第13話 掘り起こされる過去
高速道路で黒塗りの車を振りきった後は、何事もなく東京都に入ることができた。もちろん警戒すべきはここからなのかもしれないが、二人乗りなのではなから首都高は利用できない。そのまま下道の交通量や人の多い道を選んでいくことにした。それに彼らが公安と警視庁にマークされている現状を鑑みれば、危険を冒してまで記者風情の俺たちに執着するとは思えなかった。
事実その予想通り、俺と紗羽は時間こそかかったものの、無事に東京に帰りつくことができた。
思いがけず事が大きくなってしまった今回の顛末については、帰り次第編集長に詳しく説明することになっている。証言者がジャックの被害にあい、また暴力団からみで警察の介入もあり、どこまで紙面に載せるか悩みどころでもある。そのあたりも相談したいと、紗羽も頭をかかえている。
「眞木、片桐くん、無事に戻ったか」
俺たちの顔を見て、安堵した様子の迫編集長に、手招きされて荷物を置くのもそこそこに編集長の元へ向かう。途中で茂さんが山のようなデスクの脇から顔を出し、「心配してたぞオヤジのやつ」と囁いてくるのには苦笑いで返すほかない。
よく無事だった。それは俺たちもまたそう考えている。
編集長には会いにいった三浦陽の発見時の状態と警察からの病状の説明、それから今朝の追っ手の話を細かく説明した。
「……舐めた真似しやがって、くそ」
詳細を聞き終わるまでじっと口を引き結んでいた編集長の、開口一番がそれだった。
「それで今後のことなんですが」
紗羽はここまできたら引き返せない、道中でもそればかりを言っていた。まだ諦められない、柳沢が死んだとしてもこの問題にピリオドを打つわけにはいかないと。
紗羽は編集長に直談判をする。
「どうにか、一度篠田教授にお会いしたいと思っています。もしこちらからの面会を拒否されるなら、疑惑を疑惑として書くほかありません。ですのでどうか編集長、アポイントをお願いします」
「俺からも、お願いします」
二人揃って頭を下げれば、編集長は一瞬驚いたように俺の方を見て、すぐににやりといつもの悪い顔で笑った。
「もちろん、今その申し出をしたところだ。私用アドレスに送ったが返事待ちだ。おそらく慌てて電話してくるだろう」
「慌ててって、何か脅したんですか」
「……実はな、まだ確定ではないんだが、ある筋で例のジャック障害に関して、開発に携わった医療関係機関の公表に踏み切るっていう噂が流れてる」
俺は編集長の言葉をすぐに理解しきれなかったが、紗羽はすぐさま反応して声を上げた。
「まさかそこに旺華大学……いえ、篠田教授がかかわって?!」
「篠田だけじゃない。開発当時旺華の脳神経科に、柳沢が在籍していたとしたら?」
俺と紗羽は顔を見合わせる。
まったく別の事件だと思っていたジャックと医療事故が、繋がってくる気がしてならない。それは紗羽も同じ思いのようで、困惑を隠しきれない様子だ。
「とにかく、どうあってもこちらとしては、取材しないわけにはいかないんだ」
そう編集長が力を込めたそのとき。
「お話し中すみません編集長、お電話ですが」
事務の女性から、声がかかる。
「誰だ?」
「それが名乗らないんです、番号は公衆電話じゃないかと。声から年配の男性のようですが、とにかく出せと一点張りで。どうします?」
「分かった、出る」
そうして受話器を取った編集長は、鬼編集長とはよく言ったもので、悪人かと思うような悪い顔だ。
「教授、何を恐れてるんです?」
電話口の相手は早速、いてもたってもいられなくなった篠田教授のようだ。公衆電話からということは、あまり表立って言えない内容だからだろう。先日病院長を通して会うことを断ってきたはずが、たった一日で状況がひっくり返ったというのか。
