第16話 疑惑と不協和音
恭一郎が恩師であろう男の疑惑を示す証拠を残したことに、俺は少なからずショックを受けていた。篠田教授が俺たちに嘘をついたこと以上に、なによりこういう形で俺に渡した恭一郎の気持ちを考えると、いたたまれない。ずっと篠田教授を慕っていたはずだ、悩み抜いたに違いない。考えに考え抜いた挙げ句、これを準備して俺に託し、死を選んだとしたのなら……
だからこその疑問に、恩田の答えは簡潔だった。
「マキちゃん先輩、私は全部繋がってるんだと思っているんです」
「……全部? ジャックと恭一郎、柳沢や篠田教授と、それから九条?」
「まだ足りません、旺華大学とタキ製薬、それから片桐さんのお父さん、片桐教授もです」
俺は最後の名前に驚き、まじまじと恩田を見る。恩田は普段ふざけてはいるが、頭がいい。状況を分かって計算しているのを知っている。ならば本気で言っているのだ。
一方恩田も俺の反応を見て、すぐに察したのだ。
「やっぱり、マキちゃん先輩も片桐教授の存在を、知ったんですね。篠田教授からですか?」
「ああ、昨夜。ラディアス・ジャパンで日本向けの開発されたときに、片桐教授の理論が一部応用されていると……」
「それをお嬢さんの片桐紗羽さんからは、聞いてなかったんですか?」
「ああ、本人も知らなかったようだった。篠田教授は紗羽さんの存在を知っていたようだが、対面は初めてだったみたいだ」
「それは本人たちがそう言っていたんですか?」
恩田は意外だと言わんばかりの表情で、黒崎の方をうかがう。
「ああ、それがどうかしたのか?」
「いえ、なんでもないです。ところで片桐教授の論文の……研究内容は聞きましたか?」
「いや、詳しいことはなにも。なにか問題があるのか?」
「……それを今調査中なので、聞いていたら助かるなーなんて。片桐教授の論文は日本語のものはほとんどなくて、英語で発表されたデータしか残っていないんです。それに加えて学術論文は読み解くのに大変なんで、今オットーに頼んで調べてもらってるんですよね」
「オットー? おまえの兄貴、こっちに帰ってきてるのか?」
オットーというのは
「不吉なこと言わないでください、先輩。もちろん向こうで調べてもらうに決まってるじゃないですか」
恩田は自信の体を抱え、心底嫌そうな顔をする。妹を溺愛しているが、あまり性格が良くないせいで当の妹にはうまく伝わらず、毛嫌されている。
「今のところ、ざっと集めたものの傾向は教えてもらってますが、片桐教授って相当ヤバイ人物みたいです。研究内容も今なら人道的にどうかという実験もしていたようです。詳細は教えられませんが」
「人道的に? 人体実験でもしてたような言いぐさだな」
冗談だろうと軽口を言えば、恩田はぴくりとも笑わない。それは黒崎はもちろん、村越課長もこちらを見たまま、黙っている。
「まさか……本当、なのか?」
あの紗羽の父親が? 穏やかな紗羽の笑みを思い浮かべて、どうにも結び付かない。
「紗羽さんには、年の離れた妹さんがいたそうです。その妹さんが、どうも研究対象だったようです」
「娘を? どういう研究なんだ、それ?」
「詳しくは言えません。ただ……」
言いにくそうに言葉を切る恩田。「言えよ」と促せば、あとを引き継いだのは黒崎だった。
「十五年前、片桐夫妻が事故死した前後に、行方不明になっている。当時まだ九歳、失踪届けは出されているが、唯一の親族である紗羽から、その後失踪宣告を認定するための手続きは取られていない、おかしいと思わないか?」
「行方不明でも、死んだとは思いたくなかったとか」
「妹の
「そんなことが……でも彼女の妹と今回の件、どう繋がりが……」
「知りたきゃ、おまえも協力しろ」
口を出しそうになった恩田を押さえ、黒崎が交渉をもちかけてきた。
「柳沢の起こした医療事故については、おまえたちの方に分がある。取材で知った内容を素直に共有するなら、捜査で知り得た逢坂恭一郎の動向を教えてやる」
