第15話 写真

 篠田教授の証言を取ってそのまま帰社した俺と茂さん、そして編集長もその日は徹夜組になるらしい。普段ならば徹夜と聞くと気が重いだけだが、今回ばかりはやらなければならないこと、確かめたいことが山積だ。とりあえず腹ごしらえするかと茂さんに促され、買い溜めしてあったカップラーメンを、男三人で啜った。

 紗羽はあくまでも社員ではないからということで、タクシーを彼女の自宅前に回り道させて、帰宅させた。そうでなくともここのところハードすぎるスケジュールだった。最初は自分も社に残って仕事をすると言っていたが、疲れがたまっている自覚があるのか、結局はすんなり説得を受け入れたのだった。

 早食いの茂さんが黙々と面をかっこみ、カップをあおって汁を飲み干す。そして汚い箸を俺に向けた。

「片桐くんも心配だが、問題はお前だな。しばらくここの仮眠室を使えや」

「……帰るなってことすか、着替え持ってきてないですよ」

「昼間取りに行けばいいだろ、死にたくなかったら文句いうな。ホテルで失敗して、翌朝カーチェイス、次は寝首かきにくるんじゃないのか?」

 面と向かって言われ、ようやくここ数日、自分が普通ではない経験をしていることに気づき、さっと血の気が引く。

「……やっぱり、狙われてるんですかね、俺」

 その言葉に、なぜか編集長がラーメンを噴き、咳き込む。

「きたないなあ、知ってます? 年よりが気管に食べ物を詰まらせると肺炎になりやすいんすよ」

「うるせえ茂。おまえは俺と五つしか違わねえくせに、年より扱いするな」

 咳き込みながらも、茂さんのパイプ椅子を蹴る編集長。

「それより、おまえだ眞木。ゆとり世代とはよく言ったもんだ。危機感足りねえなおい」

「俺はゆとり世代ですが、半分はアメリカ育ちなんで」

「なおさら悪いわ! これだからお坊っちゃんは……」

 編集長が疲れたようにぶつぶつと文句を言う。

「なにおまえ、そのなりでどこかの御曹司だったの?」

 そんなことはないと言おうとしたところで、編集長が邪魔をする。

「御曹司は言い過ぎだって。でも親の栄転で帰国子女、こいつが二年遅れてるのは、出来が悪いんじゃなくて移住のせいだろ。海外生活してても日本の学力をつけさせ、ストレートで旺華入れるくらいってのは、きちんとした経済力の家庭な証拠だ。乗馬も射撃も、親御さんの趣味だって話だったよな?」

「……両親の趣味につきあわされてて少し。俺が言うのもなんですが、両親はそんな良いものじゃなくて、じっとしてられないただの筋肉馬鹿ですよ。アメリカにいた頃からトライアスロンもしてたし」

 それを聞いて、今さらだが茂さんが驚いたようだった。

「じゃあなに、おまえ近代五種はじめたのって大学入ってからなのか?」

「ええまあ、一般入試で入ったんで」

「へえ、意外だったな。てっきりおまえはスポーツ推薦なんだと思ってた」

「いろいろ事情とかあったんですよ、いいじゃないですか過去のことです」

 茂さんが不思議に思うのは仕方ないだろうが、受験当時は少々破天荒な両親への反抗心から、一般入試を受けたのだ。結果的に再びスポーツにのめりこむことになったので、それを知られたときにどれほどばつが悪かったか。遅い反抗期というか、今でも少々イタイ、いわゆる黒歴史というやつだ。

 だがその選択をしたからこそ近代五種に出会えたわけで、同時に恭一郎と恩田という親友に巡り会えたのだから、結果として間違っていなかった。

「ところで話を戻すが、おまえの荷物を漁ったって奴、目的はなんだと思う?」

 編集長はそう言って、灰皿を引き寄せて煙草に火をつける。

「最初は、三浦陽さんのメッセージや何らかの証拠を、俺が預かっていると思われたんだと考えたんです。三衆会の車ってことは判明したのはそのあとですが、三浦さんを追いかけ回していた男の仕業だと」

