Bystander(後編)

 現世に旅があるように、冥界にも旅がある。

 昔から語り継がれている事だそうで、人は死んだあと、最期の旅に出るらしい。それは、鉄道の旅もあれば街道を馬車で行く旅、飛行機でいく空の旅もあるのだそう。

 俺の場合は、船の旅だ。毎日毎日、飽きもせずやって来る『お客様』をボロ船に乗せて、三途の川を渡っていく。同じように、三途の川の船頭をやっている仲間に出会った事は無いが、『お客様』がよくその話をするから、同業者、は、三途に住んでいるのだろう。

 街道なら、三途の道、か。鉄道だとなんだ、三途鉄道か。空はよくわからん。

「で、お前。その恰好はなんだ」

 三途の街。上町の喫茶店、空須茶房。今日も仕事がひと段落したから、下宿先でコーヒーを頂いているところに紺色の制服を着て、髪から肌まで全身真っ白な天国の使いが隣のカウンター席に座ってきたのだ。

 わざとらしく首のスカーフを整えて、凛とした声で言う。

「アテンションプリーズ。こちら、三途・エアラインですわ」

「はあ」

「なに、私があまりにも似合いすぎて声も出ない?」

「何だかなあ。三途の人間を馬鹿にされてるようでたまらん」

「馬鹿になんかしていなさ。これも立派なお仕事」

「仕事? お偉いさんのご機嫌取りか」

「そんな低俗な仕事、しないって。三途の子が欠勤しちゃったから、私が代わりをやってあげただけ。どうせ天国行きだったし、暇してたから」

 カウンターの奥で寡黙にカップを磨いているマスターに「ブランデーちょうだい」、と手短に言うと、再びこっちに向き直る。足を組んでカウンターに肘をつき、こんなだらしのないキャビンアテンダントが居るか、と罵声を浴びせたくなるような姿だった。ましてや、宝石のような美しい瞳を持ち、うるわしい声で死人を天国へ導く、なんて謂われる天使がだ。

「良いのよ、天国ってそういうところだから」

「何も伝わってこないんだが」

「だって、天国だよ? この世の快楽も娯楽も、祝福も幸福も全部詰め込んだような所なんだから、

 言われて、確かに、と納得してしまった自分がいた。死人の多くは、少なくとも、俺の『お客様』は、死後の世界に何を望んでいるかと言われたら、ほとんどが「許される事」だった。先立たれた想い人と幸せになりたい。お腹いっぱいになるまで、メシを食いたい。働かないで、遊び続けたい。成し遂げられなかった事を、達成したい。

「だからと言って、案内する側のお前が体たらくじゃいけないだろ」

「もう仕事じゃないし。プライベートだからね」

「ああはい、そうか」

 出来なかった事を、許されなかった事を叶えたい。

 そういう連中にとっては、やっぱり天国って天国なのだろう。しかも、その対比にある地獄の事なんか考えもしないで。

「ああ、そういえば」

「うん?」

「この前運んだ、ガキ。確かあいつもそんなような事を言っていたかな」

 ロックグラスで出てきたブランデーをちびちび飲みながら、天国の使いは俺に疑問の目線を投げかけてくる。

 答えるようにコーヒーをすすって、続けた。

「自分は何も悪くないのに、勝手に悪者にでっち上げられて、仲間もどんどん居なくなった。敵に追われてひとり孤独に逃げ回る日々。お金もない、まさに生き地獄、だったんだと」

「あらまあ、可哀そうに。生きていながらに地獄に居たのかい」

「それで、とうとう敵に捕まって殺された。だから、この世で一番の不幸者は自分。自分こそ天国に迎えられるのは相応しい、ってねえ」

「でも結局地獄送り」

「残念でした、としか言いようが無いな。後で悪魔に聞いたら、敵に追われるようになったのは、それだけの事をしたからなんだってさ。若旦那だか何だが知らないけど、親の金で遊び呆けて、ろくに働きもせず、従者には威張り倒して――数え切れなくてこの辺りでやめたけど」

