第2話

 目を閉じると。たまに思い出すことがある。というよりは、夢を見ている。

 広く青い空を飛び回り、自分と似たような風貌のドラゴンたちと気ままな旅をする。ワイルドツバメのように空を飛ぶ。空が赤みを帯びていくと、人里離れた山々に羽を休めに飛び降りて旅の話に花を咲かせる。まだ見ぬ世界はたくさんあって、明日はそこに飛び立とうと予定を立てる。自由だ。自由に生きている。つがいをもって子を成して、また群れをなしてそうやって生きていく。けれども気づけば、独り、また独りと仲間は減っていき、空を飛ぶのは自分だけになる。長命で、ほぼ不死なドラゴンであるがなぜ仲間はいなくなってしまうのだろう。疑問に思いながらも、明日を見に飛ぶ。仲間がそう望んでいたように、自分がそう望んでいたように。飛んで、明日へ。また飛んで、明日へ。そうして、ここに辿り着いた。

 ゆっくりと目覚めると、目の前にワトがいた。ドラゴンの眼ほどの体しかないワトが心配そうに瞳をのぞき込んでいる。

「何か、悲しいことでもありましたか?」

 ワトにそう問われて、疑問に思った。

「涙を流していましたよ。こーんなに大きな!」

 そう言ってワトが腕を振って大きさを表した。その動きがおかしくてドラゴンは失笑した。

「なに、悲しいことなどはないな。欠伸だ、きっと」

「ドラゴンも欠伸をするんですか?」

「お前は儂をなんだと思っているのだ」

「ドラゴンです! 最強最悪の伝説の生物です!」

 ぐっと握りこぶしを作って力強く言った。

「失礼なやつだ」

「気になさらず! さて、それで、約束守りましたよ。もう一つの夢、教えてくれませんか?」

 人懐っこい顔でにこにことそう尋ねた。ワトの顔を見て、ドラゴンは一度目を閉じた。そしてふかく息を吐く。大きな鼻腔から出てきた空気は生暖かくワトの体を押し返す。おとと、とワトが飛びそうになったニット帽をおさえて、尻もちをつきそうになるのをどうにかこらえた。ドラゴンすげえと心を躍らせて鼻息が荒くなる。

 そんなことなど露知らずドラゴンは目を開けて、視線を朝日がさす頭上の穴に向けた。

「今日は天気がいいのだな」

「ええ、晴天です! きっと僕がメツナ神にお願いをしたから叶ったのかもしれません」

 えへへとワトが笑った。

「少し、夢を見ていたのだ」

「夢?」

「ああ、夢だ。夢の世界では、儂は仲間と空を飛んでいる。広くどこまでも広がる空を仲間とともに飛んでいる。眼下には空と同じようにどこまでも続く地平がある。儂は体が大きいが、それ以上に広大な自然だ。そこを飛ぶのだ。仲間とともにな。それで、空が赤く染まり始めたころ、儂たちは人里離れた山や丘に降り立って羽を休める。空には星々が輝き、月も出る。そのはかなげな明かりに照らされながら夢を語るのだ。明日はどこに飛ぼう、明日はどこを見よう。そんなことを話しながら眠りにつく。そうやって生きている。自由気ままな旅をして生きている」

「素敵ですね。まるでワイルドツバメのような。風来坊のような」

 ドラゴンが大きな瞳を細めた。

「ああ、きっと、素敵な旅だったのだろう。けれども、仲間は減っていく。どうしてかはわからん。けれども仲間は減っていくのだ。広大な空は徐々に寂しくなっていく。こんなにも図体が巨大だというのに、それでも、翼を目いっぱい広げても、空を覆うことはできない。仲間の代わりに飛んでいても、まるで自分がちっぽけで、空を飛ぶのが寂しく、怖くなった。自然は偉大だ」

「仲間に会いたいと思わないんですか?」

「夢の話だ。夢にいくら望んでも、夢は夢だ。叶わんよ」

 寂しそうに言う。

「そうでしょうか」

 ワトが不思議そうに言った。

「僕はあなたに会って、とある一つのお話が真実なのではないかと思うようになりました」

「一つの話?」

「はい、ドラゴンのお話です。そして今、あなたのお話を聞いて、さらに確信をもちました」

 ワトが真剣な顔で話し出す。

「ここから北に行くと、キゲンデ国という魔法にあふれた国があるのですが、そこにドラゴンにまつわる伝承がいくつかあるんです。人食いだとか、村を焼かれたとか、そういうお話の中に、”最果てのドラゴン”という毛色の違ったお話があるんですよ。仲間とともに空を飛び、安住の地を探していたドラゴンたちはついに念願かなって安住の地を見つけます。けれども、その安住の地を脅かす存在が現れました。人間です。彼らは戦争の道具としてドラゴンを使役しようとします。どうやらドラゴンにも性格が様々あるようで、好戦的なものはそれをよしとして生きていくことにしますが、穏やかなものたちはまた、新たな地を探して旅をするんです。その中で、ドラゴンたちは戦うことになります。仲間同士で。これは僕の推測ですが——おそらく、人間たちはドラゴンをほかの国で使役されることを未然に防ごうとしたのかもしれません——そして仲間を失って最後の独りになったドラゴンが、あらたな安住の地を探して飛び立つところでこの伝承は幕を閉じます。でも、多分、その新たな安住の地はようやく見つかったんだと思います」

