あと五センチのヴァレンタイン

圭琴子

あと五センチのヴァレンタイン

(今年のヴァレンタインこそ、つよしくんに気持ちを伝えるんだ……!)


 理沙りさは一ヶ月も前から、甘いものが苦手な剛の為に、カカオ100%の渋みのあるチョコレートを買い込んでいた。トレードマークになっている剛の眼鏡のフレームの色でもあるライトパープルの袋でラッピングをして、ゴールドのリボンをかける。カードは、敢えて付けなかった。剛にその気がなかった時は、友チョコとして捉えて貰えるように。


 同期の剛と理沙がバディを組んで、四年になる。初めは、同期ばかりでなく入ってきた新人一人一人に細やかに目を配っている剛に、理沙は強く憧れていた。夜遊びが好きで居眠りが多い所は、自分がサポートしなければと、小姑のように叱責した。剛はのらりくらりとそれを躱していたが、悪い気はしないようで、理沙の好きなくしゃっとした笑みを見せていた。


 いつからだろう。それが当たり前になって、それだけでは物足りなくなって、夜の街に消える剛の背中を焼け付くような嫉妬で見送るようになったのは。


 理沙も最初は、その感情が何なのか分からなかった。眠れない夜が何日も続いて、ついに剛に抱かれる夢を見て初めて、己の感情に名前を付けた。恋、なのだと。幼い頃のそれを抜けば、大人になって初めての恋だった。


 現状の関係が崩れてしまう事を恐れ、何もアクションを起こせなかった理沙だが、今年は覚悟を決めたのだった。


    *    *    *


 午前八時五十八分。今日も滑り込みで、剛はやって来た。タイムカードを押して、おはよう、とやる気なく呟きながら部屋に入ってくる。遅刻してもどこ吹く風なので、走ってきた様子もなく、スラックスのポケットに両手を突っ込んでいた。


「剛くん! おはよう」


 理沙は内心鼓動をはやらせながら、努めて普段と変わらないようにと挨拶をする。スーツの内ポケットには、カカオ100%チョコレート。


「ああ、おはよう。理沙ちゃん」


 だが剛は、常と違うものを感じ取ったようだ。長身の腰を屈めて、理沙の顔を覗き込む。


「ん? 今日は、お小言はなし?」


 そして理沙の好きな笑みで、顔中をくしゃくしゃにする。その近さに、理沙は頬を染めて俯いた。


「そっ、それは……たまには、勘弁してあげようと思って……」


 しどろもどろに理沙が呟くと、剛は笑みを深めてスラックスのポケットから片手を出した。理沙の薄い肩にポンポンと掌を乗せ、上機嫌だ。


「それは、珍しい事もあるもんだね。ありがとう」


 そして並んでデスクに向かう。


「……あのっ……剛くん、後で話が……」


「あ……今日、ヴァレンタインか」


 理沙が勇気を振り絞って切り出そうとした時、剛のウンザリしたような声が遮った。その突然の不機嫌に、理沙はハッと剛の顔を見上げる。たった今まで笑みを見せていた表情は、歪んで不快を訴えていた。


「えっ……ヴァレンタインが、どうしたの」


 剛はやや茶髪の短い後ろ髪を、ぞんざいにガシガシとかく。


「面倒臭いんだよね」


 理沙が剛の視線を追ってデスクの方を見ると、その上にはカラフルなラッピングを施されたプレゼントが小山になっているのだった。


「迷惑なんだよな。受け取ったら勘違いされるし、いちいち返しに行くのも面倒だし」


(剛くん……プレゼント迷惑なんだ)


 そう思って体温が一度下がる思いをしていると、ふと剛が見下ろしてきた。


「……で? 話って何?」


 剛は聞き取っていたらしい。理沙はぽつりと訊いた。


「剛くん……ヴァレンタインのプレゼント、迷惑なの?」


「あ? ああ。好きでもない女性にモテたって、嬉しくない」


「貰ったプレゼント……どうしてるの?」


「受け取る意志がない事を示す為に一日放置して、捨ててる」


 心臓が痛くなった。毎年、剛がプレゼントを沢山貰っている事は知っていた。でもいっこうに恋人を作る気配はなかったから、ここの所、一番親しいといえる仲まで発展した自分にもチャンスがあると、理沙は一抹の希望を見い出していたのだ。痛む心臓を押さえながら、俯いて理沙は食い下がった。


「剛くん、好きな人いるの……?」


「うん。いるよ」


 これには、明確に答えが返ってきた。理沙は言葉を返せなかった。


「でも生まれてこのかた、自分から口説いた事がないから、どうしたらいいのか分からないんだ。おまけに相手はクソ真面目だから、色恋になんかうつつをぬかしてないで仕事しろ、って小言くらいそうだしね」


「えっ……」


 剛の夜遊びを止めようと、理沙がそんな事を言った事もあった。


「えっ」


 理沙はもう一度、小さく呟いて動揺する。


「……で? ヴァレンタインに、話って何、理沙ちゃん」


 剛がまた笑う。理沙の好きな表情で。


「あのっ……」


 理沙が真っ赤になって言い淀むと、不意に手首を掴んでぐいぐいと剛は引っ張っていく。


「つ、剛くん」


 着いた先は、屋内階段だった。一階ごとに扉がついたタイプのもので、ここを使う者は殆ど居ない。ようやく手首を解放されて、理沙は所在なげにそこを掌でこするのだった。


「……で? 話そう」


「あのっ……でも……迷惑だから……」


 それが言外に、剛に告白している事に理沙は気付かない。何も言えなくなって困惑している理沙に、剛は語り出した。


「僕の好きな人は、優等生でね。僕みたいな不良社員とは、間違っても付き合ってくれないと思ってた。だから、その鬱憤を夜遊びで晴らしてた。女性と遊ぶのが好きな訳じゃない。その他大勢からのプレゼントは迷惑だけど、好きな人からのプレゼントは大歓迎だよ」


 そして、理沙に水を向ける。


「……で? 君からの話は? 理沙ちゃん」


 心臓が破れそうに早鐘を打っている。理沙はその心臓の上にしまわれていたライトパープルの包みを取り出した。


「あのっ……! 剛くん、もし、もし良かったら……!」


「お願いします」


「へ?」


「僕も君と付き合いたい」


 先んじられて、理沙は唇をパクパクさせる。剛は包みを受け取って、リボンを解くとカカオ100%の一粒を取り出して、理沙の桜色の唇に近付けた。


「あーん」


「えっ」


「一緒に食べよう。銜えて」


 理沙は剛の言う意味が分からなかったが、取り敢えず控え目に唇を開いてチョコレートを口にした。


「食べさせて欲しい。理沙ちゃん」


「!?」


 剛は僅かに腰を屈めて、理沙の好きな笑みで待ち構える。理沙はしばらく戸惑ったが、やがて意を決して剛の唇に背伸びした。二人が触れ合ってしまうまで、あと五センチのセントヴァレンタインデイなのだった。


End.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あと五センチのヴァレンタイン 圭琴子 @nijiiro365

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