第14話 追求

 まさかジャックの開発にも恭一郎が関わっていたとは思わず、俺はしばらく頭が白くなり困惑するばかりだった。それは編集長も同じなのか、項垂れる篠田教授にかける言葉がないようだった。

 篠田教授はしばらく沈黙していたが、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎはじめた。

「最初に話をもらってきたのは、柳沢くんだった。当時まだ正式に立ち上がる前の、ラニアス・ジャパン幹部たちを連れてきたんだ。まだアメリカでも試験段階だったVR通信を、今後日本でも事業展開を見越して準備するのだという」

「柳沢医師は、どういうつてで?」

「日本では評価されていなかった片桐教授の論文が、アメリカでの開発に一部参考にされたという噂を聞いたらしく、柳沢自身がラニアスに自らアクセスして売り込んだようだ。自分は片桐先生の一番の愛弟子で、彼の理論をもっとも理解しているのだと」

「父のところに出入りしていたとき、彼はまだ学生でした」

 紗羽の言葉に教授は顔を上げ、虚ろにひとつ頷いた。

「柳沢の悪いところは、自分を過大評価するところだ。彼女の言う通り、柳沢一人加わったところでどうこうというわけではない。だが新しい事業、それも人体に影響があるのではと疑念が拭えないVR通信事業にとって、一人でも多くの医者、病院、大学との連携がとれることの方が大事だったようで、柳沢の申し出を向こうも歓迎していた」

「具体的にはどういう協力をしていたんですか、さすがに功名心に負けてすべての医師が、安全性についての虚偽報告をするとは思えませんが」

 そこは、誰もが知りたいところだろう。

「事前に動物で行われた実験データをもとに、段階的に通信試験をしたんだ。被験者をラニアス社の方で用意してくれて、脳派測定しながら、外部からの電波照射でどの程度脳波に反応が及ぶのか、被験者の体調や精神面への調査も同時に行った。そのデータを元に調整された製品を作り、また試験の繰り返しで……たしか、それだけで二年以上かかった。だが試験をしたのはうちの大学だけじゃない、他にも同様にしてかなりのデータを蓄積したはずだ」

「教授はそれらにどのくらい、かかわったんですか?」

「もちろん、事故が起きる可能性を考えれば普通の治験よりも慎重にせねばと、逐一報告をしてもらっていた。だが現場に参加することはなかった。その頃ちょうど、アメリカの大学との姉妹提携を任されていてね、かなり忙しかったことを記憶している」

「じゃあ、実際のデータなどは?」

「もちろん数値は確認していたが、データ自体は手元に残っていない。逢坂くんが引き継いだものを持っているかと、昨日確認しようとしたのだが……」

「もしかして、パスワードが分からない?」

「ああ、そうだ」

 すると教授がこちらに向き直る。

「眞木くん、きみは逢坂くんの親友だろう、彼がパスワードにしそうな数字や言葉に心当たりはないだろうか」

「パスワード、ですか……いや、そもそも恭一郎は真面目なやつなんで、そういったことを俺にも漏らすことはないので」

「婚約者のさなえくんにも聞いてみたいが、彼女の憔悴ぶりではそれもまだできず」

 ため息をこぼす篠田教授は、おそらくマスコミの質問状やら大学からの突き上げで、参っているのだろう。葬儀の時とは違い、顔色がずいぶん悪い。

「それじゃ、被験者について聞いても?」

「ああ、それは……」

 教授は言葉を濁す。

「どういった人たちだったんですか、例えばラニアスの社員とか、またはアルバイトで募集?」

「いや、そのあたりはまったく。個人情報はもちろん確認して連絡先も管理していたと思うが、その……任せきりで」

「任せきりとは、ラニアスに?」

「ラニアスというより、ラニアスに出資している『タキ製薬』が……」

「ほう、製薬会社!」

「ああ、試験データの取り扱いにも慣れているからか、よくは知らないのだが」

 篠田教授は、スーツのポケットからハンカチを取り出して、額の汗を拭う。

「そのあたり、瀧社長に聞いた方が早いと思うが、その……迫くんが入手したという、開発に携わった組織または個人に、タキ製薬は入っているかね?」

「いいえ、ありませんでした」

「じゃあ、あの男はこの追求から、マスコミの非難から逃れるってわけか?」

 どうやら教授は、自分もそこに名を連ねなければならないことに、不満があるようだ。そりゃあ、これだけ世間を、国すらもひっくり返すんじゃないかと思えるほどの不祥事を前に、逃げたいと思うのは不思議ではないが、どうにも自分には釈然としない。この老人は、旺華大学の中でも人徳者で通っているんじゃなかったのか。恭一郎はいつか言っていたことがある。篠田教授はマイナーな脳神経科でありながら、その面倒見の良さで大学でもかなりの発言力を持っているのだと。

