第2話 ジャングル地方

 吾輩は夜になったのでサーバルながらちょっと機嫌が良い。一方で鞄は夜は眠るものだと言わんばかりに寝床を求めていた。

 すると木立こだちをがそごそ揺らして来るものがある。鞄は警戒していたが出てきたのはごく小さい物体である。

 それのことを、多くのフレンズはボスと呼んでいる。ちょっと気取きどった奴らになるとラッキービーストなどと呼んだりもする。正体は定かではない。何しろしゃべらないので知りようがない。フレンズの味方であることは確かなようで我々の害になることはせず時折ときおり現れては去っていく。

 る日吾輩は此奴こいつがなんなのかみとめようとして、持ち上げたり蹴飛ばしたり立ちふさがってあゆみをさまたげようとしたがそのことごとくをかわされてしまった。見ていた河馬かばはいつもの説教を繰り返した後でしもの如く質問した。「君は今までにそのおっちょこちょいで何度しくじった事がある」素早すばやさは河馬よりも余程よほど発達しているつもりだが智慧ちえ深慮しんりょとに至っては到底とうてい河馬の比較にはならないと覚悟はしていたものの、このといに接したる時は、さすがにきまりがくはなかった。けれども事実は事実でいつわわけには行かないから、吾輩は「廿にじゅうより先は数えていない」と答えた。河馬はあごにかかった赤毛を揺らして非常に笑った。元来がんらい河馬は過度に世話焼きなところがあって、彼女の説教を素直に咽喉のどをころころ鳴らして謹聴きんちょうしていればはなはだぎょしやすいフレンズである。

 吾輩は河馬の説教を思い起こして背中の毛を逆立さかだてたが、おびえる鞄をなだめるために「それはボスである」と微笑ほほえんでみせた。するといまかつて口をひらいたことのないボスが「はじめまして、僕はラッキービーストだよ」とのたまうので魂消たまげた。鞄は呑気のんきに「鞄です」などと自己紹介しているが、吾輩は心中しんちゅうおだやかではない。「喋れたのなら今まで黙っていなくても良かったじゃないか」と云っても吾輩の方へ見向きもしないボスに腹が立ったので蹴飛ばそうとしたがまたしても避けられる。「君はどこに行きたい」と問うので「図書館へ行くところだ」と答えたが、ボスは黙念もくねんとして一言も発しない。鞄が恐る恐る「図書館に行きたいのです」と云えば「図書館への案内をするよ」と素直な奴だ。ここまで見ていればサーバルながらわかることもある。ボスは鞄としか話したくないに相違そういない。吾輩は今まで通り喋らない置物として相手をしてやればよろしい。考えを改めるとすこぶる気持ちが良くなったので、ボスの小難しい講釈こうしゃくも聞いていられた。

  ジャパリパークは気候を元にしていくつかの地方に分かれている。

  それぞれに動物と植物が展示されている。

  図書館は森林地方にあるのでここから三つの地方を渡る必要がある。

  歩いて行くと途方とほうもない時間がかかる。

  なのでバスで移動する。

 ここまで聞いたところで鞄が寝入ってしまったのでボスも口を閉じた。話しかけても仕方がないので吾輩も鞄を守ったり寝入ったりしていた。

 朝日がのぼり「おはよう」と呼びかけると「食べないでください」と返す鞄を小突こづいて歩きだす。

 昨日は鞄が途中で寝てしまったためボスの講釈を覚えているか心配していたが、鞄は記憶が良いようで「歩いていけないからバスで行くと云っていましたが、バスとは何でしょう」と問いかける。ボスは吾等われらを先導しながら「バスは乗り物の一種だよ。それでは案内を始めるよ。時間は二時間程だよ」と答えた。吾輩もジャングル地方は何度かのぞいたがそのようなものはとんと見たことがない。だいたいそんな便利な乗り物があるのならフレンズの噂に乗るはずなのでボスの発言は胡散臭うさんくさい。しかし他に信ずるにあたいするものもないので吾輩は大人しく着いて行くのみである。

 ジャングル地方はサバンナとは違い背の高い木が鬱蒼うっそうとした森を形成しており、じめじめとしている。ボスによると熱帯雨林気候と云うらしいが重要なのは辺りにフレンズが散見されることである。

 我輩に良く似たオセロットや白黒のマレーバクをながめながら行くと、立派な尻尾を持ったフォッサというやつに「サバンナ地方のサーバルは問題児だと聞いている」と笑われたので、「失礼なやつだ」と橋から叩き落としてやるべく飛び掛かったが、尻尾で器用に立ち回られて勢い余った吾輩が泥濘でいねいに落ちる羽目になった。またおっちょこちょいでしくじってしまったが、ボスは気にする事もなく歩いてゆくので急いで追いかける。

