不可抗力

 弾き飛ばされたミスティアさんと、駆け寄るエイリー。なおもふたりを追撃しようとする幹の束を、アイノの槍がまとめて切り落とす。


 「わたくしが相手です!」


 中距離の間合いならば、剣よりは槍の方が適している。アイノは伸び続ける幹を穂先で切り裂き、柄でいなす。ただ、あの剣聖ミスティアさんの剣で捌ききれなかったのだから、いかにアイノが達人とはいえ、次第に押されてくるのは必然で。


 「『スラッシュ』」


 アイノの眼前に踊り出し、毎度おなじみ基本の斬撃を放って、熊の怪物から伸びた幹枝を一気に数十本ほど斬り飛ばす。さすがの熊も怯んだと見えて、じりじりと地面に爪痕を残しながら後ずさる。


 「アイノはミスティアさんとエイリーを守ってあげて。くれぐれも、無理だけはしないでね」

 「お任せください!」


 これで後顧の憂いはなくなった。

 熊が二本足で立ち上がり、全身の樹木を震わせて咆哮する。周囲の草木の持つ魔力と呼応しているのか、森全体がざわめくようだ。

 熊に向けて羽ばたき急接近するわたしを突き刺そうと、再生したばかりの幹枝が凄まじい勢いでこちらへ突進してくる。


 「パリィ! あ、意外と、パリィ! これくらいなら、スラッシュ! いけるかも?」


 討ち漏らした枝をアイノが処理してくれることもあって、熊の攻撃を避けるのは思ったよりも随分簡単だった。わたしは難なく懐に潜り込み、聖剣の切っ先を熊の胸に向ける。


 「『アーマーピアシング』!」


 亜竜ヴルカンの時とは違い、ちゃんと樹木の隙間を狙って突き刺したはずなのだが、あまりにも手ごたえがない。さすがにこれだけ重量感のある怪物の中身が空っぽとは思えないが、もしかしたら樹木がぎっしり詰まっているだけなのかもしれない。


――と、なれば普通の生き物ではなく魔法生物であるわけで。


 「『ディスペル』!」


 周囲に漂っていた希薄な瘴気が一気に吹き飛ぶ。しかし、熊を構成する樹木には何ら変化がなく、解呪の音もない。熊は両前足を大きく広げ、そのまま抱え込むようにこちらへ倒れこむ。

 それを避けて後退すれば、再び猛烈な幹枝のラッシュが襲う。まあ、これは確かにミスティアさんでなくとも埒が明かないわけだ。


 「ディスペルも効かないんだけど……っ!」

 「効かないのではなくて、核が遠いのだと思いますー。どう見ても魔法生物なので、核さえ見つければ、リシアさんのディスペルで必ず倒せますー!」

 「あたしたちに考えがあるから、もうちょっとだけ熊を足止めして!」

 「わかった。信じるわよっ!」


 四本の足で地面を蹴りながら突っ込んできた熊をソードバッシュで弾き返し、間髪置かずに殺到する幹枝をとにかく斬って斬って斬りまくる。

 と、背後からキュエリの詠唱が聞こえてきた。


「『樹よ、土を喰らい、水によって生きるものよ』」


 いつか、書物の中で読んだことがある。魔法の威力を高めるため、対象の特性を呪術的に解き明かす前詠呪文プレフェイス。王国の魔法体系では、放つ魔法を強化して威力を高めるよりも、対象の弱点を読み解いて効果を高める方法が取られる。ディスペルにもちょっと通じるところがあるかもしれない。


「『樹よ、火の糧となるべきものよ。より善き火となれ、より大きな炎を生み出せ』」


 木材は多少の熱になら耐える――ボヤの熱風を受けた程度で木造建築の躯体強度が落ちることはない――が、まともに燃焼すれば元の強度は保てない。

 これだけ大仰な前詠呪文を歌い上げれば、当然魔法の威力は凄まじいものになる。直撃すればあの怪物といえど無事では済まないはずだ。


 ただ、それは直撃すればの話。


 「エイリー! 森の方に障壁を! とにかく思いっきり大きいやつ!」

 「えっ? なんで森?」

 「いいから! 早くしないと大森林が焼け野原になるわ!」


 エイリーは戸惑いつつも、残った魔力でどうにか光の障壁を作り出す。炎の魔法を防げるかは疑問だが、ないよりはマシだろう。


 「言っても無駄だと思うけど、ちゃんと当てなさいよ!」

 「まあまあ黙って見てなって。さ、ふたりとも下がって!」


 アルティの声に、わたしとアイノはその場から飛びのく。背後を見れば、キュエリのコンパスが禍々しいほどの魔力に覆われていた。あんなもの、ちょっとやそっとの障壁でどうこうできるわけがない。森の木々に当たれば一巻の終わりだ。


 「安心してくださいー。私が撃っても当たらないなら、私が撃たなければいいんですー!」


 そう言って、キュエリはおもむろにコンパスを放り投げた。森ひとつを焼き払うほどの魔力を秘めたコンパスが宙に躍り、羽ばたき飛び上がったアルティの手にしっかりと握りこまれる。