 だからつい我慢ができなかった。

「恭一郎だって名前が入るんですよ、弁明する機会も与えられない死人はいったいどうしたら? あいつはいつからジャックの開発試験に関わっていたんですか?」

 思わず口を出してしまっていた。編集長から厳しい視線で咎められたが、口から出た言葉はもう戻せない。

 だが教授はそんな俺の不躾な言葉に怒るどころか、憐憫の眼差しをむけた。

「逢坂くんに引き継がれたのは、約二年前だ」

「二年? じゃあ、脳神経科に移ってすぐじゃ……あいつがやりたがっていた臨床は? 病院勤務じゃなかったってことか?」

「眞木!」

 諌められて言葉を飲み込む。なら恭一郎は何のために医者になったんだ。そう叫びたかった。インターンの時だって、患者に向き合うのが楽しいと、患者が良くなっていくのを見守るのが生き甲斐だと言っていた。

 おまえがジャックの開発試験なんてものを、やらされていたなんて。だからなのか? 向精神薬に頼っていたのは。

「すみません、ひよっこが先走りまして」

「いや、彼の言いたいことはよく分かる」

「それでついでにと言ってはなんですが、逢坂くんはいつまで試験を?」

「……亡くなるその前日まで」

「前日? 開発試験はもう済んだことじゃなくて、まだ続いていたんですか?」

 驚く編集長に、教授はしっかりと頷いた。

「もちろん、以前のような大がかりな試験を頻繁にすることはなくなったが、細かい調整などという名目でたまに」

「それじゃ、ますますデータが欲しいところですな、ありがとうございます教授。経緯は必ず記事にします」

「ああ、よろしく頼むよ。きみと話してよかった、それまでは混乱するばかりで、自分でもよく整理がつかなかったんだ。あのまま会見に臨んでいたなら、どうなっていたことか。そうだ、掲載前には文章を見せてもらえるんだろうね?」

「ええ、もちろん。了承を得た上で載せたいと思っていますから」

 教授はひどく安堵した表情だ。

 だがその一瞬の隙を、編集長は逃すことはなかった。

「あ、すみませんもうひとつ確認させてもらってもいいですか?」

「ああ、もちろん。何でも聞いてくれたまえ」

「じゃあお言葉に甘えて。柳沢の遺体を引き受けたんですね、それはどうして?」

「……は?」

 気が抜けたところで、まさかこの質問がくると思っていなかったのだろう。篠田教授はあからさまに動揺した様子で、迫編集長と我々を二度見する。

「知ってるんですよ、献体扱いで亡くなってから二時間もしないうちに、旺華大学に運ばれたことは。かなり迅速ですよね、早朝に死亡したのに」

「な……そう、なのか? 驚いたな、私は初耳だ」

「そうですか? 彼が亡くなる前日にうちの眞木と片桐くんが面会していて、かなり前から正気を失ってるようだと主治医から聞かされたもので、大学関係者とは今でも頻繁にやり取りでもあるのかとしていました。教授もご存じなかったのなら、かなり以前から献体契約を結んでいたのでしょう、そうでなくてはサインできないですから」

「ああ、彼は親族がほとんどいないらしいから、そういうことかもしれない。しかしよくそんなことまで調べたものだ、相変わらず迫くんには感心する」

 そこで再び教授が落ち着いたところに、紗羽がにこりと笑って追加情報を与える。

「実は柳沢医師の病院で長く勤務していた看護師が、色々と教えてくれまして。どうも柳沢医師の見舞い客らしき人のなかに、暴力団関係者らしき人を見ていました」

「柳沢くんに? それも初耳だ」

「ええ、それで私たちに情報を提供してくれた後、その看護師は暴力団関係者だと警察が特定する黒塗りの車で、追いかけ回されたんです。そして未明、看護師は亡くなりました。ジャック障害による脳死です」

 教授は再び顔色を青くし、わなないている。

「三衆会、という名をご存じですか?」

「……名前だけは。以前、うちの診療を希望したことがあったと」

「本当に?」

 紗羽が追い詰めるのを、編集長も茂さんも、黙って見守っている。

「それだけだ、病院としても特別室などないので向こうの望む条件が満たせないということで、断ったはずだ」

「そうですか。ならば葬儀に来ていた背の高い、サングラスをかけた客がいたのを覚えていますか?」

「もしかして、途中から入ってきた少々場違いな男がいたが、あれか?」

「はい、彼が三衆会トップの九条聖ですよ」

「いや、初めて見た人物だ。もしかして院長が気にするな早く大学に戻ろうと、しきりに言っていたのはそのせいだったのか……」

 そう言って一人納得したような様子だが、教授が本当に彼らとかかわりがないのかどうか、俺には判断がつかない。ならば友人として一連の教授の言動をどう感じているのだろう、そう思って編集長を窺い見るが、顔に出すような男ではなかった。

