6月16日 告白からの、ごめん。

 ギィィ……


 扉を開いた瞬間、強風が吹いてきた。昼休みにはそよ風程度の風しか吹いてなかったが、放課後の夕暮れどきになると決まって強風が吹いてくる。それも高ければ高いほど。この地域特有の気候である。しばらく強風が吹いて目が開けられない。耳から風の切る音が聞こえる。これから夏だってのに、この風のせいで今は肌寒く感じてしまう。

 しばらくすると、ようやく風が収まる。目も開けられる。ゆっくりと目を開けると――――――、


「せん、ぱい……―――っ」


「君は確か……」


 もう一度風が吹いてくる。しかし、今度は目が閉じれない。はっきりと捉えた視界の先。そこに立っていたのは、紛れもなく今日の昼休みに見たことがある顔だった。ツインテールが風で靡いている。夕日と重なって彼女は天界の天使のようになっている。夕日に光が、天使の羽のように背中から伸びている。しかし、その目には涙が溜まっていた。


「ようやく逢えました。この時をずっと待ち望んでいました」

「……」

「昼休みに遭遇するとは思いませんでしたが、それでも助けてもらって嬉しかったです」

「……」

「私のこと、覚えていますか?」

「……ああ」


 覚えているとも。昼休みの時はわからなかったが、こうして面と向かい合ってようやく思い出した。この子は、俺が助けた子のうちの一人。目の中に輝く星型の瞳孔、いつでも赤い朱色の頬、幼い頃とほとんど変わらない体型、そして、あの頃とは思えないほどに整っている綺麗なツインテールの髪。

 ああ、本当にあの子なのだろうか。あんなに巻き込まれながらも、今を懸命に生きている彼女がいた。


「久しぶりだな、星乃叶」

「……はいっ!」


 放課後の屋上で一際大きな声で返事をした和泉星乃叶いずみほのか。星(星乃叶のことである)の願いが叶うように、という意味で名付けられた。キラキラネームではないが、漢字は珍しいだろう。


「逢えました……逢えましたよっ!」

「うわっと……!」


 俺に飛びついてきたと思うと、すかさず彼女は顔をスリスリとしてきた。正直、かなりこそばゆい。俺のことを慕ってくれていることは素直に嬉しいのだが、流石にあの頃とは違うのである。ということは、身体の方ももちろん成長しているわけで……。


「あれ……?」

「ど、どした……?」


 星乃叶の動きが止まると同時に、俺は背中までびっしりと汗をかいていた。お、おっかしいなぁっ。さっきまでは肌寒かったのに。


「この、私の下腹部あたりに当たっている硬い棒状のものは何ですか……?」

「ビクッ……!?」

「ふふふ、全く。先輩もあの頃とは違って本当に大人になったんですね」

「そんなわけ……って、あれ?」

「どうしたんですか?」


 おかしい。俺の知っている星乃叶は、男の人を毛嫌いしていて、おまけに息子さんを間接的に見たり触ったりすると、それを殴ったり蹴ったりするやつだったと記憶している。子供のだったら大丈夫だったが、大人になると事件のことが出てきてしまうらしく、彼女は問答無用に男共を撃沈させていった。


「お前、大丈夫なのか?」

「ああ、これのことですよね?それなら大丈夫です。まだ克服したわけではないですが、ある程度抑えることはできますから。それに、先輩は別ですから……」

「ん?」

「はっ!?な、何にもないですよ!?」


 ブンブンとオーバーに手を振る星乃叶。顔も夕日のせいか、さらに赤くなっていた。星乃叶は俺から離れると、もう一度向き直る。その目は真剣そのものである。俺も反射的に背筋が伸びる。


「先輩、私は先輩のことが好きです。どうか、付き合ってくれませんか?」

「……」


 人生初めての告白を受ける。しかし、俺はドキドキすることもなかった。何故なら、最初から俺の返事は決まっていたから。彼女には悪いと思うが、それが今の気持ちだと受け取って欲しかったから。