「それが本当なら、よく生きてたってことになるんだがな。その夜中の侵入時でも、追いかけ回されたときも、やろうとおもえば殺せたろうに」

 茂さんが身も蓋もないことを言う。しかし煙を吐きながら、編集長がぼんやりと呟く。

「もしかしたら、別の人間の可能性もゼロじゃあないかもな」

「別? だとしたら、目的だってさっぱり分からなくなる。いっそただの物取りか?」

 茂さんの言う通りだ。だが俺もまた、篠田教授の話を聞いた今、少しだけ編集長と同じ疑問がもたげている。

「紗羽さんに言われたんですが、今考えてみると、恭一郎は本当に俺になにもメッセージを残さなかったんだろうかと、何か証拠を残してないかと思うようになって」

「思い当たることでもあるのか?」

「いえ……ただ、警察に渡したメモリーカードくらいなんですが、あれは学生時代の携帯の写真が入っていたくらいで」

「まあ、それならか弱い女性の片桐くんの部屋でなくて、わざわざ眞木の方に行った理由にはなるな」

 だが本当にメモリーカードが証拠として何かの役に立つのかは、不明だ。確かめなくてはと思いつつ、あまりに多くのことが起こりすぎて、手つかずのままだ。

「そういや、データのコピーはあるって言ってたよな、眞木?」

「はい、自宅のパソコンに保存してあります」

「そうか……おい茂、明日はおまえ片桐くんの手伝いを少し代わってやれ。眞木はその間に、データを自宅から持ち出せ。あと一週間くらい社に泊まれる準備してこいな」

 編集長の言葉に、俺と茂さんの両方が同時に「げ」と呻き声のような声を上げた。

 茂さんは役得だろうになぜと思って見れば、本気で嫌そうな顔だ。

「なんだ茂、不満か? 自分で言ったんだろうが、眞木に泊まり込みしろと」

「いやー、そうなんすけど。俺ちょっと彼女苦手なんで、代わりは他の奴に……」

 あまり仕事相手の選り好みをしたことがない茂さんの言いように、俺だけでなく編集長も驚いた表情だ。

「鈍いおまえにしちゃ珍しいな、なにかあったのか?」

「いえ、そういうわけじゃないんだけど……彼女が人当たりいいのは分かるし、別に文句があるわけじゃないんだけどね、なんとなく?」

 そんな返答に編集長が怒るのは当然で。

「熊男のくせに、なにが『なんとなく?』だ、気色悪いから語尾上げんな。いいから言う通りにしろ」

「へいへい、了解です」

 結局、茂さんのわがままは通ることなく、明日の昼前に一度俺と交代することになった。

 食べ終わったカップを捨てながら、茂さんは俺に「速攻帰ってこいよな」なんてささやく。そんなに嫌か? とも思ったが、後に続く「美人すぎるのもちょっとなあ」という言葉に、男としてはなんとなく察するものもある。美女と熊、どこかで聞いたようなフレーズに、納得していると。

「そういうんじゃねえよ、まあ、なんちゅうか、向こうが俺を嫌いなんじゃないかなって」

「そんなこと……」

 彼女に限って。そう言いかけたが、人間関係なんて当人意外わからないものだ。一緒に仕事をして、合わない場合だってあるだろう。妙に男臭いところはあるが温厚な茂さんなら、苦手といえど彼女に悪い態度では接しないだろう。そう思って、俺はそれ以上口を挟むのはやめにした。

 そうして再び徹夜仕事に取り組むこととなった。何度目か数えきれないほど再生したレコーダー、そして茂さんのメモを読み返し、書き直しの叱責を受けた。ようやく次号に乗せる篠田教授の証言記事の下書きが完成したのは、空が白みはじめた頃だった。その後、ふらふらになりながらも仮眠室へ向かい、熊でもいるのかと思う山が酷い音をたてるのを聞きながら、その隣のベッドに潜り込む。この状況でも一瞬で意識が飛ばせるのだから、いよいよ俺も酷い環境に慣れたものだ、などと自嘲しながら目を閉じたのだった。