編集長は篠田教授の抱える弱味を分かった上で、こう誘いをかける。「悪いことはしない、ぜひ双方で掴んでいる情報を共有しようじゃないか」と。「明日になったらジャックでの責任追求は避けられないだろうし、言い分はしっかり聞いて記事にしようじゃないか。おそらくうちのような媒体を介せねば、テレビなどではいいように切り貼りされ、あっという間に悪者にされるぞ」そんなことを繰り返している。
聞きようによっては、どちらが悪者か分からない。だが教授にとって今は断頭台にのせられる寸前のような気持ちなのだろう。しばらくの押し問答の末、我々の取材に応じるとの言葉を得ることができたようだ。
だが電話を切ったときの編集長の顔は渋い。さすがに古くからの友人相手なのだ、複雑な思いなのだろう。
「条件はついたが、了承をもらった。今夜遅くなるが、今日のうちがいいだろうということになった。場所は……」
「あの編集長、私たちに任せてもらえるんですか?」
「あー、いや、あくまでもジャックに絡んで話を聞いて、その上で三衆会や柳沢の件にもっていきたい。まず話を聞くのは俺と茂で、おまえたちは柳沢の件が出るまでは側で待機な、余計な情報を与えるなよ」
それが編集長の方針だった。
俺と紗羽はそれから一旦、休みを取るよう編集長から言い渡される。とりあえず編集長に報告したものだけはまとめてから、紗羽を自宅まで送っていくことにした。
自分も早朝に侵入者に起こされて、寝不足気味だ。加えて極度の緊張を要する運転をしたためか、仮眠を取りたい。そういう疲れを見透かされたのか、自分でタクシーを使って帰ると言ってきかない紗羽だったが、それなら夕方にタクシーで迎えに来てくれると嬉しいと告げられ、柄にもなく照れつつ迎えを引き受けた。
そういうことならば、俺は会社の仮眠室で十分だ。そう考えて社に残ることにした。
教えられた住所をマップで確認しながら向かった彼女の自宅は、単身者向けの小さめの部屋ばかりだというマンションだった。オートロック式ではないマンションなので、教えられた号室を探し当てて、呼び鈴を鳴らした。
そう待たずに出てきた紗羽に、少しだけ待ってほしいと室内に通された。入ってみると酷く生活感のない部屋に思えた。ダイニングに小さめのテーブルと椅子のセットがあり、食器棚にはさほど皿も入っていない。間続きの一室にはパソコンやらプリンターなどと本棚があり、書類など散乱することなく小綺麗にまとめられている。壁には一切なにも掛けられておらず、女性らしい色合いの家具もなかった。
「ごめんなさい、ちょっと寝坊しちゃって」
「かまいませんよ、まだ時間は十分ありますので」
「うん、そうなんだけど……って、あの、眞木くん?」
1DKらしき部屋のダイニングの椅子に座り待っていると、紗羽が何か言いたげだ。自分で人を呼んでおきながら、なかなか喋り出さない紗羽。
「なんですか?」
「あのね、前から言おうと思ってたんだけど。それ。どうにかならないかな」
「それ……?」
俺は自分の格好がどこか汚れていたのかと、腰を浮かせて確認するが。
「そうじゃなくて、言葉使い。丁寧なのはいいとして、こういう休憩時間とか、内々の打ち合わせの時とか、もう少し砕けても大丈夫よ? 眞木くんと話していると、私すごく厳しい上司にでもなったみたいよ」
「……ああ、そういうことですか」
突拍子もない指摘に、なんだと安心して再び座る。
「こういうのは、体育会系の
「ほんと聞いていた通り、眞木くんってそういうところ、案外堅物よねぇ」
さほど強く望んでいたわけではないのか、紗羽はコロコロと笑い声を上げた。
いったい誰から聞いたのかは知れないが、畑違いも甚だしいずぶの素人のまま入社した自分に、まだ気を抜ける隙などないのが本音だ。
「ざーんねん。でもそのうち気を許して、なついてくれるって思って頑張るわ」
「……そうすか」
なつくって猛獣かと、内心笑っていた。
そんなやり取りをしている内に、支度ができたようだった。二人で再びタクシーに乗り込み、向かった先は篠田教授の親族が所有しているという、マンションの一室だった。
