イスカとウルーグ②
一旦は収まったように見えても、隣国との関係は一気に悪化した。
首謀者たちを処分したところで、ちいさな火種は消えてくれなかった。いずれも血気盛んな若者たちだ。獅子王に敬意を示していてもその実、裏では生温いとでも思っているらしい。
半年が過ぎた頃にウルーグから親書が届いた。差出人はエリンシア王女だった。読み終えたスオウはむずかしい顔をし、痺れを切らしたシオンが声を掛けてやっと息を吐いた。
「この手紙は五通目だという」
「なんだと?」
シオンの問いにスオウは苦笑する。半ば奪い取る形でシオンは書面に目を通した。
ウルーグの王女エリンシア。金髪碧眼の美しい王女。金糸雀のように儚いかと思えば、文面の訴えは鬼気迫るものがあった。
遅れてシュロとセルジュが入ってくる。二人とも、すでに事情を知っていたようだ。
「ウルーグの訴えはもっともだな。だが、それよりもなぜここまで届かなかった?」
「何者かが故意に届けなかったのでしょうね。こちらが見聞したことと、あちら側の言い分とでは異なる点もありますし」
シュロのつぶやきにセルジュも声を重ねる。シオンはいま一度、親書を見た。
ウルーグ側の主張はこうだ。国境近くの集落を突然に襲撃したのはイスカ側であり、無抵抗の者たちを殺めただけでなく、略奪行為をした。女も子どもも容赦はなかったという。これは虐殺であり、ウルーグは遺憾の意を示す、と。
一文字ずつを丁寧に綴っているのは、いかにもエリンシアらしいところか。近臣たちの手を借りずに自分の意思で訴えている。
「とにかく、エリンシアにすぐに返事を出せ」
「同意致しますが、けっして謝罪を示してはなりません」
「俺も同意見だな」
シオンはまじろぐ。セルジュとシュロがつづいて、そしてその隣でスオウはだんまりを決め込んでいる。シオンは目顔で先を促す。
「事実のみを訴えるべきだと、そう申しあげているのです。ここであちらに謝意を伝えれば、イスカは不利となります」
「意味がわからない」
「この一件に獅子王は無関係であると、ウルーグ側は信じるとお思いですか?」
シオンは舌打ちする。エリンシアと近臣たちを説き伏せても、その隣にはまだもう一人がいる。
「エディ坊やか」
「私はあの少年を知っています」
「なに……?」
シオンはセルジュを
「ウルーグで捕まりました。保護された、というべきでしょうか?」
「なら、なんでお前はいまここにいる?」
「誤解なさらないでください。保護されたのは事実ですが、面倒なことになりそうでしたので逃げました」
嘘を見抜けばシュロとスオウがセルジュを殺す。わかっていて、このイレスダートの青年は声にする。
「とにかくだ。エリスもエディもまだ子どもだ。獅子王が誠意を込めて綴った親書を信じるだろうよ」
シュロがそう吐き捨てて、スオウはすでに文を綴っている。親書はウルーグへと届けられ、エリンシアの手に渡る前にあちらの宰相が
それで、終わるはずだ。誰もがそう思っていた。
イスカとウルーグとの小競り合いは続く一方で、より事が大きくなっていた。
攻め込まれれば迎え討ち、またその報復行為を繰り返す。ここまでくればどちらが先に手を出したかなど関係がない。若者たちだけに留まらず戦士たちはウルーグへの交戦の意を露わにする。獅子王の声などもう届きはしない。イスカの戦士たちにとって、隣国ウルーグは兄弟国などではなかった。
「ウルーグを滅ぼすか、それともイスカが先に潰れるか。時間の問題だな」
腕組みをするシュロの表情は冷えているものの、声は怒りに満ちている。同胞たちを殺されすぎたせいだ。
この日も軍議室でスオウは近臣たちと口論をつづけている。
スオウはあれからも親書を送っていたが、あれ以来ウルーグからの返信はない。あえて返事を寄越さないのか、それとも届いてさえいないのか。たしかめようもなかった。
苛立ちを紛らわせるようにシュロが部屋から出て行った。獅子王の私室でセルジュはずっと報告書を睨んでいる。
「お前は、イレスダートに戻る気はないのか?」
セルジュの反応は鈍かった。それほど集中していたのだろう。
「私には帰る資格がありません」
それだけ言うと、セルジュはまた書面に視線を戻した。シオンは嘆息する。言い切るくらいだから、よほどのことをやらかしたのだろう。
このイレスダートの青年は良家の貴人だ。つまり、本来使えるべき主君がいるはずで、それをあえて遠く離れた地に留まるというのなら、イスカのために存分に働いてもらおう。
外の空気でも吸いに行こう。ところが、シュロがスオウを連れて戻って来た。どうやってあの頑固者の集団から奪い取ってきたのか。シオンは失笑しそうになった。
「そこの軍師をしばらく俺に貸せ」
シオンやスオウよりも、名指しされたセルジュが落ち着いていた。
「おい、シュロ」
「そいつの本職は軍師だ」
それは、知っている。エンジュと南の一件で、この青年はシオンが考えるよりもずっと先にもう動いていた。
「いったい、どうするつもりだ?」
「ウルーグの王宮からエディ坊やを引き摺り出す」
「なに……?」
ウルーグの王女には弟がいる。エドワード王子。しかし、あの坊やは
「エドワードをエリンシアから引き離す。それで王女の精神的支柱を奪う。ウルーグの戦力は削がれる」
それまで黙りこくっていたスオウが言う。シュロはにやっとした。
「兵はいらん。俺の部族だけで十分だ」
シュロの子どもたちもずいぶん大きくなっただろう。あのときの少女はもう母になったかもしれない。シュロはとっくに子どもたちに西を任せて、自身は自由にしている。
「だが、それではお前が」
「たったいまから、俺は獅子王の右腕ではなくなった。離反した者が何をどうしようと、獅子王とは関わりなかろう?」
それでは困る。シオンの目顔を無視して、シュロはただひたすらにスオウを見つめている。
「ウルーグの国境付近にある、いくつかの集落をまず落とす。奴らは黙っちゃいないからすぐ動き出すだろう。策はそこの軍師に任せる」
数呼吸の空白があった。シオンもシュロもセルジュも、スオウの声を待つ。決めるのは獅子王だ。皆、それに従う。
「お前とシオンは、おれの友になってくれた。貧しい孤児の、何もなかったおれを」
「そうだ。それから、お前を王にしたのはシオンだ」
二人の視線がシオンに向かう。饅頭を奪い合った子どもの頃とはちがう。無垢で、ただひたすらに力だけを求めていた時分には、もう戻れない。
「安心しろ。お前が道を違えたそのときに、俺に代わって首を斬るのはシオンだ」
「そうなりたくないものだな」
「だから、この剣をシオンに預ける。使い込んであるからな。よく斬れるぞ?」
シオンは思わず笑ってしまっていた。そのとおりだ。シュロとスオウの背中をたたき、男たちの会話をそこで終わらせる。
「坊やと言っても気をつけろよ。あれは、鷹だ」
「鷹には獅子は狩れん」
しかし、それは一蹴される。実にシュロらしい言い方だった。こうして、シュロはセルジュを伴い、西の部族たちと発った。
もはや武力解決以外に道はない。ただ、シュロならばわずかに残った道を探り当ててくれるかもしれない。送り出したシオンもスオウも、そう信じていた。
冬がはじまる前には戻るとシュロは言った。それが友を見た最後だった。
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