エピローグ
夜は短し明かせ乙女
機暦二二五三年 十一月二十七日
大都市オルティアのセントラルタワー内の一角に存在する、レイスロイド第一治療室。
ひっそりとした無味乾燥な小さい部屋の片隅で、今日も熱心に働く一人の少女の姿があった。
「これをこうして、っと……」
いつものように仕事用の白衣を着たナツリは、手術台に横たわったレイスロイドの修理に専用の工具でひた向きに励んでいた。
この日も彼女は、マザーオベリスクの自爆によって全稼働停止した第一世代レイスロイドたちの修復作業に朝から追われていた。
四ヶ月前のオルティアの決戦にて、第一世代レイスロイドたちは例外なく全ての個体が稼働停止し、実際一度その命を失った。このまま屍と化した機類たちを戦場に放置するわけにもいかず、彼らのうちの数体が軍の研究者たちによってすぐに回収され、その修復に対する熱い議論が交わされた。
しかし、第一世代レイスロイドたちの感情を制御していたマザーオベリスクが無き今、どの優秀な研究者たちも彼らを元の正常の状態に戻すことは不可能というのが最終的に誰もが出した見解だった——そう、一人を除いては。
レイスロイドたちの修復に一つの可能性を見出したのは、他でもないナツリだった。
彼女は、第二世代レイスロイドであるレインの個別感情制御プログラムに
もし今もお父さんが元気に生きていたのなら、果たして自分と同じ行動をとっていたのだろうか。
答えは判らない。ただそれでも、仮にこの選択の至る未来が最終的に間違っていたとしても、今は自分の心に正直でいたい。
天才科学者ローエン=ライトの娘として、ナツリは彼の名に決して恥じぬ堂々とした働きぶりを見せた。
そして少女の並々ならぬ努力の結果、一部ではあるが第一世代レイスロイドだった彼らを第二世代の新たな姿として本来の状態で蘇らせることに見事成功したのだ。
この二年間の戦争によって回収されたレイスロイドの総数はおよそ一万以上にも及び、全ての彼らを暴走する前の状態に戻すには当分の間かかりそうだ。
「ふう……」
一拍置くように、ナツリは肺に溜め込んでいた空気を吐き出す。
だが、事はそれだけで終わりではなかった。
ついひと月前にセントラルタワー前の赤煉瓦広場で開かれたオルティア政府の演説会に於いて、稼働停止した第一世代レイスロイドたちの修復の件に対する人々の反発の声が多く上がったのだ。
当然だろう。実際暴走した機類たちによってこれまで平穏だった日常の全てを奪われた者もいるのだ。そんな憎悪の対象とも言うべき彼らに怒りの矛先が向くのは、やはり無理もない。
無論、オルティア反乱軍の総司令官であるルナ=マーシャルは、二年前に第一世代レイスロイドたちが暴走を起こした全ての元凶はマザーオベリスクに潜んでいた正体不明の存在——ユビキタスが原因だったと、広場中央に設けられた演壇で人々に包み隠さず説明した。
だが予想通り、彼らから容赦なく返ってきたのは鳴り止まぬ罵倒と怒号の嵐で、実際その真実を受け止めようとする者はほとんどいなかった。
それでもここで退くわけにもいかず、第一世代レイスロイドたちが暴走したことに対し、ナツリもレインに次ぐ第二世代レイスロイドであるスレッドに協力してもらい、同型機として新たに生まれ変わった彼らの安全性を強く主張した。先刻も説明した通り、個々によって分けられた個別感情制御プログラムなら彼らが一斉に暴走を引き起こす危険性はなく、万が一そうなったとしても単体ならすぐに対処することができるからだ。
たった一日にして家族と故郷を