「現世で地獄を見てきたから、死後は天国に、って事かい」

「そういう事。よほど地獄が嫌だったんだろうな。送ったその日に、脱け出してきやがった」


「それは船頭、おまえさんも人の事言えないだろう」

「え?」


 考えもしなかった言葉に、思わずコーヒーをこぼしそうになってしまった。返す言葉が思いつかず、ただ茫然と見つめ返しているだけの俺をせせら笑う、天国の友達。

「あー、これ、言っちゃあいけないやつだっけ。ごめん、口が滑ったわ」

 ちらり、と喫茶店の時計に目を遣る。実のところ、待ち合わせをしていたのだが、この時間に来ない、という事はあの悪魔も仕事が立て込んでいるのだろう。

「なあ、天使」

「なんだい船頭」

「教えてほしい事があるんだ」

 思い出すのは、記憶の始まり。一隻のボロ船と一緒にいた事。そして、友達、と切り出してきた悪魔と天使。そして、自分に船頭の仕事を渡してきた、お偉いさん。

「亡者とは一体何者で――。俺は一体、何者なんだ」

 三途の人間は、公平で、平等であるために、心を無くさないといけない。余計な好奇心など持っていても表に出してはいけない。だからルイキリだって、生前の自分に興味があっても、好奇心はぼんやりとしているのだ。

「いいのかい船頭。これってルール違反じゃないのかい」

 配慮する気も無さそうな、酒が入った天使の声。自分の事を好奇心のままに求めてしまうなんて、やましいと、思う事が正しいのだろう。それか、そんなものには興味はない、と感情も記憶も薄めてしまえばいいのだろろう。

「天国の住民なら、どんな事を求められても許すんだろう」

 まさか、ブランデーの香りで少し酔ってしまったのか。馬鹿馬鹿しい、と頭では分かっていても、口ではもっと馬鹿な事を口走っていた。

「あはは。私、船頭のそういうところ、大好き」

 そうして残りのブランデーを一気に飲み干すと、ぐっ、と俺に顔を近付けてきた。アメジスト色の瞳が熱っぽく潤んでいる。流石は天国の使いなだけあって、姿だけは、美しいのだ。中身はおおよそ品性の欠片も無いが。

「あのね、船頭。亡者って、地獄を脱け出してきた、どす黒い執念の持ち主なのさ。どっちかって言うと、諦めの悪い人たち、かな。脱け出せない事を分かっていながら、それでも、何がなんでも這い出てきてやろう、って人。それでいて、棘の境界線を突破できた人」

「船頭は、向こう岸にも、川野にも、降りたことないだろう。ずっと、三途の川にいる時は、船の上」

「今度、降りて見ればいい。そうすれば、亡者の事も、自分の事も、良くわかる」



『お客様』を乗せて、ボロ船は順調に航路を進んでいる。

 天使に言われた事。よく考えてもみたが、お偉いさんに怒られるどころの話じゃなくなると一旦隅に置いておいた。いつか思い出したときにでもやってみればいい、時間は呆れるほどあるのだし、と自分を宥めて、そうしたら昨日の好奇心はやっぱり雰囲気のせいだったと結論付けてそろそろ仕事を上がろうと思っていたのだ。

その矢先、渡してほしいと頼んできたのがこの『お客様』だった。

「毎日こういう風に人を運んでるのか」

 年老いた白髪白ひげの男。俺の船に乗っているということは、ろくでもない事を、長いことしてきたのだろう。

「そうだけど」

 がたがたの歯を鳴らして、老人は笑った。

「そうか、そうか。ワシはな、お前さんみたいな若造を生前、手厚く面倒を見てやっていたんじゃよ。小間使いとしてな」

「俺みたいな? そりゃ、ロクな奴じゃなかっただろ。大変だったな」

「ふぇ、ふぇ。嘘つきで、人を簡単に裏切る、わがままなガキじゃった。まあ、ワシの若い頃には劣るがな」

 老人の若い頃は、絵に描いたような悪人だった。その武勇伝をべらべらと熱く語っていたが、ふと、近くにまで迫ってきた彼岸花畑を見据えて、沈黙した。ややあってから、悟ったように言い出す。

