穴馬マンディアン 学校司書の不思議旅5
美木間
穴馬マンディアン
カーテンを開けると、雪が積もっていた。
雪のやんだ日に晴れると、冴えた空気に朝の陽射しが何本も突きささるのが見えるようだ。
じき、溶かされて、雪の上に、ぽこっと穴があき始める。
穴の中には、黒っぽい子どものこぶし位の塊がのぞいている。
「熟し柿じゃ、ほれ、なべに雪ごと入れてとってこい」
父がはしゃいでいる。
「穴馬じゃ初雪の降る頃にな、あんな風に黒くなって、渋柿が落ちるんじゃ。雪ん中で、おてんとうさんの熱で雪が溶けて、ぽこっと穴があいたみたいになるんじゃ。」
渋柿が熟して、隣りの家から張り出した枝から落ちたのだろう。
「早よせい、雪が溶けてしまったら食えんようになってしまう」
「食べるの?」
思わず聞き返す。
「そうじゃ、雪が歯にしみるんじゃけどな、渋が抜けて、甘もうなった柿とな、しゃりしゃりの雪とな、一緒に食べるとうまいんじゃよぉ」
こんな街中の雪は、とても食べられないと思うのだが、そう言おうとした時に、
「とってきてやって」
母に片手鍋とおたまを渡された。
しぶしぶ冷えこみの厳しい外に出る。
すぐそこであっても、マフラーと耳当てと手袋が欲しくなる。
やわっとした柿をつぶさないように、おたまで雪ごとすくう。
一つ、二つ。
照り返しで強い朝日に、目を細める。
凍った道路を行き交う車はいつもより少なく、人の気配は雪に吸われる。
雪の朝の外気は、すまし顔だ。
家に入ろうとすると、宅配便の業者と鉢合わせした。
玄関で受取り、母に頼まれるまま、その場で梱包を解いた。
梱包が頑丈過ぎてガムテープがはがせない時があるのだと、母は言う。
「あれ、このにおいって」
勢いよくテープをはがすと、ねっとりとした甘いにおいがたちのぼった。
ふたの隙間からのぞく粉吹きの橙色。
熟し柿だ。
寒さと空腹で甘いものに手が伸びる。
口に入れると、種までとろける熟し加減だった。
「中、なに入ってた」
母の声に我にかえり、ふたを閉じた箱に鍋をのせて、私は部屋へ入っていった。
「はい、これ」
こたつにあっている父になべを渡し、ダイニングテーブルに箱を置いた。
外から暖かい部屋に入ったら、急に寒気がして、私はそそくさとこたつにもぐりこんだ。
熱いほうじ茶で暖をとっていると、まぶたが重くなってきた。
「ずいぶんかさばるもん送ってきたね。何が入ってるのかね」
母が届いた荷物をあらためている。
藁をとりのける音が、もそもそと耳をくすぐる。
さっきとってきたお鍋の雪ん柿を、見るだけ、食べてはだめだという母の目を盗んで、父はこそっと雪ごと口に含んでいる。
あふれかえるほどの甘いもんに慣れてしまった舌には、子どもの頃のような美味しさは感じられないかもしれない。
それでも、郷愁の味付けは後引きらしく、もごもごと、父は、しばらく口を動かしていた。
今朝届いた父の故郷福井県の山奥からの小包を、母はこたつに持ってきた。小包の中には、緩衝材代わりの藁がごそっと詰められていて、やけに上等な布にくるまれたものが入っていた。
羽二重織の雪白の端切れでくるまれていたのは、古びたお椀だった。
それと、
「
突然、父は叫ぶと、壊れものを扱うように、木目のきれいに浮かんだお椀を両手で掲げた。
眠りかけていた私はおでこをこたつにぶつけて、目が覚めた。
「椀貸って、山奥で、水辺だと竜宮の乙姫様が、洞だと山姥が、お膳やお椀を貸してくれるっていう伝承だよね。穴馬にもあるんだ」
「なんじゃ、知っとるのか」
父は、ちょっと悔しそうな顔をする。
「穴馬は、お姫様、山姥、どっちなの」
「知っとるんじゃったら、言わんでもよかろ」
父は、先回りされると気に入らない。
わかってはいるが、つい先回りしてしまうのは、私のよくないくせだ。
学校司書は、資料の提供だけではなく、時に課題への助言も求められる。
教員の領分に踏み込まないように、フォローするのにも技術がいる。
先回りは、職業病なのかもしれない。
「椀貸だったら、ちゃんと返さないと、たたりがあるんじゃないの」
「たたりじゃないんじゃ、仕返しじゃ」
「どう違うの」
「椀を貸すのは、神様仏様ではないんじゃから」
「どういうこと?」
「人じゃよぉ」
父は、すまし顔で、お椀の生地をコツコツ爪弾いたり、裏返したり、目を細めて木目を観察している。
椀貸しは、所謂、沈黙交易だ。
椀だけでなく、御膳を一式貸してもらうこともあったらしい。
お礼をしないと、家のうちこわしなど、ひどいめに合わされたとのことだ。
それにしても、とんだ乙姫様だ。
いや、山姥だって、そんな乱暴はしない。
