう。おまえも相手の立場くらい、察してやれ」

「……わかってます」

 茂さんの言葉に、俺は反論ひとつできなかった。

 気安いからと、俺は少し恩田に甘えていたのかもしれない。次に会ったときには、悪かったと謝ろう。

 茂さんに感謝しつつ、そう心に誓った。

 だがそれから何度か黒崎からの電話連絡はあったものの、恩田には会う機会が訪れなかった。その間に『蒼勢』の記事を仕上げねばならず、相変わらずの缶詰の一日を過ごした。そしてようやく入校間近となり、ほっとしたのはさらに丸一日後だった。

 締め切りを明日に控え、編集室には屍のように仮眠をとる人間が、転がっている。こういうのが普通なのか分からないが、うちの編集室では締め切り前ではよくある日常風景だ。ただしいつもよりあきらかに人数が多いのは、気のせいではない。

 そんな早朝時間にもかかわらず電話が鳴り、一番頭がはっきりしている俺がそれに出た。

「はい、藤文舎です」

『藤文舎さんですか? こちら杉並消防局です、そちらにお勤めの多田茂之さんを、救急搬送したのですが、ご家族の連絡先を教えていただきたいのですが』

「茂さんが? どうして、事故かなにかに?」

『公園で倒れていたところを、通りかかりの通行人が通報し、いまはまだ病院に向かっているところです。あの、ご家族の連絡先を』

「あ、はい、すぐに」

 慌てて手帳を取り出し、茂さんの自宅と奥さんの携帯を教える。

 詳細は家族でないので伝えられないと言われ、ご協力感謝しますとだけ告げて電話は切られた。

 いったい茂さんになにが起きたのだというのだ。

 考えていてもどうしようもない、とりあえず急いで側に転がっていた同僚をたたき起こし詳細を伝えた。そして編集長に伝えるべく、仮眠室に飛び込んだのだった。


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ブレイン ジャック 宝泉 壱果 @iohara

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