 そうしている間にも、紗羽が質問を続ける。

「では篠田教授の知るかぎりでいいので教えてください、ジャック関連に三衆会のような反社会勢力とのかかわりは?」

 教授は躊躇せず、首を横に振った。

「聞いたことはない。ただ先程も言った通り、主に関わっていたのは柳沢くんと逢坂くんの二人のみだ、今さら彼らに確認できない以上、暴力団とまったく関係がないとは言い切れないところではある。しかしだ」

 教授は俺の方を見て、語気を強めた。

「これだけは確信をもって言える。真面目な逢坂くんの性格を思えば、そのような存在を察したら、すぐに私に報告をしてくれたはずだと。私は彼を信じている」

「わかりました、ご協力ありがとうございます。私からお聞きしたいことは以上です」

 紗羽はふわりと優しく微笑み、篠田教授に頭を下げた。

「いや、こちらこそ。柳沢くんが東宮に移動してからの行いは、かねがね聞いており、胸を痛めておったのです。私からも学長にお願いして、柳沢くんの献体のいきさつなど調べてもらうよう頼んでおきましょう」

「ありがとうございます」


 そうして篠田教授への取材を終えた。家族に迷惑がかからないよう、しばらくはそのマンションに滞在するという教授を残し、我々はタクシーに乗り込んだ。後部座席に編集長と紗羽、そして茂さん。助手席に俺が乗り、社に戻る。その車中で、紗羽は編集長に頭を下げた。

「すみません、まさか父の論文がジャックに関わっていたなんて思っていなくて、驚かせてしまって」

 紗羽らしい言い方だった。彼女が謝る要素など、どこにもないはずなのに。

「驚きはしたが、それは片桐くんも同じだろう」

「……はい。もう亡くなったのはずいぶん前ですので、私もまさかここで両親の名を耳にするといは思ってもみませんでした」

「ご両親を一度に亡くされたとは聞いていたが、確か事故で?」

「はい、私が中学生の頃に、自動車事故で」

「そうか、苦労したんだな」

 僅かにしんみりとした空気が流れたが、払拭したのは紗羽だった。

「もう昔のことです、気にしてません。それより編集長、今日の篠田教授の話ですが、どう感じました?」

 すると編集長は、微妙な顔をして「さっぱりだ」と言う。

 それはあんまりではないかと助手席から編集長を振り返るが、他の二人も同じように感じたのだろう、じっとりとした目線で編集長を責めている。

「仕方ないだろうが、友人たって、いい大人同士なんだから。秘密や知らない顔の一つや二つあるってもんだ。違うか?」

「そりゃあそうですがね、状況からいって、どう対処しても上手い立場にはいけそうに思えないし、教授はもう引き際考えてるんじゃないですかねえ」

 茂さんの言う通りかもしれない。最新の情報では死者の数こそ増加は止まったてはいるが、まだまだ軽い意識障害の患者やら、心配を募らせたユーザーたちのパニックは収まっていない。医療機関での診断も難しく、対応が後手に回り、事態の収集にはほど遠い。

「そうかもな。教授には悪いが、うちとしては事実と証言を混同するつもりはないし、あえて擁護もしないからな」

「相変わらず、鬼でらっしゃる」

 茂さんは口ではそう言いつつも、楽しそうだ。

「ばかを言え、捜査の撹乱にるような記事を出せば、手入れされるのはうちだろうが。旺華は……いや、篠田教授はもう、ラニアスという泥船に乗ったも同然かもしれん」

 編集長は、その立場から友人と雑誌を秤にかけるまでもないのだろう。そこまでに俺もなれるのだろうか、もし今後の会見や警察の捜査で、実際に恭一郎の名が出たとき、冷静でいられるだろうか。

「おい、眞木」

 そんな不安を、編集長には見透かされたようだ。

「これから嫌というほど、目を背けたくなるようなことを知るかもしれん。だがいいか、逢坂くんのことを思うんなら、絶対に真実を曲げんじゃねえぞ?」

「はい、わかってます」

 気を引き締めていかなければと、改めて思う。編集長の言う通り、俺の知らない恭一郎を知り、最悪な事実も知るかもしれない。だがもうこういう方法でしか、俺には恭一郎にしてやれることはないのだ。俺に告げることをせず死んだのが恭一郎の意思だとしても、勝手かもしれないが、あいつが何を思い、死んでいったのか知りたい。

 その思いばかりが募っていった。

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