第三夜

 なんてことはないただの街並み、しかしすれ違う人から、視線を浴びているような気がしてしまう。

 視線が痛い、なんて言い回しがあるが実際の所、痛覚だけで済むなら、それほど良いことは無かったろう。

 痛みだけではない、胃の方にドッシリと来る重さ、表面から内部まで染み渡る寒さ、脳髄には縛られる感覚。

 これらが序の口のように感じられる不快感が、人々の視線から感じられる。

 勿論、僕の犯した罪をこの人たちは知らない、故にそんな目を僕に向ける理由も無いし、そもそも実際の僕なんて見ちゃいないだろう。

 しかし、僕がそのように感じてしまった時点で、向こうの感情など何の関係も無いものなのだ。

『気味が悪いわ』『消えろ』『怖い怖い』『信じられない』『汚らわしい』『来るな』『おかしいよ……』『死んでしまえ』『こっち見たぞ』『殺さないで』『ありえない』

 そんな風に、僕のことを穢れた卑しい奴隷のように罵倒する、幻聴すら聞こえてくる。

 あの日、あの血を本当に吸ってしまったあの日以来、僕の目から見る世界は、このように、どこもかしこも曰く付きの廃墟にいるかのような、そんなどんよりと寒気を感じる気持ちであった。

 今は、そんなあの日以来、もはや日常になってしまった通勤中だ。

「あ、先輩。おはようございます。」

 後ろから、智恵ちゃんの声が聞こえてくる。

「先輩? 大丈夫ですか? そんなことを言うなんてらしくないですよ」

 彼女は、そんな訳の解らないことを言ってくる。

 僕は、今何か言ったのか? もはや現実すら認識できないほどに、僕は疲弊していたのか。

 頭がクラクラする。痛い痛い痛い、疲れた疲れた疲れた。これを癒すには、どうすればいいのだろうか。

 「先輩? 先輩! 肩を貸しますから、取敢えずそこで、休憩しましょう。ね?」

 

 彼女はそう言って、僕の肩を担ごうと密着しようとした時、不意に彼女の首筋が、そして血管が見えた。

 プツンと何が糸のようなものが切れて、次に崩れ落ちていく音が聞こえた気がした。

その瞬間、この女から、なんとも甘美な匂いがしてくるではないか。

 そうだ、目線なんてものは、最初からどうでも良かった。俺には、この匂いの元を躰に満たせさえすれば、それ以外どうだって良かったじゃないか。

 そうだ、今こそチャンスだ。この前は、飲めたといっても、死んだあと時間の経った血。今、目の前のこれは、今現在刻々と流れ続ける新鮮な流血だ。

 これを吞まない手なんてあるのだろうか。

 俺が、意を固め彼女の首元に顔を埋めようととした瞬間

「先輩、安心して下さいね。私がいますから」

 と抱き留めてきた。

 僕は今、何をしようとした?

 果てし無い自己嫌悪が、僕を襲い闇に包んでくる。

 その瞬間、視界が世界が反転し暗転し、僕のお意識はぷつりと切れた。

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鬼の宴 藤 あすか @fujiasuka

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