人の好みとは実に曖昧なものだと思う。私にも趣味と呼ばれるものがあるにはあるが、趣味の合う他者と真に相互理解を感じたことが一度もない。学生時代に同じ音楽が好きだという級友と出会い、話をしたことがあった。お互いにその音楽の良さを存分に語り合った。私は彼の期待に添えるような返答をしようと心がけたし、彼も自分の理解者を得て満足げだった。しかし私は全く満足していなかった。彼とは趣味が合わない。作品に対する姿勢、読み解き方、感じ方全てが違った。お話にならない。彼は私と違い作品の表面しか見ておらず、上辺だけの本当につまらない聴き方をしていた。本質を理解していないのに好きだと主張するだけの低脳だったとは・・・。やはり私は誰の理解も得られないのだろう。

 ただ、この経験から得たことは一つある。人間は自分の意見を理解してくれる(ように見える)人を信頼するということだ。実際、あの偽りの談笑以降彼は私に積極的に話かけてきた。この認識を学生時代から得ていたのは大きく、これまで人間関係で致命的な失敗をすることはなかった。若くして安全に人間社会で生きて行く術を手に入れたというわけである。


 そうして私は社会に出る。

 この経験から私は新たなビジネスを立ち上げた。人呼んで相談屋。その内容は「一時間1000円で顧客の話を聞くだけ」というものだ。そんなの商売にならないんじゃないか。そう思うだろう。しかし、なるのだ。人は猿からヒトへと進化し、狩猟採集やらなんやかんやしていくうちに社会を形成して、上辺だけの相互理解によって世の中を回す生物「人間」になった。人間の大半はとっくの昔からこの相互理解の薄ら寒さに気づいている。しかし、なんとかその事実から目をそらしつつやっていかなければ社会に適応できない。いや、目をそらすのは別に悪いことじゃないのだ。ただ、気づいているのに気づいていないふりをするというのはひどく疲れるものである。そうしているうちに、人間は相互でなくとも自分のことだけは理解してくれる人を求めるようになる。それも実は偽りでしかないのだけれど。

 その穴を突いたのがこのビジネスだ。生身の人間に自分の話を打ち明け、そして理解してもらいたい。そういった人間の心理を利用したものになっている。

 私はこれまでの人生で出会ったあらゆる人たちとの間で築いてきたコネを活用し、自分の知名度を格段に上げた。もちろん私はすでにこの世の人間関係が全て偽物だと知っているので、入れ込みすぎることはない。適度に入れ込み、適度に引く。この技は一流であると自負している。

 そうして口コミやらコネやらで日々顧客の数が増えていき今では一週間先の予約まで埋まっている。

 特に興味のない話を親身になって聞き、絶妙なタイミングで相槌を打ち、「なるほど、わかります」とわざとらしさを一切感じさせないように発声する。相手の表情の動きを逐一チェックし、それに合わせて相手を安心させるよう的確に自分の表情筋に指示を出す。

 1日に8人ほど、多い時で10人ほどの相談に乗る。「相談に乗る」と言っても特に妙案を出すわけではなく、当たり障りのなく妥当な、かつ信頼できる(ように聞こえる)返答を繰り返すだけ。


 今日の仕事を終え家に帰る。基本的に仕事は喫茶店などで行うが、別に椅子と机さえあればどこでもいい。

 自室で好きな音楽を聴きながら、しばし物思いに耽る。

 思えば、高校を卒業してからというもの自分の本当に思った考えを他者に述べたことがないな。まあ自分の気持ちを他人に伝えても百害あって一利なしというのはとっくに知っている。健全な人間関係はいかに自分の意見を隠すかにかかっているのだから。

 人間が自分の気持ちを他者に伝えたがる生物なのだとしたら、私は人間じゃないのかもしれないな。我ながらこの考えには苦笑する。


 私はこれまで金に困ったことがない。親がそこそこ裕福だったのに加え、自分の仕事もまずまず成功ときている。これ以上何を望むことがあるだろうか。人間関係も良好、何もかもが穏便。


 ただ、誰も信じられる人がいない。

 人間は皆誰かに頼って生きている。自分の友人や知人、家族やその他大勢の人々に頼る。その人たちを当てにする。私はそれができない。私の元へやってくる客は私に頼る。なら私は。私は誰を頼ればいいのか。頼れない。この先自分の内面を全て受け止めてくれる人間が私の前に現れたとして、私はその人を心の底からは信用できないだろう。だって今までそうやって生きてきたのだから。他人を疑うことしかしてこなかった。上辺だけの穏便な生活を過ごすことにだけ細心の注意を払ってきた。私はこれで良かったのか。誰にも理解されず、理解されようともせず、理解しようともせず。そうやって私は死んでいくのか・・・。


 明日は仕事がいっぱいなのでこんな考えは振りはらい明日のために早く眠る。自分の奥底にある醜い考えに蓋をして毎日を穏便に過ごしていくしかない。

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