 「「『バーニング・タスク』!」」


 ふたりの声が重なって、アルティがコンパスを投擲する。コンパスを覆う魔力は炎の牙となり、鮮やかな赤い直線を描いて熊の腹に突き刺さった。燃え上がるコンパスから、炎とも魔力ともつかない深紅の糸が滲み出し、道管を通る水のように熊の全身を巡り、そして。


――目の前に巨大な火柱が上がり、乾いた破裂音が響き渡る。


 アルティとハイタッチを交わしたキュエリだが、ふと我に返って顔を青ざめさせる。


「あ、あ、私のコンパス、どうしましょうー……?」

「考えてから投げなさいよ!?」


 燃え盛る炎の中に呑まれ、コンパスが原型を留めていないのは言わずもがな。コンパスどころか熊の形も崩れかけ、火の粉が森に届こうかという勢いだ。障壁のおかげでなんとか飛び火は防げているが、長くは保たないだろう。


 「さすがに、あのままってわけにはいかないかな」

 「湖に落とせばいいんじゃないの? 長い棒かなにかで――」

 「あ、そこの樹なんてちょうどいいんじゃない? まっすぐで持ちやすそうだし」

 「わかった、ちょっとそこ離れてて。『スラッシュ』」


 わたしが聖剣を一振りして樹を根本で切断すると、傾ぎ始めた樹をアルティがしっかりと受け止める。そのまま振り回された樹が炎上する熊を直撃し、派手な水しぶきと共に巨体が湖に沈む。


 「お姉さま、せっかく燃えていたのに、あれでは火が消えてしまうのではありませんか……?」

 「アイノ、あの怪物の葉っぱ、針みたいだよね?」

 「ええ、松のように見えますわ」

 「一般的に、ああいう針葉樹は早く成長すると密度が低くなる傾向にあるの。気候がいいところで順調に育った針葉樹は建材にも適さないわけ。いわゆる年輪には早材と晩材っていう部分があって――」

 「ああいうスカスカな木は、水気がなくなればスポンジみたいに水を吸うって話!」

 「ざっくりまとめすぎなのよ……」


 アルティの身も蓋もない言い草に呆れつつ、湖上へと羽ばたき飛び上がる。熊の怪物はほとんど炭化し、染み込む湖水で身動きもままならないようだが、首元近くの一点から緑の若芽が芽吹こうとしていた。

 中心でくすぶっているのは、黒い炎のようなもの。ヴルカンの頭に埋まっていたものに似ている――が、そんなことはどうでもいい。とりあえずは聖剣を突き刺して、


「『ディスペル』!」


 いつも通りの音と共に黒い炎が消え、周囲の瘴気が払われる。熊の怪物はもはやただの焼け焦げた木材の塊となり、ぶすぶすと音を立てながら湖の底へ沈んでいった。


 「ミスティアさんは大丈夫?」

 「う、うん……気絶してるけど、傷は治療したからすぐに目を覚ますと思う。それより、今のって」

 「悪いけど見なかったことにして。さっきの魔物は、ミスティアさんとの戦いで消耗して湖に沈んだ。そういうことで」

 「でも」

 「そういうことで」


 エイリーは釈然としない様子だが、これで義理堅い子なので秘密は守ってくれるだろう――それよりも。


 「そこのふたりはなにしてるのよ……」

 「見てよリシア! きれいにカットされたエボニーの樹が落ちてたんだ。珍しいこともあるもんだよね!」

 「これだけあれば、私のコンパスも新調できますー!」


 見れば、さっき熊の化け物を殴り飛ばすのに使った樹が地面に横たえてある。初めて見るが、たぶんこれがムン・エボニーなのだろう。


 「……もしかして、わかってて伐らせたでしょ」

 「いやー、偶然だって! 不可抗力! 放っておいたら森ごと燃えてたし!」


 聖剣で軽く切り出してみると、すらりと真っ直ぐに伸びた通直木理が目を引く。人の手が加わっていないとは信じられないほど、木材としての完成度が高い。希少さ、丈夫さ、美しさ、なにを取っても最高峰の樹だ。正直胸が高鳴る。


 「リシアもちょっと嬉しそうじゃん」

 「そ、そんなことないわよ。でも、伐っちゃったなら活用しないと罰が当たるから、一応持って帰ろうか」

 「あ、あのー、よければ私のコンパスをー……」

 「作ってあげるけど、代金は取るわよ。どう見ても自業自得だったし」


 そこをなんとか、と悲壮さを漂わせるキュエリをよそに、アルティは周囲の樹を物色している。


 「ねえアイノちゃん、これもう一本くらい持ってってもいい?」

 「構いませんわ。よろしければ二本でも三本でも」

 「駄目だから! おいそれと伐っていいものじゃないの! アルティも引っこ抜こうとしないのよ!」


 かくして、アイノ王女殿下の『お散歩』はどうにか無事に終わり、王国周辺を脅かすワイバーンの群れは退治されたのだった。

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家具職人、うっかり剣聖はじめました。 北塚 @Kitatsuka

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