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「……ヒューマン! ヒューマン!」

「……っ」

 少年が目を開けると、そこに、上から雨がぼとぼと降ってきた。

 やっと、ダンジョンから出られたのか――

 と、勘違いしたくらい。

 それが、フェルパーの涙だということに、十秒くらいかけて、彼はようやく気づく。

 期待はずれと知って、少年は、かすかに笑った。

 真上にフェルパーの顔、となれば、頭の下の柔らかい感触は、フェルパーの膝か――と、察する。

「ま、まだ……う、ぅ……っ!」

「まだ地上に着かないのか?」と冗談を言いかけるが、少年は途中で顔をしかめた。

 未だに、全身に痛みの残り香がある。

「大丈夫?! 無理しないで……!」

「だ、大丈夫……じゃない。無理だ……!」

「……なら、喋るなって言ってるでしょ!」 

「あだっ!?」

 フェルパーが、少年の額をはたいた。

 実際つらかったので、彼はおとなしく従った。

 数分は、どちらもしゃべらない。

 ただ、沈黙でもない。

 フェルパーは、さかんに鼻をすすったり、しゃくりあげたりしていた。

「……そんなに、辛いか?」

 少年が言うと、フェルパーは鼻をこすり、すごい勢いで横を向いた。

「べ、別に……っ」

 彼女の耳は、かつてないほどピンと張って、上向いている。

「ただ……あんたが、死ぬのかと思って」

「ふーん。まぁ、一人ぼっちに……なったら、寂しいもんな。こんな広いとこで」

「……うるさい、死ね!」

「いでっ!?」

 フェルパーは、今度は少年の耳たぶを捻った。 

 だが少年は、つい笑みを浮かべてしまう。

「何、ニヤついてんのよ」

「いや……。ぶっちゃけ今、ボロボロなんだけどさ。めっちゃだるいし。ドラコさんクソ強くて、本気で殺されると思った。でも――」

 少年は、すこし黙った。

「でも……それで、美少女にこんな泣いてもらえるんなら、意外と悪くないなぁ……って」

「え……っ!?」

 一瞬、彼女は目をぱちぱちさせていたが、「美少女」と呼ばれたのが自分だと気づいたらしい。

 大きな耳が、にわかに高速でビクつきはじめる。

「ふっ……ふざけないでよ!」

「んむっ!?」

 フェルパーは、少年の頬をつかんだ。

 と言っても、生易しい握力ではない。少年のくちびるが、行き場を失ってタコのようになる。 

「次にこんな真似したら、絶対に許さない。肝に銘じておきなさい!」    

「う、は、ハイ……」

 フェルパーの涙と唾とが、顔にかかる。少年は、まばたきしながら、大人しく返事するしかなかった。

 

 少年は、動けなかった。フェルパーにおぶられて、付近の何もない小部屋に移動する。

 フェルパーは、袋の中身を床に広げた。

 そこには、残ったルビーのかけらが、合計4つある。

 少年は、そのすべてをフェルパーが使うことを薦めた。彼女がレベルを上げれば、より強力な魔術呪文が使えるはずだからだ。

 しかしフェルパーは、強硬に反対する。

「あんたがレベル1のままで、すぐ死んだら困る。言ったでしょ、二度とこんな真似はしないでって」

「わ、分かったよ。レベル上げて、せいぜいお前の盾になっとくわ」

 少年はそううそぶいた。

 フェルパーは、ため息交じりで、

「……ほんとに、人の言うことを聞かないわね」

 戦闘で疲れていなくとも、もう寝たほうがいい時間帯にさしかかっている。

 フェルパーは、少年のすぐ隣に横になった。

 彼女は何も言わず、ただ少年のほうを向いている。

 心臓に悪いのではないかと言うくらい、少年の鼓動は激しくなっていた。

「……寝たの?」

「いや、寝てない」

(ってか、寝られるわけないだろ……)

「早く寝なさいよ」

「お前、俺の母ちゃんかよ?」 

 ぎゅううぅぅぅっ!

 と、少年の太ももがつねられた。

「いってぇぇぇぇ! 何すんだ!」

「バカなこと言うから。私はあんたの……」

 フェルパーは、そこで言葉を止め、ごほんと咳払いした。

「冗談は抜きで、早く寝なさい。……それとも、寝れないの?」

 その言葉に、声に、少年はちょっと面くらう。

 今まで聞いたフェルパーの声の中で、いちばん柔らかったかもしれない。

「あ、あぁ」

「どうして」

「なんか、変なの……じゃなくて、猫っぽいのが隣にいるからかな。はははっ」

 フェルパーは、柳眉を逆立てた。

「……てのは冗談で」

 少年は、あわてて方向転換する。

「なんか……どうしてこうなったのか、良く分かんなくって」

 少年は、目をつぶった。

 もちろん、眠ってはいない。

 代わりに、色々な人々の姿を、脳裏に思い浮かべていた。

「六人……。六人も、死んだんだぞ?」

 フェルパーは答えず、短く――ほんとうに短く、うなずいた。 

「俺がダメだったのか、運が悪かったのか……は、微妙だけどさ」 

「あんたは、ダメじゃない。そんなこと言ったら、私はもっと――」

 確かに、お前一人で小部屋の中に引きこもったりしてたよな。

 ――と、もちろんそんなことは言わずに、少年は首を振った。

「でも……いや、『だから』かな? これからのことは、はっきり決まった。……なんか、それを考えちゃって、寝れなくてさ」

「これから?」

「あぁ。……フェルパー」

 未だに重い腕をのろのろ動かし、少年は、フェルパーの首周りを抱きしめた。彼女の顔が、少年のすぐ横にまでやってくる。

「……っ?!」

「もう、何もできないのはいやだ。……ってか、そんなのクソ過ぎだろ? 六人死んで……それで、もう二人ってか?」

 少年は、思い出を塗りつぶすように、ぎゅっと目を閉じる。

 そして、今そこにあるものだけを、強く抱きしめた。

「ヒューマン……!」

「だから、お前だけはぜったいに守りたい。守らせてくれ」

「……はい」

 二人は、一緒に眠りに落ちて行った。

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トジコロダンジョン 八人の冒険者たち 相田サンサカ @Sansaka_Aida

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