だが、ここでひと度レイスロイドたちを一方的に迫害してしまえば、いずれこの世界から彼らの居場所まで完全に消えてしまう。そんな恐ろしいことは、絶対にあってはならない。今はまだ自分の描く理想から現実は遠くかけ離れているけれど、これからもどんどん人々にレイスロイドたちとの再共生を積極的に訴えかけていくつもりだ。
そして、最も気になるのがユビキタスの行方に関してだが、結局あの決戦の日以来再び自分たちの前に姿を見せることはなかった。果たして死んだのか、それともしぶとく生き延びたのか、その辺りの情報は何も判っていないのが現状だ。
奴の存在が常に気にかかるところではあるが、今はオルティアの復興に向けてやることが山積みだ。人類と機類の信頼関係を回復させていくには、まだまだ当分時間はかかるだろう。それでも自分は、いつか人間とレイスロイドがまた一緒に暮らせる日が必ず来ると信じている。
なぜなら人は、こんなにも一人の機械を心から愛することができるのだから——。
不意に、デスクに置いてあった携帯端末からデフォルトの着信音が大音量で流れてくる。
一旦作業を止め、ナツリは悠々と携帯を手に取る。
発信元はセッカからだ。通話ボタンを押し、受話器を耳に当てる。
『もしもし、ナツリ? まだ仕事中?』
「うん。今してる作業を終わらせたら、ようやく一段落って感じ」
それに対し、セッカはどこか呆れたように深く嘆息する。
『はあ……どんだけ仕事熱心なんだか。今日みたいに息抜きできる日ぐらい素直に休めばいいのに』
「ははは……そういうわけにもいかないのよ」
ナツリは困り顔で思わず苦笑する。
なるべく心配かけないように軽く言ったつもりだったのだが、親友の少女は割と本気な声音で不満そうに告げる。
『……もう皆、例の場所で待ってるぞ?』
「うん。こっちももう少しで終わるから、すぐそっちに向かうわ」
早く来いよー、とセッカは最後に一言残し、ぷつりと通話が切れる。
携帯をデスクに置くと、ナツリは腕まくりして再度気合を入れ直す。
「さて、もう一踏ん張りね」
頭を仕事モードに素早く切り替え、根を詰めて残りの作業に取りかかる。
セッカのおかげで一息つけたこともあり、時間や疲れのことなどすっかり忘れ集中して作業に臨むことができた。
一通りレイスロイドの修復作業を終えたところで、ナツリは大きく息をつく。
「よし、こんなもんかしら……」
壁の掛け時計に目をやると、すでに時刻は午後九時を回っていた。思っていたよりも時間がかかってしまい、さすがにそろそろセッカがお怒りになってもおかしくない頃だ。
ナツリは着ていた白衣を脱ぎ、壁にぶら下げていたハンガーに手早くかける。
今夜は長時間の野外活動になる予定なので、防寒対策として黒い繊維のマフラーと赤い生地のダッフルコート、手袋をしっかりと身に着ける。
最後に電気を消し、部屋の戸締まりを充分に確認する。
廊下を通りエントランスから足早に外に出ると、世界はすっかり夜の暗幕に閉ざされていた。
途端、暖房の効いた屋内に比べて、肌を刺すような寒さが全身を包み込む。
「うわあ……」
そこで出迎えてくれた光景に、ナツリは感嘆混じりの白い吐息を洩らす。
底抜けのように深黒の寒天には、鋭く欠けた氷輪と無限にも等しい数の綺羅星が惜しげもなくちりばめられていた。季節が季節ということもあって冬の夜空は綺麗に大気が澄んでおり、肉眼でもはっきりと星芒の瞬きを捉えることができる。
どうやらセッカが言うには、今夜は百年に一度訪れるかどうかという、流星群よりも遥かに珍しい《流星雨》が観測できるかもしれない絶好の機会だという。
ということで急遽、彼女の提案で軍のいつものメンバーとともに星空観賞会を開くことになったのだ。オルティアの復興が始まってからというもの、あまりの多忙で休みに
