木の熊(not木彫り)
ミスティアさんの聖剣の切っ先が煌めき、そのたびに周囲に枝葉が散り積もっていく。斬るのに向かない刺突剣を器用に扱って、襲い来る枝を払っているのだ。それでも、木の熊が繰り出す枝の数は膨大で、とてもひとりの剣では防ぎきれない。
「『エステ・セイナ』! ミスティ、下がって!」
押し切られかけたところで、ミスティアさんの眼前に巨大な光の障壁が現れ、枝の奔流をはじき返す。魔法を詠唱したのは、後方で聖なる杖を高く掲げているエイリーだ。さっきは気づかなかったが、あの子もミスティアさんと一緒に来ていたらしい。
ミスティアさんは熊の攻撃が止んだ隙に後退したものの、肩で息をするほど疲弊している。エイリーは慌てて治癒魔法の詠唱をはじめたが、ミスティアさんが片手で制する。
「エイリーは動けない怪我人の治療を。あれを倒すことよりも、みなさんを逃がすことを考えてください」
「でも、それじゃあミスティが……」
深手こそ負っていないものの、その白い手足にはいくつもの傷が刻まれている。致命傷になる枝だけを選んで切り落としていれば、こうやって際限なく軽い手傷を負うことになる。そうは言ってもあれだけの枝に対処することは不可能で。
このまま戦い続けても勝ち目はない。よしんば怪我人を逃がせたとしても、ミスティアさんが無事でいられるかどうか。
「『ヒール』」
倒れていた冒険者に何気なく治癒魔法を掛けると、まるで新手の敵が来たかという表情でエイリーがこちらを振り返った。ミスティアさんも驚きに肩を震わせたが、こちらを振り向く余裕はなさそうだ。
「リシア!? あなたたち、なんでこんなところに?」
「あー……まあ、通りすがり?」
「のドラゴンスレイヤーですー!」
「その設定いい加減にやめなさいって」
「こんな森の奥に通りすがるわけないでしょ!?」
そんな話をしているうちに、わたしに続いてアイノも治癒魔法を使い始め、倒れていた冒険者たちがどうにか身を起こす。わたしも治癒魔法は専門外だが、少なくとも森の外まで逃げられるくらいには回復できたはずだ。
冒険者たちは涙を流さんばかりの勢いで感謝の言葉を述べて、這う這うの体でその場を離れていく。あとにはわたしたち6人と熊の怪物だけが残された。
「なにしてるの、あなたたちも早く逃げて!」
必死に呼びかけるエイリーの言葉を受けて、それでもわたしたちは動かない。ミスティアさんに倒せない魔物なんて、並の冒険者が何人束になっても敵うわけがない。アルティとキュエリはともかく、普段のわたしならさっさと退散しただろう。
ただし、今回ばかりは話が違う。
あれに立ち向かおうとしているアイノを護らなければならない、というのは建前で、わたしたち三人の頭にはエボニーのことしかなかった。このまま熊の怪物が暴れるのに任せておけば、間違いなくムン・エボニーの群生地は荒らされる。ここにしかない希少な木材が、永遠に失われるかもしれない。
――そんなことを、みすみす許していいわけがない。
「どうする? とりあえずいけるとこまで叩く?」
「いけるとこってなんなのよ。あれ、叩いて倒せるものなの?」
「とりあえず燃やしましょうー!」
「燃やすのはいいけど、そもそもキュエリの魔法じゃ当たらないでしょ。うっかり森を燃やしたら目も当てられないわよ」
ぐだぐだ言っている間に、アイノが一歩前へ歩み出る。
「お姉さま、ここはわたくしに一番槍を譲っていただけませんか」
「いや、王女さまを危険にさらすわけにはいかないし……」
尻込みするわたしに、アイノはにこやかな笑みを向ける。
「お姉さま、女王の資格とはなんだと思います?」
「え? ミスティアさんの聖剣とか、アイノの瞳のことじゃないの」
「確かに、この国の女王は聖剣と破邪の瞳を兼ね備えなければいけません。けれど、それだけではないんです」
障壁魔法の効果が切れて、ミスティアさんが再び剣を構える。エイリーの治癒魔法を受けて目立つ傷は治っているようだが、依然としてその表情には濃い疲労の色が見える。けれど、その瞳の闘志に揺らぎはない。
「女王とはつまりこの王国そのもの。すべての民衆の先頭に立ち、彼らの想いを代行し、王国に仇なすものを打ち倒す人間にこそ、女王たる資格があるのです」
打開策は見つからず、勝ち目はほとんどないにも関わらず、ミスティアさんは聖剣を振るう手を緩めない。あれこそが女王に相応しい者の姿なのだ。人々の先頭に立ち、自分の背後にある王国を護る、その姿こそが。
「どちらが即位するかは些末な問題です。ただ、わたくしはミスティ姉さまのように、女王の座に相応しい人間でありたいと、心からそう思うのです」
そう言ってアイノが槍の穂先を怪物に向けた、その時。
「エイリー! 下がって!」
ミスティアさんの鋭い声に、エイリーは障壁魔法の詠唱を中断して、困惑した様子で前を向く。しかし、もう間に合わない。熊の怪物から伸びた無数の幹は彼女の眼前にまで迫り、そして。
――間に割り込んだミスティアさんが、薙ぎ払われる幹をまともに受けて弾き飛ばされた。
「ミスティ!」
エイリーの悲痛な叫びより早く、わたしたちは思い思いに動き出していた。
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