銘木に釣られて
三人はなおも森の奥へと進もうとしていたが、わたしはその場で立ち止まって考えなおす。一度は上手くいったものの、このバランスの悪すぎるパーティーで進むのはあまりにも無謀だ。先ほどのように何頭ものワイバーンに襲われては、護衛としてアイノを守り切ることすら難しい。
「じゃあ、ワイバーンの群れもやっつけたことだし、もう帰ろうか」
「なに言ってんの!? まだ始まったとこだよ!」
「なにを言ってるんですかー!? まだ全然倒し足りませんー!」
「お姉さまの剣技をもっと見せてください!」
わたしとしては、ワイバーンを四頭も倒せばそれで充分だと思っていたのだが、
なぜかパーティメンバーから猛反対を受けた。
「いや、そもそも冒険者ギルドから一流の人たちが来てるわけでしょう? 成り行きでここまで来ちゃったけど、わたしたちが必死になって倒す必要もないんじゃない?」
「甘いねリシア、こういうのは一番多く倒したパーティには特別な褒美があるって相場が決まってるんだよ!」
「そんなの初耳だけど……ないよね、アイノ?」
「ならば、褒美を出すことにしましょう!」
「ほら!」
「ほらじゃない! アイノも変なこと言わないの!」
「べつに帰ってもいいけど、残念だなあ。この森の奥、エボニーの群生地があるって話なんだけどなあ」
「えっ……?」
エボニー、またの名を黒檀。黒く、重く、堅く、家具の素材としては最高級の一角を占める銘木。王国内で産出するとは聞いていたが、まさかこんな近くに。いや、でも。
「でも、エボニーが生えてるからって勝手に伐っちゃだめでしょう。国有林なんだから、許可を得ないと……」
「アイノ・サングリーズの名において許可しますわ!」
ああ、隣に王国の象徴みたいな子がいた……。
「だ、駄目よアイノ。エボニーっていうのは育つのにものすごく時間が掛かるものだし、普通の木材とは比べ物にならないくらい価値が高いの。どんな品種か知らないけど、物によっては同量の黄金にも匹敵するからね。そんなに軽々しく与えちゃ駄目だから。絶対駄目だから」
「王国の危機を何度も救ってくださっているお姉さまには、黄金くらいならいくら差し上げたって構いません。それだけの価値あることをなさっているんですから」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、見返りが欲しいわけじゃなくて、ただ自己満足でやってるだけなのよ。あ、でも、あの、参考までに、詳しい品種だけ知りたいかな」
「品種、ですか? ええと、なんと言いましたか……」
アイノが悩んでいると、アルティが珍しく神妙な面持ちになった。キュエリまでもが神を畏れるような表情で森の奥を見遣っている。
「ムン・エボニーだよ。今のところ、サングリーズ王国でしか生息が確認されていない、あらゆる木材のうちで最も黒い木材……」
「『闇を喰らう木』、『黒を生むもの』とか呼ばれている、あのムン・エボニーなんですー」
――ムン・エボニー
青黒檀とも呼ばれるその木は、伐採直後には一般的なエボニーよりもかなり明るい色を示す。切断面は緑色がかっていて、驚くほど黒いわけでもない。ところが、この木材は時を経るごとにどこまでも黒くなっていくのだ。一説には夜の闇を少しずつ食らっているとも言われ、良質なものは星のない夜空のような漆黒を呈する。
家具職人として一度は扱ってみたい木材ベスト10には間違いなくランクインするし、このサングリーズ王国においてムン・エボニーを越える高級木材は存在しないだろう。そもそも、あの木が市場に出回ったところなんて見たことがない。職人界隈では半ば伝説になっていて、実は絶滅したなんていう噂もあるほどだ。
それがこの森の奥に群生していて、王女さまが伐採を許可してくれた? そんな都合のいい話があってたまるか……本当に?
「……ワイバーンがエボニーの群生地を荒らすといけないし、とりあえず見回りにだけ行こうか。あくまで、見回るだけだからね」
「そう来なくっちゃ! 腕が鳴るねキュエリ!」
「やりましょう、アルティさん! あ、でもまた飛ぶのは勘弁してくださいねー?」
エボニーの群生地に着くまで、ワイバーンとは一度も出くわさなかった。
周囲からは何度か冒険者たちの声が聞こえてきたが、ワイバーンの討伐はそれなりに順調に進んでいるらしく、負傷者が出た様子もない。この分なら作戦の目的は十分果たされそうだと、アイノも上機嫌だったのだが。
歯車が狂い始めたのは、エボニーの群生地が目と鼻の先に迫った時だった。
「みなさん、お待ちください。うっすらとですが、向こうから瘴気が流れてきていますわ」
確かに、空気が奇妙に重くまとわりついてくるようだ。聖剣を鞘から引き抜くと、周囲に一陣の風が起きた。おそらく、知らず知らずのうちに薄い瘴気に包まれていたのだろう。
「瘴気って……ワイバーンはそんなもの吐かないわよね」
「これは、魔王だね!」
そんなアルティの能天気な声に、いつもなら「魔王ですねー!」とキュエリも続きそうなところだが、今日ばかりは様子が違った。
「北限の魔王……でも、まさかこんな所にまで」
「心配ありませんわ。この程度の瘴気ならば、魔王本人ではないはずです」
瞬間、森の奥から冒険者たちの怒号が上がった。続いてなにか重量物がぶつかり合う音、鎧の金属がこすれ合う音、そして魔法の炸裂音。なにか、尋常でないことが起こっているのは明白だった。
「行きましょう、みなさん」
先頭を切って駆け出したアイノの後を追って、わたしたちは森の最奥へたどり着いた。そこは台地へと続く崖の下、二千ヘーベほどの小さな湖があり、周囲では樹木が途切れて開けた場所になっている。
周囲では、負傷した冒険者たちがうめき声を上げていた。見たところ死者こそいないようだが、かなり深い傷を負っている者も見受けられる。数は二十人ほど、この作戦に参加している冒険者の数とだいたい一致する。
「く、熊……?」
「熊って、そんなわけ……」
キュエリの素っ頓狂な声に、半信半疑で彼女の指さす方を見てみれば。
――確かにそこには、熊がいた。
熊そのものではなく、熊のような形をした巨大な樹木の塊。木彫りの熊ならぬ、木の熊といったところか。ただ、その外見は川で魚を取りそうな雰囲気ではなかった。体長はワイバーンを優に越え、背中から飛び出た無数の幹枝が敵の接近を許さない。
その眼前で、ひとりの剣士が襲い掛かる梢をひたすら斬り飛ばしていた。滑らかな剣さばきは常人のそれではない。才能と、不断の努力、それらを以てしても到達しえない剣の境地。
剣聖、ミスティア・ランドグリーズが、熊の怪物と対峙していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます