彼女は、獅子の傍らに立ち続ける

 誰もが皆、生まれながらの戦士だった。

 男も女も、子どもも老人も、強くてたくましい。ラ・ガーディアの国のひとつ、最南のフォルネ、隣国のウルーグにつづいて建国されたイスカは、戦士たちの国だ。

 はじめに荒れ地の民が住んでいた。

 四兄弟の真ん中、イスカルが生まれた荒野は作物もろくに育たない不毛地帯が広がっている。嵐が来ると畑は駄目になり、藁で作った粗末な家も吹き飛ぶので、荒れ地の民はそのたびに黒馬を連れてまた別のところへと移動する。イスカルもそうやって、この地で生きてきた。

 イスカルが他の兄弟を知ったのは、彼が壮年の歳に差しかかった頃だ。

 長兄フォルはくすんだ色の金髪に灰褐色の瞳をして、その隣で微笑んでいたウルも金糸雀カナリア色の髪と翡翠色の瞳が美しかった。兄たちはイスカルよりも華奢で見るからに弱そうで、しかし弁舌はイスカルよりもずっと長けていたため、イスカルは彼らの話に夢中になった。

 疑いもせずに兄たちの声を信じたのはイスカルが純粋だったから、それに容姿はまるで似ていなくとも彼らとはおなじ血が流れている。余所者扱いされてきたイスカルにとって、それは希望にも似た光だったのだ。

 末弟サラザルが見つかり、四兄弟が揃った。

 兄弟は西の大地に四つの国を築き、それぞれが治めるようになった。荒れ地の民を制したイスカルは獅子王と呼ばれ、その名は後世に伝わる。大きな獅子を仕留めたイスカルの伝説を荒れ地の民の子どもらは憧憬どうけいする。荒野を統べるイスカルの血は受け継がれていく。

 南はウルーグ、北はサラザールに挟まれた国、イスカ。シオンもまた、彼の血を受け継いだ一人の戦士だ。

 回廊を行く途中で、シオンは足を止めた。

 祈りの間だ。小部屋の奥に掲げてあるのは黒旗、そこには四つ葉と獅子が描かれている。

 シオンは膝を突いてまず頭をさげた。左手を開き、右手には拳を作る。それは戦士の祈りの動作だ。もう一揖いちゆうして、それからまた歩みを進める。

 シオンを待っていたのは側女だ。

 エンジュに斬られたときに瀕死だった側女は、イレスダートの青年のおかげで助かった。せっかく母となって強くなっていたのに、恐ろしい思いをしたせいで、また臆病な性格に戻っている。

「奥方様、いえ……シオン様。お帰りなさいませ」

 行き先も告げずに勝手に王城を出て行ったのはシオンだ。さぞかし不安な思いをしたのだろう。側女は何かを訴えるような目をしている。

「スオウはどうした?」

 側女は黙って首を横に振る。獅子王は重鎮たちに捕まっているらしい。

 ここに戻る前に東を見た。モンタネール山脈はすでに白く染まっていた。白銀の世界が訪れたらイスカの黒馬とて、役には立たない。屈強な戦士たちも凍傷になり、死者よりも離脱者が増える。

 そうなる前に、動かなければならない。

 だというのに、未だに近臣たちのなかには獅子王に反発する者も多い。戦場で戦わないのなら、せめて足を引っ張ってくれるな。シオンは舌打ちする。

「シオン様。湯浴みの準備はできています。着替えもすぐにお持ちしますので」

「かまわん。このままでいい」

 にべもなく、シオンはふたたび歩き出す。しかし、シオンの足を止めたのは側女に隠れていた子どもだ。

「いまは座学の時間ではなかったのか?」

「母上が、もどってくるときいたから……」

 頭ごなしに叱る気にはなれない。少女のシオンは座学の時間を抜け出しては、他の子らを追いかけ回していた。おなじ年頃の少年も、年上もシオンは拳ひとつでやっつけた。

「シュロは、いつ戻ってくるの?」

 シオンを見あげる子どもの目は純粋だ。

「あいつはもう帰ってこない」

 この問いは二度目だった。子どもはシュロが西に戻ったのだと思い込んでいる。

 シオンは目顔で子どもを呼ぶ。おっかなびっくりシオンに近づいた子どもの頭を撫でてやる。母親らしく抱きしめてやればよかったものの、甘やかせるつもりはなかった。この子もイスカの戦士だからだ。