 ワトがまっすぐと目の前の大きな瞳を見つめる。

「ここ。竜の渓谷です」

 ドラゴンがまた深く息を吐いた。

「ここは確かにマジックスポットです。魔力を糧に生きていく魔生物たちにとって有益なところです。ですが、活火山があってなかなか立ち入ることができない。人はおろか、こんなに過酷な環境で生きていくことが出来る生物は極端に限られてきます。おそらくほかで生きるよりも生存競争は容易なものでしょう。何せ、戦う相手がいませんから。でも、それは叶わない。よっぽどの強力な魔生物でない限りは。例えば——ドラゴンのような」しんとワトの視線がドラゴンを見据える。

「僕はずっと考えていました。これほど立派なマジックスポットに魔生物が存在しないことがあるだろうかと。確かにさっきも言いましたけど、活火山があって、生きていくのに環境は望ましいとは言えません。隣には迷いの森がありますし、そっちのほうが生存競争は多少大変でしょうけど、ここよりは生きやすい。でも、と思ったんです。調べれば調べるほど、ここにはほかの伝承よりも若い伝承が多かった。それに昨日、ここに足を踏み入れて気づいたことがあるんです。ドラゴンにまつわる様々な伝承の中でドラゴンは生命力の象徴のような描写をされることが少なくありません。例えば、”森に眠る竜”では、自らの体に苔を育成し、森全体をドラゴン自らの生命力をつかって繁茂させていると書いてありました——場所は明確に記されていませんが、伝承の発生源から察するにおそらくシャンダウコ国の日隠ひがくれの森だと思います——同じように、ここには緑があります。活火山で、栄養も少ないだろうに、多少は、木がある。隣の迷いの森から栄養を分け与えてもらうには離れすぎています。それでも、なぜか、木はある。おそらくですけど、それはあなたがやっているんですよね」短く息を吐いて首を振った。

「どれもこれも、僕の憶測です。推測です。仮定の域を出ません。だから、教えてくれませんか。あなたの願いを、あなたのお話を」

 ドラゴンは大きな瞳をぐるりと回して、口を開いた。開いて、閉じた。大きく息を吸い込んで——今度はワトが前のめりになった——吐き出した——ワトがまた飛びそうになる。

「忘れようとしていたのだがな。夢と思おうとしていたのだがな」

 ドラゴンが悲しそうに目を細める。

「夢の話は、今よりもはるかに昔の話だ。気が遠くなるほど昔の話で、まるで夢の話だ。今は国になったとお前も言っていたが、それ以前は国というよりはただの群れだった。儂たちが安住の地と呼んだのは”永久とこしえの山”でな。あそこはとても強力なマジックスポットで儂らのような魔生物がいくら集まれども枯れることはない。お前が言うように儂らが生命力として還元するのだ。そうすることでそこ一帯に命が宿る。木々や花々がな。そうすれば、そこにまた生物が集まって、マジックスポットに魔力が募る。いわば、水のようなものだ。雨が降り、山に染み渡り、土を通って山を下り、麓で川になって流れ出る」

「そのときは、とても幸せな時間だった。仲間がいて、好きに生きていけるだけでなくて、帰る場所があった。けれどもあの日——災いが起きた。人が使役したというが、儂らはそんなに弱くないぞ。あれはただの仲間割れだ。マジックスポットを我が物にしようと我儘なことを言ったものがいた。そいつの一派が儂らを襲ったのだ。情けなくてなあ。なぜ、安住の地で危険な目にあわねばならん。儂らはそいつらから逃げるように空を飛んだ。それから、独り、また独りといなくなっていった。死んだわけではないだろう。ただ、疲れたのだろう。どこまでも飛ぶことに疲れたのだろう。そして儂も疲れたのだ。だから今はここにいる」