自分の一存で決められることではない、悩んでいると黒崎が焦れたように言った。
「煮えきらないな。恩田が言った通り、すべてのこと、人物が絡み合っている。それはもちろん逢坂恭一郎も同じ。そう言い替えれば分かるだろ」
恩田を見れば、ゆっくりと頷く。
「わかった、だが俺の一存では決められない。編集長に了承を得たい」
「いいだろう、許可する。その代わり、今はまだ電話で情報を詳しく伝えないように。事実が判明するごとに二転三転している段階だ」
「わかった」
俺は促され、スマホを取り出して編集長に電話をかけた。
編集長には、警察で得た情報では三衆会と篠田教授は繋がりがあり、昨夜は嘘をついていること、その他警察が調べた情報を共有できる代わりに、紗羽と取材で得た情報を流すよう交渉されていることを伝える。
『おれたちは、すっかり騙されてたってわけだな。真性の狸爺だったか……くそっ』
もうすぐラニアスの記者会見も始まる。編集室内のピリピリとした雰囲気が、その言葉の端々に加味されているのだろう。
『じゃあ原稿は書き直しだな、だが時間もないから、ただし証言部分はしっかり載せてやるよ、嘘の証拠として。まあそれはいい、それで警察との連携だが……』
大きくため息をつくと、紗羽にもいちおう彼女にも了承を得るというので、しばらく返事を待つ。
だがそう時間もたたずに、電話に出た編集長によると、紗羽は予定を変更して、入れ違いで茂さんとともに、取材に出掛けたというのだ。相手は影山夫妻だという。なんでも、亡くなった亜弥さんの遺骨を調べた結果を、報告があるとのことだった。柳沢が亡くなった亜弥さんに、秘密でマイクロチップを入れたと証言したまま、亡くなってしまったために宙ぶらりんになっていた事案だ。
今から思えば、柳沢はジャックのことをよく知っていたのだ。もしかしたら、亜弥さんが植物状態になった原因も、今回のジャック障害と関連があったのかもしれない。だがもちろん、それらを調べるには俺たち記者だけでは手に負えない。
恭一郎だけじゃない、大勢の人たちが犠牲になっているのだ。
「編集長、俺からもお願いします。柳沢はジャックの試験を、東宮でも続けようとしたのかもしれない。警察抜きでは真実にたどり着けません」
『わかった、片桐くんには俺から話しておく。社長への説明も、責任も、すべて俺がとる。洗いざらい話して向こうの情報も搾り取って来い!』
「はい、ありがとうございます」
『あくまでも仕事だ、しっかりやれ』
尻を蹴飛ばされたかのような指示に、俺は腹をくくった。
──たった今、ラニアス・ジャパンの会見に先だって、資料が配布されました。この配布資料によりますと、日本版『ジャック』発売に先立ち、開発に協力した学者、医療関係、行政などの名前がずらっと一覧になっておりまして──
テレビ代わりのタブレットで、ラニアスの記者会見を警察署で見るはめになっていた。
レポーターから配布資料についての内容説明によると、やはり昨日流れた情報通りの面子が、名を列ねていたようだ。そこから映像は会場内に移り、ずらりと二列にも並んだ関係者が、激しいフラッシュのさなか、雁首揃えて頭を下げたところだ。
「こういう謝罪文化って、いつになっても変わらないよね」
のんきに村越が笑う。
昼になって記者会見が始まるので、話し合いは一旦中断することにした。
会見はラニアス社長が中心となって、被害状況を述べ、迷惑をかけているが今は全力で原因究明に努めていると現状を説明する。どうやら全面通信機能を停止してはいるが、通常の電話機能までは止められないので、装着ではなくPC端末に繋いでのデータやり取りは可能であることを告げ、記者たちからは危機感が薄いんじゃないかと攻められている。
それからラニアスのエンジニアから、VR通信の仕組みを説明され、前回と同じように不具合の原因が製品にはないことを告げる。それで納得させられないのは、さすがに分かっているのか、後ろにずらりと控えた専門家たちに話をさせることにしたようだ。
