第2話 どこかで猫がニャアと鳴いた
あいはその場で立ち尽くしてしまった。教室には人っ子一人いない。先ほどバケツを片付けに行ってくれた友人たちの姿も、担任である数学教師の姿も、隣の席の男の子の姿もなく、みんなどこかに行ってしまったようだった。その代わり、教室にはクラスメイトと同じだけの猫がいた。みんなそれぞれ種類は違うようで、白い毛並みの猫もいれば、斑模様の猫もいて、少し太めの猫もいれば、小さい子猫のようなものもいた。
「どうなってるの……」
やっとの思いで声を出したものの、あいは目の前の現状をうまく飲み込めなかった。教室内の机の上には、数学の教科書や筆箱、お弁当箱やリュックなど、それぞれの持ち物であったのだろうものが、ほとんど置きっ放しになっていた。まるで、ついさっきまで、教室に人がいたような、そんな雰囲気であった。
「……みんな、どこ行ったの」
あいは、濡れた靴下を放り出して、隣の教室へ向かった。もしかしたら何かの間違いで、みんな隣の教室にいたりして、なんていう淡い期待は、扉を開けた途端に打ち砕かれた。
「ひっ」
隣の教室も、その隣の教室も、三階の教室はすべて猫で埋まっていた。人の気配はない。人間のことばを発しながら、二本足で歩くのは、この階において、佐藤あい、ただ一人であった。
「な、なんなの」
こんなの普通じゃない、とあいは思った。校内の生徒はみな姿を消し、代わりに猫がいるなんて。どう考えても信じられなかった。
その時だった。
『あー、あー、マイク入ってるのかこれ』
突然、教室のスピーカーから男の声が流れ出した。普段、音楽やチャイムを流すためのものとして使われるそれとは比べ物にならないくらいマイクのボリュームは上がっていて、マイクの向こうで声を発しているのであろう男の、がさごそという布ずれの音さえ聞こえてくるようだった。
『アー、俺は三年五組の百目鬼ガイアだ。俺以外にも校内に「人間」が残っているようなら、直ちに校庭へ集まれ、至急だ』
声の主は上級生だった。一度聞いたら一生忘れなさそうな名前の主は、ただそれだけを大声で放送すると、アナウンスの電源を切ったようだった。
一瞬の出来事にあいは動揺を隠せなかったが、それでもまだ校内に自分以外の「人間」がいるということに少なからず安堵して、とにかく教室をあとに校庭へ向かった。
突如現れた多数の猫は教室内だけでなく、廊下や階段、下駄箱にまでその姿を見せていた。どこか不気味な風景に、あいは自然とその足を速めた。スニーカーに履き替えるのも忘れて、あいは素足に上履きを履いたまま校庭へ出た。
*
あいが校庭に出ると、そこには四人の人間の姿があった。その中には、普段あいのクラスで国語の授業を担当する教師の姿もあった。
「これで全員でしょうか」
あいが四人のもとへ駆け寄ると、国語教師である今浪薫が全員の顔を確認するようにぐるりと首を回した。一介の教師であるはずなのに、今浪は今日も相変わらずしわの伸びていないワイシャツに大きめのセーター、緩めのスラックスという、少しくたびれた格好をしていた。
あいも今浪と同じように首をゆっくりと回して自分以外の顔ぶれを確認した。前髪をオールバックにしている男子学生、凛とした出で立ちの女子学生、すらりとした細身の男子学生。あいが名前を知る人は一人もいなかった。
「もしかしたら放送を聞いていないだけで、まだ校舎に残っている方がいるかもしれませんね」
今浪はそう言うと、苦虫を噛んだような顔で短く息を吐いた。
「とにもかくにも状況の確認をしましょう。」
落ち着いた対応をする今浪の言動に、あいを含め四人の生徒たちはわずかばかりにも安堵した。この空間において、教師という頼れる存在がいることは非常に重要だ。今浪もそれを感じていたようで、黙ったまま顔をこわばらせている生徒たちを前に、じゃあまずは、と話題を切り出した。
「それぞれの自己紹介をしましょう。僕は今浪薫、国語科教師です。今は一年生を受け持っています」
ね、と今浪はあいに目配せをする。あいは普段、特に授業で目立つようなタイプではないから、国語の授業でしか顔を合わせない今浪が自分を覚えていたということに少し驚いた。
「先生、わたしのことを覚えていたんですか」
「そりゃあ、受け持ちの生徒の一人だからね」
今浪は目尻を下げながら笑う。
「じゃあ、そのまま佐藤さん、自己紹介して」
「あ、えっと、一年の佐藤あいです」
「一年か」
あいの自己紹介に反応したのは、オールバックの男子学生だった。あいより一回り以上大きな身体つきの男子学生は、厳つい顔立ちをしている。
「俺は百目鬼ガイア。三年だ。この前アメフト部を引退した」
その声を聞いて、あいはふっと思い出した。
「もしかしてさっきの放送は」
「そうだ。さっきの放送を入れたのは俺だ」
「明瞭な判断でしたね」
今浪は国語科の教師らしいことばを操りながら会話を進めていく。
「じゃあ次は」
「わたしは結城忍。二年。今浪先生には去年、国語の授業でお世話になったわ」
百目鬼に続いて自己紹介をしたのは、ロングヘアの似合う女子学生だった。凛とした声と表情は、いまこの場の空気において少しだけ浮いているようにも見える。結城と今浪が軽く目を合わせ会釈したところで、「じゃあ最後は僕かな」と、また一つ違う声が輪に響いた。
「僕は二年の佐久間ともき。よろしく」
百目鬼とは対照的に、ひょろりとした長身の男子学生が名乗った。物腰の柔らかそうな佐久間はそれ以上話すつもりがないのか、今浪の方へ視線を寄越した。
「これで今のところは全員ですね」
今浪はそう言って全員の顔をぐるりと見渡すと、軽く深呼吸をした。今浪にしてみれば溜息だったのかもしれないそれは、制服姿の四人を注目させるのには十分なものだった。
「とにかく、現状の確認をしてみましょう。もしかしたら、校内にもまだ誰かいるかもしれない」
今浪の言葉に、あいを含め四人の生徒は頷きを見せると、猫に溢れた校舎へと歩き出した。どこかで猫がニャアと鳴いたようだった。
ねこの学校 なしろねむこ @746zzz
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