 ドラゴンは頭上の穴を見上げて、その後視線を落として目を閉じた。

「もしかすると」

 ドラゴンは目を閉じたまま、話をつづけた。

「儂はずっと、お前を待っていたのかもしれん」

「僕を? どういうことですか?」

「ドラゴンは不死だという話はあるか」

「ええ、いくつかあります。不老不死で、その血を煎じて飲めばどんな病も治るとか、自身も不老不死になるとか」

「ならば教えてやろう。それは嘘だ」

「え。そうなんですか!」

「そうとも、不死ではない。長命であるのは事実だがな」

 ドラゴンは悪戯に笑った。

「それは新たな発見ですよ! うわあ、やっぱりここに来てよかった! ありがとうございます、ドラゴンさん!」

「儂も、お前に会えてよかった。願いはかなったよ」

「いや、まだでしょう? もう一つの願いがあるはずです!」

 真面目にワトは言って聞き耳を立てる。

「それは——そうだなあ、では、お前が叶えてくれないか」

「僕にできることならなんでも!」

「いつか、共に空を飛ぼう。あの頃のように、広い空を」

「わかりました! でも、なんで今じゃないんです?」

「それは、今に分かる」

 そう言って、ドラゴンは朝日に照らされて、きらきらと光った。鉱石のようなまばゆい輝きを放って、全身がまるで光でできているような、魔力の塊になった。

 目の前の現象にワトは目を見開いた。

「ワトと言ったな。儂は名がないのだ。名乗れぬのは申し訳ない」

「いや、構わないですけど、何が起こっているんです!」

「ドラゴンの寿命が来たのだ」

「寿命? 今? どうして?」

「なに、寿命とは突然決まるものだ。理由などないだろう」

「確かにそうですけど、でも、まだ夢をかなえていないじゃないですか!」

「それはお前が叶えてくれると言ったじゃないか」

「いいました! でも、僕は空を飛ぶ魔法なんて使えませんし、そもそもあなたが一緒に飛ばなきゃどうしようもないじゃないですか! 仲間にも会いに行きましょうよ! ね! そうしたら僕もまたいろんなお話が聞くことが出来ますし! 橋渡ししてくださいよ!」

「いいとも。その時がきたらな」

「いや、だから、言ってることと全然ちがいますよ! なんなんですかこれ! 本当に死んじゃうんですか!?」

「そうとも。本当だ」

「さっきあなたはドラゴンは不死じゃないと言いましたが、目の前で実践しなくてもいいんですよ!」

 わたふたとワトは慌てふためいている。しかし、ドラゴンのほうは悟ったように穏やかだった。

「ワトよ」

「はい」

「今度会ったら、お前が名をつけてくれ」

「今度、会ったら?」

 ドラゴンが頷く。

「ドラゴンさんというのは、いささか奇妙だろう」

 ドラゴンの形をとっていた光が霧散した。ワトの体を突き通って寝床になっていた洞窟を矢のように飛んでいく。至る方向に飛び散って、静寂が訪れた。

 ワトの目の前にあの巨大なドラゴンはいない。辺りを見回しても、彼の面影はない。頭上の穴から空を見上げる。青々とした空が広がっているようだ。彼は、どこに行ったのだろうか。静かに息をして耳をそば立てても、何も聞こえない。

 刹那。霧散していた光が一点に収束するように、時間が巻き戻るようにして集まっていく。ワトの体を光の粒子が通っていくとき、何かが見えた。

 ドラゴンは空を眺めている。飛び出せそうなその穴を渡り鳥が飛んでいく。気が遠くなるほど独りで過ごしてきたが、やはり仲間に会えないのは寂しかった。どうやら自分には森を作ることが出来ないらしく、ここ一帯にほかの生物が根城をつくることはなさそうだ。何度目かもわからないため息をついて、目を瞑った。いつものように、目を瞑る。目を瞑って、夢のような過去を夢見る。その時だった。何かが転がって自分の背にぶつかった。ぴくりと瞼が動く。どうやら生き物のようだ。どけというと、そいつは眼前に降り立って、きらきらと目を輝かせた。

「初めまして、僕はワト。ワト・シナハと言います! 伝聞拾遺使という仕事をしておりまして、今日はあなたの話を聞かせていただきたく、ここまで参りました!」

 と言った。呆気にとられた。ドラゴンである自分の姿を見て逃げ出さない人間なんて久しぶりだ。こんなにも好意的な人間は初めてかもしれない。

 久しぶりに話して、心が躍った。わずかな時間であったけれども、楽しく幸せな時間になった。

 光が一点に収束して楕円の形をとっていく。

「もしかして……」

 ワトが目を見開く。

「もしかして、ドラゴンが不老不死と言われるゆえんは長命なところじゃない? 長く生きるだけでなくて、まさか、寿命がきたら新たな命をつくるのか……? でもそんなことが書かれた文献はどこにもなかった。でも、確かにドラゴンが絶滅したっていう確たる証拠もない。ドラゴンは死んだんじゃない、絶滅なんてしない。もし、ほかのドラゴンもこういう風になるのであれば、絶滅なんてしようがない。これはだって、だって、見るからに——」

 ワトの目の前に収束した光は徐々に明るさを失って、その中身が見えてくる。

「ドラゴンの、たまごだ……」

 目の前に浮かぶたまごに手を伸ばし、自分の顔ほどもあるたまごを抱え止める。

 大事に抱えて、腕の中のたまごを見つめる。

 呆然として、その場にどさりと尻をついた。腕の中にあるたまごは結構重い。まさかこんな宝物を見つけるとは思わなかった。自然と笑みがこぼれてくる。

「ドラゴンさん、お話残しすぎですよ」

 ぎゅうとたまごを抱きしめる。いつ生まれてくるのだろう。そういえば約束をふたつ取り付けられたのだったと思い出す。ひとつはともに空を飛ぶこと。もうひとつは、名前を付けること。いつうまれてくるかわからないから、なるべく早めに考えておこうと決意して、ワトはもう少しここで休んでから帰ろうとリュックサックにもたれかかった。見上げた空にドラゴンの背に乗って飛ぶ姿を思い浮かべながら。

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噺拾いと拾われる物語 久環紫久 @sozaisanzx

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