この数ヶ月で修復されつつある夜空より黒いセントラルタワーを振り返り、ナツリはまず敷地内の一角に足を運ぶ。
タワーに併設された小さな
ガラガラガラッ、と騒々しい音とともに金属製の戸が勢いよく開放される。
淡い月明かりの下に照らされた薄闇の中に溶け込むように、白地に赤色の太いラインの意匠で染め抜かれた一台のオートバイが、孤独にひっそりと佇んでいた。
「久しぶり……」
四ヶ月前に散々酷使してしまった相棒に申し訳なさそうに囁き、ナツリはゆっくりとバイクを外に引っ張り出す。
シャッターを閉めてからバイクのヘルメットホルダーを鍵で開錠し、そこにぶら下げていたフルフェイスヘルメットを頭にかぶる。冷気で少しひんやりとした黒革のシートに跨がり、安全運転のためにヘッドライトを点灯する。右手のスロットルグリップを思いきり捻り、ナツリはバイクのマフラーを豪快に吹かすと、唸るような重低音とともに高速発進。
東の正門からオルティアを勢いよく飛び出し、暗闇に蝕まれた広大な荒野を夜風の如く疾駆する。
首を巡らせばどこも一面呑み込むような
清々しい気分のままに、颯爽とバイクを走らせることおよそ十分。
ナツリが訪れたのは、数日前にセッカと予め観測場所を決めておいた荒野の片隅にある高台だ。満天の星々を背景にどっしりと佇むその巨大なシルエットは、さながらどこか太古に忘れ去られた厳めしい古城のようにも見える。この近辺では最も見晴らしが良く、あそこなら最高の景色を望むことができるはずだ。
高台周辺の森の入り口付近までやって来ると、そこには軍のオフロード車と
ナツリもその脇にバイクを停め、エンジンを切ってシートを降りる。
腰のウエストポーチに手をやり、中から懐中電灯を取り出して電源を点ける。
眩い光の輪が数十メートル先の暗闇まで明るく照らし出すと、少女は森の中に生まれた薄暗い獣道を慎重に歩いていく。荒れた細長い道が一直線に続いているが、五分も歩けばすぐに左右の木々がなくなり、目の前に大きな崖が現れる。
ぐるりと周囲に視線を巡らせると、すぐ近くにはマーシャルとスレッド、さらにはこの数ヶ月ですっかり見慣れた元
そして、崖の手前に広げられたカラフルなレジャーシートの上には——ティアとオルミア、その間に挟まれる形でレインのいつもの元気な姿があった。
ふと夜空を眺めていたセッカがこちらに気づき、乱暴な歩調でずかずかと詰め寄ってくる。
「おっそーい! いつまで待たせるつもりだ! 皆ずっとナツリのことを待ってたんだぞー。まだ始まってなかったから良かったけどさー」
「ごめんごめん。思ったより時間かかっちゃって」
すっかりご立腹の少女をどうにか宥めながら、ナツリは手を合わせて何度も謝る。
すると、その二人の賑やかな会話に気づいたように、ティアとオルミアも一緒にこちらにやって来る。
「ナツリさん、やっとお仕事終わったんですね! 本日も一日お疲れ様です!」
「まったく……主催者側の人間が遅れてきてどうするんだ」
「ははは……ありがと。そしてごめんなさい」
対照的な二人の態度に複雑な表情で応じながら、ナツリはつい三ヶ月前のことを思い返す。
大都市オルティアから北東に向かって五百キロメートルほど離れた地点の荒野のど真ん中で倒れていたレインたちを発見したあの日、すでに彼らは完全に意識を失っていた。
結局終戦後から発見までにひと月を費やし、その後ナツリが呼び出した軍の救護トラックに全員運び込まれ、すぐさまセントラルタワーのレイスロイド集中治療室に搬送された。
精密検査の結果、レインに関してはただのエネルギー切れだった。
ラスカーとの戦闘で左腕が無惨に斬り飛ばされていたが、幸いその程度なら修復は充分可能だったのでなんの機能障害もなく元の身体に戻すことができた。