これは教授からの指定で、先に到着していた編集長と重さんと合流し、マンションに向かう。どうやら教授の自宅周辺では、先走った新聞記者などが張っているとのことだった。
まあ旺華大学の関与をリークされてしまっているので、当然といえば当然だろう。まだテレビやネットなどでは流されていないが、それも時間の問題だろう。
そうして訪れた部屋は、驚くほど広く立派なものだった。
そこで待っていたのは、篠田教授ただ一人だ。今日は大学関係者、病院関係者もいない。よほど何かを抱えているのだろうか。
「篠田教授、今日はお時間をとっていただきありがとうございます」
編集長が珍しく丁寧に頭を下げると、篠田教授も驚いたようだったが、頷いて返事をしただけで俺たち四人を中へ案内した。通されたのは豪華な調度品に囲まれたリビングで、教授と対面するように編集長と茂さんがならんで座り、俺と紗羽はその後ろの椅子に陣取った。もちろん録音準備はしてきってある。記録させてもらうよう、約束をとりつけてスイッチを押す。茂さんはタブレットを立ち上げ、大きな手で器用に小さなキーボードを使いこなし、しんとした室内にタイピングの音が響く。
「さあ、時間がないので始めさせてもらいます」
口火を切ったのは迫編集長だった。
「今、問題になっているジャックによる意識障害について、知ってますよね?」
「ああ、もちろんだ」
「教授が受け持っている旺華大学医学部で、開発試験に協力したというのは事実ですか?」
「……事実ではあるが、正しくはない」
「それはどういうことですか」
問われて篠田教授はしばし編集長から目線を合わせられずにいる。しばらく泳いだ視線を追っていると、度々、ほんの僅かだが教授の視線が紗羽に向くことに気づいた。
「元々の研究者は、別にいる。『ジャック』がVRとして機能するための最初の扉を開いたのは、私ではない。もちろん、旺華大学の他の教授でもない」
「では誰ですか、明日発表されると噂のリストに、名前があるんですか?」
「……ない」
どういうことだ? 篠田教授以外、みな首をかしげる。
「パイオニアとしてほぼ基礎はその男が作り上げ、私たちはその理論にしたがって実験を繰り返し、山のように金を積まれてその製品の安全を保証した。だからあの技術で、開発者として名を連ねたい者は、あまりいないだろう。それに最初の論文が書き上げられたとき、誰もが机上の空論だ捏造だと笑い者にしたのだから」
自嘲するように吐き捨てる篠田教授に、編集長がもういちど問う。
「誰なんですか、その最初の開発者は」
すると篠田教授は、編集長から視線を右に移し、紗羽を見た。
「片桐教授だ。脳科学と遺伝子研究を専門としていた
俺たちは驚き言葉を失い、ただ教授の言葉を受けてなお、凛と背を伸ばして座る紗羽を見る。
「はい、確かに私の父の名は片桐相馬、母は妃羽子に間違いありません」
「ああ、やっぱり。葬儀の時にみかけたときに、どこかで見た顔だと思ったんだ。お母さんの妃羽子さんに、よく似ている」
突然出てきた関係性に呆然としていたが、編集長がすかさずいったん二人のやり取りの間に入り、紗羽の方へ疑問を投げかける。
「ちょっと待ってくれ、片桐くんは篠田教授を知っていたのか?」
「とんでもないです、両親が他界したのは十五年も前のことですし、私はまだ中学生でしたから父の研究についても知りませんでしたし、医学を目指す気もなかったので論文も読んだことありませんでした。もちろん、篠田教授とも面識はありませんでした」
「なら偶然なのか……それにしたってとんだ確率だ」
編集長のみならず、茂さんもまた驚いた様子で汗を拭っていた。
「私も驚いてます、まさか父の名を聞こうとは思わなかったので」
紗羽はそう言うが、一番動揺していないようにも見える。だがそこでふと、東宮病院に訪れたときのことを思い出す。柳沢は、紗羽の父親の研究を手伝っていた時期があったのだ。だから柳沢と紗羽は面識があった。純真な中学生をからかう、あまり好ましくない学生。その学生がジャックの基礎となる研究を手伝っていた……?