「じゃが、奴の面倒を、最期まで見届けてしまった。だからワシは、心の底から、悪人になれなかったんじゃ。地獄に堕ちるとばっかり思ってたんじゃがな」

「最期までって、弔ってやったのか」

「うむ……。奴を追ってきたとかいう、やくざみたいな連中に殺されたよ。それでもあのガキ、馬鹿なモンじゃからな、死んじまう前に、ワシに言うたんじゃ」

「もしかして、こうか。『ああ安心しろ、僕は絶対に天国に行く。こんな地獄で、生きたんだ』」

「ほう、知ってるのか、あのガキ」

「少し前に送ったからな」

「ふぇふぇ! ならワシもこのまま天国行きじゃな!」

「悪いが」

 あのガキ――若旦那なら地獄に堕ちたよ。そう言いかけたが、寸前で言葉を飲み込む。

「……ここから先の事を、俺は知らないからどっちに行ったかは分からないぞ」

「きっと天国じゃ。ワシは最期、そう祈ったからの」

「祈った?」

「あのガキが、天国へ行くなんて到底思えんよ。じゃがな、あそこまで誇らしげに死なれちゃ、祈らずには、いられなかったんじゃ」

 ワシには、絶対に行かれない場所じゃったからの。老人は大きく肩を落として、深いため息を吐いた。

「ワシは、もう何十年もの間、自分は血も涙もない冷徹な悪漢じゃと、思うてた。じゃが、最後に、ガキの為に祈ってしもうての。人間の心が残っていたなんて、初めてそこで分かったんじゃ」

「長く生きて、自分の事なんて知り尽くしていると思っていたがなあ。分からない事は、あるモンじゃ」

 そう言い残して、老人はひ弱な骸になって船を降りた。彼岸花畑の花が枯れる。地獄の入り口が開いて、老人の丸まった背中はそこに消えた。

 あんな老人でさえ、自分のことを知らなかった。なら、俺はどうなんだ。彼岸花畑が元に戻る間、じっ、と櫂を握る手を、見ていた。


 知らない事を、知らなくていいからと理由を付けて。怒られるからと、言い訳をして。せり上げてくる恐怖心に甘えた自分は、果たして天国に行かれるとタカをくくった亡者と、何が違うのだ。


 すぐに船を折り返さず、夕闇に包まれる三途の川の中、灯りを片手に船から降りてみる。



 そっと、花を踏まないように気を付けながら足を付ける。花の香りが、ふわりと全身を包むように香ってきた。いつも遠くから見る、仄明るい赤い光のなかに、今は自分がいる。

 後ろの濁った川を見ようと、振り向いてみる。そこにあったのは見慣れた川ではなく、地獄の棘が張り巡らされた、川だった。もはや棘の海とでも言えるだろう。あのガキが「こんな」と言いかけたのも納得出来た。

 少しだけ、息がもれた。これが、死人の見る景色。最後に感じる瞬間なのか、と。しかしその拍子に、口から血がこぼれた。灯りを持つ手に落ちて、その赤色のしずくは、バキ、なんて音を立てて固まった。まるで自分の手に赤茶色の結晶が根を張ったみたいだ。

「これは」

 見たことがある。ちょうど、今より少しあと、夜の帳が降りた三途の川で。

 自分を包んでいた花の香りが、一瞬、途切れた。何かと周囲を見渡してみれば、俺の周りの彼岸花だけ、枯れている。


「そうか――、そういう、都合か」

 笑った。声を上げて、さっき送った老人に負けないくらい、大きく、不気味に。こんな声が自分でも出せるのか、とにわかに驚きながら。

 笑った拍子に、バキ、バキと赤茶色のかたまりが全身に生えてきた。首筋に、脇腹に。片手に生えた結晶も、音を立てながら広がって指にまで届き始めた。

「はははそうだよな。こんなんじゃ、悪魔だって嘘を吐きたくなる。お偉いさんがなんだ、神がなんだ。誰だって俺を救えていないじゃないか! こんな、こんな」

 嘘で構成された俺を、しょせん神さまおえらいさんだって、でっち上げるしかなかったんだ。うまい話なんて、天国にも地獄にも三途にも、在りはしない。誰かの都合で、天国へ行く。地獄に堕ちる。そして、永遠なんて存在しないのに、ぐるぐると毎日仕事をさせられる。


 ふと、風が吹いて灯りの炎が揺れた。何事だろうかと見てみれば、小さく地獄の入り口が開いているのだ。

「おやあ、いつぞやの若旦那じゃあないか」

 その姿が彼岸花畑に放り出されて、地獄が口を閉ざす。二度目の脱走。前に見た時よりも、更にボロ布のようになっていた。血のかたまりが全身にこびり付き、今度こそ瞳は人間らしさを失って、夜のとばりが降りてきた暗闇のなかでぎらぎらと金色に輝いていた。

