Bystander (前編)

 現世に日常があるように、三途にも日常はある。

 俺の日常は、日がな死人を船に乗せて、三途の川を渡り向こう岸の彼岸花畑に降ろす事だった。四季があるくせに、彼岸花だけは一年中咲くのだ。

「それしかやる事が無いからな」

 陽が落ちてきたら船を街の方へ漕ぎ出す。ギリギリに来てしまった死人が居ればそれは残業になるし、逆にこれ以上なく暇な日は早切り上げしてしまう。

 今日も同じだ。曇天の奥から僅かに見える夕陽が見えて、船の航路を変えた。

 三途の街は、坂なりになって上町と下町に別れている。

 坂通りの上町は、沢山の飲み屋の提灯やネオンサイン、バックライトに照らされた看板がせり出ている。街に着く頃にはもう夕暮れ時なので、やはり真昼の陽を見る事は出来ないが、夕闇どきのピンク色の空と、上町の看板の群れの光は幻想的だった。

 下町にあるのは民家と安宿街ぐらい――後は出張に来ている天国と地獄の上官たち専用の旅館だろうか。

 俺は上町の店で下宿させて貰ってるので、ほどほどに下町の事を知らない。

 坂の上、遠くに見えるシルエット。

 上町も下町も見下すようにそびえ立つ塔が今日も物々しい影を落としている。

「あれ、いつも見るけど何なんだろうな」

 それでも、永遠、なんて言葉は冥界にも存在しなかった。

 日常があるなら、それこそ毎日の往復に変化は無いものの、全く同じ一日が繰り返される事は無い。

 だからきっと、俺が下町の事を知る日だって、いつか来るはずだ。


「ルイキリ?」

 船着場に船を寄せると、港に見知った女が歩いていた。思わず口に出してしまって、はっとしたが既に遅く、桟橋を騒がしく駆けてきた。

「船頭。久し振りだね」

 三途の人間で構成された、現世と冥界の番人、『迎え衆』のひとり――ルイキリ。

「仕事終わりか」

「いいや。今から。ちょうどご飯行こうと思ってたところなの」

「どこ行くつもりだったんだ? 定食か。それともラーメンか。女らしくパフェか」

「仕事の前にパフェなんて食べたら甘ったるくて調子出ないよ。しかも全部上町の店じゃない」

 調子付いたように言われて、考え込んでしまった。三途の街の店なんて、ほとんど上町だろうと。

 それも分かっているのか、ルイキリは桟橋に上がった俺をひっ掴むと、下町に続く階段を指差した。

「やっぱり仕事前はお蕎麦でしょ。わらび屋行こう!」

「蕎麦? わらびなら甘味処じゃないのか」

「あれ、もしかして知らないの? 下町で一番有名な蕎麦屋さんだと思うんだけど」

「ああ、えっと。俺全然下町行かないから」

「そうなの? なら尚更だね。今の時間なら天ぷら一つオマケだよ!」

 言われるまま、下町に下りる。それこそ、下町に行くのなんてルイキリと最後に会った時よりも更に前の事だ。

 入ってすぐの高級旅館街を抜けて、銭湯を右に曲がると既に列を作っている店があった。

「うわあ」

「ま、ちょっとの辛抱。大丈夫まだ夜になるまでは時間あるから」

『迎え衆』の仕事は主に夜だ。だからと言って、付き合わされるつもりは無いのだけれど、ルイキリは蕎麦屋以外のことを考えていないらしい。列を見て悲鳴を上げた俺の腹の虫が、虚しく下町の石畳に消えていった。


 へいお待ち、と威勢のいい声と共に置かれたかけ蕎麦がカウンターの上で湯気を立てている。上町も下町も店が騒がしいのは同じのようだ。たぬきが何丁、月見が2つだ、やれ出汁を少し薄くしろ、うちはコロッケやってねえぞ、と、厨房とカウンターの間を大げさにデカい声が飛び交っている。そんな事もお構い無しに、隣のルイキリは自分の山菜蕎麦をすすっていた。