「さあ、ラギ様。まいりましょう」

 側女が子どもの手を引いていく。本当は二人とも知っている。シュロは死んだ。だからもう、戻って来ない。

 ふたたび回廊を東へと進んで、聖堂へとつづく扉の前で守卒に剣を預けた。

「あれはいつ来た?」

「小一時間ほど前です」

 なら、獅子王は重鎮たちを置いて軍議室から抜け出してきたのだろう。

 地下へと近付くにつれて、没薬ミルラのにおいが濃くなってきた。死者がシオンを呼んでいるのだろうか。だが、冥界へと行くにはまだ早い。シオンにはやらねばならないことが残っている。

「あいつは、時間だけは守るやつだったんだがな」

 シオンは独りごちる。

 シュロは約束の時間には来なかった。順調にウルーグの集落を落としていったはずだ。セルジュも一緒だった。ただ、人は完璧な生きものではないし、時として見誤ることもある。だからシオンは、シュロがウルーグに囚われたときいたとき、驚きはしたものの、それでも動揺はしなかった。友は必ず帰ってくると信じていたからだ。

 だとすれば、これは裏切りだろう。

 ウルーグのエリンシアは、イスカの俘虜ふりょを返すと言った。信じたシオンたちが愚かだったと考えるしかない。シュロたちは遺体すら返してもらえなかった。

「あれから、三年が経った」

 シオンに背中を向けたまま、スオウは言った。祭壇にはたくさんの灯火が見える。歴代の王、その家族たち、前獅子王にシオンの兄たち、エンジュ。そして、友のためにスオウは祈りを捧げていた。

「私たちは、またおなじ過ちを繰り返そうとしている」

「おなじではない」

 シオンは反論する。

「同胞との争いはたしかに醜く、際限がなかった。だが、今度の相手はちがう。隣国だ」

「私たちは、家族の次に兄弟と戦わねばならないのか?」

 問いにシオンは鼻で笑う。向こうはイスカを兄弟などと思っていない。

「裏切りに対して屈してはならない。イスカの掟を忘れたのか?」

「ならば、骨肉の争いをつづけてはならない。その掟もまた破ってしまうな」

 壁を殴ったシオンにスオウは嘆息する。

「シュロは死んだ。それがすべてだ」

 一緒にいたセルジュの名はなかったが、たぶんあれも死んだのだろう。

「エリンシアは何を寄越してきた?」

「謝罪と、それから弁明だ」

「何をいまさら」

「シュロは返す。しかし、ウルーグのエドワードは私と会いたがっていた」

「だが、裏切られた」

「エリンシアは賢い娘だ。過ちを犯すとは思えない」

「結果がすべてだ」

「思い出せ、シオン」

 金糸雀カナリアの姫。その隣には鷹がいる。戦う相手が獅子だろうと、平気で射殺すような少年だ。

「重鎮たちは何と言っている?」

「開戦の要求を」

「だろうな」

 まったく正しい。中には保守派もいるが、シオンから言わせればお荷物でしかない。

「私が先に出る。お前は、重鎮たちを説得しろ。口ではああ言っているが、戦力のすべてを獅子王に預けるつもりのない奴らだ」

 スオウが顎を引く。本当にわかっているのかどうか、あやしいところだ。

「迷うなよ、スオウ。お前が揺らげば戦士たちの士気に関わる。若い奴らは皆、お前の背中を見ている。ウルーグは敵だ」

「お前はいつも厳しいな」

「それから、二度とエリンシアの話はするな。……次は、お前の首を私がたたき斬るぞ」

 スオウがまじろぐ。シオンは一歩スオウに近づき、その胸を拳でたたいた。

「安心しろ。イスカはけっして負けない。けれども死ぬときまで、私はお前の傍らに立ってやる」

 友の分まで、そうすると決めた。シュロは笑うだろうか。カンナは呆れるだろうか。

「イスカは屈しない。イスカの戦士たちは戦いをやめない。お前が獅子王だからだ。わすれるなよ、スオウ。お前は自分が望んで獅子王になった」

 シオンはスオウに、誰のためでもなく自分のために生きてほしかった。己の心に偽りを持ってほしくなかった。

 生きたいと、そう願った少年には酷であるかもしれない。イスカはいつの時代も血が流れている。シオンもスオウもずっとそこで生きてきたのだ。

 イスカはウルーグと戦う。双方に多大な犠牲が出るなど、もうおそれはしない。どちらが先に滅びるだろうか。あるいは、スオウが王ではなくなるのが先か。

 その結果がどうであろうと、シオンは共にありつづけるだろう。その心のままに、シオンがイスカの大地と民をあいしているからこそ。彼女は、獅子の傍らに立ちつづける。

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彼女は、獅子の傍らに立ち続ける 朝倉千冬 @asakura

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