イスカとウルーグ①
久方ぶりに地下聖堂へと入った。
やはり、ここは好きになれない。
天井が低く窮屈なのもあるが、それ以上にここの空気が嫌いなのだ。
聖堂に入ることが許されているのは限られた者のみで、いまではシオンとスオウの二人だけだった。
先客の姿はすでになく、しかし
シオンもまた祈る。左手を開き、右手には拳を作る。戦士の祈りの動作が終わっても、シオンはしばしそのままでいた。
ここには初代王イスカルの他にもたくさんの者たちが眠っている。
イスカルが愛した妻女、その子どもら。獅子王を継いだ者、その家族たち。シオンの父親であった獅子王も、兄たちも、そして母もここにいる。
シオンは祈る。彼らのために。それから、もう一人のために。
エンジュの身体は妻女に返してやったので、ここにはない。けれど、魂はどこへ還ったのだろうと、シオンは考える。もしも皆と一緒にここで眠っているのなら、シオンは招かれざる客だ。
気まぐれなんかでここに来るんじゃなかった。
シオンは苦笑する。イスカはようやく安定した。たくさんの血が流れすぎた。後悔はない。だけどこうも思う。スオウはそうではないのかもしれない。
「あいつは馬鹿だ」
シオンは独りごちる。スオウが来ていなかったら死んでいたのはシオンだ。それに、きっとスオウも倒れていた。イスカはふたたび乱れて、またいくさがはじまる。
粛正は終わった。エンジュに関わっていた者のほとんどが死んだ。妻女と子らは南へと返した。もう会うこともないだろう。
「待ちくたびれたぞ」
最初に迎えた声はシュロだった。
成人した息子たちに西の部族を任せたシュロは、余生をたのしんでいる。それにはまだ早すぎると、幼なじみをイスカの王城へと呼んだのはシオンだ。
「線が細すぎる。ちゃんと食わせているのか?」
ラギはまもなく七つになるが、おなじ年の子に比べてちいさい。痩せっぽちで大人しく、まるでシオンが拾った頃のスオウのようだ。
「だからお前に頼んだ。子どもの相手をしてくれてもいいだろう?」
少女の時分のシオンはしつっこくシュロに付き纏っていた。対してシュロは子どもの相手をしないの一閑張り、だが若い盛りを過ぎた戦士は、子どもらを鍛えなければならない。そうやって、シオンもシュロも、スオウも強くなった。
「そろそろ座学の時間も終わる。あれはまだちいさくて泣き虫だが、稽古を付けてやってくれ」
「そのつもりだ」
遠慮は要らない。そう、告げるシオンにシュロはにやっとする。
「まあ、それはいいとして。お前、南の一件はどう始末を付けるつもりだ?」
「南?」
目を瞬かせるシオンにシュロは真顔になった。
「スオウはいるか?」
執務室に押し入るシオンだが、そこにスオウの姿はなかった。文献に目を通していたセルジュがこちらに視線を向ける。
「しばらくは戻りませんよ。ご友人に会いに行ったのでは?」
では、行きちがいになったのだろう。シオンは舌打ちする。怒りの矛先は別にスオウじゃなくてもいい。
「……なにか?」
「南で争いがあったそうだな」
セルジュはようやく手を止めた。声を待たずにシオンはつづける。
「なぜ、私に何の報告もしなかった?」
「言えば、あなたは自ら南に向かったでしょう?」
「当たり前だ!」
「それでは困ります」
「なんだと?」
セルジュは無遠慮にため息を吐いた。失望の証だ。
「シオン殿は獅子王の奥方です」
「だからなんだと言うんだ」
「弟君の妻女らを南に返したのは、あなたと獅子王だ」
シオンは絶句する。嫌な予感が止まらない。
「ウルーグと戦争をするつもりですか?」
「馬鹿な。なぜ、話がそんなことになる?」
「慎重にならねば、それだけの事が動くということです」
先ほどから質問を質問で応えるのを繰り返しだ。シオンは力任せに壁を殴った。鼻から荒い呼吸を繰り返し、頭が冷えるまで狭い執務室を行ったり来たりした。シュロとセルジュの声を脳内で再生させるには、時間が必要だった。
事の発端は些細なことだったという。南は、隣国ウルーグとの国境近くであり、小規模な小競り合いはめずらしくなかった。
今回も同様の事例だったが、ウルーグ側がイスカの領域に侵入し、ひとつの村を占拠した。ここまで大胆なやり口ははじめてだった。
「どちらが先に攻めたなんてどうだっていい。問題なのは、そのやり方だ」
シオンの拳が震える。怒りはまだ収まっていない。
「先にイスカの集落を押さえたのはウルーグです。が、たしかにシオン殿の言うとおり、あれはやり過ぎだ」
掠奪、陵辱、虐殺。それらはすべてイスカの戦士たちの行いだった。若い戦士たちは血気盛んで正直だ。しかし、若者たちを
「エンジュの妻女は南の出身だ。たしか……、弟がいる」
「捕縛し、ただちに処分しました」
事もなげに言う。シオンは失笑しそうになった。
「あれらを返したのは間違いだった。お前は、そう言いたいのか?」
「いいえ。まったくの無関係だとは言いませんが、エンジュを慕っていた者がいるのは事実です」
エンジュは南を味方に付けていた。あるいは、純粋にエンジュの強さに
小一時間後にスオウが戻って来た。セルジュの姿はいつのまにか消えていた。
「奴らはどうも私のやり方が気に入らないらしい」
自嘲するスオウにシオンは眉を寄せる。エンジュの義理の弟。敬愛していたのなら、エンジュを殺した獅子王に恨みを抱くだろう。
はたして、それだけか。
イスカの男は強き者を好む。幼いエンジュがスオウを愛したように、その若者もまた。だとすれば、エンジュの意志を継いだと考えるべきか。
そこまで考えてシオンは眉間を揉む。わからないことだらけで、頭がおかしくなりそうだ。
「それが、どうしてお前を失脚させるのに繋がる?」
「内乱どころか、隣国をも巻き込みたいらしい。若い者たちの考えそうなことだ」
獅子王を玉座から引き
「そのようなことを、若い連中だけで思いつくだろうか」
「わからない。だからこそ、動けない」
「らしくもない声をするな。王がそれでどうする」
声を大きくするシオンに、スオウはかぶりを振る。
「王とて人間だ。お前ならば、よく知っているだろう?」
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