第31話 過去
息子が部屋から出ていき、書斎には私一人になった。
本が高く積まれたその空間にいると、心が落ち着いていくのがわかる。
それと同時に、どうしてこうなってしまったんだろうとも考えてしまう。
私が望みすぎたのか。
何かほかに問題があっただろうか。
ただ、発端は私の知らないところで起こっていたはずだ。
これが私のせいであったとしたら、私が人を、心を、殺したことになるのではないか。しかしそれは考えるだけもう無駄であり、時間を戻すことはできない。
5年前、妻と長女は死んだ。
交通事故だった。
次女は意識不明の重体、長男も重傷と、私には不幸が一気に襲い掛かったかのような惨事だった。
あの日、運転していたのが私なら、仕事で家にいた私の命を差し出して2人を連れ戻せたなら…。
特別な日ではなかった。
私は、事故はなんてことない日常に突如として起こることを知った。
原因は対向車の運転手の運転ミスだ。
警察の話では、現場はカーブを曲がり切れず、センターラインを超えて妻の運転する車にぶつかった状態だったそうだ。それなりの速度が出ていたことから、検証がやや長引いたが、薬の副作用である強い眠気が原因で、正常時の運転ができなかったためと報告書には書かれていた。
事故を起こした運転手も、警察が到着した時には死んでいた。
名前を聞いても、傷だらけの顔を見ても、私の記憶にはない人物で、報告書にも加害者と被害者に面識・関係性はないと書かれていた。
どうして私だけが無傷なんだろうと思った。助かった息子と娘の前ですら、いつもの自分を演じることが難しい。空っぽになってしまったかのような喪失感がひどい。
息子の体の傷は何か月かかかって治ったが、心は何年もかかってしまった。
今でも、完全ではないのかもしれない。
入院中や退院して暫くの息子には感情が見えなかった。欠落してしまったのではないかとさえ思った。
眠る娘と「さよなら」をした日だけ号泣し、感情を見せたが、翌日からはそこで全ての感情を失ったしまったかのような表情だった。
結局私は逃げたのだ。現実が、私にとって悲惨すぎたから。
目覚めてもよさそうな日数が経っても目を覚まさない娘を見て、たとえ娘が目覚めても、現実を受け入れられないかもしれないと思ったのだ。
誰の許可もなく、私の独断。
そして夢のような夢を、私は娘に与え続けた。
それが娘のためだと思って。それは母にも姉にも、二度と会わせてあげることができない私の罪滅ぼしのようなもの。
娘はもう5年も目覚めない。
夢の中で生きている。
娘に過去を教えるのが息子という事実も、私が逃げ続けている証拠なのだ。
幸せな夢だけを。 なむなむ @nam81
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