その専門家のなかに篠田教授は入っていたが、主にマイクを握ってしどろもどろに話をしているのは、別の大学の助教授と名乗る若い男だった。どうやら旺華では恭一郎のデータを取り出すことができず、具体的な資料を出すことができなかったか、はたまたわざとなのか、矢継ぎ早に繰り出される質問に右往左往する人間の後ろに隠れている。
その様子をなんとも言えない気持ちで見守っていると、黒崎のジャケットの内ポケットが鳴る。部屋の隅に移動して電話に出ていたが、二言三言で電話を切り、俺たちに聞こえるようはっきりと言った。
「令状が出た。予定通り、各所で家宅捜索がはじまった」
「家宅捜索?」
「ああ、この学者さんたちの大学や病院を一斉にな」
机にもたれかかりながら、足を組む黒崎は非常に嬉しそうだ。
「見てろ、今に会場のあいつらが慌てふためく」
「容疑は?」
「今のところ出たのはジャック障害じゃなく、三衆会絡みの臓器強奪事件での関与の疑いだ」
「……臓器強奪、って」
どうしてそこに繋がるのかさっぱり分からない。
「元々、三衆会がどういうことをして今の組織力をつけたか、知ってるか? 臓器の斡旋だ。二年半前のこの写真、ちょうどこの頃だ。あと少しで尻尾を掴めそうだったが、手が届かずどれほど煮え湯を飲まされたか」
すると黒崎の言葉に促されるように、先程の恭一郎が残した写真を村越がモニターに映し出す。篠田教授が持っている荷物を拡大する。
「我々はこの中にねえ、入っていたとみてるんだ、臓器が」
「過去、一時期は中国などで手に入っていたものが、三年前から諸外国の監視が厳しくなった。そこに目をつけた九条が、始めたビジネスが臓器売買だ」
「ちょっと、待ってくれ。頭の整理がおいつかない」
「マキちゃん先輩、大丈夫ですか」
恩田が差し出してくれた紙コップに入った薄い茶を、受け取って飲み干す。
「それで……篠田教授はどっちなんだ? 売った方か、それとも」
「買った方だろうな」
いったい何に使うってんだ、いくらなんでも医者だからって、秘密裏に移植なんて無理だろう」
都市伝説かなにかのように思っていた。いくらなんでも臓器売買などがまかり通るなんてと。
「まだようやく藪をつついたとこだ。なにが出てくるか、わからん。三衆会、とくに九条は金の臭いをかぎつける天才だ。他にも相当なことをして儲けた金でのしあがった。あいつらがジャックに関わっているのは間違いないが、九条の動きがどうも解せない」
「当然、過去のことでゆすってるんじゃないのか?」
「それだけなら、柳沢に関わる必要はないですよ、マキちゃん先輩。実は先日の三浦さんの件があったので、東宮総合病院の監視カメラ映像を提出させたんです」
恩田がパソコンを操作して、別のモニターに再生させる。
白黒の映像は、見覚えのある東宮総合病院の院内だ。時刻は四時、音声はないがナースが小走りに画面奥の扉を開けて入っていく。後ろ姿からそれが誰かはわからないが、その後看護師がもう一人、遅れて若い男性医師がかけつける。扉は開かれたままで、しばらく機材が運び込まれたり、人の出入りがある。そして十分後くらいだろうか、別のカメラの映像に、人影が映った。恩田はそこで映像を止める。
「これは、柳沢の病室から続く、外階段下のカメラです。柳沢の容体が急変する少し前の映像にも、同じ人物が写っています。そして映像解析で、これが九条である可能性が極めて高いことが分かりました」
「つまり、柳沢は……」
「殺された、もしくは容体が急変するようななにかしらのショックを与えられた可能性があります」
黒崎によると、献体となった柳沢の遺体の検死手続きも進めているという。
「これで分かったか、眞木誠司。今度は柳沢の事件について、知ってることを教えてもらおうか」
騒然としはじめた記者会見を横目に、俺は砂羽から貰ったこれまでの取材資料の内容、そして同行して知ったかぎりのことを洗いざらい話す。