一方、深刻な状態だったのはティアとオルミアのほうだった。
第一世代レイスロイドたちを制御していたマザーオベリスクが自爆によって稼働停止したため、同型機である彼女たちもその例に漏れず実際一度死んだ状態になっていた。
しかし奇跡と言うべきか、二人の
そう、ついに彼女たちは第一世代レイスロイドたちの感情制御プログラムという使命の呪縛から解放され、これからは第二世代レイスロイドの普通の少女として新しく生きていくこととなったのだ。
この前の出来事をなんだか懐かしく振り返りながら、続いてナツリは自分の上司に挨拶しにいく。
いつものようにオルティア旧反乱軍、現在は正規軍の黒の軍服を着た彼女の周りには大量のビールの空き缶が地面に散乱しており、どうやらすでに出来上がっているらしい。
こちらに気づいたマーシャルが、ご機嫌そうにくいくいと手招きしてくる。
「ようやく来たか〜ナツリ〜。まったく上司を散々待たせるとは、お前も随分といいご身分になったもんだな〜。遅刻してきた罰として、今から一杯付き合え〜」
「……もしかして、ずっと飲んでたんですか? いくら明日休暇を取ったからって、深酒はあまり身体に良くないですよ。それと、私は未成年なんでお酒は飲めません」
これでは一体どちらが上司なのか……とナツリはとことん呆れ顔になる。
すると、なぜかスレッドが救いを求めるように急にこちらの手を握ってくる。
「ナツリちゃん、助けてくれよ〜。この鬼畜上司、普段から酒癖が悪くて飲んだらいつもこうなんだよ〜」
「ははは……それはご愁傷様」
どこまでも気の毒な青年に苦笑し、ナツリはその傍らの少女にちらりと目をやる。
純白のローブに身を包んだ恰好でちょこんと椅子に座りながら、彼女は今も暖かそうに火起こし器に両手をかざしている。
「エステアちゃん、最近身体の調子はどうかしら?」
「うん……ナツリのおかげで全身良好……」
「ふふ、それは良かった」
感情を表に出すのが相変わらず苦手そうな少女のお褒めの言葉に、ナツリの顔から思わず笑みがこぼれる。
あの終戦からレインたちを蘇生させた後、オルティアの街の路上で倒れていたエステアも無事修復することができた。無論、あの時レインは全力で彼女を斬ったはずだが、幸い機体のほうは大事には至っていなかった。
最初はナツリもかなり迷った。あの史上最悪の一日をもたらした仇敵の一人を、このまま情けで自ら修復していいのかと。この件に対し、マーシャルやセッカ、他の研究者たちからの反対の声も当然多く上がった。
けれど、結局はエステア自身も世界崩壊の被害者だったので、最終的にナツリは彼女の素性を民間人に明かさないことを条件に全員の反対を押し切り、修復することを決意したのだった。
一方、エステアの相方とも言える鋼鉄龍クルーエルのほうだが、全身の酷い損傷と彼の機体があまりに大きいため現在も修理に手間取っているところだ。まだここに来て間もない少女のことを考えれば、一日でも早く直してあげたいところだが。
「——あっ!」
不意に、ティアが何かに気づいたように声を上げ、上空を鋭く指差す。
皆釣られてそちらに視線を向けると、
それは刹那のうちに消えたかと思うと、新たに引き連れてきた星が一つ、また一つと、一瞬の煌めきを残して流れていく。最初の流星が引き金だったかのように、連れの星々を伴って次々と夜空を駆け始める。
「すごい……」
ナツリはごくりと大きく息を呑む。
この世があまりに呆気なく砕け散っていく寸前の一夜のような、そんな儚く尊い凄絶なまでの美しさだった。
これまで様々な景色を目にする機会は何度もあったが、今夜のそれは中でもひときわ強く心の琴線に触れるものがあった。