「下町に住んでるのか、お前」

「ん? そうだよ。『迎え衆』の宿舎があるの」

「はあ、成る程な」

「船頭は逆にどこに住んでるの? まさか船で寝泊まり?」

「まさか。上町の空須茶房からすさぼうって知ってるか」

「名前だけは」

「そこで下宿させて貰ってるんだ。家賃は出さないといけないけど、運が良ければコーヒー飲めるから良いぞ」

「へえ。コーヒーなんて飲むんだ」

「そう見えないか?」

 少しふやけてきた海老天をかじりながら訊ねる。ルイキリは少し空を見ると、小さな声で「意外だった」とだけ呟いた。

「宿舎暮らしじゃ、女だと大変だろ」

「うーん。私だけ離れで暮らしてるから。そんなに気にしてないかなあ」

「そりゃ寂しいモンだな」

「衆の兄弟たちも、下町の皆も優しいから平気。むしろ何で、女の私が『迎え衆』に選ばれたのかが不思議なんだって」

「お前が志願したんじゃないのか」

「違う違う」

 山菜蕎麦をすっかり平らげたルイキリは、どんぶりを持ち上げてツユまでかき込む。ぷはあ、と口を離すと続けた。

「気が付いたら『迎え衆』になってたの。持ってたのはこの反物だけ。記憶も無いから、まあ、やってみて何か答えを探せたらなあって」

「三途の人間ってほとんどそんな感じなのかもな。俺も大体同じ都合」

「そうなんだ。やっぱり生前の自分と関係あるのかなあ」

「どうだかねえ。生前の事なんざ、さっぱりだ。どちらにしても」

 海老天の尻尾まで食べ切って、俺も箸を置く。

「地獄行きのろくでなし達しか運べないんだから、俺だってきっとろくな人生じゃ無かったはずだ」

 お代は先に払っているので、特に急ぐ必要はない。そう思って食休みのお茶を飲んでいると、ふと先ほど自分が言った事が、妙に気になってしまった。

「それじゃあ俺は――?」

 地獄から来たとなれば、俺もあの親切な悪魔と同じ存在なのか。

 それとも。

「……地獄の境界線を破る、亡者」

 夜に浮かぶ不吉な金色の瞳を思い出してしまい、思わずかぶりを振ってしまった。

 死んでいるはずの自分が、殺される。

 そう強く感じたあの日から、恐怖という感情がしこりのように残っている。

 永遠なんて確かに存在しない。それなら、死人だからとて、死なない、事なんて無いのか。

「そう考えるなら、お前命がけなんだな」

「何が?」

「亡者相手にしてるだろ」

「まあ。それは。しょうがないじゃん。船頭だって最初はそうだったでしょ」

 ルイキリは大して気に掛ける様子もなく、カウンター席から降りる。慌ててその後に続いた。

「私、『迎え衆』としての事しか分からないから。命なんて無いけど、それが一番の亡者に対する向き合い方じゃないかなって思う。優しくはないけど――虚しくない」

 階段を上がる頃には、手前の灯りがもう付いていて、すっかり夜に包まれていた。

 上町の灯りは相変わらず騒がしいが、空の物々しさはどこへ行ったのか、静かな藍染の空が広がっている。ルイキリは準備を整えているらしく、懐から取り出した拳銃を何度か動かしている。

 流石は兵士というべきか。慣れた手つきで調節を終わらせると、それが本命なのか、墨染めの着物には似合わないライフルを背負った。

「ねえ」

 手元ばかり見ていたので、突然声を掛けられて反応が遅れた。ルイキリがどこかを指さしているので、それを目で追ってみると、ボロ船が一隻。

「折角なんだし、送ってよ」

「俺はタクシーか」


 先ほどまでは藍染の夜空が、少しだけ明るかったのに、少し本流に繋がるだけですっかり手元が見えなくなった。船首の灯りをつけて、不安なみちを辿る。ややあって、彼岸花畑が見えてほっと胸を撫で下ろした。

「すごーい、快適な船旅だった」

「そりゃどうも。運賃は蕎麦代で」

「ええ、取るの」

「そりゃ船頭だからな」

「意地悪。兄貴にでもツケておくね」

 それじゃあ、気を付けて。ルイキリは昔と同じ挨拶で彼岸花の中に消えていった。慣れきった航路に、日常に何を、気を付けるのか。

「そういえば夜に来るのは久しぶりか」

 ひとりでに呟いてみても、返ってくる言葉はない。昼間なら、誰かしらは暇つぶしに来るものなのだが。

「まあ、そうだよな。こんな物騒な所、天使も悪魔も寄りつかないか」

 居るのは三途の人間だけ。

「そうだ。折角なんだし、夜勤の船頭にでも会いに行くかな」

 ルイキリと同じような文句で櫂をこぐ。引き続き彼女だって仕事をしているのだし、俺の他にいる船頭だって見てみたい。友達は居ても、仲間はいなかった。

 色のない川野、夜に包まれたそこに船を寄せる。他に船がある気配はない。ただ、船の灯りが届いていない所から、石を転がす音が聞こえてきた。

「こんな夜半に『お客様』かい」

 船首の灯りを音のほうへ向けて見る。夜のなか、灯りの先に見えたのは『お客様』とも、亡者とも言えない姿の少年だった。

「嫌だ、嫌だ……」

 川野の石を転がす音に混ざって、泣き声のように弱々しい声が聞こえてくる。

「死にたく、ない。まだ、行きたくない」

 白装束のいたる所に、いばらで切り裂かれた痕が付いている。しかしまだ瞳は人間のそれ。赤茶色の血の塊は、大きな傷がある片足だけに留まっていた。人間らしい言葉も、聞き取れる。

