ものすごく鼻が詰まっている。昨日、二週間前に医者からもらった花粉症の薬が切れた。最近では薬が効いていたのかなかなか鼻の通りが良かった。しかし愚かにも、別に1日くらい薬を飲まなくても大丈夫だろう。と、高をくくってしまった結果がこれである。また薬をもらいに行かざるを得ない。なんとも億劫である。少し前までは前回の処方箋を薬局に提出するだけで該当の薬を出してくれていたのに、この頃になって規制が厳しくなったのか、新しく薬をもらうにはいちいち診察を受け直さなければならなくなってしまった。


 私は病院が嫌いだ。正確には待合室が嫌いだ。全員何らかの疾患を持ってこの場に来ていると考えると、少し寒気がする。それが重篤な病を引き起こす感染症である可能性も少なからずあるわけで・・・。花粉症を患っているだけの私からすれば薬をもらうためだけになぜそんなリスクを負う必要があるのか。という言い分である。なので私はいつも待合室の外で待つ。性格が悪いのは自覚している。

 自転車をキコキコこいで近所の耳鼻科に向かう。朝一に予約したにもかかわらず診察番号は10番。皆考えることは同じで、面倒ごとはさっさと終わらせようということだろうか。

 鼻が詰まっている上に滅多に家から出ないので、ほんの数百メートルの距離でさえ息が切れてしまう。情けない。フルマラソン走ってきたみたいな息遣いで到着。

 受付に名前と番号を告げる。受付横の電光掲示板には、「現在6番」と出ている。まあまあ良い時間に着いたんじゃなかろうか。

 もちろん待合室の外の廊下で待つ。少し寒いが廊下にも3つほど椅子があるのでそこに腰掛けじっと待つ。


 私は何かを待つのは苦手だが、こういう時間は嫌いじゃない。待っているのが好きなのではなく、一人でいる静かさが好きなのだろう。一人でいる時の静かさは自分の奥深くの芯の部分にじんわりと染み込んでくるような、自分の肌とすごく相性が良い毛布に包まれているような、そんな気持ちになれる。

 しかし、同じようなことを考える人も居るらしく、一人の男が待合室から出てきて私の横に座る。


 一気に嫌な空気になる。たぶんその男はなんとも思っていないだろう。だが私に言わせれば、これは明らかに先ほどとは別種の沈黙なのだ。逃げ出したくなる。こんな時どうすれば良いのだろうか。座った途端にどこかへ去ったら相手は嫌な気分になるだろうか。そもそも向こうも好きで私の隣に座っているわけじゃない。なんて傲慢な考えなんだろう。自分が嫌いになる。こんなことで陰湿に考えを巡らせている自分が・・・。

 少し時間を見ていかにも芝居がかった動きでトイレに行こうとする。ちらりと待合室の電光掲示板に目をやる。まだ数字は6のままだ。時間がかかっているのだろうか。ちょうど良い。

 院内にはトイレがないので近くの公園まで歩いていく。特に急を要していたわけでもないのに用を足す。先客が念入りに手洗いやらうがいやらをしていて時間を食われる。少し焦る。まあ私が去った時もまだ6番の診察中だったので大丈夫だろう。


 耳鼻科に帰ってきて電光掲示板を見ると10番と出ている。よかった間に合った。受付に、「10番なんですけど。」と伝える。受付は、「お呼びした時いらっしゃらなかったので、次の方の診察を行っています。」との返答。あの掲示板の10番はなんだったのか・・・。受付に、「あと何人くらい待ちますかね。」と尋ねる。「5人くらいですね。」との答え。まじか・・・。「はい。ありがとうございます。」と返して、外の椅子に腰掛ける。

 先ほどの男はもうおらず、廊下は至って静かである。しかし、心が落ち着かない。こんなことで取り乱していることもまた、心の静寂を妨げる。俺が悪かったんだろうか。あの男が来ていなければ、俺はこんな時間を過ごさずとっとと薬をもらって帰宅していた。それに受付もそんなに早々と進めることはないんじゃないか。理不尽だ。すべての人間が憎い。なぜ、皆俺のことが嫌いなんだろう。邪魔者を見るような目で俺を見ているんだろう。


 違う。駄目なのは私だ。いつでも自分以外の何かに期待して、失敗した時の自分への呵責をなるべく減らそうとしているんだろう。結局自分じゃ何もしないし、何もできない。できたとしても、やろうとしない。それでいて一方的にかけた期待を裏切られたら、なんでもないふりをしてやり過ごす。内心ではやり場のない怒りをため込んでいる。「あいつのせいで。あれがなければ。」いつもそれだ。今回だって私は何度高をくくったのか。自分の力じゃない何かに一体何度頼ろうとしたのか。そのくせ妙にそうでもいいことに固執したりする。全部自分のせいじゃないか。今のところはこんな些細なことで済んでいるが、いずれこの悪癖が高じてもっと大きなものを失ってしまうんじゃないか。怖い。私は生きていちゃダメなんだろうか・・・。

 今だって、「もしかしたら、今日の受付は待合室の外で待っているのに気づいてなくてどんどん先に進んでるんじゃないか。」と思っていながら、外でぼーっとしている。一言声をかけるだけでいいじゃないか。それも億劫であり、またしても高をくくっているのである。私の人生はこれまでもこれからもこんなもんなんだろう。こうして自分では何もせず、自分じゃない何かのおかげで上手くいったり失敗して、なんとなく生きていくんだろう。

 もういっそこの場で誰にも気づかれず、こんなどうでもいいことを考えながらじんわりと消えるように、存在が薄まっていくように死んでいきたい。

 生は減点法で、死は加点法だ。最近こう思うことが多い。人は母親の胎内から出た瞬間に生の持ち点が決まり、あとはそれが減っていくだけ。そして減った生の点数がそのまま死の点数に加点されていく。その速度を落とすことはできても止めたり逆転させることはできない。私の持ち点はあと何点なのだろうか。私は今生きているふりをして、実は死にむかう作業をしているだけじゃないのか。


 どれくらいの時間が経ったのか。3分くらいのような気もするし、10時間くらいのような気もする。そんな曖昧な脳味噌の状態。眠っていたのか起きていたのか、生きていたのか死んでいたのか。またしても思考の渦に入ろうとすると、受付の人が廊下に出てきて「10番の方、診察です。」と声をかけてくれた。私はハッとしてふらつきながらそちらへ向かう。その途中で受付に、「外に出ているなら一言声かけてくださいね。」と注意された。全くその通りだ。深く謝罪する。


 あっという間に終わった。早いものである。医者が介入したのは今服用している薬が効いていることの確認のみ。


 薬局で薬をもらい、みっともなくぜえぜえ言いながら自転車を漕いで帰宅する。


 なんとも虚しい日々である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

時に虚しくならないか 猿の退化系 @horkio118

フォロー

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のタグ

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

Androidでは正しく
設定できないことがあります。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

新規ユーザー登録無料