 スマホの鳴動で目を覚ましたのは、仮眠室に入ってから三時間ほどのことだった。寝ぼけ眼で電話を取れば、相手は恩田だった。

「もしもし……」

『あ、マキちゃん先輩おはようございます、愛しの琉音です。今時間いいですか~?』

 すっかり調子を戻した恩田の電話に、切ろうかと考えたのだが、察したようだ。

『わー、まって、切らないで!』

「そう思うんなら、朝っぱらから変な電話かけるな」

『もう九時ですよ?』

「用件は?」

『あ、そうでした。三浦陽さんの件で、参考人として署まできてくれませんか?』

「……は?」

『だから、三浦さんの発見者ですし、そのあと先輩、中央道でやらかしたでしょ、あればっちり記録されてますから』

「マジか」

『マジです。言ったでしょ、私いつでも先輩のストーカーできますからって』

 頭がイタイ物言いだが、おそらく恩田の仕事が元の鞘に戻ったということなのだろう。

「任意でいいんだよな、今日は正午頃にラニアスの記者会見があるはずなんだ、それはずしてくれるとありがたいんだが」

『わ、ちょっと、黒崎さ……おい眞木誠司』

 電話の向こうで恩田の焦る声が聞こえ、次に聞き覚えのある低い声になった。

『いいからさっさと来い、いいな!』

「ずいぶん強引だな、なにかあったのか?」

『……あ、先輩。すみません、黒崎さんってば強引に奪うんですから。ええと、詳しくは言えませんが、少しだけ進展したものもあるので、来てください。記者会見はこっちでも見れますから』

「わかった、編集長に言ってなるべく早めに向かうようにする」

『あ、先輩一人で来てくださいね、なんなら迎えに行きますよ、パトカーで』

「いらん、止めてくれパトカーは」

 受話器からは、くすくすと笑い声が聞こえた。

『わかりました、では四ッ谷署で待ってます』

 ここのところ、予定は変更につぐ変更ばかりだ。だがそうも言っていられないのは、この仕事の宿命なのだろうか。編集長に電話のことを伝え、とりあえず事情聴取に協力してくることになった。紗羽はまだ編集室に出てきてはいないが、今日は助手が茂さんに代わることは、後で伝えてもらうことになった。おそらく、昼の記者会見会場に茂さんと向かうことになるだろうとのことだ。

 四ッ谷署に着いたのは、結局十時をまわってしまった。

「遅い」

 下っ端構成員ならば、やくざでも睨み殺せるんじゃないかという黒崎の睨みをうけつつ、俺は以前とは違う広い部屋に案内された。

 すると会議室らしき部屋にずらりとPCが並び、大小様々なモニターや何の役目があるのかわからない機材がところ狭しと並んでいた。その機械の塊の間から恩田が顔を出して、場違いなほど陽気に手を振ってきた。

「わー先輩、待ってました!」

「ちょっと恩田くん、繊細に扱ってくれ」

「あ、すみません」

 相変わらずガチャガチャとした性格の恩田が、扱っていた機器をどうやら狂わせたらしく、しばらく調整をしてから改めて呼ばれた。

 黒崎は俺と同様、ただ立って待っているだけだった。揃って恩田のいる場所に機器類を避けながら行くと、大きなモニターに写し出されていたのは、かつて恭一郎から預かっていた写真データのうちの一枚だった。

「今日は、これを見てもらいたくてマキちゃん先輩に来てもらいました」

 じゃーんと手をモニターに差し出す恩田。すると先程恩田を叱り飛ばしていた男性が、俺を見て微妙な顔をする。

「ねえ恩田くん、きみがよく言っていたマキちゃんってこの……男だったの?」

 恩田とつきあってると、よくある台詞だ。もうわざわざ訂正するのも面倒なのは、俺だけでなく当の誤解させている恩田も同じらしい。

「報告書くらい読んでください、課長」

「やだなあ黒崎くん、さすがに僕だって読んでるよ。マキちゃんが……あ、そうか、眞木……なるほどうん」

 自己完結したらしく勝手に納得しているので、その間に黒崎刑事から簡単な説明を受ける。

「あいつは警視庁の広域テロ対策本部情報処理課の課長、村越和美むらこしかずよし、恩田の直属の上司だ。恩田同様、ちょっと言動おかしいが気にするな」

「聞き捨てならないです、黒崎さん」

 恩田が喋り出すと長いし脱線するのは、よく分かっているらしい。黒崎は恩田をすかさず黙らせて、モニター前に椅子を並べて落ち着かせる。

「それで、俺を呼び出した理由はこれ?」

 目の前に写っているのは、大学最後の年の春に三人で旅行に行った時のものだった。

 場所は東北、仙台から岩手まで無計画にだらだらと、数日かけて行った覚えがある。今思えば、もう少し計画を練ろよと突っ込みたくなる旅程だった。

「仙台周辺をスタートに楽しい観光旅行でしたよね。確かこれは東北自動車道のパーキングエリアで撮影したんです」

「ああ、そうだった。まだ二日目か」

「そうですそうです」

 あまり観光客は多くなく、だがいい天気で粟駒山がきれいに見えた。その景色とともに、三人で写っている。通りすがりの男性に恭一郎が頼んで、シャッターを切ってもらったのだ。