そして柳沢の師は、紗羽の父親が亡くなったから、篠田教授に?
思わず疑問を口にしたくなったが、俺はぐっとこらえる。今はまだ早い。気を取り直すと、編集長と目があう。厳しい視線が、黙っていろと言われたような気がした。
「それで、今回の件なんですが、教授の見解を聞かせてもらえますか。検証を行われた立場でぜひ」
迫編集長が本題に入る。
「あのVR通信はそう高度な電気信号を脳に送っているわけではない。使用した経験がある者ならわかるだろうが、まだ情報をVRへ変換するためにタイムラグが生じている。スマホの通信速度と比較すると、携帯電話が出始めた頃とまでは言わないが、近いものがある」
「そこまで遅いのか?」
「確かに、遅いですね。まだ使える機能が充実しきっているわけじゃないが、数年もしないうちに追い付くとは思いますよ」
編集長に問われ、茂さんが苦笑いを浮かべながら肯定した。
「その遅さの理由は、安全のための処理にかかる保証だと思ってくれていい。ジャックのVR通信用データに置き換えられる施設は、まだ限られている。端末から発せられた情報は必ずその施設を経由させて変換しなければならない。スマホならばそれぞれのキャリアが発した情報は、すでにスマホで受けとるデータそのものだが、ジャックは違う」
「ええと、つまりどういうことだ」
どうやら編集長には理解しがたいようなので、補足する。
「つまりジャックはVR通信はまだ受信のみということですか」
「そうだ、発信に関しては従来のスマホとさほど代わりはない。厳密に言うと違うのだが、ここで問題になるのは、受信したデータの方だと思われる」
「じゃあその変換施設ってやつに不具合が出たのだろうか?」
「迫さん、私はそれは違うと考えます。変換施設──我々はターミナルと呼んでいますが、あそこに不具合があれば、まずこの程度の被害で済みませんよ」
「使用者はのきなみ倒れ、もっと死人が出るといいたいのですか!」
教授は頷き、かすれた声でその通りだと呟いた。
「ターミナルというのは、何機、どこにあるんですか? 外から介入されたなら、まるでテロじゃないですか。警察はもちろんそのことを知ってるんですよね?」
じっとしていられず、思わず口を挟み疑問をぶつけてはしまったが、教授は信じられない反応をしたのだった。
返答に困ったように口を閉ざし、俯いたのだ。
そんな教授の真ん前にいた編集長が、目の前のガラス製の美しいテーブルを思いきり叩いた。
「もう死人が出てるんだ、篠田さん!」
「……わかっている」
「わかってねえ! 脳死だ、ジャックが人を殺したんだぞ!」
教授は白髪の頭を抱え、肩を震わせながら声を絞り出す。
「知らないんだ、私たちもターミナルを探したことがある。だが教えてもらえなかったんだ」
「……どういうことだ、検証に参加したんじゃないのか」
「データを取るのにターミナルに行く必要はない。動物実験から始まり、人へと移行したときに協力を求められ、部下に指示を出しただけで」
「部下って誰ですか、話を聞きたい」
「ダメだ、もう何もかも遅い」
絶望を浮かべた教授は、続けた。
「死んだ、死んでしまったんだ、二人とも」
「ちょ、篠田教授まさか……」
編集長も茂さんも、そして俺も紗羽も最悪の予想しか浮かばなかった。そして俺の前には絶望が横たわった。
「柳沢くんが担い、後に逢坂くんが引き継いだ。二人とももう……」
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