寿司の淀み

無知園児

本編

「ポロでふ」


 まさにいぶし銀といった様相の店主が、寿司をカウンターに置いた。

 鮮やかなピンクに、僅かに黒が混じった魚肉を、正16角形に切ったネタ。その下には薄灰の混じった、雪色とでも言おうか、どこか郷愁を感じさせるシャリ。

 なんの寿司なのか、いまいち判断が出来なかった。


「……トロですか」


「ポロでふ。覚めないうちにお喰べくだちい」


 店主の、重低音でどこか心地いい声色が響いた。煤けた眼差しを僕に向け、濁った指先をゆるりと差し出す。


 先には、ポロ。


 唾をひとつ、飲み込む。僕は恐る恐る、得体の知れない寿司を口に運んだ。




 脳が、弾けた。


 視界が見えた。聴覚を鳴らした。口内は粉微塵に消える。

 美味過ぎるが故の絶頂か。いや、もはやこれは、味ですらない。

 味覚を通さない。感覚を通さない。魂をすら置き去りにして、存在に直接叩き込まれる圧。


 それが、ポロだ。


 色々なものを見た。

 自というあくた。他というあらず。未というなまけ。既というおそれ。いくつもの存在を潜り抜け、最後に辿り着くのは、純たるふかみ


 どこどこまでも沈んでいき、しかし底には調和があった。

 全てが、そこにあった。けど、なにもなかった。口にすれば凡庸なこんな言葉ですら、飴色に輝いて見えた。


 そして、そう。そこには、ポロが。ポロだけが。




 暫しの旅を終え、帰還する。涙が止めどなくこぼれ、全身から汗が吹き出す。

 なんだ、今のは。自問するも、それは自明である。今のは、寿司だ。だが、それだけではない。


 これは、寿司の形をした、淀みだ。煮詰めて、濾してを繰り返し、ようやく残った、ただ一粒。それが、ポロだ。


 こんなもの。こんな寿司が、許されてはいけない。許されるはずがないのだ。


「エヲガウでふ」


 顔を上げると、カウンターには乳白色に輝く多重真四角が存在した。エッシャーのだまし絵を見たときに似た、視線が絡まり転がる感覚を味わった。


 僕は、助けを求めるように、出入り口を見やった。


 そこには、ただの沁みしかなかった。

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寿司の淀み 無知園児 @mutiennji

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