 印度象、アクシス鹿、キングコブラ、南小蟻食、孔雀、タスマニアデビル、襟巻蜥蜴えりまきとかげ、オカピ等と挨拶をして進んで行けば、川に辿たどり着く。ボスは「この先は楽な道のりだよ」と云ったが、眼前がんぜんには濁流が在るばかりでとてもそうは思えない。「これが楽な道のりか」と鞄に代弁してもらったがボスは異音を発するばかりで仕方がない。川中かわなかで楽しい楽しいと騒いでいるフレンズがいたので、吾輩は話を聞くことにした。「私は小爪川獺こつめかわうそだよ」「吾輩はサーバルである。こちらは鞄」と答え、アンイン橋に行きたい旨を伝えれば「ジャガーに乗せてもらえば良いよ」と親切に教えてくれた。ジャガーは一日に二回ほど巡回していると云うので待つことにしたが、歩いていないと暇で仕方がない。小爪川獺が石をもてあそんで楽しい楽しいと騒ぎ出したので吾輩も挑戦したが、片方の手からもう一方の手に石を投げて掴むと云うだけで難しい。小爪川獺には「サーバルは不器用だね」と笑われたがその通りなので返す言葉もない。鞄はと言うと涼しい顔で石を何個も操っていた。

 吾輩が悪戦苦闘していると鞄が焦った様子で「待ってください」と叫ぶので何かと振り返れば、小舟をいて泳ぐジャガーが通り過ぎていくところであった。ジャガーは文句も言わずに戻ってくると、快く吾等を乗せてくれたので心根こころねが善いフレンズである。

 ボスが「ジャガーはネコ科では珍しく泳げるんだ」と説明すると「それでこのお仕事をしているのですね」と鞄がうなずいている。当のジャガーは「泳げなくて困っている子が多かったからね」と性根の善さを発揮していた。

 ボスが第一目標地点と定めたアンイン橋に着いたが、小爪川獺と出会った場所と同じく橋は壊れている。バスとやらも襤褸雑巾ぼろぞうきんごと有様ありさまで動きそうにない。実際動かないようでボスが「運転席がないよ」と云うので「似たようなもの対岸でを見たことがある」と云うジャガーに乗せてもらい対岸へ行けば、似たような色合いの指物さしものがあるのでこれが運転席であろう。

 運転席があったのは良いが組み立てなければ仕方がないので、ジャガーに運んでくれと頼んだが重すぎて小舟が沈んでしまう。

 吾輩が跳んで運べないか聞かれたので幅跳びを試みたが、ぼちゃんと音がして水に沈んでしまった。

 我に帰ったときは水の上に浮いている。苦しいから爪でもって矢鱈やたらいたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐってしまう。

 次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、サバンナの上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差支さしつかえはない。ただ楽である。いな楽そのものすらも感じ得ない。日月じつげつを切り落し、天地を粉韲ふんせいして不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏。ここまで考えたところでジャガーと川獺によって引き上げられた。危うく死ぬところであった。

 吾輩が息を吹き返していると鞄が「試したいことがある」と云うので「どうするのかね」「足場を幾つか渡して簡単な橋を作ります」「皆目見当がつかんから指示を頼む」と答えて鞄の指揮のもと作業に取り組んだ。心根が善く勤勉なジャガーと、器用で何事も楽しむ性分の小爪川獺は良い人足にんそくとなってくれた。

 アンイン橋の脚だけは流されずに残っていたので、つたり合わせて作った縄を橋脚きょうきゃくけて、破材はざいを組み合わせた足場を浮島のように並べることが出来た。試しに跳んでみたが問題なく幅跳びできるデスタンスなので吾輩は死なずに済む。ジャガーは「魔法のようだ」と感心しているがその通りで、鞄の智慧は大したものである。吾輩は、鞄が地図を折りたたんで飛ばした機転を思い出していた。

 吾輩はバスの運転席を担いで足場を乗り継ぎ、運搬に成功した。皆でバスを組み立てるとボスが運転席に乗り込み胡乱うろんな光を出し始めるので何が始まるのか身構えていたのだが、バスは少しうなり声を上げた後に沈黙してしまった。

 川獺とジャガーが「死んじゃった」「寝ているだけではないか」と話しているが、ボスは慌てた様子もなく電池切れだとのたまう。

 我輩には電池が何かはわからない。しかし鞄は感じるものがあったようで「それは増やせるのですか」と問いかける。ボスは「あそこの山頂にあるジャパリカフェの屋上で充電できるよ」と云うが、そこには顎を天に向けてようやく全容が見える岩山がそびえるのみである。鞄は「どうやって行くんですか」と困っているが、吾輩は次なる冒険に胸を躍らせるのであった。

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吾輩はサーバルである 黒骨みどり @naranciaP

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