 俺はひと呼吸吐き、彼女の目を見る。


「悪い。俺はその返事には答えられない」

「……どうしてか聞いてもいいですか?」

「お前からしたら特別な先輩で、お兄ちゃんだろうけど、俺からしたら助けた子の一人で、可愛い妹みたいな存在だ。そして今は、ただの可愛い後輩だから」

「……そうですか。私は振られちゃいましたか」


 落ち込んでしまう星乃叶。しかし、それは身体だけが表現しただけであり、星乃叶本人は諦めていないようだ。


「悪いな」

「いえ、私は諦めませんよ。私をの後輩からな後輩にすればいいんですよねっ」

「……どうだろうな」


 再び強い風が吹いてきた。突然の風に星乃叶は対応しきれなかったようで、スカートが捲れ上がった。すぐにパッとスカートを押さえる。


「……見えました?」

「そこは『見ました?」じゃねーのか?」

「今日は勝負下着なので見られても問題ないです」

「……さいですか」


 どの道興味がないので見えたからどうこうという事もないのだが。それにしても、俺が施設を離れてから結構経つが、俺に対する星乃叶の行動に変化は見られない。それに俺は安心した。


「さて、そろそろ行かないとな」

「どうしてですか?」

「今日は妹と買い物に行く約束してるんだよ」

「妹ということは、千夏ちゃん元気なんですか?」

「ああ、おかげでな」

「そうなんですね。時間を取らせてすみません」

「いいさ。どうせ校門で待ってるだろうし」

「それだったら早く行ってあげてください。千夏ちゃん風邪引いちゃいますよ」

「おう。今日は悪かったな」

「いえ、おかげで先輩の気持ちがわかったのでそれだけで十分収穫です」

「そ、そうか」


 俺は星乃叶と別れて屋上を後にする。そのまま教室に向かい、カバンを持っていく。その時、カバンから星乃叶のラブレターが落ちた。俺は捨てようとも考えたが、捨てずにカバンに仕舞う。そして、急いで校門へ向かった。


~*~


 時は十年前まで遡る。


 俺が学校から家に帰っていると、路地裏から女の子の悲鳴が聞こえてきた。俺は声のした方向へ走っていくと、路地裏の入口に下半身丸出しの男の子と女の子が複数人倒れていた。当時の俺は知識がなかったが、男の子にも女の子にも見たことがない液体が混じっていた。


「あ、ああ……」


 俺は足が竦んでしまい、その場で座り込んでしまった。その時――――――、


「助けて!助けて、お兄ちゃん!」


 奥の方から俺のことを呼ぶ声が聞こえてきた。俺には千夏という妹がいるが、声の主は千夏のものではない。それに俺は千夏以外に妹は存在しない。どうしようかと考えていると、奥から男の声が聞こえてきた。


「ああ?あれ、君のお兄ちゃんなの?へぇ、面白いじゃん。幼い子ども同士が近親相姦とか」


 気味の悪い笑い声が聞こえてくる。本当にいるみたいだ、クズな大人が。多分、倒れている子供達もクズ男の餌食になってしまったのだろう。微かに聞こえる声には『お兄ちゃん……』という声が聞こえてくる。どうやら子供を犯す変態だけでなく、近親相姦好きの最低クズ男らしかった。


「……殺す」


 俺の中によくわからないドス黒い感情が渦巻いてきた。俺は落ちていたガラスの破片を手に持つと、男の足に向かって破片を突き刺した。鮮血が飛び散っていく。


「ぃぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 男の悲鳴が路地裏だけでなく、そこに繋がっている道にも響いた。そこへ人々が集まりだし、警察もやってきた。




 俺達は無事に保護された。俺の場合は男に刺したこともあり、警察に事情聴取をされたが、それが済むとすぐに解放された。警察署の前には母親が待っており、母親が俺のことを抱き抱えると、俺も安心して胸の中で泣いた。

 怖かった。女の子の声が助けになったとは言え、大人相手に危ないことをしてしまった。俺が泣いていると、後ろからつつかれた。振り向くと、男に捕まっていた女の子が立っていた。


「あり、が……と……」


 そう言って女の子は微笑んだ。


 それが俺と星乃叶との出会いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏色イノセンス! 一之瀬安杏 @ymamto-simno-nanjo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