気づけば誰一人声を洩らさず、その夢幻的な光景に釘づけになったように皆すっかり見入っていた。
「綺麗ですね……」
ふと、ティアが隣で独り言のようにぽつりと呟く。
「今頃ラピスさんにも、この素晴らしい景色は見えてるんでしょうか……?」
それに対し、ナツリは少し表情を
大都市オルティアでの終戦を迎えてから約一ヶ月後、彼女はその
だが、いくら天才のナツリの頭脳と今の最先端の科学技術を
ラピスを蘇らせることは残念ながら叶わなかったが、彼と一番長い時間を一緒に過ごしたティアとオルミアの提案により、任務にもかかわらず一人の少女を最期まで守り抜いた英雄としていつまで忘れぬよう、青年の名はセントラルタワーの中庭に立てられた墓標に永遠に刻まれることとなった。
けれど、ナツリは思う。レインが決戦の日にオルティアの門前で言っていた通り、ラピスは心の底から本気でティアを守りたかったんだと。
だって彼の
ティアの問いかけに対し、オルミアが傍らで同意するように小さく頷く。
「そうだな……。普段だらしないあいつも、今日ぐらい一緒に見てるんじゃないか?」
冗談めかした口調で言う少女に、ティアは思わずくすりと笑いをこぼす。
「そうですね……」
どこか思いを馳せるように、流星雨が降り注ぎ続ける夜空を見上げる。
自分たちが生きている間に二度は出逢えないであろうひと時の奇跡に、青年たちはうっとりと心を奪われながらしばし星空観賞に没頭する。
呼吸することさえ忘れるぐらいにナツリが目の前の光景に無我夢中になっていると、不意にティアとオルミア、それにセッカの三人がいつの間にか何やらこそこそと会話を始めていた。
すると、何か良からぬことを企んだような顔で全員こちらに視線を向けてくる。
まず近寄ってきたティアに一言耳打ちされる。
「ナツリさん、今がチャンスですよ!」
「えっ?」
なぜか楽しそうな彼女の言葉にナツリが困惑していると、続けて隣からオルミアにポンと肩に手を置かれる。
「ふっ、事情は全てティアとセッカから聞かせてもらった。お前が胸の
勝手にわけの解らぬことを言い出し、さらにセッカが追い討ちをかけるように透かさず会話に加わってくる。
「今までの戦いが全部終わったら、ちゃんとあいつに告白するつもりだったんだろ? ほら、さっさと行ってこい!」
「ええっ!? ちょ、ちょっと!」
一切の拒否権はなく、彼女たちにとにかく無理やり背中を押される。
もはや引くに引けない状況に、ナツリは意を決して目の前に座る青年の背中におそるおそる呼びかけた。
「ね、ねぇ、ちょっと隣いいかしら?」
硬く緊張を帯びたその声に反応したレインは、ちらりと肩越しに後ろを振り返る。
「……なんだ?」
如何にも面倒くさそうな顔でそう言って、こちらに不機嫌な視線を向けてくる。
修理しても以前と何ら変わらぬ青年の
「別にそんな顔しなくてもいいでしょ。あんたと少し話したいことがあるだけ」
靴を脱いでレジャーシートに上がり、彼の隣に三角座りでそっと腰を下ろす。
「綺麗な夜ね……」
「ああ……」
暗黒の荒野と星屑の大海を挟むその境界線はもはや不鮮明で、あたかも宇宙の虚無のような
ふと、ナツリは静穏な声音で話を振る。
「ねぇ知ってる? 今降り注いでる流星雨には、《レイン》っていう現在で言う雨の意味が込められてるらしいの。不思議よね……これも何かの縁なのかしら。あなたと同じ名前が今夜使われてるなんて。流れ星にはね、星が見えているうちに自分の願いを口に出して言えば何でも一つ願いが叶うっていう、古くからの言い伝えがあるの」
「……なんだその迷信は……くだらない」
どこ吹く風と、レインは相変わらず無頓着な態度で呟く。