穴馬の椀貸しは、父曰く、流れもんの木地師が洞穴に住み着いたんが始まりじゃなかろうかとのことだった。
「椀貸というからには、誰かが貸してくれって、頼んだのかな」
「頼んどりゃせんがな」
「じゃあ、どうして、うちに送られてきたの?」
「食うてもええんじゃろか」
押し問答に負けそうになって、父は、ふいっと会話をそらす。
「仕返しされるんじゃないのかね」
母がすかさずちゃちゃを入れる。
「もう、今さら、どもこもならんから、食うてしまえばええんじゃ」
「そうだね、もう、食べてしまったしね」
母の声に、私は気まずい。
断りもせず、最初に口にしたのは、私だ。
「柿はさっき食べたから、今度は栗の味見ね」
柿はともかく、どうみてもそのままでは食べられそうにない干し栗への興味が抑えきれず、私はひもからはずしてハサミで切り込みを入れ嚙みしめた。
「数珠栗は、穴馬のチョコじゃよ。チョコみたいな味がするじゃろ」
父が得意げに言う。
生の栗を天日干しにしてから煮て、ひもで数珠つなぎにして干した数珠栗の味は濃く、山奥のさらに奥の洞穴の向こうの気配をまとっている。
甘いもののない山奥では、この数珠栗が、ねっとりと舌に残る至福の甘味だったのだろう。
妙味とはこのことかと、気付けば1個食べ終えて、もう1個に手が伸びた。
3個食べたところで、ふと、
これは罠?
全部食べたら、洞穴の向こうへ連れていかれてしまう?
と、我にかえった。
栗チョコを味わったせいか、じき、バレンタインなのを思い出した。
今年も、恒例の不要物(チョコ)大没収大会が開催されるのだろうか。
持ってきた、持ってこない。
あげた、あげない。
隠した隠さない。
最早、学校行事となった感のある、バレンタイン持ち物検査。
図書室のテーマ展示のコーナーには、子どもたちからのリクエストで入れたチョコレート作りに特化したスイーツ本が並ぶ。
今までは、学校図書館向けの料理シリーズの堅牢本しかお菓子作りの本はなかった。
子どもたちがチョコレートに使える金額はそう多くはない。
友チョコの数が膨れ上がった結果、いかに安価で見栄えがいいものを大量に作ることができるかが勝負だ。
そのためにも、資料は多いほどいいのだ。
レシピサイトでも検索できるが、図書室で放課後、大きな写真を見ながら話すのが楽しいらしい。
さて、うちは、今年は、何チョコを作ろうか。
穴馬の果物代表干柿と、穴馬の木の実の代表数珠栗で、穴馬マンディアンはどうだろう。
父が、電話をかけている。
送り主の村役場にらしい。
話している間に、穴馬方言がいちだんと強くなる。
「そげなおかしなことあるか」
「……」
「そう言うてもな、ほれ、ここにあるんじゃ」
「……」
「そうか、ならわかった」
父は受話器を置くと、母に向かって言った。
「おかしなこと言うんじゃよ」
「何がおかしいの」
「送っとらん言うんじゃ」
「送らないのに、なんで、届いたの」
「柿と栗は役場のもんが送ったんじゃと。村がダムに沈んだ周年記念じゃとか言っとった。穴馬の味を、なつかしむもんがおるじゃろうとな。じゃがな、椀は知らんのじゃと」
父は、六客あるお椀を、こたつの上に並べた。
「そういえばな、尋常高等小学校を卒業して、わしが穴馬から出る年、いろいろあってな、なんも持たせられんなぁ、と、珍しくばばが、すまなそうにしとったよ」
父は記憶をたぐるようにつぶやいた。
「返しにいかにゃならんな」
「役場に、小包で送り返せばいいでしょうが」
「言ったじゃろ、お礼しないと、ひどい目に合わせられるんじゃ」
「だから、これを送ってきた人が借りたんだから、お返しは、その人がすればいいのよ」
母はめんどくさそうに父の説得を試みる。
椀貸が今の世にもあるということ自体がおかしなことだと、すでに誰も指摘しない。
こうなると、父の強情はおさまらない。
「この春で仕事もひと区切りだから、行こうよ穴馬。お椀返しがてら。行ってみたいと思ってたし」
私の声に、父と母がいっせいにふり向いた。
行ってみたかったのは本当だ。
古生代好きの息子の希望で、発掘体験できる所をずっと探していたのだ。
特別な発掘現場ではなく、普通の山での化石発掘体験ができる場所は、そうはない。
「言うたな」
父が、我が意を得たり!という口調で言った。
「言うたよ」
私は穴馬弁で答えると、大きくのびをした。
そうしたら、ふい、と、数珠栗に手がのびた。
穴馬マンディアン 学校司書の不思議旅5 美木間 @mikoma
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