「もうあんたの話が聞けないのか。残念だなあ、もっと、聞きたかったんだがなあ」

 亡者の若旦那は答えず、獣のような唸り声を上げる。口から吐き出された血のかたまりが彼岸花を汚した。

「なあ、若旦那。どうしてあんたみたいなろくでなしでも、三途の川を渡って、無事冥界に辿り着けるか知っているか?」

 唸るような聞き分けのない答えが返ってくるよりも先に、亡者の首を掴む。ボロ布みたいな身体は簡単に持ち上げられた。

「死人は――誰かに弔われれば、此処に辿り着けるんだ。行き先が、どうだったとしても。それすらも無かったら、現世をさ迷う事になる。誰かに見つけて貰えるまで」

「あんたは、そのちっぽけな祈りすら踏み倒して、這い出ようとした。真面目に苦しんでいれば、もしかしたら地獄の鬼になれたかも知れないのになあ」

「楽になりたかった? こんなはずじゃ無かった? そんな根性じゃどこも地獄だぜ。生きていようが死んでいようが」

 手に噛みついてきた牙をへし折り、喉を潰す。必死になって掴み返してくる腕は、俺の赤茶色の結晶のせいで穴だらけだった。

「地獄に帰りたいか? なら許しを乞えよ」

 三途の川の船頭は、公平で平等であるために心を無くして感情を潰さないといけない。

 だが亡者は、どす黒い執念を持っていていいのだ。

「まあ」

 心のままに感情を吐き出しても、許されるのだ。

「あんたの帰る場所なんて、もうどこにも無いけどね」

 灯りの炎が、ひとりでに消える。真っ暗な夜のなか、亡者を棘の海に投げ捨てた。



「あー」

 仄かな赤い光のなかに、仰向けに倒れる。花びらが舞って、またふわりと香りに包まれた。

 赤茶色の結晶だらけの、いびつな手を眺めて吐き出した言葉は、三途の夜に消えていった。

「俺も、許されたかったなあ」



 現世に夜があるように、三途の川野にも朝がある。

「どう……。せん……。せんどう。船頭ってば」

 聞き覚えのある声がして、微睡みから覚めた。古い木材が軋む音に、水の揺れる音。

 そしてボロ船で寝そべっていた自分を覗き込む、三途の住民。

「おはよう。何でこんなところで寝てるの?」

「それは俺が聞きたいんだけど」

「しらねー」

 現世と冥界の番人、『迎え衆』の女、ルイキリが唇を尖らせた。船の上で寝ていて、よくひっくり返らなかったと驚いていたが、ふと最後の記憶が浮かんで、慌てて彼岸花畑を覗く。

 俺の心配を他所に赤い花は、何食わぬ顔で咲いていた。

「ルイキリ、ここにいつからいた?」

「いつ? ついさっき。仕事が終わってここ来たら、船頭が船の上で船こいでぶっ倒れてイビキかいた現場に遭遇したカンジ」

「はあ。そうか」

「どうしたの? 悪酔いでもした?」

「いや……」

 昨夜の出来事を、言うべきが、と少しだけ迷ったが、ルイキリのきょとんとした顔を見て、かぶりを振った。

「たぶん、そうだ。悪酔いして、嫌な夢でも見ていたんだ」

「あーあ。やっちゃったね。お偉いさんに怒られても知らないよ。とりあえず」

 立ち上がり、櫂を持った頃を見計らってルイキリはボロ船に飛び乗ってきた。

「丁度いいし、送ってよ。せっかくなら、下宿先の喫茶店にも連れてって。モーニング食べたいな」

「俺はタクシーかよ」



 ルイキリを乗せて、船は静かに水面を進む。珍しく、雲の切れ間から朝陽が、控えめに差してきた。

 櫂をこぐ手も、人間と変わらないそれで、安心しきった間抜けな息がもれてしまった。

 誰かの祈りを踏みにじった俺は、救われなかったけれど。もしかしたら、許されたのかも知れない。

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彼岸航路 重宮汐 @tokei

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