43
「……ヒューマン! ヒューマン!」
「……っ」
少年が目を開けると、そこに、上から雨がぼとぼと降ってきた。
やっと、ダンジョンから出られたのか――
と、勘違いしたくらい。
それが、フェルパーの涙だということに、十秒くらいかけて、彼はようやく気づく。
期待はずれと知って、少年は、かすかに笑った。
真上にフェルパーの顔、となれば、頭の下の柔らかい感触は、フェルパーの膝か――と、察する。
「ま、まだ……う、ぅ……っ!」
「まだ地上に着かないのか?」と冗談を言いかけるが、少年は途中で顔をしかめた。
未だに、全身に痛みの残り香がある。
「大丈夫?! 無理しないで……!」
「だ、大丈夫……じゃない。無理だ……!」
「……なら、喋るなって言ってるでしょ!」
「あだっ!?」
フェルパーが、少年の額をはたいた。
実際つらかったので、彼はおとなしく従った。
数分は、どちらもしゃべらない。
ただ、沈黙でもない。
フェルパーは、さかんに鼻をすすったり、しゃくりあげたりしていた。
「……そんなに、辛いか?」
少年が言うと、フェルパーは鼻をこすり、すごい勢いで横を向いた。
「べ、別に……っ」
彼女の耳は、かつてないほどピンと張って、上向いている。
「ただ……あんたが、死ぬのかと思って」
「ふーん。まぁ、一人ぼっちに……なったら、寂しいもんな。こんな広いとこで」
「……うるさい、死ね!」
「いでっ!?」
フェルパーは、今度は少年の耳たぶを捻った。
だが少年は、つい笑みを浮かべてしまう。
「何、ニヤついてんのよ」
「いや……。ぶっちゃけ今、ボロボロなんだけどさ。めっちゃだるいし。ドラコさんクソ強くて、本気で殺されると思った。でも――」
少年は、すこし黙った。
「でも……それで、美少女にこんな泣いてもらえるんなら、意外と悪くないなぁ……って」
「え……っ!?」
一瞬、彼女は目をぱちぱちさせていたが、「美少女」と呼ばれたのが自分だと気づいたらしい。
大きな耳が、にわかに高速でビクつきはじめる。
「ふっ……ふざけないでよ!」
「んむっ!?」
フェルパーは、少年の頬をつかんだ。
と言っても、生易しい握力ではない。少年のくちびるが、行き場を失ってタコのようになる。
「次にこんな真似したら、絶対に許さない。肝に銘じておきなさい!」
「う、は、ハイ……」
フェルパーの涙と唾とが、顔にかかる。少年は、まばたきしながら、大人しく返事するしかなかった。
少年は、動けなかった。フェルパーにおぶられて、付近の何もない小部屋に移動する。
フェルパーは、袋の中身を床に広げた。
そこには、残ったルビーのかけらが、合計4つある。
少年は、そのすべてをフェルパーが使うことを薦めた。彼女がレベルを上げれば、より強力な魔術呪文が使えるはずだからだ。
しかしフェルパーは、強硬に反対する。
「あんたがレベル1のままで、すぐ死んだら困る。言ったでしょ、二度とこんな真似はしないでって」
「わ、分かったよ。レベル上げて、せいぜいお前の盾になっとくわ」
少年はそううそぶいた。
フェルパーは、ため息交じりで、
「……ほんとに、人の言うことを聞かないわね」
戦闘で疲れていなくとも、もう寝たほうがいい時間帯にさしかかっている。
フェルパーは、少年のすぐ隣に横になった。
彼女は何も言わず、ただ少年のほうを向いている。
心臓に悪いのではないかと言うくらい、少年の鼓動は激しくなっていた。
「……寝たの?」
「いや、寝てない」
(ってか、寝られるわけないだろ……)
「早く寝なさいよ」
「お前、俺の母ちゃんかよ?」
ぎゅううぅぅぅっ!
と、少年の太ももがつねられた。
「いってぇぇぇぇ! 何すんだ!」
「バカなこと言うから。私はあんたの……」
フェルパーは、そこで言葉を止め、ごほんと咳払いした。
「冗談は抜きで、早く寝なさい。……それとも、寝れないの?」
その言葉に、声に、少年はちょっと面くらう。
今まで聞いたフェルパーの声の中で、いちばん柔らかったかもしれない。
「あ、あぁ」
「どうして」
「なんか、変なの……じゃなくて、猫っぽいのが隣にいるからかな。はははっ」
フェルパーは、柳眉を逆立てた。
「……てのは冗談で」
少年は、あわてて方向転換する。
「なんか……どうしてこうなったのか、良く分かんなくって」
少年は、目をつぶった。
もちろん、眠ってはいない。
代わりに、色々な人々の姿を、脳裏に思い浮かべていた。
「六人……。六人も、死んだんだぞ?」
フェルパーは答えず、短く――ほんとうに短く、うなずいた。
「俺がダメだったのか、運が悪かったのか……は、微妙だけどさ」
「あんたは、ダメじゃない。そんなこと言ったら、私はもっと――」
確かに、お前一人で小部屋の中に引きこもったりしてたよな。
――と、もちろんそんなことは言わずに、少年は首を振った。
「でも……いや、『だから』かな? これからのことは、はっきり決まった。……なんか、それを考えちゃって、寝れなくてさ」
「これから?」
「あぁ。……フェルパー」
未だに重い腕をのろのろ動かし、少年は、フェルパーの首周りを抱きしめた。彼女の顔が、少年のすぐ横にまでやってくる。
「……っ?!」
「もう、何もできないのはいやだ。……ってか、そんなのクソ過ぎだろ? 六人死んで……それで、もう二人ってか?」
少年は、思い出を塗りつぶすように、ぎゅっと目を閉じる。
そして、今そこにあるものだけを、強く抱きしめた。
「ヒューマン……!」
「だから、お前だけはぜったいに守りたい。守らせてくれ」
「……はい」
二人は、一緒に眠りに落ちて行った。
トジコロダンジョン 八人の冒険者たち 相田サンサカ @Sansaka_Aida
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