過去には不起訴処分とはなったものの、当初は事件として捜査されたこともあり、警察でも幾ばくかの資料はあったようだ。だがそれでも紗羽の執念が勝り、この件に関してはうちの取材で得た情報に遠く及ばなかった。
話をしている最中も、黒崎は表情を崩すことなく淡々とメモを取り、疑問があれば確認してくる程度だ。それは恩田も同じだったが、彼女の上司はひどくこの事件に興味を持ったようで、感心しきりだ。
「じゃあ柳沢が最後の患者である影山亜弥に、本当になにかしかのチップを埋めたのだろうか。『アンテナ』という表現は、じつに興味深いじゃないか」
「今、影山夫妻のところに、うちの記者とともに片桐紗羽さんが向かったと聞いている。夫妻にはすでに柳沢の言葉を伝えてあるので、夫妻自ら娘さんの骨を調べると」
「……それは、並々ならぬ強い意思がうかがえますね」
人が、亡くなってばかりだ。もういいかげん終わりにしたい。
真相はまだ見えてこないが、こうして警察も世論もこれ以上は見逃さない。早い解決を願うばかりだ。
「じゃあ、また新しい情報が入ったら、教えてくれ。特に影山亜弥の件、恩田に定期連絡させるから」
「まっかせてください」
記者会見も混乱のうちに終わり、結果的にはさほど進展といったものは得られないまま、終了となった。今後はワイドショーで繰り返し放送され、識者たちがああでもないこうでもないと、批判を繰り返すことになるだろう。
四ッ谷署を出られたのは、二時すぎだった。送っていくときかない恩田とともに、近所の定食屋で昼飯を取って済ませた。
「本当に、遠慮しなくてもいいのに。まさかパトカー使うわけじゃないですから」
「おまえの運転には乗らないと決めてるって言っただろ、。それよりも、今は仕事してくれた方が助かる」
すると、口を尖らせていた恩田が、笑顔に変わる。
「恭一郎のために、頑張るんだろう?」
「はい、でもマキちゃん先輩のためでもありますから、期待しててください。今、恭一郎先輩が、マキちゃん先輩の前に会っていた人物の、洗い出しをしてるんです。情報が少ないけど、あらゆる手をつくして掴みますから」
「ああ、期待してる」
警察署に戻る恩田と別れて、タクシーを止めようとしたときだった。
「マキちゃん先輩!」
振り返ると、恩田がどこか不安そうな、ためらいがちにこちらを見ている。
「どうした?」
「あの、片桐紗羽さんには、あまり気をゆるさないでください」
「……恩田?」
手をあげていたため、空車のタクシーが路肩に横付けた。それを少し待たせて、恩田に向き直る。
「彼女は、俺の仲間だ。過去に父親がなにをしていたとしても、今の彼女を同列に扱うのか? それじゃ恭一郎を信じていないのと同じじゃないか」
「ちがっ……そんなつもりで言ったんじゃないです」
「じゃあどんなつもりだ?!」
つい、語気が強まってしまい、行き交う人々が俺たちを振り向いた。
「……すまない、俺は警察官じゃないから、すべてを疑ってかかるのは、無理だと思う」
「マキちゃん先輩、そうじゃなくて、ただ全てがわからない今、あまり全幅の信頼を寄せるのは待ってほしいんです」
「それがまさに、疑うってことだろう? 恩田、悪い。今はおまえの言うことを理解することができそうにない、とりあえず今日は帰るわ」
じゃあな。それだけ告げて、タクシーに乗り込んだ。
立ち尽くす恩田の横を、車はスピードをあげて通りすがる。うつむく恩田の顔は見えないが、俺はすぐに車中で後悔する。
俺たちは、いつも三人だった。俺と恭一郎が言い合いになることはあっても、恩田がそれを上手く薄めてくれたように、恩田と俺が意見をぶつけて強情になれば、恭一郎の柔らかさが緩衝材になっていた。それは大学時代から、いつまでも続くと思っていた。
恭一郎、おまえ一人欠けただけで、俺たちはこのざまだ。
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