「帰りたい。帰りたいんだ。まだ、死にたくなんか、ないのに」

 ぼんやりと浮かぶ光で照らして更によく見てみると、鋼の薄い板を地面に突き刺して、それを頼りに立っているのがわかった。

 刀だ。とすると、この薄汚い少年は、兵か何か、もしかしたら若旦那、だったのだろう。

 ちらり、と、灯りと共に視線を後ろに移す。白い彼岸花は咲いていない。

「若旦那の『お客様』。どうしたんですこんな夜に」

 声を掛けてみると、震えた身体は更に竦んだ。尻餅をついて慌ただしく後ずさると、杖代わりにしていた刀をこちらに向けてきた。

「そんな危ないものこっちに向けないで下さい。俺は人畜無害の船頭ですよ」

「う、嘘だ。お前のその船は、地獄に通じているんだろう」

「ああ、そういえば『お客様』、昼間、船に乗ってたね。顔が青白いんで、全然気付かなかった」

「天国に行かれるって言ったじゃないか。この、嘘つきめ」

「地獄に行かない、とは言ってないしね」

 それにしても、地獄がそんなに嫌だったのか。まさか半日で抜け出してくるとは思わなかった。やれ、また仕事が面倒だと、明日あたり悪魔が愚痴をこぼしに来るだろう。

「で、申し訳ないけど俺の船は片道しか運航してないんでね。向こうに帰りたいならもう一回金を払ってもらうぞ」

「嫌だ!」

「もう金が無いのかい。なら残念。泳ぐか、別の船頭に渡して貰え。それとも何だ。こんな薄汚れた川泳げないってか」

「川? 何言ってやがる、これはただの――」

 言いかけて、『お客様』の口が塞がれた。人間の姿をしているのに、立派な角を携えて、背筋も見事な猫背。いつもへらへらと笑っている。地獄の悪魔だ。

「オウオウ、若旦那ァ。それ以上は言っちゃあならねえな」

 少年が自分を包むようにしている悪魔を目にして、大粒の涙を流す。

「ここは三途の川。四季が死期を告げる場所だからナ。アッハッハッハァ」

 悪魔の冗談につられて俺も笑う。どうでもいい事この上無いが、上手い冗談だ。

「で、何ダ。金が無いから船に乗れないって? おいおい何だ情けねえな。お前もケチだな船頭」

「そうは言われても。仕事なもんでね」

「仕方ねエ。オレが払ってやるから、さあさあ帰りな」

 悪魔の片手から湯水のように湧き出る硬貨を前に、それでも頑なに首を振る少年。もう涙が出ないのか、頬にくっきりと痕が残っている。

「何ダよぉ。帰りたいんだろ? とってもステキな地獄に」

「ちがう……。ちがう、地獄なんか」

 悪魔から手渡された運賃を確認するが、どうも一枚足りない。その事を言おうと奴を呼び寄せると、今度は俺の肩に腕を乗せて、震える子犬のような少年を笑った。

「悪イな。今日忙しくて、血の気が盛んなやつに手が回らなくて」

「いいけど、一枚足りねえぞ」

 それに、と。悪魔が来てくれた事をいいことに訊ねてみる。

「あの『お客様』が言い掛けた事、なんだ。まさかここは川じゃないのか」

「マサカ!」

 ぴん、と指で足りない一枚の硬貨を弾き出す。

「サ、これで良いだろ。今日は残業代先に貰ってるから、この後一杯引っ掛けようぜ」

「まあ、それなら。でもあれ、どうするんだ」

 すると悪魔は、実に悪魔らしい、人を惹きつけて止まないような甘美な声で、ひとつ、俺の耳元で囁いた。

「ソレなら、任せナ」

 ぱちん。悪魔が指を鳴らす。

 すると、静かだったはずの川野が一瞬揺らぐ。かと思えば、地獄の棘が少年を囲うように地面から突き出て来た。

「あ、ああ!」

 目の前の、亡者にも成り切れていない死人を見下ろす。棘に拘束され、全身の傷が更に増えていく。確か昼間に、戦いの天童と自分は持て囃されていたと豪語していたっけな。

 近くに来てみれば、そのボロ布のような体裁が更によく分かった。長年連れ添った無敵の刃だか何だか知らないが、手入れも行き届いていない鋸みたいな刀は、見ているだけでため息が出た。

「現世になんか帰れない。あんたの帰る場所は、地獄だよ。亡者の若旦那」

「や――」

 棘で目の前が塞がれる直前、俺は目の前でふうっ、と灯りの火を吹き消してやった。

 

 現世に昼があるように、三途の川野にも夜がある。

 時間外労働、と言うべきだろうか。悪魔の友達と共に、全身を棘で拘束された亡者を運ぶ。頼りない灯りひとつで、向こう側の彼岸花畑を目指していた。

「便利だよな、それ」

「この棘かい。ヒヒッ。地獄の棘だよ。亡者に効果バツグンってヤツ」

「地獄には、沢山あるのか」

「勿論。地獄と三途の境界線には、コイツが張り巡らされてるンだ」

「それじゃあ、地獄を越えるのも一苦労なんだな」

「そういうコト」

 普段と同じ路を辿っているはずなのに、夜というだけでえらく遠くに感じる。

「なあ、やっぱり」

「アー、お前には迷惑かけたナ。酒ならいくらでも奢るから、この事は酒に流してくれよ。ナ?」

「……まあ、わかつた」


 曖昧な時間の出来事なんて、この後の酒で忘れてしまうだろう。

 都合の悪い事なら、忘れたほうが良いのは現世でも三途でも、きっと同じだ。



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