全く空気が読めない彼の言葉を無視し、ナツリは眼をつむって両手を組むと、夜空を駆けていく星々に願いを込める。
たっぷり数秒間それを終えると、じーっと不満そうな薄目で隣の青年に訊いた。
「……ねぇ、何か気になることはないの?」
「特にない」
「絶対あるわよね?」
「…………」
威圧的な口調で迫るが、レインは頑なに何も答えようとはしない。
はあ……とナツリは張り合うのも馬鹿らしくなって、ため息混じりに自分の口から答えた。
「あんたが訊くのが恥ずかしそうだから、今回は特別に教えてあげるわ。——私の願い事は、人とレイスロイドが幸せに暮らせますように、っていうこれから先の未来のこと。本当はもう一つ叶えたいことがあったんだけど、これは直接本人に言わないと伝わらないだろうからこの場ではっきりと言わせてもらうわ」
堂々とそう宣言し、決して逃がさないようにレインの両肩をしっかりと掴むと、互いに顔を見合わせる。
すると、突然ナツリは青年の身体に抱き付いて眼を閉じ、彼の唇に躊躇なく自分のそれを重ねる。
「……ッ!」
途端、レインの身体が激しく強張る。
青年は反射的に両手で押し退けて拒絶しようとするが、ナツリは構わず抱擁を続ける。彼の唇の柔らかな感触が
やがてレインも暴れるのをやめ、潔く観念したように少女に身を委ねる。
決して何物にも代えがたい、とても至福な時間だった。このままずっとこの瞬間だけで時が止まり続ければいいとさえ思えたが、今の状況をレインは一体どう感じているのだろうか。
ナツリは、少し緊張気味に瞼を持ち上げる。
青年は
「私は、あなたのことがどうしようもなく好き。あなたが無事に戦地から還ってきたら、いずれこの口で必ず伝えようと思ってた。それぐらいもう、今の私は噓偽りなくいつもあなたの存在を意識してた。突然好きだなんて言われても今はよく解らないと思うけど、この気持ちがほんの少しでも伝われば私はそれで満足なの」
胸の中心に両手を当て、薄闇の中でも判るぐらいに頰を赤らめる。
ようやく打ち明けることが叶った彼女の告白に対し、レインはばつが悪そうに目を伏せる。
「……ああ、解らない」
今にも消え入りそうな声で弱々しく呟き、胸の裡に秘めた本音を吐き出した。
「恋だの愛だの、レイスロイドの俺には正直よく解らない。自然と誰かを意識し始めるというのは、ある日ふと起きてしまうものなのか? 俺はその手の類いの経験をしたことがないのか、それとも単なる無自覚なのか、未だに自分でも判断がつかない。だが、それがお前にとっての幸せなら——」
すると、レインはどこか気恥ずかしげにそっぽを向き、一言囁いた。
「……せいぜい好きにすればいい」
彼の口から出てきた素直な言葉に、ナツリの顔から思わず咲いたような笑みがこぼれる。
「ええ。そうさせてもらうわ」
早速お言葉に甘えさせてもらい、青年の肩に遠慮なく寄りかかる。
だが、そんな喪われた限りない命の中で、尊ぶべき犠牲も確かにあった。
無際限の星彩が夜陰に閉ざされた道を仄かに照らし出すように、冥府へと旅立った者たちが遺したその灯火のしるべを頼りに、自分たちはまた一歩ずつ前へと進んでいかなければならない。
人とレイスロイド——。
その複雑になってしまった
だからもう、何も怖くない。この先どんな困難が待ち受けようと、挫けずにしっかりと前を見据えて歩いていける。
個人的な戦いはまだまだ続いているが、二年にも亘る青年たちの長き戦いはひとまずここで静かに幕を下ろしたのだった。
パーフェクト・レイン 一夢 翔 @hitoyume_sho
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