「いいですか、ここでは計六枚あります」

 恩田はキーボードを打ち、モニターの写真を入れ変える。向きは代わるけれど、その他は恭一郎が欠けていて、俺と恩田が腕を組むの組まないのとやりとりしているのが、たった五枚でも分かる。

 そんなくだらない写真を、じっと見入る大の大人、しかも三人は警察官だ。いたたまれない。

「おい恩田、これがなんなのか説明しろよ」

 くるくると五枚を延々とモニターに映す恩田に言えば、ある一枚で止める。

「先輩、この写真の一部を拡大しますね」

 すると俺と恩田の間から見える駐車場の奥に停まった、一台の車の車窓をアップにした。暗く車内にかろうじて人がいるくらいしか見えない。

「これを明るく加工したのが、これです」

 画面が明るく変化し、ノイズのような細かい乱れを処理したものだろう。今度は人物の顔が見えた。だがそれを見て、俺は息をのむ。

「誰か、ご存知ですよね」

「……九条」

「そうです。ではこれと同じ方向で写っている残り三枚も同様に出しますね」

 最初に見たのが運転席の九条、それから少しズームは引いているが車の後部座席にもう一人写っている人物の横顔。最後にその後部座席の人物が荷物を持って、車を降りているところだった。

 だがその三枚目を見て、俺は愕然とする。

「篠田教授……」

 恩田は悔しそうに、上唇を噛みながら、しっかりと頷いた。

「昨晩、篠田教授と会ったんだ。編集長たちと、教授の話を聞いて……最後に言ったんだ、三衆会との関係は一切ないと。それを記事にしてくれと言われ、徹夜で」

 あの話はなんだったんだ。この写真は二年前には三衆会と、九条とかかわっていた動かぬ証拠じゃないか。

「無駄な努力だな。あいつの人徳者の面の皮はまったくの偽りで、とんだ狸だったわけだ」

 黒崎が容赦なく俺の昨夜の労力を、そして迷いを断ち切る。

 そしてその強面を歪ませ、悪い笑顔で言った。

「んじゃ、理解したところで教えてもらおうじゃないか、マキちゃん。昨日、どういう話をしたんだ? ああ?」

「ちょっと黒崎さん、マキちゃん言わないでください、それ私だけの特権なんですから!」

「うるさい、黙ってろ」

 いや、このさい呼び名でツッコミはどうでもいい、だが、黒崎においそれと取材内容を喋るなんてこと、できない。

「三浦陽の件で証言をというのは、嘘だったんですか」

「はあ?! おまえなに言ってるんだ」

「大声で威嚇されようと、はいそうですかとべらべら吐いたら、クビになるだろうが」

「おまえ死にたいのか!」

「はいはい、唾飛ばさない、繊細な機械壊れるから」

 ヒートアップする黒崎を、のんびりとした口調で止めたのは、それまで黙っていた村越だった。

「あのね、眞木誠司くん、きみ命狙われてるから。中央道での件は、本当に運が良かっただけだからね、次はないかもよ?」

「そうですよ、先輩。先輩の命を守るためなんです、情報を共有しましょう」

「三衆会を甘くみるなよ、あいつらは報復に打って出てるんだ、邪魔する物は徹底的に排除してくるはずだ」

 三者三様の説得を始めるが、こればかりは編集長に確認せねば一存で決められない。

 しかし彼らの要求をどうするかよりも先に、俺はあることに疑問をもつ。

「ちょっと聞いていいか?」

 三人が俺を見るが、誰も異を唱えない。

「あんたたちは、いったい何の事件を追ってるんだ? ジャック障害? 三浦陽の……いや、三衆会か? あんた確か、凶悪事件担当なんだよな黒崎さん? 暴力団がからむから広域テロ対策本部がかかわるのか? なんかおかしくないか、いったい今、なにが起きてるんだ?」

 まるで悪いものでも飲み込んだかのような胸の不快感。俺は吐き出さずにはおれなかった。

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